170.別れ。

 ――僕は、長時間に渡る三重概念で、バグを蓄積させていた。

 それが最悪のタイミングで、あと一歩というところで爆発したのだ。この世界のバグと成り果てた僕は、共にいた師匠に触れることすらできなくなっていた。


 しかし、だからだろうか。その代わりと言わんばかりに、少女の声は僕に届いた。


「マキ、ナ――」


“今すぐ三重概念を解除するんだ、敗因。そうすれば君はまだ間に合う”


「だが、そうしたら君は――」


“ボクは、大丈夫”


 声だけの少女は、そう言って僕を安心させようとしているのだろう。けれども、そんなことできるはずがない。だって、だって君は――


「大丈夫なはずがあるものか! そんな泣きそうな声で、納得できるわけ無いだろう!」


“大丈夫だって言ってるだろう! それに、は僕がなんとかする!”


「何を――」


 するつもりだと、問いかけようとする。ああ、こういう時――そう言い出すヤツの言葉はたいてい、あまりにも残酷で――そして、



“――ボクが、世界を連れて可能性から消失する”



 受け入れがたいものだった。


「……どういうことだよ」


“君たちが弱らせてくれたおかげで、世界はもはや死に体だ。それはつまり、ということでもある”


「……それは」


“世界はボクを取り込んで、ボクを動かすことで自分に命令を送っているんだ。ボクに余裕が生まれれば、そういった介入も不可能じゃない”


 たしかに、それはそのとおりだろう。現在世界はマキナを囚えてはいるが、両者の関係はあくまでマキナが主で、世界が従なのだ。

 その関係性は、今に至っても変化していない。


「だったら、それで世界を概念崩壊させられないか?」


“無理だよ。概念崩壊は自分の意志ではできない。君だって、そういう戦法は今までとってこなかったじゃないか”


 そして同時に――


“概念化の解除も不可能だよ。世界もボクと同じだからね。常に概念化した状態にあるんだ。それを崩壊させることは、概念が概念でしかなかった頃に戻るということにほかならない”


 それは。意思の消失。

 マキナで言えば、存在の消失だ。しかし、意思のない世界にとっては、それは消失にはあたらない。機能が停止するだけのこと。


“だから、概念崩壊させることは対処法としては正しい。最善だった。バグも消えて、世界という無慈悲な命令者も、存在しなくなる”


 しかし――


“それは不可能になった。君という切り札が使えなくなった今、世界を概念崩壊させる可能性は、完全に潰えたんだよ”


 その宣告は、あまりにも残酷だった。

 可能性の化身たるマキナに、そう言われては、それを否定する方法を僕は失ってしまうのだから。


「……本当に、可能性はどこにもないのか? これ以上、何もできないのか?」


“できない。ここが限界だったんだ。ありえない可能性、バグという切り札も、もはやただの毒に変わった。もはや、それは君の武器じゃない”


 ――この世界にやってきて。

 バグと言う方法で未来を切り開き、それは確かに僕の武器だった。世界がありえないと言い切った可能性を、マキナが存在しないと言った可能性を歩んでこれたのも、それがあったからこそだ。


 だからもう、ここに可能性は存在しない。


“けど、安心しなよ”


 ――それは、決して安心など出来ない声音で。



んだ”



 そう、言い放った。


「それは、どういう――」


“君がこの世界にたどり着いた事。君が未来を切り開き続けてきたこと。それは確かにバグだった。けど、君の意思はバグなんかじゃない。君自身は、何も間違っていない”


 ――少女は、笑っていた。


“君の敗因は、世界の理不尽は、ボクが連れて行く”


 顔は見えない。

 言葉しか笑わない。


 でも、分かるのだ。


“もともとボクが始めたことだったんだ。ボクがケジメをつけなくちゃ。そうでなきゃ、誰もボクを赦してなんかくれないだろう?”


 少女が笑っているのが。


“だから君は、君だけの可能性を、これから歩いたっていいんだよ”



 のが分かるのだ。



「マキ、ナ――」


“世界から、ボクという命令を取り除く。ボクが命令をしてしまったから、世界は今もそれを遂行してしまっているんだ。命令を今から変えることはできない”


 だめだ――


 それはだめなんだ、マキナ――


“だから、ボクという可能性を。世界と接続し、その権限を少しだけ取り戻した今なら、それができるんだ”


 だから、そんな声で、


 



“これでボクは、ようやく終われるんだよ”



 死にたいなんて、口にするんじゃない。


「――マキナ!」


 手をのばす。

 意味がないことだとは解っている。僕の周りは、既にノイズが走っていて、視界もおぼつかない。彼女がどこにいるのかもわからない。


 解ったところで、それにふれることすら叶わないのだ。


「ダメだ! それ以上は絶対に駄目だ! 君は消える必要なんてない!」


 答えはない。


「世界がそれを許さなくても! 僕は君を救いたい! 君が笑顔でいてほしい! 笑顔でいいんだよ! 救われたっていいんだよ!」


 答えは、ない。


「だから! そんなことを言うな! こんなことを――! !」


 確かに、君が消える方法は、僕たちがここまでたどり着いたからこそ取れる選択だ。だが、だからって誰がそれを望むというんだ。

 君は望んでなんかいない! 僕だって! 僕もそんなこと望むものか!


 これを勝利と、呼ぶものか!!



“――――君は、この世界をどう思う?”



 その問は、


 


 その時、僕は――僕は、こう答えたんだ。


「――感謝、している。すべての原因が世界だとしても、すべての原因が、世界だからこそ」


 だから、それを君から問われてしまったら。


“じゃあ、この世界のことは、好き?”


「言いたいことは、山ほどある。思うところは、抱えきれない程だ。でも、僕は――」


 ――世界の創造主たる、マキナがそれを聞いてしまえば、僕はそう応えるしかない。



「僕は、この世界が好きだ」



 この世界が、

 というゲームが、僕は大好きで、大好きで、仕方ないんだ。


“そっか”


 そして、マキナの言葉が、



“よかった”



 幸せに満ちていることも。解ってしまう。

 満ち足りていると、彼女が思ってしまったことを。


 僕はそのやり取りだけで理解してしまったから。


“――ありがとう。ボクの勝利の可能性が、君でよかった”


 その言葉を、



“最期に、君と話ができて、ボクは救われたんだ”



 ――止めることは、できなかった。



 ◆



「――――い、おい!」


「―――!  ――してよ!」


 声が、する。


 それは、


 とても、聞き慣れた声だった。



“目を覚ませ、敗因!!”



 ――だが、最終的に僕の耳に一番にとびこんできたのは、どういうわけか強欲龍の雄叫びだった。


「う、ああ……」


 耳を抑えながら、起き上がる。頭がいたい。頭が重い。


「――起きた! 心配したのよ! いきなりノイズ塗れになったとおもったら倒れてきたんだから! しかも受け止められないし!」


 フィーが僕に抱きついてくる。師匠とリリス、百夜の心配そうな顔が見えた。僕は――彼女たちに触れている。ノイズは、どこにも存在しなかった。


「――世界デウスは!?」


 そこで気がついて、慌てて僕は空を見上げる。


「……それが」


 そこには、



 ――顔を伏せ、動かなくなった龍がいた。



「動かないんだ。まるで、機能を停止したかのように、沈黙している」


 師匠が、ぽつりとこぼす。


“ありゃあ、本当に止まってるんだろォな。マキナのヤツがなにかしやがったのか”


「……可能性を、消したんだ」


“あぁ?”


 ぽつり、とこぼす。

 彼女のしたことは、とても単純だ。


「この世界から――いや、あらゆる可能性の中から、自分という可能性を消した。世界という力を使って」


「何よそれ――!」


 フィーが叫び、立ち上がる。そして、世界を睨んだ。


「ふざけるんじゃないわよ! アタシたちがなんのために戦ったと思ってるのよ! それが救いだとでも言うつもり!?」


「救いじゃ――ないさ」


 僕もまた、立ち上がる。

 ――少しだけ、瞳が泳いだ。一瞬、世界を直視できなくて。


「でも――彼女に言ってしまったんだ。この世界が好きだって」


「それは――!」


「いくら世界が壊れていたって、彼女の願いにそぐわなくたって、だったんだ。だから――満足、してしまったんだろうな」


 あの時の少女の声は、


 ――これで十分だと、そう言っていた。


「……だからって!」


「よせ、エンフィーリア。……それが、彼女の望みだったんだろう」


 叫ぶフィーを、師匠が止めた。言ってもしょうがないことだからと、フィーを諌める。……少しだけ申し訳なくて、視線を伏せる。

 ――その先に、リリスがいた。


「……本当にいいの?」


「らしくない」


 いつの間にかもとに戻っていた百夜も、そう問いかけてくる。


「それは――」


 言葉に、詰まる。

 更に視線を泳がして、そして――見た。



 今にも消えゆく、大罪龍たちを。



 僕が呼び出した。呼びかけに答えた彼らは、その役目を終えようとしていた。その中央に、傲慢龍がいる。


 ――それは、


 呼びかけていた。



“敗因”



 ――声をかけられる。

 傲慢龍は、とても厳しい声音で呼びかけてきた。

 そこには失望も、落胆も混じっていて――彼らの心中は、察するまでもないことだ。ああ、だがしかし――


「――僕は、彼女に拒否されてしまったんだ」


 これでもう、満足だから、と。


“――ならば、私からも問う”


 しかし、傲慢龍はそれで満足しなかった。

 だから、問いかけてくる。


 僕に、



 それは、



?”



 ああ、



 と。



 


 そうだ、僕は――


 彼らに勝利した僕は、彼らに呼びかけた僕は、その言葉を忘れてはいけなかったんだ。


 その一言は、しかし。


「――――そうだったな」


 僕に、



「お前たちは、僕に進めと言ったんだ」



 負けを認めるなと、


 まだ、終わっていないと。



 と。



 そう教えてくれるものだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る