101.影欲龍は仕切り直したい。

「――ねぇ貴方、少しいいかしら?」


 それは、僕が一人で街を歩いていた時のこと。人だかりの多い町並みに、一人の女が、フードをかぶった女が僕を呼び止めていた。


 怪しい。


 第一印象はそれである。というよりも、すぐに解った。彼女は――影欲龍だ。


「なんですか?」


 とはいえ、それを指摘することはしない。だって指摘したら可愛そうだし……彼女は若干声音を変えて、自身の正体を隠しているようだ。

 しかし、残念ながらその声を僕は聞いたことが有るので(別の作品で)、すぐに聞き分けることができてしまった。


「貴方のことが知りたいの。少し、お話しない?」


「構いませんよ」


 僕が躊躇うことなくうなずくと、フードをかぶった女のローブが少し揺れた。これ、ローブの中でガッツポーズしてない?


「では、そうね、ええと――」


「……僕の宿が近いです。そこに行きましょうか」


 そして、どうやらノープランで接触してきたらしい彼女は、そもそも最初の問答にもう少し時間を掛けて、その間に場所を絞る予定だったのだろう、話す場所を決めていなかった彼女は、フードの下で目を輝かせてから、


「こほん。そうね、そうしましょうか」


 取り繕って、平静を装う彼女に僕は微笑――苦笑を噛み潰したもの――を浮かべながら、僕は彼女を伴って宿へと向かう。師匠とフィーは外出中だ。リリスは把握していないが、いても察してくれるだろう。察した上で後でからかわれるかもしれないが。


 さて、声をかけられた女性を部屋に連れ込むという、なかなかハードルの高いことをしれっとやってしまっているけれど、なんというか変な感じだ。

 一応、目的はハッキリしている。彼女は影欲龍。今回の事件の中心にいる存在である。


 その狙いを聞き出す。とてもシンプルで、単純なものだった。


 そしてそれ故に、こちらはまず、向こうの出方というやつを見ることにした。


「どうぞ」


「失礼するわ」


 そう言って、彼女はナチュラルにベッドに腰掛けた。僕はそれをスルーして備え付けの椅子に座る。ちょっと向こうはむっとしていたが、申し訳ないけど、話を聞く方向に意識がスイッチしてしまっているので、そういう気分ではないんだ。


「――貴方は、今、この街で起きている事件を、どう思う?」


 単刀直入。彼女はそこから切り込んできた。


「目的は、何だと思う?」


「――影欲龍は」


 僕は、フードの奥の彼女の目を覗き込みながら、そう口火を切る。


「色欲龍と同一の存在ではありますが、その権能は正反対です。色欲龍は存在を生み出す。子を産む権能。対して影欲龍は、存在を権能です」


 色欲というのは、とてつもなく身も蓋もない言い方をすれば、性行為だ。その目的は、子を作ることと、それから快楽を満たすこと。

 その分野において、色欲龍は間違いなく世界最高峰の実力を有するわけだけど、その特性は子作りに特化している。快楽を得ることよりも、子を為すことのほうが、色欲龍にとっては重要なのだ。


 対して、影欲龍のそれは、単なる快楽のためだけのそれ。搾精によって他者の生気を奪い、自身の糧とするのが影欲龍だ。


「つまり――事件は目的でもなんでもない。、影欲龍はそうしているわけですね」


「そうねぇ」


 なるほど、と影欲龍がうなずく。それは、よく解っているじゃないか、と僕に対して言っているようで、さてはこいつ、隠す気がないのではないか、と思わせるには十分なものだった。

 いや、隠すつもりはあるはずだ。でなければフードなんて被ってこないだろう。……あるよね?


「じゃあ、影欲龍を止めることは不可能、ということにならない?」


「なぜです?」


「生きるためにしなくてはならないことを、止めることは不可能でしょう」


 生理現象、というやつだ。性欲に限らず、食欲も、睡眠欲も、抗うことは出来ても、摂らないことには生命が持たない。

 当たり前といえば当たり前だけど、そうしなければ生きていけないことを妨げるということは、相手の生命を奪うことと何も変わらない。


 ただ――


「――奪うということは、奪われることでもある。ここは快楽都市ですよ、ここで何かを奪おうというのなら、奪われたって、文句は言えないでしょう」


「それは、人の価値観よ。影欲龍は――大罪龍は、その枠には当てはまらない」


「さて、それはどうでしょう」


 僕の言葉に、影欲龍は首をかしげる。なぜ? と彼女は先を促した。


。当たり前のことです、影響が大きすぎれば、その影響を受けた人間がアクションを起こすことも多くなる」


「けれど、今、影欲龍の討伐は積極的な都市の課題ではないわ?」


だけです。だって、今は死なない程度に絞られるだけなんですから。これは被害ではなく、役得というのでは?」


「そうかしら」


 ――ぼくの話している内容は、さしておかしな内容ではなく、また、ごくごく当然の、ありふれた内容だ。それでも、目の前の彼女には一つ一つ、語っていかなければ、意味がない。

 解っていないことなのだから、当然だ。相手は、まだ生まれて少ししか、経っていない相手なのであるからして。


「そしてこの場合の最大の問題は――」


 そしてそれは、


「――それを影欲龍が止められないことでしょう?」


 大罪龍ならば、直面せざるを得ない問題だった。


「…………」


「影欲龍に限りません。大罪龍であれば、自身の性質、自身の感情からは逃れられない。それこそが大罪龍の存在意義なのだから」


 ――これまで戦ってきた大罪龍。それらは自身の大罪に殉じていった。

 フィーはもちろん違うけれども、大罪龍の抱える大罪のは、彼女との関わりの中ではじめて肌に感じたものだ。

 それは、たとえ星衣物であってももう一体の色欲龍。影欲龍にとっても変わらない。


「だとしたら、影欲龍は奪うがゆえに、奪われなければいけないの?」


「加減をすればいいのでは?」


 ゲームにおいて、影欲龍を対処する必要に迫られたのは、からだ。影欲龍は他者から奪わなくては存在出来ないが、その時の世界は、大罪龍規模の敵の対処に追われ、影欲龍に奪わせる余裕がどこにもなかったのである。


 だが、この時代ならそれも違う。傲慢龍が討伐され、魔物の凶暴化が見られない現在、世界はかなり安定していると言っていい。僕にしてみれば、まったく何も終わっていない、折返しを過ぎたところだが、世界にとっては、ようやく平和が戻りつつあるのだ。

 あとは憤怒龍さえ撃破すれば。


 ――この世界は、平和になるのである。


「そんな簡単に言わないでよ。解っているのでしょう? それができるなら、苦労はしないじゃない」



「……え?」


 僕の言葉に、影欲龍は目を見開いた。


「僕は知っています、その苦労は、決して乗り越えられないものじゃない。大罪龍だって。それを、僕は目の前で見てきたんです」


「……嫉妬龍エンフィーリア」


 そう、僕は目の前で変わる少女を見た。前に進む彼女を横で見た。そして今、フィーは僕とともにいる。だから僕は影欲龍にも呼びかけるのだ。

 変わりたいなら、変わってしまおうと。


「影欲龍は、変わりたいと思ってる保証はあるの?」


 ――ふらり、と影欲龍は立ち上がる。


「そんなこと、僕は知りませんよ」


 だって、僕は聞いていないのだから。


「僕は、救います。そうでなくとも、といったのなら、どれだけ難しかろうと救います。僕がするべきことは、それだけなんです」


 ふらふらと近づいてくる影欲龍は、やがて僕を追いやるように、その体を密着させてくる。手は椅子の背もたれと、そして僕の顔に。


「本当にできると思うの? 一つの存在の根底を変えるなんて、そんなこと――」


「――しましたよ? フィーの顔を見てくださいよ、違いなんて一目瞭然でしょう」


 精一杯の湿っぽい吐息。潤んだ声音を、僕はしかし即座に否定する。ここで、彼女の口車に乗るわけには行かないのだ。


「それを、望んでいると本気で思っているの? もしも望んでいないなら――」


「――望んでもらってから、救います。怠惰の星衣物はそうして救いました」


 追撃。

 影欲龍から、不満げな吐息が漏れる。


「相手の本質も理解せず、押し付けるように救うというの? そんなもの――」


「――理解した上でやりますとも。暴食龍なんて、根底にあるのは傲慢龍への愛だったんですよ?」


 一瞬、影欲龍が停止した。あ、なんか涙目になっている。ううん、やりすぎてしまっただろうか。


「そ、そんなの! 一方的な上から目線じゃない! 認められないわ!」


「人を上から見ているのは大罪龍の方ですよ? それに、その大罪龍の頂点とは、真っ向からの殴り合いで勝ちました」



「――いい加減にしてよぉ!!」



 ばっと、僕のローブの襟を掴んで、影欲龍が叫ぶ。一瞬フードが取れかかったが、彼女は慌ててそれを戻しつつ、セーフとつぶやいてから――

 ……いや、全然セーフではないですけどね?


「なんでそう、すぐに否定するのよ! いいじゃない! こっちのペースで話しさせなさいよ!!」


「それしたら、貴方すぐに話しどころじゃなくなるじゃないですか」


「うるさいわね! うるさい! うるさいうるさい、うるさーい!!」


 影欲龍の語彙力が死滅した。まるで子供だな、と思いつつ、これならリリスの方がよっぽどお姉さんである。いや、実際そのとおりなのだが。


「ちょっときちんと話をしようと思っただけなのに! なんでそんなひどいことするのよ! 私、何か悪いことした!?」


「落ち着いてくださいよ、そこは僕だって解ってますから……とにかく」


 彼女をなだめつつ、僕は続ける。


。だから、影欲龍だってそうすればいいじゃないですか。僕の結論はそれなんですよ。もちろん、それが誰かを害するようなら、止めますが」


「…………ほんと、わけがわからないわ」


 数歩さがって、ぷいっと、彼女は視線をそらした。

 ああなんと言うか、こういう姿ははじめて会った時のフィーを思い出す。


「しかし、随分と長く話し込んでしまいましたね。そろそろ師匠たちが帰ってくるかも。……そうなると、貴方も困るんじゃないですか?」


「……ふん」


 コレ以上の長居はまずいだろう、と思い僕は提案する。ここまで話をすれば、影欲龍のことだっておおよそ把握できる。つまるところ――


「ああ、そういえば――」


 僕は、


「貴方の名前、お聞きしていませんでしたよね?」


「……好きに呼べば?」


 少し考えてから、告げる。


「――――ルクス」


「……ルクス?」


「ルクスリア、でルクスです」


 淫蕩を意味する言葉は、



「貴方にはぴったりですよね? ――影欲龍」



 ――そう、思って、名付けてみたのだけど。



「……えっ?」



 ――影欲龍は自分の正体がバレていることに気が付いていなかった。



 結局、


 前回に引き続き、影欲龍――ルクスリアは、泣きながら逃げ出すのだった。

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