106.救いたい。

 ――色欲龍にとって、影欲龍とは半身であり、そして妹だった。

 ゲームにおいても、この世界においても、色欲龍は影欲龍を救うことを第一と考えた。僕のマーキナー討伐に関する行動に消極的だったのは、人類のためでもあるけれど、


 でもあったのだ。


 マーキナーがこの世界に降臨し、好き勝手に動きはじめれば、影欲龍の身も危うい。世界の秩序と呼ぶべきのは破壊され、マーキナーが望むがままの世界が動き始める。

 僕は勝てるというけれど、それを信じるには、色欲龍には僕との交流が薄すぎた。


 僕にとって色欲龍とはゲームの重要人物で、フィーの親友で。

 色欲龍にとって僕とは世界の鍵で、フィーの大切な人だ。


 隔たりがあった。


 ――だから、色欲龍が隔たりどころか、自分の一部ですらある存在を守ろうとして何がおかしいのか。いや、むしろ、のではないか。



 そんな彼女が今、どうすることも出来ずに顔を伏せている。



 彼女は思っていたはずだ。自分の生命なら、自分の生気なら、影欲龍を満たしてあげることができるだろうと。それは間違ってはいなかった。

 間違ってはいなかったが、



 ――遅かったんだ。



 世界というあり方に、殉ずることの出来ない生命は、奪うことでしか成り立たない少女は、今にも消えてしまいそうな声で。


 自分の死を願ったんだ。


 ふざけるなよ?

 そんなことを、許せるやつがこの場にいるか?

 色欲龍も、フィーも、そして何より僕自身がそれを許せるか?


 


 だから僕は高らかに叫ぶ。


 それでいいのか、ルクスリア。



 



 さぁ、君の本当の心を教えてくれ、影から抜け出て、光を求める生まれたばかりの小さな生命。



 ◆



「――もういいに決まってるでしょ?」


 そう、ルクスはいう。鋭い視線で、涙を流しながら、僕を恨むように、羨むように。


「貴方が、変えてしまったの。貴方が私に生命を教えたの。生きてる姿を、貴方が見せつけてきたんじゃない!」


 叫ぶ。


「知らなければよかったわ! ただ奪うだけで! それで生きていけるなら、十分だった! 私は大罪龍の影! 人類の敵なのよ!」


 叫んで、


「嫉妬龍とは違う! ただ生き方を変えればそれで解決なんて、私にそんな優しい選択肢は残されてない!」


「……ルクス」


「そんな目でみないでよ! もっと私を嫌ってよ!! 私を世界からイラないって言って!!」


「――ふざけるな」


 ああ、本当に。


「世界にいらないなんてもの、あるわけないだろ! 大罪龍だって、マーキナーだって、それが必要じゃないから排他されるんじゃない!」


 マーキナーは性格が悪い。

 フィーに投げかけたあの言葉。アンサーガという存在に与えられた宿命。そして、ルクスという少女に課せられた業。


 どれをとっても、奴がただ、のたうち回る彼女たちを嗤うために与えたものだ。


 だとしても、、必要ないから僕らと敵対するんじゃない。排除されるんじゃない、


、取り除かれただけなんだ」


 ただ、争って、そして負けただけ。

 間違いも、正しいもない。


 戦いたくて、盤上に名乗り出て、そして負けて消えていっただけ。強欲龍が、暴食龍が、傲慢龍が、人と敵対していたのは、そういう役割というのもあるが。

 そうしていただけ。


 だからこそ、あいつらは最後に、僕らの背を押して消えていったんだ。負けた自分が、惨めでないように。勝ったやつに誇れと迫るのだ。


「――それと一緒にするなよ。消えなくちゃいけないから、なんて言うなよ」


 もしもいいたいのなら、


「消えたいなら、じゃなくて、で消えろよ!」


 目の前にいる少女は、諦めているだけだ。

 諦めて、逃げているだけだ。


 だから、


「言っただろ、。もう限界? もうダメ? ふざけるな! ここにそれを認めるやつがいるか!?」


 諦めたいなら、



「――もしも消えたいなら勝手にしろ! 僕らが納得して、ここからどけば消えればいい!」



 ルクスはまだ、ダメじゃない。


「わ、たしは……、どうすればいいのか分からないのよ」


 視線をそらして、けれども、


 口にして、


「そうよ。誰も教えてくれなかった! 私が生きていく方法はこれしかないって、世界が決めたことじゃない! そんな事言われても困る! 私にはどうすればいいかわからないの!」


 ああ、でも。


「――そこがはっきりしてれば、十分だろ」


 生きていたいけど、わからない。


 それがわかれば、僕たちに必要なものはすべて事足りている。


「……ねぇ、ルクス。あなた、そういうってことは、どうすればいいか、わかればいいのよね?」


「…………」


 フィーが、ルクスに近づいて呼びかける。


「フィーちゃん?」


 不思議そうにフィーを見る色欲龍。それは、彼女の行動に対する疑問もあるだろうけど、彼女の表情にも由来しているだろう。

 フィーは今、優しげに笑っていた。


 嫉妬の権化たる彼女には、似つかわしくない笑みで。本来なら、彼女はこんなに素直に笑みを浮かべることは出来ないだろう。


 でも、今のフィーにはそれができるのだ。


「いいのよ、解らなくたって。解らないなら、アタシはアンタを助けたい」


「……どうして? 自分を重ねての同情? そういうのはいらないわ」


「まぁ、それも無いとは言わないけどね」


 ――そりゃあ、救われない孤独というのは、フィーにとっては無視できないものだろうけど。


「私がアンタを救いたいのは、エクスタシアがアンタを救いたいからよ」


「……お姉ちゃんが?」


 そういって、視線を向けると、二人は視線をぶつけた。反らしたのはルクスの方からだった。色欲龍はそれを少しだけ追ってから、フィーの方を向いた。


「こいつがすごい不器用で、見ていられなかったから」


「……」


「だって、会いに行きたいなら、行けばいいじゃない。どれだけ探しているっていっても、見つからないのは解ってるのに。こいつに聞けばすぐに見つかるのに」


 そういって僕を指差す。

 ああそうだ、そういえば色欲龍はルクスを救いたいと言っていたけれど、な。対応も基本僕任せで、僕に対するプライドもあっただろうけど、こうして最終的には出張っているわけだし。

 そこは、妥協できないものではなかったはずだ。


 だとすれば、


のよ。だって、考えてもみなさいよ。エクスタシアって、傍から見ると随分恥ずかしい女よ?」


「恥ずかしいって何よ!?」


「淫蕩まみれの性欲女」


「――――」


 ――色欲龍は黙った。


「アンタは自分に自信がないんじゃない? まぁそりゃ、世界に否定される生き方しか出来ないのに、自信なんてつくはずもないけど」


 でもね、と続ける。


よ。こいつは、自分に自信がないから、誰かを愛するの。自分よりも、誰かの方が好きだから」


「……そうなの?」


「否定は……できないかしらね」


 ――なんというか、やっぱり。

 色欲龍のことは、フィーが一番よくわかっていたな。


「でも、だからそれでいいのよ。自信がない? 救われる価値がない? 結構、でもね、わかりなさい」


 じっと、視線を合わせて、



のよ」



 それも、


。誇りなさい、アンタは愛されてる」


 僕らに目を向けながら。


「エクスタシアが、そいつが、そしてアタシが、アンタに救われて欲しいと思ってる。そこだけは解って」


「…………」


 沈黙。


「――そうよ」


 色欲龍が、口を開く。


「私は、世界に一人だった。大罪龍の中で、私だけが異質な存在だった。そういうふうに作られた」


 ああ、彼女の言葉は、彼女の不安で出来ている。

 でも、彼女の顔は、彼女の自信で出来ている!


「でも、人の世の中に加わって、受け入れられて」


 だから、





「――手を伸ばしてもいいんだ、ルクス」


 僕は改めて呼びかける。ルクスリア、君の生きたいは、諦めたいは、全部終わってしまった後の絶望か? 全部を捨ててしまった後の空っぽか?

 そうでないのなら、君はまだ諦めなくていい。


「君は、どうしたい?」


「……わた、しは」


 僕は色欲龍に言った。

 


 でも、そこに僕たちが言葉を投げかけない理由はない。逆に言えば、今の僕たちにできることは、言葉を投げかけることだけだ。

 どれだけ言っても、決めるのはルクスであり、僕たちは言葉を投げかけてしまえば、後はもう待つほかない。


 言葉を投げかけて、それでもルクスがもういいというのなら、僕たちは彼女を止められない。


 ああ、だからお願いだ。


 僕たちはただ祈るように言葉を積み上げた。



 



 そう、心に思いを詰め込んで。


「――ねぇ」


 言葉を、待った。


「……エンフィーリア?」


「何?」


 ルクスの顔は、フィーへと向けられていた。


「救う方法がある、みたいに貴方は言ってたわよね」


「……アンタが最後まで聞いてればよかったんだけどね。暴食卵のことだけ聞いて、逃げたでしょ」


「悪い?」


 悪くない、とフィーは首を振る。


「それは、確実な方法?」


よ」


 そう言われて、ルクスは一瞬、僕を見た。


「じゃあ、――ねぇ、エンフィーリア」


 向かい合った二人の少女は、



って、幸せなこと?」





 ただ、少ない言葉だけで、わかりあった。


「――――うん」


 そして、頷いた彼女の表情で、僕たちはすぐに理解した。僕と色欲龍は視線を交わして、それから苦笑する。



「――私、救われたいわ」



 その言葉に、フィーと色欲龍が、ハイタッチをした。



「……じゃあ、方法だけど」


 僕が切り出して、フィーがそれを制するようにしてから立ち上がる。その顔には、それはもう、はっきりと笑みが浮かんでいた。



「ねぇ、ルクスリア」



 ――そして、フィーは口にする。





 事態を切り開く、爆弾でしかない発言を。


 ――固まったルクスと、それから色欲龍。

 それに満足そうにフィーは頷いてから、そして色欲龍の方に目を向けて。



「あ、アンタも娘になってもらうから。お母さんって呼んでもいいのよ?」



 ――そう、告げる。


「――へ?」


 色欲龍の、聞いたこともないような間抜けな声が、部屋に響くのだった。

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