96.快楽都市は文字通り
――なにもない、ただただ広く、どこまでも続く平原で。
「いやぁ――」
僕たちは、呆れる――呆れながら、なんだか心底ホッとした様子の――フィーに見守られながら、
「あああああああああああああああ」
振動していた。
そう、懐かしのバグレベル上げである。僕と、師匠。それからリリスの三人は現在、この平原でひたすらレベル上げに勤しんでいた。何故か、次の戦いに備えての準備である。
では、あるのだが……
「もうダメだぁ!」
師匠が勢いよく槍を振りぬいて、無限に倒し続けていた師匠がそれを終える。顔には疲労が滲んでいた。それはそう、当たり前のことだ。僕も、リリスも、疲れ果てていた。
――かれこれ二ヶ月、僕らはここでレベル上げをしていた。
「……ほんと、お疲れ様ね」
つぶやくフィーが、師匠に飲み物の入ったボトルを投げる。受け取った師匠が勢いよく飲み干すと、その場に倒れ込んだ。ああ、羨ましい。
「キミは、ほんと、うらやましい……な!」
「いや、ごめんなさいって。でも、実際どうしようもないし、しょうがないじゃない」
息を荒くしながら、疲れをにじませた師匠の声に、しかしフィーはただただ謝るほかない。なにせ彼女だけ、この二ヶ月ただこの苦行を眺めているだけだったのだから。
いや、眺めているのもそれはそれで退屈ではないだろうか、と思うが。
「ま、付き合うわよ。アンタらの満足いくまでね」
「……チッ」
「だからなんで舌打ちすんのよ、なんで!」
――もしも師匠を放っておくと、何かしら僕に対しての抜け駆け行為を働きかねないと、フィーは考えているのだろう、というか、師匠ならやる。膝枕とか、膝枕とか。
そういうわけで僕たちはただただレベル上げに勤しんでいた。
「とにかく、もうそろそろ切り上げてもいいんじゃないの? ルエは位階が90越えたし、アンタらもこれ始める前のルエ並に位階上がったでしょ」
「私……は、そうかも……しれないけどなぁ」
「ぼぼぼぼぼくたちはもうすこしししししし」
「なのののののののののの」
「解ってる! 解ってるから!!」
振動しながらも、僕たちは二人にまだ続けることを伝える。確かに師匠はレベルが90を越え、そろそろ切り上げてもいいかもしれない。
だが、僕とリリスはまだ位階が80に届いたというところ。せめて90には載せておきたかった。
可能ならカンストさせたいが。
「というか、位階の上限到達しちゃったら、これ以降の人生位階はどうあってもあがらないのよ? もったいなくない?」
「なんか君が言うとそうだね、としか言えないな」
――実際にどれだけ魔物を倒しても位階が上昇しない代表、フィーは心配そうに僕たちに言った。
「っっとおお! っし」
位階が一つ上がったことを確認した僕が、一度振動を切り上げて大きく息をつく。フィーから僕にも飛んできた飲み物を受け取りながら、僕は言う。
「まぁ、位階は90まで上がれば最低限ではありますね。ここからの相手は、基礎スペックいくら上げても焼け石に水みたいなところはありますし」
「……だよなぁ。聞いちゃいるけど、大罪龍を倒したら、次は位階が上限にいっていることが最低条件になるんだろ? 普通に厳しいよ」
なにせ大罪龍を撃破すればでてくるのは、インフレによって位階カンストが最低レベルになる環境だ。根本的に、僕らは何かしらのテコ入れが必要になる。具体的にはスクエアのような。
その上で、ある程度通常の状態でも打ち合えるようにもしておきたい。
なので、下限としては90まで位階をあげることが、今の目標になるわけだ。もちろん、テコ入れの方法はいくつか考えてある。
「なのーん!」
そうして休憩していると、リリスが魔物を倒して、こちらに加わってきた。最後まで頑張っていた彼女を労いながら、僕らは更に言う。
「どちらにせよ、しばらくはこのまま位階上げだよ。なにせ――」
「――ふんどりゅー、どこ行ったのー」
未だに、憤怒龍が行方をくらましているのだから。
「ほんっと、どこ行ってんだか。もう既にアレは回収してんでしょ? あいつ」
「ああ、快楽都市の概念使いに確認してもらったからな」
――現在、僕たちはパワーレベリングに励みつつ、快楽都市の人間を金で雇って、憤怒龍の捜索をやってもらっていた。いくら時間があると言っても、これまで僕たちがやっていると、時間がいくらあっても足りないのだ。
そういうところは、人海戦術を使うに限る。快楽都市にやってきた理由はここにもあった。
「ともかく、今日ももうひと踏ん張りです。あと一つくらい、レベルが上がってくれればいいんですけどね」
「さ、流石にもうちょっと気合い入れないと難しいのー」
多少休憩を終えたら、僕らはまたレベルアップバグをするために、標的を求めてさまよい始める。
「じゃ、いくわよー。
――フィーが仲間に加わってくれたおかげで、速度低下バフのうち、一つはフィーが当ててくれればよくなったのは、少しだけ楽ができた。
「これで、他の場所でこれができたらな……!」
「どうも、ゲームではここでしか出来なかったバグだから、この世界でも、今の時期のこの場所でしかできないみたいなんですよね……!」
――まぁ、本当に少しだけなんだが。
飛んできた鉤爪の衝撃にノックバックを受けながら、僕らは今日も、狂気的とすら言える作業へと、戻っていくのだった。
◆
――次の日。思ったよりも順調に進んだ結果、強引に1レベルアップまで頑張ることとなり、一夜を平原で過ごすことになった僕ら。
そうして明けて、今日は一日休もうということになった。
ので、快楽都市へと戻ってきたのだけど。
「――なんか、騒がしいの」
くんくん、とリリスが鼻を鳴らしてそうつぶやく。
「……そうか?」
「アタシに聞かないでよ」
――残念ながら、それは快楽都市を本拠地とするリリスにしかわからない感覚だった。
「……むしろ、人が減ってるように見えるけど」
そして、それは師匠の言う通り、僕たちには逆の印象を抱かせる。それはそうだ。いつもと比べて明らかに人の通りが減っている。むしろ人は少ないくらいなのでは? と思うが、リリスは首を横に振る。
「んーん、違うの。普通ならそうかもしれないけど、快楽都市は基本的にぼっちぼっちだからー」
「個人主義……ってことか?」
なるほど、と頷く。逆なのだ。多少のことでは快楽都市の人々は動じない。だからつまり、
「騒ぎになる程、人がどこかに集まってるってことか。これは」
「そーいうこと!」
「はぁー、ここってほんと変なところね」
不思議なところだ。活気も、生気も、この街には暴力的なまでに満ち足りている。悪徳はある。しかし腐敗はない。欲望はある。しかし侮蔑はない。奪われることも、奪うことも等しくここでは許されている。
今も、人気の少ない街では、物陰でこそこそと、何かを盗もうとしているのか、人影が見える。
そんなことは既に予想済みだったのか、漁っていた人影は足元にあいた落とし穴から、どこへともなく消えていった。通りかかって、見れば底が凄まじく深いようで、概念使いでなければ助からず、概念使いであれば生命だけは助かるが逃げることは敵わなくなるだろう。
快楽都市では当たり前の、日常的な光景だった。
「まぁ、トップが色欲龍なんだから、そりゃあ変にもなるだろう。色欲龍が信仰されて祭り上げられて、荘厳な教会にご神体として収まってる姿が見たいか?」
「見たいか見たくないかで言えば、超見たい」
「それもそうか」
まぁ、でもフィーがそう言うくらい、色欲龍に真面目って言葉は存在しない。
「でもねぇ、あいつ、考え方はそこまで変じゃないのよ。色欲に狂ってはいるけれど、でも、性欲が強いってだけで、善良っていうか、まともな考え方をしてると思うわ」
「……ちょっと人の色恋に口出しすぎな気はするけどなぁ」
――快楽都市にやってきて、色欲龍と顔を合わす機会は一度や二度ではない。僕らは有力な概念使いのパーティで、あちらはこの街のトップなのだから。
フィーとの関係もあることだしね。
そんな中で、色欲龍は一発で師匠の恋心を看破してきた。まったく師匠が態度に出していないにも関わらず、あった途端に、好きな人が出来たと指摘されたのだ。
だから、師匠はそういう印象を抱く。無理からぬことだった。
「世話焼きなのよ、ほんとにお節介なんだから」
「まぁ、なんというか、この街を見ていれば分かるよ。ズレてはいるけど、間違いなくここには色欲龍の愛がある」
――そして、その愛を一身に受けて育ったのがリリスな辺り、ここがどういう場所かを端的に表していると言ってよいだろう。リリスは快楽都市の体現者だ。
……それは褒めているのか?
なんて、話をしているときだった。
「あ、見つけたッス! 紫電御一行!」
ふと、声がする。
どこかハスキーな少女の声だ。振り返ると、人通りの少ない道の中央に、僕たちを指差している少女がいた。ポニーテールで、髪の色はアルケと同じ感じの燃え盛る赤。
彼女は――
「――イルミ、どうしたんだ?」
師匠が問い返す、彼女と師匠は顔見知りだった。
「ちょっと探してたッス、来て欲しいッス」
――イルミ。概念使いで、概念は『幻惑』。幻惑のイルミと呼ばれる彼女は、この快楽都市に所属する概念使いだ。師匠とは顔見知りで、僕たちとも会話を交わしたことはある。
悦楽教団――色欲龍の宗教組織――出身ではない、快楽都市在野の概念使いで、普段は快楽都市に舞い込む依頼をこなす傭兵のような仕事をしている。
で、彼女が何なのかといえば――彼女こそが、負け主が本来の歴史で出会う概念使いであり、簡単に言うと負け主のヒロインである。
師匠を亡くし、快楽都市へやってきた負け主と出会い、行動をともにすることとなった概念使い。
これまで何度か話に出てきた概念使いが、そこにいた。
そして、であればつまり彼女はアルケの妹である。色々と、負け主とは縁深い少女だ。――まぁ、僕とは本当に顔見知り程度の関係でしかないのだけど。
ともかく、そんなイルミの後に続いて僕たちは進む。どうやらイルミは、現在快楽都市を騒がせている事件について、僕たちの協力を借りたいようなのである。
なんだなんだとついていってみれば――そこには人の山。
人だかりなんていう、快楽都市では珍しいにも程がある現象だった。それを踏み越えて、そこにあったのは、なんというか干物だった。
端的に言うと、
「――干からびてるの……」
リリスが手を合わせながら言う。何者かに搾り取られて、干からびている男性がそこにいた。なお、他の女性陣はドン引きしていた。
「……これ、もしかしてエクスタシア?」
「いえ、これは昨夜の出来事なんスけど、その夜色欲龍サマはアリバイがあるッス。バッチリ信者の相手してたッス」
「そっかぁ……」
遠い目をするフィーを横目に、僕と師匠がその事実に意識を向ける。
状況は簡単に言うとこうだ。まず、今朝、この場で干からびた男性を通行人が見かけた。色欲龍に絞られたかと思い、話を悦楽教団に持っていったところ、色欲龍にはアリバイがあったという。
であれば、これは一体? 怪訝に思った教団のトップである理念のゴーシュが、調査を命令。同時に僕たちにも話を持っていったほうがいいだろうという色欲龍の言葉で、現場を保全したまま、こうして僕たちを待っていたわけだ。
『色欲龍にアリバイがある』にも関わらず起きた、『男性の搾り取り事件』。こんな盛大に男を絞ることができるのは、世界において色欲龍以外に存在しない。であればこれはいったい……?
――僕たちは、その答えに心当たりがあった。
そしてそれは、
「……意外、といえば意外でしたね」
「マーキナーの介入……だろうなぁ」
僕と師匠が口々に感想を漏らす。
心当たりとは、すなわち――
「――
――マーキナーの介入によって、本来ならば目覚めるはずのないエクスタシア・ドメインが目覚めたことを意味していた。
「……あ、あの、ところでそろそろここから離れてもいいですかね?」
――干からびていた男性から、恥ずかしそうな声が漏れた。
生きてたのか……
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