EX.エンフィーリアの冒険(一)
――一人で旅をする道は、とてもとても、遠く思えた。
アタシ、嫉妬龍エンフィーリアは大罪龍、魔物たちの頂点で、一人で入れば魔物に襲われることはない。だから、その歩幅は軽快で、最初のうちは、皆と旅をしている時より数段早く、足を進めていたのだけど。
ふとある時から、休憩が増えていることに、気がついた。
なんだか胸にのしかかる重い感覚が煩わしくて、急に足を止める。そのまま少し考えて、道の脇に座り込んで、空を眺める。
人と行き交うことはない。もともと人なんてほとんどいないし、この時代、一人での旅は無謀を通り越して不可能だ。だから、今人と出くわすと不自然になる。万が一を考えて、よほどのことがなければ、人の道は避けて通っていた。
今は、そうも行かないけれど。
――山奥の道を進んでいた。先に進むにはここしか道がなく、だから避けて通るわけには行かない。ただ、ここを通る者はいない。そもそもこの道が結ぶ集落は、すべて大罪龍と魔物に焼き払われていた。
「あっちはグラトニコスで、こっちがグリードリヒかな」
人を襲う大罪龍なんて、そもそもその二体くらいだけど。よりにもよって近くの集落が、それぞれ別の大罪龍に狙われるなんて、不幸としか言えない。
自分がそれと同じ存在だからって、そのことを気に病むつもりはないけれど、ちょっとやるせない。
「どっちにも襲われたなんて人も、いるのかしら」
そう考えて、いるのだろうな、とアタシはため息をつく。
一人で旅をすると、余計に大罪龍の足跡を見つけて、なんというか、心に来る。それは罪悪感ではなく、怒りとか、そういうものに近いだろうか。
いや、違うかな。
ホッとしているんだ、アタシは。
自分はああいうことをする存在じゃなくてよかった。
そう思う根源は、嫉妬なのかもな、とも思うけれど。アタシはそもそも、そんな事ができるほど余裕がなかった。そりゃあ、普通の人間が束になっても負けるとは思わないけど。
――アタシたちがこの世界に現れて、そろそろ百年。正確には八十年だったかな? そのくらいの時間が経って、概念使いは強くなってきた。
ルエはバグみたいなものだけど、ラインやアルケのような、コミュニティ一つをまとめる旗頭になるだけの強さを持ったやつ。
そんな奴は下手すると、単独でアタシを倒せるかもしれない。
流石に、概念起源の一つでも使わないと、っていうのはあるけれど。それなしで勝てるのは、それこそあいつくらいよね。
だからまぁ、アタシは弱い。そんな弱いやつが人類の敵に回っても、特に印象にも残らず、どこか知らないところで倒されるだけ。
アタシが敵に回る意味もない。だからアタシはグラトニコスのようにはならなかったのだ。
「一体だけなら、あいつもアタシと変わらないはずなのにな」
正直、グラトニコスは羨ましい。
あいつは、おそらく大罪龍の中で最も敗北に近い存在だ。常に負ける可能性があり、人類が総力を結集した場合、あいつはきっとそれに勝てない。
数を誇るが故に、同じ数では人類に敵わない。
だというのに、あいつは人類の敵に回った。回ることに、躊躇いすらないようだった。
――あいつと直接顔を合わせたことは、二回ある。基本的に、アタシたち大罪龍の間に交流はない。一箇所に集まって話をすることもないし、理由もない。
ただ、一時期、交流が生まれる時があった。
生まれてすぐの頃だ。生まれてすぐ、アタシたちは世界に自分だけで放り出された。今のように棲家はなくて、それを探すところからアタシたちは始まった。
その間の人類への襲撃はそこまで行われていなくて、グリードリヒが好き勝手自分の欲望のままに動いていた程度。
棲家になり得る場所は限られていて、必然アタシはグラトニコスとブッキングした。それが始めての会話。結局その場所はどちらもお気に召さず、アタシもグラトニコスも棲家にせずに去った。
次に、これからアタシが向かう場所。
そこでグラトニコスは、プライドレムに襲撃されていた。プライドレムが序列をはっきりさせるため、配下として他の大罪龍を効率的に使うため、そうしていたのだ。
そんな現場に、偶然出くわした。本当に偶然。多分父様もそんなところまで、アタシ達の行動を誘導したりはしないと思う。
結果はまさしく蹂躙だった。
グラトニコスは強い、けれどそれは数の強さだ。常に無敵であるプライドレムに勝てるはずもない。強力な個によって、グラトニコスはなすすべもなくやられた。
そして、配下に加われと言われたグラトニコスは、どういうわけか不思議なことに――
――それを快諾したのだ。正直、その時の奴の気持ちは、アタシにはさっぱりわからなかった。少なくとも、その場では。
ただ、今ならなんとなく分かる。
あいつは、きっと――
「っていうかそうだ。あの時も一人旅だったじゃん。なんで忘れてたのよ」
そしてそこでふと気がつく、思い返してみれば、そもそも一人旅というのははじめてではなかった。棲家を探す間、アタシは基本一人で旅をしていたのだ。
よく、エクスタシアに絡まれていたけれど、基本は一人だった。
「でも……あのときはそれでよかったのに」
その時、アタシが探していたのは、一人になれる場所。
けれども今は、
「――今は、アタシ。一人でいるのが嫌なんだ」
それを、大罪龍が見れば弱くなったと笑うだろうか。目的地に待っているグラトニコスは、きっと笑うだろうな。
そしてそれは、むしろそのほうが、アタシはあいつらとは違うと実感できて、アタシとしても助かるのだった。
◆
歩みが遅れる原因が人恋しさにあると解ってしまうと、どうしてもそれを慰めたくなるものだ。山奥の道を抜けて、まだ集落が無事な地域にやってきた。
この辺りは、今までアタシたちが活動していたあたりと比べると被害が大きい。
そもそも、集落を守ってくれる概念使いを派遣してくれるところが近くにない。ライン公国にしろ、快楽都市にしろ、怠惰龍の足元にしろ。
今は、そういうのがないところに、あまり人は住めなかった。
それでも残っているこの集落は、概念使いが優秀なのだろう。そう思って、私はフラフラとその集落に引き寄せられた。買い出しに一人で出ているといえば、単独で動いても怪しまれないだろう、そんな程度に考えて。
「――出ていってくれ」
集落に入るなり、開口一番それだった。
概念使い、羨望のエンフィーリアと名乗り、それが嫉妬龍に繋がらなかったことから、大丈夫だろうと判断したが、彼らはそっけなかった。
「概念使い? ふざけるな、化け物と何が違う。近づくな、汚らわしい」
「い、いや、何言ってんのよ、概念使いがいなけりゃ、こんなところで無事に生活できるわけ――」
「違う、我らを守ってくださるのは聖女様。概念使いなどではない」
「え? それ概念使いじゃ……」
「ふざけるな!!」
アタシがそうつぶやくと、周囲から怒号が飛んだ。なに、なに、なに? 意味わからない、わけがわからない。困惑したまま、完全に敵に回ってしまった村人たちをそれ以上刺激したくなくて、アタシは何も言えずに、その場を後にした。
しばらく一人で困惑して、それから何とか状況を飲み込んで、理解した。
聖女様っていう概念使いが、村人を騙してあそこに居座ってるんだ。どこかから追われて来たのだろうか。もしくは、その聖女様自身が自分を概念使いと認めたくないとか。
でも、何にしたって、それで村を守って人々を活かしてるわけだから、これも概念使いの一つの在り方よね?
と思って、人の情緒ってやつに疎いアタシは、そういうこともあるのかと、それについては納得した。まぁ実際は、よくよく考えればだいぶおかしな部類には入るのだけど。
とはいえ、その点に関しては、そもそも気にする余裕もなかった。
――拒絶された。
なんというか、久々の経験だった。旅をしている間に、概念使いであることを疎まれることは何度かあったけれど、それは周りに仲間がいれば気にならなかった。
けど、一人だと、後に引いた。
最初のうちはまぁそんなもんよね、って流せたけど。だんだん一人でいるうちに、そのことがなんとなくアタシの足取りを重くしたんだ。
やがて、アタシが足を止める機会は更に増えた。かなりのハイペースでは進んでいるけれど、それにしたって休憩が多い。普段の2倍くらいで進んでいたのが、今では1.5倍くらい。とてもじゃないけど、進めてないな、と思った。
でも、どうしても思うのだ。
拒絶されるのが怖い。失うのが怖い。おかしな話である。
アタシは嫉妬龍、手に入らないから人を妬み、持っていないから人を羨む、そんな大罪に苛まれたアタシが、今は失うことを怖がるなんて。
どうかしている。
あいつに会いたい。
あいつがいれば、寂しいなんてこととは一生無縁でいられるのに。
――アタシの大好きな人。世界で一番愛してる人。
強引で、むちゃくちゃで、無理ばっかりするけれど、一度だってアタシの信じるあいつを、裏切ったことはない。というよりも、あいつ自身が、あいつを裏切りたくないんだと思う。
心の底にあるものを、曲げたくない奴。それがアタシの一番好きなアイツだった。
あいつは、気にしないんだろうな。
別の世界から来て、なんとなく実感が湧かないと言うか、経験がないということもあるのだろうけど、もしもそういう場面に直面したとして、変わらず前にすすめるのが、あいつの強さだ。
アタシなんて、こうして何度も立ち止まっているのに。
あいつはいつも、変わらずに。
アタシの前に、いてくれてたんだ。
それでも、前に進むことを止めたりしなかったのは、あいつが待っていてくれるからだ。
この先に、グラトニコスを倒したアタシを、目一杯褒めるために。なんて、うぬぼれ以外の何物でもないけれど。
アタシは前に進んだ。
その先に、あいつの背中があったから。
やがて、だいぶ足を進めて、もうまもなく。決戦の舞台に、アタシは辿り着こうとしていた。
◆
――きっと明日は決戦になる。
それまで、昼夜問わず歩き続けてきたアタシだけれども、ここで一旦休憩を取ることにした。夜も更けて、前も見えないくらい暗くなって。
アタシには、それを何とかする大罪龍としての視界があるけれど。
その夜は、不気味なほどに、暗かった。
月も星も出ていない。存在全てがあやふやになったかのような夜。アタシはカンテラの灯りを眺めながら、ぼんやりと横になっていた。
「明日は決戦か」
グラトニコス。
暴食龍は、最弱で、最強で。他にはない特性を持った唯一無二の龍。あいつ自身が言っていたけれど、翼竜という形態は他の大罪龍にはない姿かたちで、これもまた特殊。
何から何まで、ただ弱いだけのアタシとは、まったく別種の存在だった。
それを思い返して、ふと考えてしまう。
「――勝てるのかな、アタシ」
相手は満腹個体。つまり、最大で二体の暴食龍を相手にしないといけない。一方的に勝てる戦力差なら、分裂した二体のうち片方は逃げていくだろうから、楽なのだけど。
そうではないから、二体の暴食龍というのはアタシにとって単なる脅威にしかならない。
でも、スペックの上では勝っている。熱線の威力さえ除けば。だから、自分の戦い方をすればいい。これまで身につけてきたもので、あいつを倒せばそれでいいのだ。
けれど、でも、ああ、なんでかな。
「……怖いよ」
わからない。
怖い。
負けることが、ではない。戦いの果てに、どうなるかわからないのが一番怖い。アタシはあいつに勝てるの? あいつを超えられるの?
それだけの経験を、してこれたの?
わからないのだ。
だって初めてのことだから。
一人旅だけなら、初めてではない。でも、隣に誰もいない戦いは、きっとこれが初めてだった。だから、どうすればいいのかわからない。
私は不安で不安で、それが一向に収まらない。
「ねぇ、どうすればいいの。どうしたらいいの。どうするのが正しいの」
問いかける。問いかけたい。教えてもらいたい。
あいつに、アタシの大好きな人に。
きっとそれを、教えてくれるだろう人に。
ああでも、聞かなかったのはアタシだ。考えないようにしてきたのはアタシだ。何より、そもそもあいつはアタシに声をかけてくれている。
それでも足りないアタシがワガママなのだ。
ワガママで、嫉妬深くて、どんくさい子。
アタシ、だめな子だ。
こんなアタシで、いいのかな。
あいつの期待に、答えられるのかな。
わからないよ――でも、言えないよ。
助けて、なんて。ここに来て、アタシが言っていい言葉じゃないんだから。
ああ、でも。
けれども、
それは、
「――――ん、なんでないてるの、フィー」
どういうわけか、届いてしまうのだ。
アタシが連れてきた覚えのない存在。ずっと荷物の中で眠っていたらしい小さなお人形少女。
白光百夜が、のそのそと起きて、荷物の中から這い出てきた。
「敗因に、君を助けて……って、言われたのだけど。助けるって、これのこと?」
そう問いかける百夜に、思わず感極まって飛びついてしまったのは、後から考えると、大変お恥ずかしい話であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます