112.心を連れていきたい。
「――ねぇ、ルクスちゃん?」
「なにかしら?」
色欲龍と、影欲龍。
二つの影が、闇の中で言葉を交わす。
「あなたはこれから、世界に生きていいと言ってもらうの。そうしたら、あなたは何をしたい?」
――生きることを許されない少女がいるとしたら、彼女は世界に何を願うだろう。きっとそれは、世界を呪っても許されるのだ。世界を呪い、人を呪い、自分を呪う。
世界に嫌われた嫉妬龍エンフィーリアは、実際にそうして呪って、呪ったままに消えていった。
けれど、ルクスリアは――そうはならなかったのだ。
「美味しいモノを食べてみたいわ。ずっと、気になっているスイーツがあるの。みんながずっと並んでいて、そんなに美味しいのかしらって」
「ふふ、食べたいなら、いつでも食べられるようになるわよ」
「食べたいだけじゃないの。私は、それを食べたいし、人の行列に並んでみたいの」
――彼女は、生きなくてもいい、と願った。
終わってもいいと、何かを傷つけてしまうくらいなら、消えたほうがマシなのだと、そういった。
ああ、けれど――
「そうやって、人の中に生きて、人と同じように苦労して、人と同じように笑うのよ。それって、人にしか許されないことだと思う」
――もしも生きていいと言われるのなら、
「だから、私は人と同じように生きてみたいの」
そんなもの、誰だって生きたいに決まってる。
ルクスリアは笑っていた。泣いていた。
そのどれもが、ルクスリアの心のあり方で、そんな感情は、人が当たり前に抱くものだった。
エクスタシアにはよく分かる。これは、彼女だからそうなのではない。誰でもそうだから、彼女もまたその一人なのだ。
多くの人間を、自分の元から生まれ落ち、世界に広がっていく彼らを眺めて、エクスタシアは知っていた。
「私は、あなたが生まれてきた時から、怖かった。私という存在がいたからあなたが生まれて、あなたはそれを恨んでいるのではないかと」
エクスタシアは、少しだけ顔をそらして、悲しげに言った。
「私が生んだ子の中には、私を恨んでいる子だっているから」
“立ち上がる無能”アンサーガと呼ばれる異形の少女がいた。彼女は世界に望まれずに生まれてきた。世界に望まれないことだけを為すことのできる少女だった。
アンサーガは、色欲龍を嫌ってはいない。彼女が自分を生んだことと、アンサーガの無能に繋がりはない。だから、嫌いではない。
でも、恨んではいた。呪ってはいた。それは、誰が間違っているわけでもない、色欲を司るエクスタシアには、その行為は当然のもので、怠惰を司るスローシウスに、それを拒否する理由はなかったのだから。
そして、同じようにルクスリアは生まれてきた。
「――馬鹿らしい」
けれどもルクスリアは、それを一笑に付す。当たり前だ、そもそもルクスリアには、エクスタシアを恨む理由がない。
何より、
「もう、全部終わったことよ」
そう、全て、終わったのだ。
「――敗因たちは、すごいわね。当たり前のように、私達に勝っちゃった」
「悔しいけれど、彼らならやってくれるでしょうね。ほんと、フィーちゃんが羨ましいなぁ」
そうつぶやくエクスタシアに、ルクスリアが苦笑する。
「なら、あなたも好きになっちゃえば?」
「もう、変なこと言わないでよ。……まぁ、彼を好きになることはできると思うけど」
そんなルクスリアの言葉に、エクスタシアは頬を書いて、どこか寂しげにしながら、続ける。
「でも、彼はフィーちゃんのものだから……もし、好きになっても、私は身を引いちゃうわ。だって、フィーちゃんも同じくらい好きなんだから」
「……?」
対して、ルクスリアは首をかしげて――
「――どうして、みんなで幸せになっちゃいけないの?」
「それは、人同士は基本的に一対一で愛しあ……う…………」
エクスタシアは、そう窘めようとして、しかし、気がついてしまった。そう、自分たちは人ではない。そもそも、エクスタシアは無数の愛を集める存在である。
なら、その愛の中に彼らがいてもいいのでは?
「――――それよ」
だが、
「……何がそれよ、なのよ?」
嫉妬の化身は、もちろん、そんなことを認めるはずもないのだった。
いや、もとより二人の会話は、こちらにも届いていたのだけど、大事な会話だったから、割って入らなかっただけだ。もうすでに、二人は力を失いながら、戦場であった平原に戻ってきている。
しかし、聞き捨てならないことに話が移ったからフィーが介入した、というだけの話。
「あっ」
「あっ……じゃないわよエクスタシア! なんでアンタまであいつに靡きそうなのよ! アンタはアイツのこと嫌い……ってほどじゃないにしろ、反りが合わなかったでしょ!?」
「そ、それは……方針の違いがそうするだけというか……一個人としては食べちゃいたいって気持ちは今もあるし……」
「それは! あんたの! 色欲としての! 本能だああああ!」
盛大に地団駄を踏むフィーに、ふとルクスリアから笑みが溢れる。
「笑うなー!」
「ごめんなさい……でも、おかしくって」
――フィーは真剣だった。
しかし、それにしても、なんというか……
「……消える直前の会話じゃないな、これは」
師匠がポツリと呟く。いやまったくもって、そのとおり。今にもエクスタシアは消えてしまいそうなのに、この雰囲気だ。
これまでの大罪龍とは、何もかもが違う。
まぁ、消えると言っても、死ぬわけじゃあない。フィーは二人に近づいて、少し確認してからうなずく。
「……うん、ちゃんと行けるわ」
「行けないと困るんだけどね?」
――まぁ、でも実際にやってみないとわからないことはある。理論上はできるとしても、それが何かしらのイレギュラーによって頓挫しないとも限らないのだ。
「そういうわけだから、準備はいいわよね、エクスタシア、ルクスリア」
「もちろん」
二人はうなずく。互いに、弱りきった状態で横になりながら、それをフィーが抱き起こし、そして力を吹き込み始める。
光を帯びて、三人の体が包まれ、
すぐに、逆流は始まった。
「――エクスタシア」
「なぁに?」
「……なんでもない、別に、今更言うこともないしね」
二人の会話は、ほとんど顔を突き合わせて、間近でかわされるものだったけれど、こちらにも聞こえてくるものだった。
少しだけ恥ずかしげなフィーに苦笑しながら、エクスタシアが髪を撫でる。
「……何すんのよ」
「私は有るわ、いっぱいある。もう、話足りないってほどに」
「……そう」
「――どうしてかしら、今までもお話はいっぱいしてきたっていうのに、どうしてか、もうフィーちゃんには会えない気がしてならないの、ルクスちゃんを見ていると、どこにもフィーちゃんがいないんじゃないかって、思っちゃう」
何故か、というのは、きっと彼女達には絶対にわからないだろう。
けれども僕は、なんとなくわかる。――ルクスとフィーはどこか似ているのだ。本質的には正反対だけれども、二人の置かれた立場というやつは、世界が彼女たちに対してあまりにも厳しいという点は共通している。
だから、ゲームではルクス相手にフィーのことを口に出すシーンもあった。
本来の歴史で、親友を何も出来ずに失ってしまったエクスタシアだからこそ、ルクスを救うという意思は硬かった。
「何言ってんのよ、アタシはここにいる。絶対にどこにも行かないわ」
「……それは、今のあなただから言えるのよ、フィーちゃん。変わる前のあなたは、いつどこに消えてしまってもおかしくなかった」
「…………」
二人の視線が、こちらへ向いた。なんだか、気まずくなって視線を反らす。反らした先で視線のあった師匠が、それを笑う。もう、他人事だと思って。
「そして、私はきっと、それに気付いてあげられないんだわ。だって私は、薄情だから」
――概念使い、つまり自分の子供達の死も、悲しむことができないのだから。彼らのすべてを、守ってあげることができないのだから。
「でも――」
しかし、
「――アンタはずっと、覚えていてくれるでしょ?」
ポカン、とその言葉にエクスタシアが呆けてから、笑い出す。
ああ、そうだ――自分はそうだった。
それが自分の誇りだった、そんなことを思い出したかのような、そんな笑みだった。
二人がひとしきり笑うなか、ルクスが僕の方に呼びかける。
「どうしたんだ?」
「ちょっと、こっちに来てほしいのよ」
ちょいちょいっと、もうルクスの身体は光りに包まれ、今にもフィーに取り込まれそうだ。
「もう、あんまり時間はないわよ」
フィーがそう呼びかけるなか、ルクスは僕を近づけると――――
――その額に、キスをした。
「……え?」
「――えへへ」
華やぐような笑みを浮かべた少女は、。
「お礼と、それから約束のキス。――絶対勝ってね、お父さん」
ああ、それは、確かな激励ってやつで。
「――――」
呆けるフィーと、
「……あはは、私からも……頑張ってちょうだい、お父様?」
苦笑するエクスタシア。
――三者三様、それぞれに反応をみせながら、
色欲の二人は、嫉妬の少女の中へと消えていくのだった。
◆
「……うう、納得いかない」
「娘のすることじゃないか、カワイイもんだろ」
ぐぬぬと眉をしかめるフィーに、今回完全に外野の出来事として楽しんでいた師匠が茶々を入れる。いやまぁ、あなた今回本当に外野でしたからね。
その分、戦闘では張り切ってやっていたようだけれども、何にしたって、これで事態はすべて解決だ。
……いやまぁ、
「ところで……そこで死んでるリリスをなんとかしてやってくれ……」
――後始末は、まだ残っているけれども。
「エクスタシアサマ……エクスタシアサマ……」
地面にうずくまったシスター服が、うつろな声音でそうつぶやいている。少し怖かったが、まぁなにはともあれ、これが結末である。
色欲龍とは、これで機械仕掛けの概念を撃破するまでお別れだ。もちろん、今生の別れではないが、消失感はたしかにあるのだろう。
色欲龍ロスかぁ……なんかこう、聞いていると笑ってしまいそうなのでダメだ。
すぐにリリスを慰めないと、思わず吹き出してしまって拗ねられてしまうので、急いで解決に動く。
「ほらリリス、おばあちゃんだぞ……」
そう言ってフィーを差し出す。
「なんでよ!?」
「おばあちゃん……おばあちゃん……」
こっちにケリを入れてきたフィーの一撃を甘んじて受けつつ、リリスがすり寄っていくのを眺める。これは致し方のない犠牲というやつだ。
「うう……フィーおばあちゃん……頭なでてほしいの……」
「う……ったく、しょうがないわね」
「そこで母性を感じるのか……」
師匠のツッコミもさておいて、しばらく頭を撫でると、リリスは復帰した。
「――――ねぇ?」
と、そこで、
声をかける者がいた。聞き覚えのある声だ。
「ああ、久しぶり、――ミルカ」
師匠が声をかける。
声の主は快水のミルカだった。ここしばらく、快楽都市を離れていたはずだが、帰ってきたということは、用が済んだということだろう。
「――快楽都市がすごいことになってたのだけど、何かあったの?」
「ああ、うん……まぁ、色々と」
そして、ここに来るために――というか、僕たちに会うために快楽都市に立ち寄って、その惨状を目の当たりにしたのだ。おそらく、今の快楽都市はお通夜である。
自分たちでやったこととはいえ、色欲龍と離れ離れになったのだ、信徒全員がリリスと同じようになっていることだろう。
まぁ、明日の朝になれば復帰するだろうが。
「でもまぁ、あなた達の様子を見る限り、解決したようだし、私は気にしないけれど」
「そうだなぁ、ともあれありがとう、大変だっただろう」
「クロス様たちを送り届けるついでだもの、それにシェルにも会えたしね」
さて、彼女がこちらにやってきたということは――その時が来たのだろう。
彼女にはあることを頼んでいた。
そう、ようやくだ。
「ほら、リリス。ミルカが来たから話を聞くわよ」
「なのぉ……」
フィー達がこっちにやってきて、四人揃ったところで、ミルカの言葉を待つ。
彼女への頼み事、それは、そう――
「――憤怒龍が、棲家に帰還したわ」
憤怒龍ラーシラウス、その動向チェックだった。
残された唯一の大罪龍。
僕たちが鍵を開けるための残されたただ一つのピース。
――大罪龍との最後の戦いが、始まろうとしていた。
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