105.影欲龍は救われたい。

「――眠ってるわね」


 疲れ切ったルクスを宿のフィーが借りている部屋へ運び込み、ベッドに寝かしつける。今は、だいぶ落ち着いた様子だが、それでもまだ、顔には焦燥が感じられた。


「それにしても……これは、なんというか劇薬だわ」


 ふぅ、と息をつきながら、エクスタシアが身体を伸ばしてつぶやく。

 劇薬……というのは、ルクスの行う“搾精”だろうか。見ている分には、ただ抱きつかれているだけだったのだが、感触としては違うのだろうか。


「そんなにすごいの?」


「私が本気で搾り取りに行くのと同じだけの体験を、ただ抱きつかれただけでできるのよ? 苦労も、技術も、経験すらいらないの」


 それは、なんというか。

 僕らにはあまりピンと来ない話だが、色欲龍の顔は真剣だ。


 少し、別のことにたとえてみればわかるだろうか。


「食べるって行為には、際限があるでしょう? 満腹になれば、人はどれだけ美味しいものでも、食べられなくなる」


「……それは、なんというか、ちょっと違う気がするんだけど」


のよ、ポイントはってこと。人は、満腹っていう制限があるから、どれだけ美味しいものでも、のよ」


 ――それは、たしかに当たり前といえば当たり前のことだ。食事は得る行為だが、得るという行為にも、どこかしらで上限を決めなければ行けない。

 上限がないということは、加減が効かないということなのだから。


「ルクスちゃんに抱きつかれると、多量な幸福感を得られるわ。そして、それと同時にエネルギーを奪い取られるけれど、エネルギーが奪い取られているという自覚を奪われる側が持ちにくいの」


「……最終的に、クセになっちゃうんですね」


「そうね、そして下手に踏み込みすぎると、わ」


 ――ありていに言って、それは麻薬と同じだった。手軽で、常習性が強く、副作用も大きい。生命を削るという大きすぎる副作用。

 そして、


「こんな快楽を知ってしまったら、わざわざ体力を使ってまで快楽を得たいとは思わなくなるわね」


「……子を作る気力が失せる、ってこと?」


 うなずく。

 もしも、世界中の人間が、ルクスの搾精を体験してしまったら、――人類は遠くないうちに滅びるだろう。それも、抵抗すらなく、自分から望んで滅びの道へと突き進み始めるのだ。

 なんとも、想像したくない光景である。


 地獄、というほかないのだろう。


「これじゃあ、どっちが大罪龍か、わからなくなっちゃうわね」


 それは、ああ、ゲームでもそんなセリフを聞いた覚えがある。

 人を滅ぼしてしまう悦楽の少女と、人と寄り添う快楽の龍。はたして、傍目から見て大罪を背負っているのはどちらなのだろう。


「――色欲龍」


「……ええ」


 そして、僕が呼びかける。おそらく色欲龍はこれから伝えられる事実を、理解しているのだろう。それでも、僕は告げる。

 そうしなければ、何も進まないからだ。



「――貴方の方法でも、ルクスは救うことが、できません」



 色欲龍のプランは、先程やってみたとおりだろう。自身の生命を影欲龍に奪わせて、彼女のエネルギーを賄う。ゲームでは、これで中盤まで持たせることができた。

 色欲龍もルクスも関係ない事態で、そうも行かなくなったが、この世界ではそれが起こるには千年近い時間がかかる。

 延命手段としては、申し分ないものであると言えた。


 しかし、


「――どう考えても、足りないわ。与えた側から、どこから漏れ出していく」


「器が、壊されているんですね」


 それは、ゲームでも起こった事態だ。ゲームでは、ある条件に陥ると、影欲龍が自身のエネルギーをタメておくだけの器を壊してしまう。

 条件とは、すなわち、



 こと。



 とはいえ、本来ならそうそう心が壊れてしまうはずがないのだが。


「……今の彼女は、本来生まれてくるよりも、早い段階で生み出された。情緒も未熟なら、経験も何もない。――無垢な赤子と変わりません」


「その心は、普通よりもずっと歪みやすいってことね」


 うなずく。

 ――マーキナーの狙いは、彼女が生まれるタイミングを早めることで、その心を脆弱にすることだったのだ。決して、わざわざ穴を明けてからこの世界に生み出したというわけではない。


 脆弱にすれば、と解った上で、送り出したのだ。


「……ねぇ、それって」


 フィーが、苦々しげな顔で問いかける。



「――ルクスがこうなってしまったのは、私達のせい、よね?」



 そう、

 彼女と関わりのある人間は、僕たちしかいない。


 だから、否定はできない。



 だ――――



 ◆



「――ん、ぅ」


 ルクスリアが目を覚ます。僕らは、それを黙って見つめていた。

 視線がさまよって、僕から、フィーへ、そして色欲龍へと向かう。最後に向けられた彼女は視線を合わせ、けれどもルクスの言葉を待つ。


「あなたが、エクスタシア……?」


「そうね」


「ふふ……そっくりだわ」


 ルクスは手をのばす、エクスタシアの頬に、それを、エクスタシアは優しげに包み込んで、持ち上げた。


「そりゃあそうよ。私は貴方から生まれたのだもの」


「じゃあ……お母さん? ううん、何か違う」


 色欲龍の中から生まれたとは言え、生み出したのはマーキナーなのだ。共に、同じ存在から生み出され、そして互いにその影響を色濃く移す存在。


「……お姉ちゃん?」


「そうね」


 そうやって、頷いて。

 二人はそこで、黙ってしまった。

 沈黙に満ちた部屋で、色欲龍は何かを考え込むように視線を落とし、影欲龍は視線を迷わせている。二人は、何を思うのだろう。

 はじめて出会った、自分の姉。自分から生まれ落ち、そして弱り果てた自分の妹。


 ――そして静寂を破ったのは、二人ではなかった。


「……それで、どうして生気を奪わなくなったのよ」


 フィーが、じれったいと言わんばかりに肩をすくめて問いかける。

 それで、二人の時間が動き出し、ぽつり、と口を開いたのは……当然といえば当然だが、ルクスだった。


「はじめは――当然だとおもってたの」


 始まりは、生まれ落ちたとき。

 ――影欲龍には能力と、壊れてしまいそうな器があった。本来よりも一足先に生まれた彼女は、故に未熟で完成していなかった。


「奪わないと生きていけないから。私はそういうものだから、当然だって」


「それは――間違ってはいないんじゃない?」


 フィーが問いかけるように言う。実際、間違ってはいないだろう、影欲龍は人じゃない。人と違う生態をしていて、だったらそれに従うのは、彼女としての正解のはずだ。

 何を憚ることがある? ――それが他人の邪魔になるのは、それが行き過ぎたときだ。


 実際、干からびるまで搾り取るのは行き過ぎていたから、問題になったけど。


「そう思ってた。私が奪った人達は幸せそうで、じゃあこれも悪いことじゃないんだって」


「……まぁ、そうでしょうね」


 色欲龍が同意する。


「そんなときに、お姉ちゃんが男の人とその……えっちなこと、してるのを覗いたの」


 ジトっとした視線が色欲龍に向かう。いや、フィー、影欲龍は別に無垢な子供じゃないんだからね? 教育に悪いとかそういうあれじゃないからね?

 ……いや、これが切っ掛けの一つなら、考えようによっては悪かったのかもしれないけど。



 ――それは、


 思い至る。そうか、ルクスにとって生気を奪うということは栄養補給でしかなくて。のか。

 だから、なんだな。


「――羨ましいな、って思ったの。ねぇ、どうして私のこれは、あんなに幸せじゃないの? ただただ、相手がにするだけで、幸せなんかこれっぽっちもなかったのよ?」


「……そうよね。生きるって、幸せになれないわよね」


 フィーが同意してうなずく。フィーも、自分の中にある感情が、生きていくためには重石になるようなタイプだ。

 奪うことでしか生きていけないルクスと、嫉妬しなくては生きていけないフィー。


 抱えているものは違うけれども、近かった。


「だから、私もしてみたくなった。――全然うまく行かなかったし、今思い返してみるとすっごい恥ずかしいことしてたけど」


 ――そう言って、頬を赤らめながら、苦笑してこちらに視線を向けるルクス。同意していたフィーの視線に殺気がこもってこちらへ向けられた。今いいところだから落ち着いて。


「どうして僕だったんです?」


「お姉ちゃんが嫌ってたから」


 姉とは、違うものが欲しかった、ということか。

 いや、彼女は僕を嫌ってはいるけれど、もしヤるってなれば躊躇うことなく服を脱ぐぞ?


「うまく行かなくって、だったら今度はちゃんと話をしてみようっておもった。それに、あんなふうに扱われて、嫌だったし」


「ごめんなさいって」


 色欲龍からも鋭い視線が向けられる。ああ、針のむしろとはこのことか。僕は自分から何かをしたわけではないというのに。


「――世界には自分には理解できない人がいるって、はじめて知ったわ」


 それは僕のことだよな? いや、確認するまでもないけれど――そして、周囲からは同意の頷きが飛んできた。

 針のむしろは継続中だ。


「だから知りたいって思ったのよ。知らないってことは、悪いことだって貴方も言ってたし」


「そんな話でしたっけ?」


 ――理解した上で行動する。そんな話をした覚えは有るけれど。

 まぁ、でもそこからの推移自体は間違いじゃないとは思う。結果として、こうなってはいるけれど、


「それで、ね?」


 少しだけ、ルクスの声が寂しげなものへと変わった。





 ぽつり、と。


「貴方と話をする人は、皆楽しそうだった。貴方が関わる人は、貴方と同じ方向を向いていた。そうでない人も、貴方のことを理解していた」


「……」


「話をする貴方は、楽しそうだった。誰かと関わると、貴方は時折子供みたいにはしゃいでた。子供のようにはしゃぐ人達を、遠くから眺める貴方もいた」


 フィーとのデートで、押し売りの人達と楽しく話をしたり。

 リリスの奉仕活動を、見守ったり。

 師匠と、宿の人自慢の菓子に舌鼓をうったり。


「辺りを見てみれば、世界にはそんな人ばかりで溢れてたわ。ここは特殊な場所で、ここが世界で一番力に満ちた場所だっていうのもあるだろうけれど」


 フィーには嫉妬され、師匠には拗ねられて、リリスにはからかわれ。

 フィーとは隣を歩くのが楽しくて、師匠とは話をすることが有益で、リリスには感心ばかりさせられて。


「この都市には、


 僕は、そうやって日々を過ごしていて。


「そして私は」


 ――――それを、ルクスはただただ、影から眺めていたんだ。



のよ」



 ――だから、



「それは、って、思ったの」



 影欲龍は、その役割を放棄した。



 影欲龍の器を壊したのは、なんてことはない。当たり前に幸せな光景。自分がそれを奪うことしかできないことを見せつけられて、


「――よく、頑張ったわね」


 色欲龍が、影欲龍ですらなくなった、ただのルクスの頭を撫でる。


 ――ああ、でも、けれど。


 じゃないか。どうして、目の前で見せつけられて、ガマンできる奴がいるんだよ。

 むしろ、色欲龍の言う通りだ、ルクスはよく頑張った。これまで、頑張って、頑張って、頑張って、限界まで頑張って、耐え抜いたんだ。


「――みんなが美味しそうに食べるプリンが、美味しそうだった」


「……待って」


「テーブルを囲んで食べるお菓子や、料理が、美味しそうだった」


「いいの」


「誰かと言葉を交わして、思いをぶつけ合うことが、楽しそうだった」


「もういいの!」


 ――色欲龍がルクスを止める。

 これ以上、口に出させていたら、本当にルクスがだめになってしまいそうで。今のルクスには、必死にこらえた涙が溜まっていて。


「貴方はもう、大丈夫。私がいる、貴方の助けになる、だから!」


「……そうよ、ルクスには方法が――」





 首を振る。


「私の器は、もう戻らない。壊れたものって、二度と戻らないものだから。ああ、でもそれだと、お姉ちゃんまで巻き込んでしまう」


 涙は、


「――でもね? 大丈夫よ、敗因と紫電が言うには、お姉ちゃんには死んでも蘇る方法があるっていうから」


 今にも、


?」


 零れ落ちそうで。


「……喧嘩ばっかりは、ダメよ」


「そういうんじゃ、ないのよ。私と彼は――」


 苦笑する色欲龍に、釣られるようにルクスも笑って。


「うん、だからいいの」


 ああ、もう、限界だ。



?」



 救いという名の、終わりをルクスは願った。


 色欲龍は、言葉を失くし。

 僕は――フィーの視線に気付いた。


 ……考えたのは君だろうに。


 でも、僕は自信を持って呼びかける。



「――本当に、それでいいのか?」



 ってね。

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