100.リリスは伝えたい。

 ――色欲龍とは話をつけなくてはならないけれど、タイミングが少しばかり悪かった。影欲龍がプライドを傷つけられて退散したことは、色々あって色欲龍の元へと届いており、先日の件も合わさって、現在彼女はご機嫌斜めである。

 そのくらい、無視すればいいではないかと思うけれど、話はそう単純ではなく、そもそもからして影欲龍に関しても足取りがつかめていないため、交渉材料がゼロなのだ。


 色欲龍を説得するにしても、このままではそもそも取り付く島がない。とりあえずの方針は、現状の打開。影欲龍が人を襲うことに関しては、色欲龍も問題視しており、そこを解決するために、快楽都市の人々は色々動き回っているわけで。

 僕らが、そこに加わるのは何も問題はないのだ。


 そういうわけで始まった影欲龍捜索だが、しかしそれは難航していた。理由は単純、実は影欲龍はがあるのだ。いわゆる人の影や物陰に、入り込んで隠れる能力である。

 これでは、どうあっても見つかるはずはない。ようするに影欲龍捜索には色々とイベントが必須なのだ。


 ――そして、現在僕はその最初のイベントであったはずだろう影欲龍の夜這いを完全にスルーしたばかりである。


 とはいえ、それに関しては向こうが気を取り直せば、何かしら仕切り直しの動きがあるだろうと踏んでいた。だって、あちらから接触してきたのに、そのまま何もしないのでは、そもそもあちらが動く意味がないからね。

 それでもなかなか何もしてこないのは、よほどアレが衝撃的だったんだなと思う。まぁ、正直申し訳なかったとは思うけど。


 ――そういうわけで、まだしばらく快楽都市での日常は続きそうだ。

 今日は、特に予定もなかったので、リリスに付き合って、とある場所へ向かっていた。そこへ向かうのは、ここに来て二度目だ。


「――リリスって、なんだかんだ色欲龍の敬虔な信徒なんだよな」


「なのー。エクスタシア様のこと、しんぽーしてるの」


 現在、リリスは悦楽教団のシスターとして、スラム街に食事を配り歩いている。物の序で、ではあるが、リリスにとってそれは大事なお役目だった。

 いくら自由と個人主義が絶対の快楽都市といえど、力のない弱者は存在する。その中でも、生きる意思のあるものは、こうして誰にも頼らず、スラム街と呼ぶべき場所で――快楽都市にスラムでないところがあるかというと疑問だが――一人、生きていた。

 その生き方は、盗みやスリ、日雇いに夜鷹など様々だが、幾らなんでも、それだけで生きていけるわけではない。そのうえで快楽都市をまとめる悦楽教団としては、ある程度のバランス取りというのは必要だった。

 それは、理念のゴーシュの考えだ。


 こういった他人から奪うことでしか生きれない弱者でも、成長し、一人で生きていけるようになれば、なかなか知恵が回って優秀なのである、と彼は言っていた。


「特に、このお仕事は昔リリスが助けられたこともあるから、だいすきなのー」


 その究極系が、ある意味ではリリスだろう。彼女は不治の病を患った母を抱えて、この快楽都市にやってきた。生きるためには自分で食い扶持を見つけるしかなく、しかも稼がなくてはならない食い扶持は二人分。

 彼女には才覚はあったが、それでもそれを活かせるようになるまでは、しばらくかかったはずだ。

 その間、こうしてリリスがしているようなことを、悦楽教団に施され生き延びて、そして今に至る。


「まぁ、リリスはだいぶ例外だけど、こうして蒔いた種が実ることで、快楽都市は回ってるわけだ。ほんと、よく出来てるよな」


「エクスタシア様の威光と、ゴーシュ様の知恵のおかげなの」


 そういうリリスの顔に、信仰への疑いは一切ない。これまで、シスター要素は服しかなかった彼女だったが、こうしてみれば、やはり彼女も立派なシスターだ。


「ゴーシュといえば、あいつと色欲龍の出会いって知ってるか?」


「んー? そう言えば知らないの」


「色欲龍の性欲をはねのけた男は、何も僕だけじゃないんだ。僕は、世界で二人目」


 ――一人目が、ゴーシュだ。ゴーシュは色欲龍の直接の息子である。生まれたときから目の前に性欲の権化がいて、そしてそれを見ながら育ってきた。

 だから耐えられた、と思うかもしれないが、他にもそういう兄妹は何人もいた。そして、その全員は須らく色欲龍に味見されたことがあった。女でも、だ。


 なお、本来であればこの誘惑に耐えるのは、初代ドメインの主人公が二人目である。というか、ルーザーズだとそもそも関わりが薄いため、誘惑自体されないが、ドメインの主人公は伝統として色欲龍の誘惑を振り切るという特徴を持つ。

 理由は各自様々だが。


「ゴーシュが跳ね除けたのは、何でだと思う?」


「……んー」


 リリスは少し考えて、


「基本的に、エクスタシア様のお誘いを断る理由はないの、だって気持ちいいことだから。気持ちいいことは悪いことじゃないの。だったら……」


「うん」


「――気持ちいいことより、優先するべきことがあった?」


 正解だ。


「ゴーシュの場合は、誘惑を跳ね除けたことで周囲から一目置かれるようになったんだよ。奴はそれを利用して、色欲龍の側近になった。その方が、からな」


 だから、ゴーシュは自分のに殉じたわけだ。


「誘惑を跳ね除けたことによる影響は大きかった。なんだかんだ、エクスタシアが今の都市の形を受け入れているのは、ゴーシュの言葉あってこそ、だ」


「んー、なるほどなの。でもでもなんていうか……それだと、ゴーシュ様の方がお父さんみたいなの」


「あはは、そうだね」


 僕は苦笑しながら、うなずく。

 でも、リリスの言葉は正鵠を得ていた。なにせ、人と大罪龍では情緒の育ち方が違う。エクスタシアは既にこの世界に生まれて八十年ほどになるが、それでも精神面ではまだまだな部分が多い。

 対してゴーシュは人間だ、この世界では衣物による医療が発展しているが、それでも平均的な寿命はだいたい60。現代のそれより少し低い程度。

 あっという間に、命は終わる。


 ――いつの間にか、ゴーシュの精神面は、エクスタシアのそれよりも、遥かに成長していたのだ。


「ん……人は、あっという間に大罪龍を……を、置いてっちゃうのね」


 そう、つぶやきながら、リリスは幼子に菓子パンを与え、これで籠の中にあった、配るための食料がゼロになる。まだ、多少残っているが、これは一言で言えば、だ。


「それじゃ、この後は、あそこにいくのー」


「うん」


 そうして僕たちは、


「お墓参り、なの」


 ――リリスの母の元へと、向かうのだ。



 ◆



 この街の墓は、巨大なカタコンベの中に作られている。快楽都市で生まれた人々は、その多くが色欲龍の子供だ。彼女の子は、彼女が慰めるために、一つの墓の中へと収められる。

 宗教的な意味を大きく持つその場所は、基本的に騒々しい快楽都市の中で、唯一静寂を当然とした場所だった。


「おまたせしましたの、おかーさん。今日もきましたの。これ、お供え物ですの」


 墓をキレイに掃除してから、リリスがそういってお供え物のお菓子を墓の前に多く。これは、リリスの好物であり、母の好物でもある。

 また、母の一番の得意料理、だったそうだ。


 リリスは、よくここにやってきては、このお菓子を食べながら、最近あったことを母に話すのが、楽しみなのだという。

 いろいろなことを、リリスは話した。主な話題は、やはり影欲龍だ。傲慢龍たちとの戦いについては、この間全員でお邪魔したときに、ひとしきり話したものだから。

 今日、わざわざここに来たのは、その影欲龍の件で、リリスの信仰がゆらぎかけたからだろう。

 よっぽどあれは、衝撃的だったんだな。


「でも、ゴーシュ様もそうだって聞いて、リリス思いましたの。人って、たまに想像の遥か斜め上を飛び越えて、どこかへ行っちゃうものだって」


 それは、どちらかと言えばリリスもそうだ。八歳にして、早熟。大人顔負けの立ち振舞をする彼女は、はたから見れば、想像を軽く越えた存在だ。

 でも、だからこそ、だろう。


「それが人の強さなんだって、リリスは思いますの。その点、母様はすっごく強い人で、生きることに全力でしたの」


 ――最後まで、生きて。満足して、リリスの母は逝ったそうだ。それが、リリスにとっては一つの指標であり、そして目標だった。


「リリスもそんな生き方がしたいと思いましたの。自分のしたいことをすべてやりきって、定められた自分の寿命をこれでもかってほど生き抜いて」


 そして、


「――最後には、満足して死にたい、そう思ってましたの」


 リリスは、そういった。

 リリスは不老だ。美貌故に、それを保持し続けるが故に。けれど、だからこそリリスはその美しさを、どこかで終わらせるべきだとも思っていたのだ。

 人の容姿はいつまでも保てても、人の心はそれに耐えられるかはわからない。


 大罪龍のように、長く生きれるように、人は作られていない。何百年も生きたら、心がどこかで汚れてしまうのではないか。

 だったら、人は人として生き、人を全うすることが、あり方としては自然ではないか。


 ――それは一つの、悟りであった。


 ただ、


「でも、それはの話だと思いますの」


「…………」


「誰かとともに、手を取り合って、互いのことを、励ましあって。前に進んでいくならば、それは人のあり方を逸脱しているとしても、、と」


 そうして、リリスは立ち上がり。まっすぐ母へ向けて笑うのだ。



「――リリス、そんな人達ができました」



 僕を、そしてフィーを、師匠を思いながら語るのだ。


「だから、もう少しだけ、この人達と一緒に、リリスは生きてみようと思います」


 終わりがいつになるかは、分からないけれど。

 それでも、リリスは――


「だから、本来の予定は、少し延長しますの」


 ……あっ。


「あ、リリス?」


「どうしましたの?」


「う、ううん……いやその、そろそろ、時間とか……」


「まだ日は出てますの、時間は一杯ありますのー。それがどうかしましたの?」


 ――ごめん、なんでもない。

 僕は黙った。

 いや、だめだ。これ以上はダメだ。いやだって、ここまでずっといい話で通してきたのに、でも、ダメだ。止められない。


「だから――」


 ああ、前にリリスの未来についての話をしたときは、うまくぼかしたのに。



「――最期に、エクスタシア様へ挑むっていう目標は、後回しにするの」



 原作において、エンディングでは各キャラクターのその後に触れられる場合がある。

 リリスの場合は、その最期について。


 生を謳歌して、その美貌をそのままに、最後まで生き抜いた彼女は、そして、



 



 ――結果は、壮絶な激戦の末の敗北。

 けれども、エクスタシアの信徒であった彼女の人生に、一片の悔いはなかったという――

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