97.色欲龍は捗らない
――
それは、言ってしまえばドッペルゲンガーと言うやつである。
全く同じ、けれどもそれ故に違う、同時に存在するもう一体の色欲龍。それこそが、エクスタシアの名を冠する星衣物の正体だった。
何だってそんなものが? 色欲龍もまた、嫉妬龍と同じく、生まれたときに力を削がれた大罪龍なのか。答えは否である、色欲龍のスペックは生まれた時から完全で、それ故に隙と呼べるものはない。
ポイントはこの色欲龍の星衣物には出現の条件があるということだ。
その条件とは、色欲龍が大罪龍の中で最後の一体となること。もしも色欲龍が他の大罪龍が生き残っている状態で死亡した場合、この星衣物は絶対に出現しない。
まぁ、その後傲慢龍の権能で生き返る可能性もあるし、その上で最終的に最後に色欲龍が生存した場合は出現する……ということを、設定資料集の片隅に記載されていた。
実際のところは、そういう展開にはならなかったのでわからないが。
なお、似たような条件で出現する星衣物は他にも存在する。暴食龍の星衣物だ。こちらはそもそもすべての大罪龍が滅びないと出現しない条件を持つが。
ともかく、つまるところ影欲龍は、最後の一体になった色欲龍が生み出すものである。何故か、生存のためだ。
色欲龍の権能は子を為すこと。つまり、非常に暴論だが子を為す相手がいなければ、色欲龍に存在価値はないとも言える。人を相手に作ることもできるが、色欲龍は人ではない。
本来の色欲龍の権能は大罪龍と子を為すことによって発揮される。まぁ、そうして生まれたのはアンサーガのような生物だったわけだが。
さて、前にも話したが、色欲龍は星衣物が破壊された場合死亡する。そりゃあ、影欲龍と色欲龍はリンクしているのだから当然だが、影欲龍が死ねば、色欲龍の存在意義が消滅することも、これには関係している。
子を為せない色欲龍に価値はない。
それこそが、マーキナーが色欲龍に与えた宿命であった。
◆
「――影欲龍、ねぇ」
そこは、色欲龍を祀る悦楽教団の総本山。色欲龍の寝床である。現在、この場には僕とフィー、それから色欲龍の三人がいた。
――師匠とリリスは街を回って、影欲龍の捜索中である。とはいえ、見つかる当ては一切ないのだが。
そして、僕らの話を聞く色欲龍は胡乱だった。なんというか、心ここにあらずといった様子で、こちらの話にはあまり興味がないように思える。
「もうひとりの私。私が私と子を為すために出現させた私……かしら?」
「なんか、そう言う言い方をすると頭がおかしくなりそうね……」
「……個人的に疑問なのだけど」
色欲龍が、うーんと小首を傾げながら、フィーを見る。
「憤怒龍は父様の例外だからさておくとして……貴方と怠惰龍は、まだ生きてるわよね?」
「ああえっと、それは、……なんだっけ?」
フィーが説明しようとして、しかしど忘れしているようだ。僕としても、結構複雑な事情なので、一度で覚えきれなくてもしょうがないとは思う。
あんまり、興味を持ちにくいような部分だしね。
「――一応、きちんと理由があるんですよ。色欲龍、貴方は人を、大罪龍を、どう思っていますか?」
「どう……って、大切な存在よ? 私と子を為してくれる、なくてはならない存在」
「じゃあ、いるのといないのとでは、いたほうがいいですよね?」
「もちろん」
であれば単純だ。
「だったら細かいことはいいじゃないですか。いるならいるで、貴方にとってはそのほうがいいでしょう?」
「納得」
「……すごい雑な事情じゃない!?」
今更思い出した、というような顔をしながらフィーが叫ぶ。複雑は複雑でも、雑が複数という意味での複雑……というわけではないのだけど。
まぁ、他にも理由はあるが、色欲龍にとって一番大事な理由はそこなのだ。なので、色欲龍に対する説明はこれで十分なのである。
「とはいえ、私の街で男の人が干からびちゃうのは問題だわ。それはなんとかして止めてちょうだい」
「それはもちろん。でも、それだけ?」
「それだけ……って?」
――知らないわけではないだろう、とフィーは言外に含ませて問いかける。対する色欲龍は、なんだかあまり肯定的ではない態度だ。
「だって、これをなんとかすれば、お父様をどうにかできるのよ?」
「……あのね、フィー」
大きく息を吐き出しながら、色欲龍はフィーを正面から見据えると、
「私はお父様と争う気はないのよ?」
そう、言った。
「……え?」
フィーは、驚きを通り越して、理解できなかったと言うような呆けた言葉を返す。まさか、そう返すとは思わなかったと、そういうような。
いや、実際思っても見なかっただろう、ここで色欲龍がそう答えるとは。
ただ、とても、とても単純な話なのだけど。
「私ね、フィーは急ぎすぎていると思うの。そこの彼の影響で、貴方はとても成長したと思うけれど、その分、成長しすぎて周りを置き去りにしちゃってるわよ?」
「え? えっと……」
彼、と言われて僕にジトっと目を向ける色欲龍。
――なんというか、ここに来てから、ずっとこうだ。色欲龍の目が冷たい。師匠に対しては随分と色々聞こうとしているのに、肝心の僕に対してはなんだか冷たいのだ。
なんというか、目が姑の目をしていた。
「まずね? 大罪龍を倒すことで、人類はお父様に挑むのでしょう? 確かにそれは素晴らしいことで、そしていつかは人類が直面することだと思うわ?」
「……うん」
「でも、それはいつかのことよ? 今は、まだ、大罪龍――私達がこの世界にあらわれて、百年も経ってない。――敗因くん、あなた達ははっきり言って、急ぎすぎている」
「まぁ、そうですね」
色欲龍の言うことは最もだった。
「そして、結果私が最後の大罪龍……ってわけではないのだけど、お父様が、そう判断して影の私を呼び出した……のだったかしら?」
「はい」
――本来ならばありえないタイミングで、影欲龍が現れたのはマーキナーの介入による結果だ。これに関しては既に色欲龍にも伝えてあるとおり。
「貴方が大罪龍と戦いはじめて、まだ一年くらいしか経っていないのよ? 貴方は仲間たちとだけでそれを解決するつもりかもしれないけど、人類にはそれは早すぎるわよ」
「……」
「だからね? はっきり言うけれど――」
色欲龍は語るのだ、こちらの方を見て、鋭く睨みつけて、
「――私は貴方の味方には、なれないわ」
そう、僕に対して言い切った。
そう、そのとおりだ。色欲龍は僕たちに対して、協力的ではない。むしろ、僕たちのした行動に対して、あまり好意的ではない感情を抱いているようだ。
それは、ライン公国での攻防において、フィーを利用したことも、要因の一つではあるだろう。
これまでは、人類の危機があったために、協力せざるを得ない部分があったが、今回はそうではない。むしろ――
「私の子どもたちが、私に搾り取られるのは問題だけれど、それさえ解決すれば、以降の問題は先送りされるのでしょう?」
「……そうだね。今の所、本来の歴史で発生していた魔物の凶暴化も見られない」
ようは、必要がないのだ。影欲龍をどうにかする必要が。
ゲームにおいて影欲龍をどうにかしなければならなかったのは、魔物の凶暴化によって世界が危機にひんしていたからだ。
「であれば、影欲龍も放って置きなさいな。それでも、別に構わないでしょう?」
「それは――」
――確かに、そのとおりだった。
もちろん、言い返す事はできる。ただ、何か行動を起こすリスクよりも、先送りにすることのリスクのほうが少ないのだ。
だから、迂闊には動けない。
そう、なのだけど。
僕が何かを言うよりも先に、フィーが動いた。何か考えがあるのだろうか、先程から僕らの会話にはあまり口を挟まなかったけれど。
そして彼女は、色欲龍へと詰め寄ると。
「――あんた、拗ねてるでしょ」
僕たちは、きょとんとした。
「色々並べてるけど、そもそもアンタが協力的じゃないのは、アタシが急に成長したから、でしょ? 話を置き換えんじゃないわよ。つまり、アンタは」
ビシッと指を突きつけて、フィーは言う。
「アタシをこいつに取られて拗ねてるのよ。違う?」
――それには、沈黙が帰ってきた。
いやいやいや、色欲龍も言っていただろう、リスクが大きい。影欲龍はもう一体の色欲龍。基本的には、同一存在だ。何かしら理由があって男性を搾り取って干物にしているにしろ、交渉の余地はある。
それさえ解決してしまえば、後のことは先送り。彼女の言うことは最もだ。
だからこそ、それでもなお僕が事件を解決したい理由をこれから色欲龍に伝えなくてはいけないのであって、まさか、色欲龍が友人を取られたくらいで拗ねるなんて。
あの、奔放な色欲龍が――
「――――フィーのばかぁ!!」
えぇ――――
叫んだ色欲龍は、泣きながらフィーをポカポカとする。
「先越すなんてずるい! 私を置いてかないでよ! いい男捕まえちゃって! 羨ましいのよ!! しかもそいつ、ルエちゃんと二股かけてるのよ!? 許せないわ!! この女の敵!!」
「えぇ…………」
僕の困惑は口をついて出た。
色欲龍は、完全にワガママで先程のことを言っていた。
「うっさい! こっちだって好きになっちゃったもんはしょうがないでしょ! あと、ルエは横恋慕だから! こいつの恋人はアタシだけだから!」
「しかも、リリスちゃんまでなんかたまに目の色変わるのよ!? あの子まだ八歳! 私気付いちゃったんだから、あの子この男とキスしたことあるわよ!?」
「おいちょっと話聞かせろ」
「――待ってください」
フィーが一瞬にしてどすを効かせながらこちらに振り向いた。色欲龍は何を言っているんだ!?
「キスされたのは頬です! 親愛のキス! 恋愛的な意味はありません!」
「でもされたのよね!? ――アタシされたことないんですけどおおおおおおお!!??」
――――そういえば、フィーとキスをしたことはなかったな。いやそもそも、僕は誰かに自分の意志でキスをしたことは――
「――私には、あんなに情熱的にしてくれたのに?」
ありましたねぇええええええ!!!!
「……ねぇ」
「はい」
「――ばかあああああああああああああ!!!」
フィーは逃げ出した。
「ああまって!!」
追いかける僕、なんというか、まんまと話を棚上げされたような気がしてならない。部屋を出る直前、ちらりと色欲龍を見れば、
あっかんべーをしていた。
……子供か!
――結局、拗ねるフィーをなだめるのに、一日。それと二人きりでデートする約束をして、ようやく彼女を落ち着かせるのだった。
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