108.フィーは求めたい。
「――アタシには、他人の才を開花させる権能が在るのよね」
フィーは、僕たちに対して、そう切り出した。
「そういえばそんなのあったなぁ……」
「かんっぜんに忘れてたわね?」
そりゃまぁ、僕らと旅を始めてから、フィーがその権能を使うことはなかったからな。万が一フィーが嫉妬龍エンフィーリアとして旅をしていればまた話は違っただろうけれど、そんなことをしたら間違いなく世界を敵に回すので、残念ながらそれはありえない仮定だ。
色欲龍が世界に受け入れられたのは、受け入れなければ死ぬしかなかったからだしな。あと男どもが身体で籠絡されたから。
「これは、概念使いを目覚めさせるモノとして使うんだけど、本質的には衣物の性能を引き出す能力よ」
「まぁ、そうだね」
概念使いは衣物の一種だ。概念使いの血を引くものは、つまるところ性能を引き出しきれていない衣物だ。それが、嫉妬龍の権能によって呼び起こされる。
持たざるものを、持つものへと変える権能。それが嫉妬の権能だった。
「これね、衣物にならなんでも使えるわ」
「概念使いは、衣物の中では特別ではない、ってことだ」
概念使いという衣物の一種にも使えるなら、他の衣物にも使えるだろうということ。
「だから、つまり」
――そこでフィーは僕たちにとびっきりの笑みを浮かべて、
「大罪龍にだって使えるのよ」
「…………は?」
言い切った彼女に、それを聞いていた僕らは一斉に首を横に傾いだ。
ここにいるのは、僕と師匠。それからリリスに百夜。珍しく起きていた百夜が、首をかしげたリリスからずり落ちる。つるっと宙を落ちた彼女は、机の上に華麗に着地してポーズを決めた。
拍手。
「こほん」
フィーが落ち着くのを待って、
「だって、大罪龍だって衣物の一種なのよ? で、それを踏まえて考えて見てほしいのだけど。ルクスにもエクスタシアと同じ権能はなくちゃおかしいわよね?」
「まぁ、影っていうのはつまり、コピーって意味だからな。二つがつながってなきゃ、理論上はおかしい――」
「――で、ここからが本題なんだけど」
師匠の言葉をそこで一旦遮って、
「そもそも、生気って何よ」
「……随分ざっくりしてるなぁ」
遮られた師匠がそう零す。
「生気っていうのは、言ってしまえば人が生きるためのエネルギーだよ。この世界の人間は概念が複数に重なり合って出来ているから、簡単に言えば概念を奪われるようなもの、かな」
「この世界……っていうか人間ってそういうものじゃないの?」
リリスの問い。まぁこの世界においてはそれはそうだ。僕の世界はあまりにも遠い可能性故に、そうではないけれど。
「で、じゃあそれが奪われるってことは、存在が奪われるようなものじゃない?」
「ううん……?」
首をかしげる。まぁそうかも知れないけれど、いや、この場合、理解するべきは、フィーが何を言いたいかだろうか。
しかし、存在が奪われるってことは、影欲龍の中に取り込まれるってことだよな。
……あれ、なんか、既視感を感じるな。
「これってね、傲慢龍の権能と似てるのよ。あいつも、死んだ大罪龍を蘇生させるために、その存在を取り込むわ」
――ああ。
そうだ、確かに傲慢龍は蘇生のために、他の大罪龍を取り込んでいるのだったな。それは確かに、似ている。
「蘇生の権能と、生誕の権能の反転が同じ構造って、不思議だけど、なんかしっくりこない?」
「……まぁ、そうだね」
「じゃあ、生誕の権能と、ルクスの能力を、同時に使った場合ってつまり――」
それに、
「――傲慢龍の権能を再現できる?」
師匠がそこへ行き着いた。
「できるなんて確証はない、でも、原理としてはそうなるの。で、ここでアタシの権能」
「他人の才能を開花させる――そうか」
ああ、つまり。
「取り込まれた状態で、もう片方の才能を開花させればいいんだな?」
なんとなく読めてきた。
そして、これは確かにフィーじゃないとたどり着けない。なんてったって僕たちはフィーの権能のことをそれはもうさっぱり忘れていたわけなんだから。
しかし、
「ううん、それだけじゃダメよ。だって、それだとエクスタシアがルクスを産むだけじゃない。それって、今の状況と何が違うのよ」
――フィーが否定する。
確かに、元は一つの存在だった影欲龍。色欲龍から分かたれたのだから、元は色欲龍の中になければおかしい。だから、また一つの状態に戻しても、そこからまた産み落としても、意味がない。
「別の器が必要なのよ。二人を同時に取り込んで、それを開花させる」
「器……って、どこにあるんだよ、そんなもの」
師匠の言葉に、フィーはニィ、と笑みを浮かべて、
「アタシ」
自分を指差した。
「……は?」
「考えても見なさいよ、相手は大罪龍。だったら同じ大罪龍が取り込むのが筋ってもんでしょ」
「フィーちゃん何言ってるの?」
リリスまで心配そうにフィーに問いかける。
師匠と二人がかりで向けられた視線に、けれどもフィーは真剣そのものだった。
「傲慢龍の権能と同じ原理の権能をエクスタシアとルクスリアは使える。大罪龍同士で原理が同じなら、私が同じ事を出来てもおかしくはないんじゃない? 大罪龍って規格は同一なんだもの」
「……なのー?」
訝しむようなリリスは、再び斜めに傾ぐ。果たして本当に正しいだろうか、疑問に満ちた雰囲気をにじませた彼女へ向けて、百夜が頭に飛び乗った。
身体の傾きをもとに戻したリリスの上で、百夜が問う。
「誕生は、できるとして。……取り込む方法は?」
「ああ、そこは僕も気になるな。そもそもフィーが器になるとしても、色欲龍たちを取り込めなきゃいみがないだろ?」
「ああ、そこね」
流石に、そこは当然ながら考えているようで。
フィーは自信に満ちた笑みで、こういった。
「乗っ取る」
ぐっと拳を握りしめ、そう語る彼女は、けれどもさらに、とうてい理解しがたいことを言い出したのだ。
ああでもしかし、僕はそれで思うのだ。
――なるほどね、と。
「……説明!」
師匠が叫ぶと、僕は苦笑しながら口を開く。
「本来の歴史では、ルクスは有る事柄が原因で心を傷つけ、器を壊します。何があったかと言えば、簡単に言うと自分のせいで大怪我を負って、それを救うために色欲龍が生気を分け与えようとしたんですが……」
「器が壊れたせいで失敗したの?」
「違うよ、色欲龍を殺しかけたから壊れたんだ」
ああ、とリリスが納得したように零す。
まあそういうことだ。自分という存在が間違っていると突きつけられ、耐えられなくなった彼女は自分という形を保てなくなった。
「で、その時はそれでおしまいなんだけど、その後だね。そういえば、これはフィーにしか話してなかったな」
「むぅ」
頬をふくらませる師匠に苦笑いしつつ、
「それで器が壊れたルクスを、どうにかして立ち直らせなきゃいけなかった。どうしたと思う?」
「……器からあふれるくらい、生気を注ぎ込んだ?」
「よくわかりましたね」
「君がそういうの好きそうだと思ってな……方法も想像がつくぞ」
師匠はそう言って、
「快楽都市の住人総出で生気を与えたんだろ?」
「正解」
フィーは肯定する。
「で、このときにある現象が起きたらしいのよ。何ていうか、逆転現象?」
「うん。ルクスの能力は奪うこと。けど、奪わせまくって生気を溢れさせたら、どういうわけか、その能力が反転したんだ。多分、過剰に生気を持ちすぎるのもマズイんだろうね」
「じゃあ、それを利用して、色欲龍の中にルクスリアを取り込んだのか? いや? 百夜の概念起源で未来に飛ばして解決したんだよな?」
そう、そのとおり。
ルクスを救ったのは百夜の概念起源だ。であれば、何故それが必要だったのか。取り込むだけでは意味がないからだ。
なにせ、取り込んだらルクスの意識はどうなる?
「――眠りにつく。色欲龍の中で、生まれてくる前の状態と同じように」
「それって……ほとんど死んでると同じってことなの?」
「もう二度と目覚めることはないからね」
師匠もリリスも、そう言われて理解したようだ。では、眠りについてしまったのなら? ――ここに、その最も簡単な方法が存在する。
「だから、アタシが二人を取り込んで、二人をアタシの中で目覚めさせるのよ」
――かくしてここに、嫉妬龍エンフィーリアの、色欲龍娘化計画が、始動する。
◆
「――結局、本来の歴史では器を直すことができませんでした」
戦場。
快楽都市から少し離れた場所に、快楽都市の概念使いは集結していた。僕らはそれを高台から眺めている。
「とはいえ、解決策は解っていたんですよ」
「……マーキナーとの盤上戦争か」
「マーキナーの力で生み出されたなら、マーキナーの権能で蓋をすればいい、ってことですね」
「身も蓋もないわねぇ」
これから、ルクスをめぐる戦いが始まる。
――なぜ、戦う必要があるのか。
『集まってくれてありがとう。先程も話したとおり、ルクスちゃんにこれから生気を分けて上げる必要があるわけだけど』
――色欲龍の声が響いた。
僕らの手元にある通信用の衣物から、それは聞こえてきている。みれば、戦場の中央には、色欲龍とルクスがいた。
お互いに向かい合って、色欲龍は笑みを、ルクスは不安と緊張を、互いに正反対なそれを、瓜二つの顔へ貼り付けていた。
『生気を与えすぎると、ルクスちゃんは暴走する。だから、これは危険な戦いになる』
何故?
――マーキナーがそういうふうに作ったがゆえに。
『何より――これに勝利するということは』
色欲龍は、一瞬だけ溜めて、
『私と、一時では有るけれど、お別れするってことになる』
――フィーに取り込まれ、目覚めるまでに時間が必要で。何より、マーキナーに勝利して、やつの立場を利用しなければ、ルクスは救われない。
もちろん、そうしなければルクスごと、色欲龍が消えてしまうとしても。
――自分たちに、色欲龍の消失を後押しできるか。
そう、彼女は問いかけていた。
ああ、けれど――色欲龍がそうであるように。
――彼らもまた、この選択肢以外に道はないことは理解している。
故に、答えは歓声だった。
『――そう』
それに、少しだけ色欲龍は嬉しそうに笑みを浮かべて、ルクスに近づく。
『あ、エク……スタシア……』
衣物から、ルクスの声が聞こえてくる。
不安に満ちた声。
『――大丈夫よ、あなたには、私の大切な家族が着いている。いえ、あなたも家族なのだから』
そう言って、色欲龍はルクスを抱きすくめる。
――色欲龍のエネルギーが、ルクスに吸い込まれ初めた。
すぐに、それは始まるだろう。
『だから、次に目が覚めたら――私の家族のことを、もっと教えてあげる』
――ルクスは、色欲龍越しに、集った家族の顔を眺めて。
『――楽しみにしてる』
そう、始まりの言葉を告げた。
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