95.僕たちは勝利した。

 ――リリスは言った、あなたを信じてあげて。


 僕はそれが出来ただろうか。

 傲慢龍との戦いを終えて、僕たちの旅は折返しを過ぎたところだ。残る大きな敵は、マーキナーとその部下。それらを下し、戦いを終えるその時まで、僕は僕を続けられるだろうか。


 先へ進めと、傲慢龍は言った。


 進むためには、力が必要だ。それは心から湧き上がってくるもので、心が持たなければ、僕は立ち止まってしまう。それは、自分が信じられなければ、どうしようもないものだ。


 ああ、でも。


 もしも信じられなかったとしても――僕には、背中を押してくれる仲間がいるのだと、先に進ませてくれる人達がいるのだと、そう理解したから。


 ――僕は、そうして。彼女たちの元へと、回帰するのだ。



「――ん」



「あー! 起きたの!」


「ちょっと、もう少し静かにしなさいよ」


「む、むううううううううう」


 パチリ、と目を見開いた。――えっと、僕を見上げるように、リリス、フィー、それから師匠。師匠は何故かとてつもなく悔しそうにしているけれど。

 何があったんだ?


 ここは――そうだ、傲慢龍の棲家、白磁の宮殿。頂の痕。

 そして、傲慢龍との決戦の場所。


 僕は、傲慢龍に勝利した後、そうだ。いよいよもって限界を迎えて、倒れて、それから――こうして、彼女たちがやってきたのだろう。僕は、大きく息を吐き出すと、それから起き上がろうとして――今、自分の置かれている状況に気がついた。


 これは、


 されてるな?


 ――膝枕。


「もう、そのままにしてなさいよ。アンタ、死にかけてるのよ?」


「い、や。もう死にかけてないし……キミがしたいだけだよな? 膝枕」


「何のことかしら」


 しているのは、フィーだった。

 そして、少し離れたところで師匠がむくれていた。リリスは僕の顔を覗き込みながら、変顔をしている。いや、にらめっこはしないぞ?


「なんでそんな早く起きるんだよ!!」


「いや、そんな事言われましても……」


 どうやら、三人はじゃんけんで、僕を膝枕する順番を決めていたようだ。でもって、一人目のフィーが膝枕をしたところ、すぐに僕が目覚めたせいで、後に回った師匠が膝枕できなかった……と。

 いや、それで僕にどうしろっていうんだろう。


「ふん、アンタの膝なんてかたすぎて、床となんにも変わらないわよ」


「言ってはならないことをいったなー!?」


 怒る師匠と、ほくそ笑むフィーを見ながら、僕は彼女たちの気配を近くで感じる。ああ、なんというか、帰ってきたのだ、彼女たちの元へ。僕は、生きている。


「――と、そうだ。傲慢龍は? どうなった?」


「ん――」


「ええっと」


 それに、睨み合っていた師匠とフィーが同時にこちらへ向く。なんと言えばいいのか、というような反応。ああ、ということは――


「それはこっちのセリフなのーん。傲慢龍どこにもいないの、貴方が残ってたの。勝ったとは思うけど、実際どうなったのかさっぱりなのー!」


 リリスの言う通り、彼女たちがやってきたときには、既に傲慢龍の姿はなかったというわけだ。不思議な話だ、あれだけ存在感を放っていた大罪龍の頂点が、誰にも看取られることなく、消えていく。――いや、十分やつとは、それまでに言葉を交わしたけれど。

 送り出されもしたけれど。


「……勝ったよ、僕も傲慢龍を拳で殴り飛ばしてからの記憶はないけど」


「いや、なんで拳で殴り合ってんのよ……」


「男ってそういうもんだよ」


 想像もつかない事態だったのか、フィーがいやいや、と反応するけれど、まぁ師匠の言う通りだ。というか、事実なのだからしょうがない。


「でも」


「でも?」



「――先に進め、と背を押されたよ」



「……ん」


 それを聞いたフィーが、なんだか感慨深げに僕の頭を撫でる。視線は、僕が向けている先――傲慢龍が消失した跡へと向いていた。

 痕跡は、もう何も残っていないけれど、


 そこに確かに、奴はいたんだ。


「なんていうか、不思議よね。他の大罪龍もそうだけど、さっきまでそこにいたのよ、プライドレム。目の上のたんこぶみたいな奴だったし、アタシのこと見下しまくってたけど」


「うん」


「――いなくなるなんて、これっぽっちも思ってなかった。ましてや、アタシたちがそれをするなんて」


 実感が湧かないという様子で、フィーは言う。致し方ないことだろう。フィーにとって、傲慢龍はいて当たり前の存在だったのだ。

 そして、それをどうにかすることは自分にはできなかった。


 だからそれが、永遠に続くのだと。それが変わることはないのだと、ある意味どこかで諦めていて。


「……本来の歴史のアタシも、こればっかりは同じことを思ったんだろうな」


 どこか、感慨深げに、フィーは吐息を漏らした。


「決して、寂しいってわけじゃない。悲しいってこともない。せいせいするし、やってやったって気持ちが強い。でも、どうしようもなく現実感がない」


 嬉しいとも、辛いとも違う。フィーの顔には、不安があった。小さな不安だ。決して大きなものではない。それでも、たしかにそこにある不安。


「――これから世界は大きく変わっていくのね」


「概念使いが世界を支配して、それから、人と概念使いが歩く時代がやってくる……やっぱり、怖い?」


 フィーは、その時代の中で翻弄されて、最後には堕ちていった。この世界ではそうはならないだろうけど、けれど、フィーという個人に対して、世界が牙を向く時は、こないとも限らない。


 故に、不安があっても、不思議ではない。


「……ううん。怖くは、ない」


 ああ、でも、けれど。僕たちは、傲慢龍の跡を眺めながら、



「アタシたちが、変えたんだわ」



 その終わりを、そして始まりを、実感するのだった。



 ◆


「ねーねー、これからリリスたちどうするのー?」


 ――白磁の遺跡を歩く。僕も回復し、あるけるようになれば、後はここから帰るだけだ。その道中に、リリスが僕の顔を覗き込んで、問いかける。


 これから、か。


 僕たちの旅は一つの大きな節目を迎えた。残る大罪龍は二体。どちらも、。だから、僕たちはここで、一息つくことができるのだ。


 とはいえ、


「憤怒龍がどこにいるか、わからないからなぁ」


「なのねん」


 ――一番の大問題がそこだった。いや、本当にどこ行ったんだ? まぁ、一応推測できるところはあるけれど、正直なところ、僕らにを止める手立てはないので、どうしようもない。


 なのでまぁ、


「一度、快楽都市に行こう」


「エクスタシア様のところにいけるのー!」


「エクスタシア様……い、いやう、うん……!」


 いきなり出てきた、仲間に様付けされる親友という単語にフィーが反応する。いや、気持ちはわかるけど、一応リリスはエクスタシアを主神とする宗教組織の一員だからね?

 シスター服は伊達ではないのだ。


「相変わらず慣れないよなぁ、エクスタシア様」


 つぶやく師匠に苦笑しながら、僕は話を戻す。


「憤怒龍が見つかるまで、正直僕たちとして出来ることがない。色欲龍の星衣物が目覚めるには、憤怒龍が何とかなってからだ」


「っていうか、スローシウスをなんとかしてから、その星衣物が出てくるまでに三百年だか二百年だかかかったのよね? こっちでもそんだけかかったらどうするのよ」


「……まぁ、仕方ないんじゃないかなぁ」


 なんとなくそんなことはないと思うけども。マーキナーとしても、三百年も僕たちに時間を与えたくないだろう。おそらくは、星衣物に介入して目覚めさせるのを早めるはずだ。

 それに、三百年も経てば百夜が復活するだろうから、そうなれば色欲龍の星衣物は問題にならないはずだ。


「それだと、快楽都市に行く理由はなんなのー? 里帰りさせてくれるの?」


「まぁ、それもなくはないけど、用事があるのはそのすぐ側の平原さ」


「――ああ」


 師匠がそれで察して、遠い目をした。……うん、まぁ予想通りです。大変申し訳無いですけれども、傲慢龍を撃退し、時間に余裕が出来た今、僕たちはそろそろ、をもう一度しなくてはならないのだ。

 それも今度は、本格的に。


「……フィーちゃんはどうするの?」


「フィーは既に上限に達してるから、必要ないなぁ」


「ず、ずるいのー!」


 叫ぶリリスに、困惑するのはフィーの方だ。彼女は一人だけ、それを経験したことがない。そのうえで経験する必要がないともなれば、リリスの反応はもっともだ。


「え、いや、何の話よ」


「……フィーちゃんには関係ないの。なのなのー」


 ぶーぶーといいながら、リリスは先をゆく。楽しみなことと、楽しみではないことが同時に襲いかかってきたのだ。その顔はなんとも複雑そうである。


「ま、別にいいのー。これも必要なことだから、リリス我慢できますの」


「……相変わらず、キミは大人だな」


「子供扱いも、してほしいの」


 ぷんすこ、と起こるリリスはたしかに子供っぽいが、どこか自分の強みを理解したあざとさにも感じられる。感覚派ではあるけれども、頭はいい。計算してそういう行動が取れるが故に、

 リリスは、そういう人間だ。


「それじゃあ、ね?」


「……どうした?」


 お願いがあるの、とリリスは僕の前で向き直る。その顔から、真面目な彼女の表情から、なんとなく内容は察しが付くものだったけど。

 でも、リリスはこちらをまっすぐ見ていた。


 僕もそれに、答えて正面から向き合う。


「快楽都市に帰ったらね? 付き合って欲しいところがあるの。皆にも」


「うん」


 師匠も、フィーも、リリスの方を見て、足は止めない。前に歩くことは、止めてない。


「おかーさんのお墓に、一緒に来てほしいの」


「もちろん」


 それは、言うまでもないことだろう。

 里帰りで、そしてなにより凱旋だ。誇るべきことを成し遂げて、リリスは大事な故郷に帰るのだ。それを僕たちが拒む理由なんてない。


「いっぱい、自慢話をしてあげような」


 僕がそう呼びかけて、



「――うん!」



 リリスは、年相応の無邪気な笑みで、それに応えるのだった。



 ◆



「――じゃ、行くの!」


「またこれ……? あ、もう、わかってる、解ってるわよ、今度は自分で行くから……!」


「一応、憤怒龍が帰還してる可能性もある、連戦になるかもしれないから、警戒は怠らないで」


 ――白磁の遺跡、入り口。

 僕たちは、最初にたどり着いたこの場所から、下界を見下ろしていた。といっても、雲に覆われたその場所は、特に下が見えるわけではないのだけれど。


 帰りはここからのダイブ。下は奈落よりも深いけど、基本的に落下ダメージを概念使いや大罪龍は受けないので安心だ。


 で――


「うん、じゃあ……よし、いくわ――」


「ドーンなの!!」


「なんでよおおおおおおお!」


「やりたかっただけなのーーーーー!」


 心の準備を終えた途端に、リリスがフィーに抱きついて二人まるごと落下していった。本当にやりたかっただけだと思うが、まぁ喧嘩は空中で二人で思う存分やってほしい。


「――で」


 そうして、師匠が飛び降りる直前に、遺跡へと振り返る。


「勝ってしまったわけだなぁ、私達」


「そんなに信じられませんか?」


「信じられないとも。この世界の、今の人類で傲慢龍は倒せない。私が一番それを良く知っている」


 ――いや、それは、どうなのだろう。

 アルケと、ラインと、それから師匠。そしてシェルなどが成長し、大罪龍に挑めば、勝つことは不可能ではないと思う。傲慢龍を、というのは難しいかもしれないけれど。


「今の、だよ。私達では時間が足りない、ラインは直に衰えが先にくる、概念化している肉体はともかく、心はな。老いれば相応に弱っていくものだ」


「シェルとミルカを待つというのは?」


「妥当なところだなぁ。数年まって、憤怒龍あたりを攻略する。――誰一人、欠けていなければな」


 ――それは、難しいだろうな、とも思う。

 実際の歴史では、師匠もアルケもラインだって決戦の前に死んでいた。三人が道を作ったからこそ、シェルと負け主は次に繋ぐことができわけだが。

 少なくとも、それはいくつかの偶然が必要だった。暴食龍に対して非常に有用な衣物と概念起源を身に付けて、それでもなお死闘だった戦いを乗り越えて。


 強欲龍にしたって、勝利することはできていない。


「勝てるとすれば、次の世代だ。概念使いの数も増え、私――とまでは行かずとも、ラインやアルケクラスの概念使いが数を揃えられるようになれば、憤怒はおろか、暴食も強欲も不可能ではない」


「……事実、そうして本来の歴史では、集まった英雄たちによって、暴食と憤怒は倒され、傲慢まで手を伸ばしたわけですからね、人間は」


 流石にそこは、現行の世代で最強の力を持つ師匠。人類の状況を、おそらく世界の誰よりも理解出来ているだろう彼女の言葉は正確だ。

 師匠たちでは敵わなかった大罪龍の討伐を、負け主たちが成し遂げて、そして次の世代で、傲慢龍すらも討伐した。今は無理でも、何れは、と。


 ――そんな時代に、僕はこの世界にやってきた。

 やろうと思えば、僕は人類が力を付けるまで、身を隠すことだって出来た。負け主というこの時代の重要人物を一人欠いた状態で、歴史がそのまま進むかは、怪しいところではあるけれど。

 でも、どちらにしたって、しなかった。


 僕は救いたかったのだ、ひっくり返したかったのだ。


 そして、その結果が師匠であり――


 ――ある意味の終着が、傲慢龍だ。


「これで、大罪龍との戦いも、ほぼほぼ終わり、か」


「まだ憤怒と色欲が残っているとはいえ、そろそろ次も、見据えなければいけませんね」


 残る二つのうち、一つは人類に協力的で、もう一つは大罪龍の中では最も攻略が容易であろう大罪龍だ。なんなら、僕がいなくとも、勝利が見込める大罪龍である。


 故に、余裕ができた。次への準備を、僕たちは始めなくてはならない。


「機械仕掛けの概念、か」


 つぶやく師匠は、どこか実感が伴わないというような声音であった。まぁ、無理もないとおもう。大きすぎるが故に、実感がわかないのか。遠すぎるがゆえに、理解が及ばないのか。


 いや、どちらでもいい。僕に言えることは唯一つ。


「――そいつは、既に越えた壁です。かつての歴史で人類が。


「とはいえ、それと同じ手は向こうも食わないだろう」


「だから、方法は変えます。そのうえで、変えた方法でも勝てるように僕たちは頑張るんです」


 そうだ、僕はもう、選んだんだ。逃げないことを、前に進むことを。


 後ろの道は既に崩されて、進むにはボロボロの一本道をがむしゃらに突き進まなければならない。失敗は一度として許されず、敗北は絶対に認められない。


 それが覚悟で、それが執着だ。


「――進みましょう、師匠」


「……ああ、そうだな。今なら、傲慢龍も背を押してくれそうだ」


「それは――どうでしょうね?」


 僕は少しだけ、そうではないという気がしている。

 なにせ、


「あいつと僕は、決着をつけなきゃいけないんです。だからもし、もう一度奴が僕の前に現れたとして、手を貸してくれることはないと思いますよ」


「そうか?」


「はい、よっぽど特別な理由でもない限り」


 ――蘇れば、即座に僕らは殺し合うことになるだろう。それはなんというか、マーキナーが控えているのにやることではない。


 だから――


「だから、僕は先に進むんです」


「……そうか、わかった」


 師匠はそう言って、空中へと足を踏み出す。


「行こう、私達も、そこにいる」


「――ええ」


 ああ、だから傲慢龍。


 最後に一度だけ、後ろを振り返り、僕は思う。


 今はただ、眠れ、傲慢龍。アンタの意思は、アンタの思いはここにある。変わらずここに、絶えることなく心のなかに。


 ――僕は、そして。



 先に進んだ。

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