102.色欲龍と話し合いたい。
「――この、泥棒猫」
部屋に入ってそうそう、凄まじい殺気のこもった視線で、僕は色欲龍に罵倒された。なんで……?
――現在、僕は色欲龍に呼び出され、彼女の部屋にやってきている。僕が来る前に軽く一戦終わらせて来たのか、部屋には甘ったるい香水の香りが広がっていた。
衣服を少し整えながら、シャワーでも浴びたのか、濡れる髪を弄る彼女は、それから一拍置いて、大きく息を吸うと、一気にまくし立て始める。
「フィーちゃんだけに留まらず! リリスちゃんも! さらにはもうひとりの私……ルクス、って名前になったんだっけ? あの子まで! どうして私の側から大切な人を奪っていくの!?」
「奪ってませんよ!?」
流石にそれはひどい誤解だ。恋に恋しておかしくなってるフィーはともかく、リリスとルクスを僕が奪ったというのはひどい誤解だ。特にルクスは、そもそも貴方と面識もないじゃないか!
「でもフィーちゃんは貴方に夢中で、ちょっとあったかくなっちゃってるし! リリスちゃんだって私じゃなくて、貴方と一緒に永く生きたいっていい出したんでしょう!?」
「あ、ああー」
――リリスはそういえば、色欲龍に看取られて(迂遠な表現)死にたいと言っていた。いわゆる推しに殺されたいというやつである。
それが、僕と出会って、もう少しだけ生きてみたいという願望に変わった。
フィーはそもそもからして、エクスタシアのものというわけではないが、リリスに関しては、信仰が揺らぐ一大事である。それは確かに、奪ったと言えなくもない。
「でも、それならリリスとずっと一緒にいられるじゃないですか」
「それはそれ、これはこれよ。ほんと、貴方はいつもそう。私の側にある大切なものを、もっと魅力的にして、持っていってしまう」
「……なんて言えばいいんですかね」
魅力的に、と言われるのは嬉しいことだ。しかし、実際に奪ってしまっているのは事実である。奪われたところで彼女達と色欲龍の関係が変わるものではないのだが、それはそれとして、彼女の知らないところで築かれた関係は、彼女にとっては面白くないだろう。
「絶対に、謝らないでちょうだい」
「それはもちろん」
「――感謝は、してるのよ?」
釘を差すように言ってから、間髪入れずに色欲龍はこぼす。
「フィーちゃんのことなんて、私そもそもあの子のことに意識を向けられていなかったもの。このままだったら、どこかで取り返しのつかないことになっていたのは、今ならわかる」
そして、取り返しがつかなくなったのが元の歴史における嫉妬龍と色欲龍。クロスオーバー・ドメインだ。交わることで始まる物語で、全てが終わった後に始まる物語。
それが、色欲龍にとっては疵となるのだ。
――この世界で、それはありえないけれど。
「リリスちゃんは、そもそもあの子は私の手なんて必要ない。自分で考えて、それが最善だと思うなら迷うことなく選べる子よ。だから、私がどうこう言う資格は最初からないの」
「……なるほど」
「どっちも、私じゃ変えられないし、資格もない。だから羨ましいのよ、フィーちゃんじゃないけれど、私が貴方に感じる感情は、敵意でも、悪意でもない。ただの嫉妬よ」
それは、
「それは、悪いことじゃないんじゃないですか?」
「……そう思う?」
感謝もしている、悪感情を持っているわけではない。だったら、嫉妬くらいしてもいいじゃないか。それは、僕が言うと上から目線になってしまうけれど、隣人に対して向けるには、健全と言ってもいいくらいの感情だ。
「だから、僕はそれでいいと思います。それこそ、僕が貴方の感情にどうこう言える立場ではないですしね」
「…………そうね」
色欲龍はそうやって頷いて、どうやらそこに関しては納得したようだ。こちらとしても、初見で出会ったときとの態度の違いについて、完全に理解することができて、納得というか、満足である。
いやまぁ、フィーがすねているといった時点で、想像はできたのだけど。
「それで!」
ばっと色欲龍が立ち上がる。
「ルクスちゃんのことよ!」
――さて、ようやく本題だ。先程までの会話は必要ないとは言わないけれど、あくまで前フリ。僕たちはそもそも、ルクスのことで話し合うためにここに来たのだ。
「何あの子! 私の影なのにかわいいわ!」
「自分が可愛い系じゃないって自覚はあるんですね」
「可愛さは私の分野じゃないものねぇ」
色欲龍は自身の体に触れながら、軽くステップを踏む。その足取り一つにも色気があり、少しだけそちらに目が向いてしまった。
ただ、直後にこれが本物だぞ影欲龍という感想が出てくる辺り、僕は大概枯れていると思う。
「――どうして私とそんなにも違うのかしらね?」
直接相対してはいないけれど、話だけで自分との違いを理解したのだろう、色欲龍は不思議そうに首を傾げる。これに関しては、彼女もまだまだ、人の理解というやつが足りないのだ。
「人を作るのは、環境と経験です。素質というやつは、この二つの積み重ねで自然と生まれるものですからね」
「貴方を見てると、そんな気はしないけどね。異質な人間は、生まれたときから異質なのよ」
「あはは……いやでも、どれだけ異質な人間だって、行動を起こすかどうかは環境によるとおもいますよ?」
人の心というやつをわからない人間が、殺人鬼になるか有能な指導者となるかは、結局本人がどういう道を歩んできたかで決まるものだ。
善良という特性を持つ人間も、それを押し殺して悪事を働くことがあるのが、環境による行動だ。そして、それを習熟していくのが経験による結果である。
典型例は、それこそフィーだろう。
あの子は人とそれほど変わらない感性を持ち、誰かを傷つけることを嫌って引きこもった。そんな彼女が、環境に振り回され最後には世界の敵に回るのだ。
「影欲龍――ルクスはそれこそ生まれたばかりで、多くのことを学んでいる最中です。貴方にだって、覚えは有るでしょう?」
「……そうね」
それを聞いて、ぽつりと色欲龍が零す。
「私が情緒を学んだのは、きっとフィーとのやり取りの中だわ。あの子、はじめて会ったときは、世界を敵に回しそうな目をしてて、私はそれを変えたいな、って自然と思ったの」
「それは――」
――少しばかり、貴重な話を聞いている。
フィーの方から色欲龍との出会いについては何度か聞いたことが有るけれど、逆ははじめてだ。ゲームにおいても、そこが語られることはなかった。
あったのは過去回想だ。
「あの子をフィーちゃんって呼んでもいいって言われたときは、本当に嬉しかった。あの頃、世界には私とフィーちゃんしかいなかったの」
「他の大罪龍は?」
「――何れ、離反する相手よ? 私、別れがわかりきってる相手と、仲良くなれないの」
それは、恐怖から来るものだろうか。色欲龍には壁があった。わかりきっていることではあるけれど、本人の口から聞くと、どこか寂しいものを感じる。
「だから、ルクスちゃんってきっと幸運よ。出会いの始まりが、貴方と貴方の仲間たちだったんだもの。きっと、彼女にはフィーちゃんのように、素敵な経験が待ってると思うわ」
「あなたは――」
「――私は、もう選んだ後だから」
そうして、色欲龍はベッドに腰掛けて。
「――私、人間が好きなの」
ぽつり、と彼女は語りだす。
先程まで、きっと彼女以外のぬくもりがあっただろうベッドを愛しげに眺めながら、その目には子に対する愛情で溢れていた。
本人には、自覚がないのかもしれないけど。
「この世界は父様がかき混ぜて作った世界。父様の世界だけれど、生まれてくるものは、そうではない。不思議と世界に生まれ、一人で立ち上がり、広がっていった最初の種族」
「……それが、人間」
「ええ、すごいと思うわ。知恵と、力と、それから勇気を持って、この世界では貴方が大罪龍を一掃してしまったけれど、貴方がいなくとも、人類は大罪龍を排除するのでしょうね」
「僕のやっていることは、あくまで本来の歴史の焼き直しですから」
その上で、手近にいるこれから不幸になるとわかりきっている個人を救っているだけだ。僕の行動に、世界のあり方すべてを変えるほどの力はない。
いや、大罪龍に関わる人の歴史は大きく変わるだろう。
だが、そもそも、
大罪龍なんていなくとも、人は人の歴史を歩むのだ。そして、だからこそ僕が好き勝手に動いているとも言える。僕のやっていることは、人の歴史を歪めることはない。大罪龍のあり方を歪めているだけなのだから。
「――だからこそ、私は貴方に、もう少しだけ待って欲しい。人の頑張る力を、信じてほしいの」
「信じるもなにも。僕は確信してますよ、人は何れマーキナーに勝利するだろうって」
「ならどうして、貴方はそれを急ぐの?」
「何度も言っていますけど――」
それは、
「僕がそうしたいからです。貴方が人類への愛でもって留保を願うなら、僕は挑戦への熱意で、前進を願います」
僕と色欲龍の、決して相容れない一線だった。
究極的に自分勝手な僕と、超越的に他者への愛で満ち足りた色欲龍。その1点で、僕らがわかり会えることは永遠にないのだ。
あらためて、それを確認した上で、
「だったら――」
――咎めようとする色欲龍に、僕はかぶせるように言う。
「だからこそ、ルクスリアは、選ぶことができるんです」
「……それは?」
「僕は、自分の行動を間違っているとは思いません。ですが、貴方の考えを否定することもできない」
間違っているとすれば、それは僕の方だろうから。
ワガママを言っているのは自分なのだから。
けれども、同時に僕はこの選択を正しいとも思う。
ならば、
「――選ぶのは、ルクスでいい」
僕は、そう宣言した。
「…………そうね」
それに、色欲龍も同意する。どこか呆れにも似たような吐息をこぼしながら、けれども同時に納得も含みながら。
ようするに、僕らが取るべき行動はルクスの回答を得ることなのだ。
だからこそ僕はルクスの仕切り直しで、あくまで彼女の情緒が育つように言葉を選んだし、僕のしたいことは一切押し付けていない。
その上で、内容はすべて色欲龍に伝えた。
条件はだいぶフェアなはずだ。
「その上で……まさか、着地点を決めてない、ってことはないですよね?」
僕の場合は、一時的にルクス、ないしは色欲龍のどちらかを憤怒龍の星衣物を利用して封印し、マーキナー降臨の条件を満たすこと。
では、色欲龍は――? とはいえ、これに関しては僕は内容を把握している。おそらく、ゲームと同じ行動を取るはずだ。
「もちろん、貴方こそ、その方法は確実なのでしょうね?」
「言われるまでもなく――」
――当然だと告げようとしたときだった。
「――敗因殿! ここにいるッスか!?」
一人の概念使いが入ってきた。
――幻惑のイルミ。僕を探している?
「どうしたんだ?」
「遺跡の調査に出ていた概念使いが帰ってきたッス! それで――」
慌てた様子の彼女に、僕は問いかける。
それを眺める色欲龍はどこか怪訝そうな目を向けていた。
――嫌な予感がする。
「遺跡は破壊されていたそうッス、その破壊跡から、破壊したのは――」
果たしてそれは、的中し、
「憤怒龍ラーシラウスッス!!」
――僕は、否応なく今回の件が動き出したことを、理解するのだった。
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