109.快楽都市は戦いたい。
――生気をギリギリまで吸われた色欲龍が、ふらふらと後方に下がる。同時に、周囲にいた少女たち――色欲龍のよくわからない配慮によって選ばれた者たち――が、ルクスに生気を注ぎ込む。
すぐに、変化は訪れた。
――ルクスの身体から、影が伸びる。
『あ、ああああ――ッ!』
影は、ルクスを覆い、
“ああああああああああァァァ――――!”
彼女の姿を、影の龍へと変えた。
そして、戦闘が始まる。
とはいえ、この戦闘は非常に特殊だ。攻撃を与えるのではなく、相手の身体に触れて生気を与えなくてはならない。生気を与えた場合、当然ながら力が奪われるために、概念崩壊が近づく。
こちらが攻めれば攻めるほど、自分たちの力が奪われ、相手の力が増していくのが、今回の戦闘なのである。
だからこそ、必要なのは一人の強大な個ではなく、無数の壮大な群であることは、何よりも自明の理であった。
影の龍に対し、迫るは数百にも及ぶ概念使い。誰もが快楽都市にその身を預け、色欲龍にすべてを捧ぐ信奉者たちだ。
その姿は多種多様、筋骨隆々の禿頭から、如何にもずる賢そうなねずみ顔。スラム街の物乞いめいた少女、軽装に身を包んだ冒険者風の女、妖艶な娼婦と思しき美女。
混沌を体現した彼らの行進は、振るわれた影の尾によって薙ぎ払われる。
尾は足元から迫る。地面に潜り込み、波をかき分けるようにして迫るそれは、彼らの突撃を押し止める効果も含んでいた。
そんな尾を、飛び越える一つの影。それは――
『行くっすよー!』
幻惑のイルミ。残像の如き尾を引きながら、素早い動きで影欲龍へ飛びかかっていく。他にも、そのあとに続くように素早い身のこなしの概念使いが飛び込んでいく。
面白いことに、彼らには多少の共通点が見られた。
多くが、身軽な服装をしている。いつでも、どこにでも出かけることのできるような服装。彼らは各地に飛び回り魔物から村を守ったり、事件を解決したりして食い扶持を稼ぐ冒険者のような概念使いだ。
怠惰龍の足元に出稼ぎに行くものも多く、彼らはほとんどが戦闘に長けた概念使いである。
いわゆる前衛型のコンボを稼いでいく概念使い。各々の移動技で接近し、影の攻撃を振り切り、弾き、時には切り裂いて――この影は攻撃ができて、破壊できるオブジェクトのような存在なので、攻撃してもルクスに傷はつかない――進んでいく。
――この世界の守護をする概念使いの多くは、ライン公国か快楽都市に所属している。そこから派遣され、街に滞在して魔物の襲撃を防ぐのだ。
当然ながら、その信用はライン公国の方が高い。快楽都市に頼むというのは、例えば多少質が悪くても、安く人を雇いたい場合だ。
けれども、実はそういう場合、雇われた人間は雇われた値段以上の仕事をすることが多い。何故なら雇うのが、金のない小さな貧乏村落だから。
そして、そういうところに雇われる信用の少ない概念使いは、そんな村落と似たような経歴を持っているから。
貧乏村落故に概念使いを雇えず、魔物に滅ぼされた村の出身などが、そういった仕事を受けるのだ。――そんな彼らは、だからこそ快楽都市に感謝している。
もう一度、今度こそ村を守れた誇りを胸に、彼らは快楽都市に生きるのだ。
そんな彼らの手が、影の龍へと届く。念じるように生気を流し込み、影はその大きさを増していく。その間にも生気を送るモノへ影は振るわれるが、多くは別の誰かが弾き、絶え間なく生気は送られ続ける。
そうして誰もが一度は生気を流し込んだら、そこから一斉に飛び退く。
影から大技の兆候が見られたのだ。大罪龍に見られる熱線の一撃である。
『退避! 退避ッス!』
イルミの呼びかけに彼らは答え、同時にイルミが概念技を起動する。
『“
幻惑の概念技、その中でも上位の概念技だ。効果は幻影を生み出し、それを突撃させる。遠距離から切り掛かれる便利な技だが、この場合は使うのは囮だ。
上空に向けて飛び上がったイルミの幻影に、影は狙いを定める。
“シャドウ・バインドォ!”
咆哮と共に、放たれたそれは、横一閃、薙ぎ払うように振るわれる。さながら灯台の灯火が如き影のキラメキ。闇に空を塗りつぶすそれは、一瞬にしてイルミの幻影を切り裂いた。
「――うーん、広範囲だなぁ」
それを眺めながらつぶやく師匠に、僕は大きく息を吐きながら、
「代わりに威力は、大したものではないですけどね。フィーの熱線以下です」
「私よりグラトニコスの火球のほうが威力低いわよ!」
そうやって話をする僕らを他所に、戦闘は推移する。
続けて、飛び出したのは戦闘には向かない様相の集団。彼らは一斉に遠くから概念技を放つ。こちらは後衛型の概念使い。
彼らはその出で立ちからして、娼婦、神官、商人と、戦闘を行うものではないことが明らかである。
加えて、彼らの使用する概念も、戦闘には向かない概念がほとんどだ。使っている概念技は、数少ない攻撃手段であることは確かだろう。
――戦闘に向かない概念使い。これは多くの場合コミュニティには歓迎されない存在である。概念使いでないものの守護を求められる存在、それを守れないのが、彼らであった。
概念使いへの風当たりは強い。ただ、守られている立場ではそれを表にはできなくて、故に守らないものへと彼らは矛先を向ける。
はっきり言って、彼らは人嫌いだ。関わることも可能ならばしたくない。でも、快楽都市に概念使いでないものがやってきて、正当にサービスを求めるならば、彼らは笑顔で対応するだろう。
商品を売ることに差別はしない。区別もない、平等に、あるがままに。
なぜならそこは快楽都市だから。快楽都市は自由なのだ。自由が故に、選べるのだ。自由が故に秩序は自分の手で守らねばならず、そして守らないものは、何をされても文句は言えない。
――もしもサービスを求めたただの人間が、自由を守ろうとしなかったのなら、そのときに鉄拳をお見舞いしてやればいいのだ。
ここではそれが許されている。
この都市で、自分を守るものは立場ではなく、心なのだから。
だから彼らは、この都市に居場所があるのだ。他者に虐げられながらも強い心を持ち、故にここまで生きてきて、この都市にたどり着いた彼らには、
快楽都市という居場所を守るための意志がある。強く、固く、揺るぎない。色欲龍によって保証された意志だ。
そんな彼らの概念技と、影の龍が激突し、ぶつかり合う。
激しい攻防の中で、数人の概念使いがその弾幕の下をくぐり抜けるように突破、影に生気を叩き込んでいく。
“ああああああああ!”
影は叫び、その力を更に増幅させる。
そんな中を、前衛の概念使いが生気を叩き込んだ者たちを庇いながら後退し、戦局は再び一進一退へと戻る。
「――なんていうか、連携なんてあったもんじゃないな?」
「まぁ、そうねぇ」
師匠とフィーのつぶやき。
ここまで、快楽都市の面々がやっていることは、どれもが力押しだ。人海戦術によるゴリ押し、ある程度、戦略の方向性は一致している。誰もが生き残ることを第一義としている。
その上で、彼らはただただ力押しに終止していた。
それ以外の方法がないというのもあるが、
彼らにはそれが一番しっくりくるのだ。
「すごい場所ですよね。これが戦法として成立するってこともそうですが、命がけの戦いで、故に彼らは自分の生命をもっとも大事にします。でも、他の誰かも可能なら守ります」
「……眼の前で死なれるのも、それはそれで寝覚めが悪いしなぁ」
彼らは、目的は一つではあるが、目的よりも更に、自分の命を優先している。影欲龍は救いたい。だが、同時に、否、それ以上に死にたくないのだ。
「誰かのためではなく、自分のために戦うからこそ、彼らは生命を守り、愛し、そして救おうとする」
「いいわねぇ、それが全部、エクスタシアの愛に応えるためなんて。……あいつに嫉妬しちゃうわ」
「君が彼女たちの母になったら、その想いの一端を受けるんじゃないか?」
「……それは、なんか重苦しくてアレね」
――君の嫉妬も大概じゃないか? とは思っても、口にしない。
今はチョロあまだけど、もしも僕が彼女に不義を働いたら、それはもうすごいことになるだろうな、とも思うけど、口にしない。
世の中には、触れなくていいことというのもあるのだ。
ともあれ、戦局は更に進む。
――一進一退の攻防、彼らはそれはもう奮闘していた。どれだけ攻撃が激しくなろうと、自分の生命とついでに誰かの生命を守りながら、前に進んでは生命を流し込む。
なんとも、壮観な光景だ。ライン公国の戦争とは、また違う戦い方。
アレは整然とした理性の戦いだが、これは本能の闘争である。どれもが人間の一面であり――人間らしさだ。
生を謳歌している。とでも、言えばいいだろうか。
「あ、リリスよ」
――その中に、リリスの姿があった。
『次、そっち行くの! そっちは何とかみんなで持たせてなの! リリスが行くまで頑張るの!』
無数のバフと回復を縦横無尽に叩きつけながら、戦場を飛び回る。リリスの役割は戦線の維持だ。現状、戦闘は影の龍を縫い止める遠距離攻撃と、その隙を掻い潜って突撃する前衛という構成であり、それをバフや回復で支える者たちがいる。
彼らは数人のパーティを組んで、一定の場所にとどまっているが、その中を遊撃として飛び回るのがリリスである。
リリスは、一人で数パーティ分の仕事ができた。故に、一時的にパーティの支援に入り、押されている部分を押し返してから、また別の場所へ移る。
そんなことを、戦闘が開始してから絶えず続けていた。
『みんな思ってる事は同じなの! だからできないことは出来ないでいい! みんなのできるをルクスちゃんにぶつけるの!!』
彼女の声はよく通る。
――現状、快楽都市最強の概念使いは、きっとリリスだろう。位階もそうだが、練度も、そしてなにより経験も、この場にいる誰よりも彼女は豊富だ。
大罪龍と激突した人間が、この場にどれだけいる? いたとして、それに二度以上勝利した者は、誰一人としていないのだ。
故に、リリスの言葉には力があった。
誰もがそれに励まされ、背中を押されて前に出る。
――そこには、小さな色欲龍の後ろ姿がたしかにあった。今、リリスは色欲龍にも劣らぬ慈愛でもって、快楽都市に鼓舞をもたらしていた。
戦闘は、まったくもって順調だ。
ここまでくれば、僕らの出番も見えてくるだろう、リリスも問題なく二戦目に加われそうだ。
――思った以上に、快楽都市は強かった。
見くびっていたわけじゃないけれど、想像以上。これは――
“――みんな、おまたせ”
快楽都市の主が帰還する。
後方で回復を受けていた色欲龍が、回復を終えて復帰したのだ。
その姿は、先程までの、着物姿の美女ではない。
妖艶な、白竜の姿がそこにはあった。
――美しい龍だ、長い胴体に、透き通るような白の肌。
まさしくそれが、色欲龍であることに、疑いは誰も持たないだろう。
帰還した主に歓声が上がる。
さぁ、一戦目も大詰めだ。
“一気に決めるわ! 私の後に続きなさい!”
叫ぶと同時、色欲龍は、口を大きく明けて、そして、
“典嬢天花!”
――自身の有する熱線でもって、影欲龍と激突する!
その熱線は、淡い赤の熱線。影欲龍のそれと同じ、横薙ぎに振るわれる広範囲のそれは、しかし威力が段違い。
“――ッ! シャドウ・バインドッ!!”
対して放たれた一撃は、しかし。
一瞬にしてかき消され、影欲龍を守るように周囲に浮かんでいた、影の尾が、引き剥がされた。
遠距離と近距離。二つの攻撃手段を同時に奪われた影の龍へ向けて、――快楽都市の概念使いが殺到する!
“さぁ――!”
そして、色欲龍が飛び出して、
人の姿へと変る。
『手を伸ばしなさい、ルクスリア――――!』
救いを求める一人の少女へ、
救いたいと思う大切な半身へ、
“エクス、タシア――!”
――それは果たして、つながった。
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