70.生きたいって、言え!!

 ――美貌のリリス。

 若干八歳にして、大人顔負けの概念使い。シスター姿の少女は、けれども信心というよりは、己の中の信念で前に進む少女だった。

 そんな彼女の起源は、母と二人、魔物の群れに取り残され、そこから生還したことだろう。概念起源の助けがあったとはいえ、人が体験するにはあまりにも大きな恐怖を乗り越えた少女には、それはもう凄まじいレベルの肝っ玉が備わった。


 けれどもそれは、が彼女を作ったわけではないだろう。彼女の根底にあるのは、その経験そのものではない。

 経験を共にした存在。


 今は亡き、母の姿があってこそ、リリスは今のリリス足り得るのだ。ならば、娘の目の前で生きることを諦める母の姿は、リリスには一体どううつる? かたるまでもなく、そこにあるのは怒りだった。

 理不尽に対する怒り、それに対する諦めへの怒り、そして何より、立ち止まることへの怒り。


 リリスは今、怒っていた。

 きっと、この場の誰よりも、怒って、怒って、怒っているから、リリスはリリスとして、終わってしまった理不尽へ、一歩を踏み込むことができるのだ。


「死ぬしかない? そのほうが百夜のため? の! あれだけ百夜に酷いこと言ったのに! 最後に出てくるのがそれなの!? 誤ってすらいないとか、それが親のすることなの!?」


「な、あ……」


「答えるの!!」


「い、や……僕は」


 アンサーガが目を逸らす。それは言葉に詰まって言い澱んでいるわけではない。。そしてそれは、言い澱んで結果、さらに膨れ上がる。


「言い訳なんざいらないの! 思うところがあるなら、まずそんなことよりさきに言うべきことがあるの! そんなことも解らないの!?」


「リ、リリス……」


 困惑するのは百夜の方だ。思わず縮こまるアンサーガの様子に、おずおずと口を開くと、


「百夜はちょっと黙ってて欲しいの!!」


「えっ、あ、うん」


 速攻で撃沈した。いや、百夜だって当事者だろっていう当たり前の感想も、今の怒り狂ったリリスに届くわけがない。それでいいのかって、それでいいのだ。だってそれくらいの勢いの方がないと、この二人の間には入っていけない。


「そ、れ、で! どうなの! 何か言うべきことがあるんじゃないの!」


「あ、う……」


 もはや何もいえなくなったアンサーガは、けれども別ににぶくはない。そこまで言われれば、リリスの言わんとしていることもわかる。ちらりと百夜の方を見て、そして、



「酷いこと言って、ごめんね」



 そういって、頭を下げた。


「…………」


「百夜、どうなの」


「ひゃっ」


 思わず、それを見て呆けていた百夜にリリスが呼びかける。完全に思考停止していたらしい百夜は、それで我に帰る。そうして目の前にいる頭を下げたアンサーガを見ると、ふと、笑みを浮かべて。


「うう、ん……きにして、ないよ。私の方こそ、ごめん、なさい……無神経、だった」


「百夜……」


 アンサーガは、少しだけ嬉しそうだった。ああ、これは僕でもわかるぞ、これは母として娘の成長を喜ぶ顔だ。謝る百夜は、それまでなぜ謝罪をするのかということもわかっていなかっただろうに。

 それでも、百夜は頭を下げた。変えたのは……リリスか?


「まずはよし、なの」


「まずは、なんだね」


 ふんす、と鼻息を荒くするリリスに、僕は苦笑する。いやまぁ、そりゃそうだ。まだ二人は和解しただけ、アンサーガの問題は、彼女の心は何も救われていない。

 ここからが本番であり、リリスとしても言いたいこと、言わなくてはならないことはここからのことに全て関わっているだろうと思う。


 さて、どうするリリス?


「それで、アンサーガはそもそも、どうして諦めるの」


「……いや、どうしてって言われてもねぇ。僕は君たちの敵で、敵で、敵なんだよ、君たちが前に進むのに、僕は邪魔なだけなんだぁ」


「それ、違うの」


 ずいっと踏み込んで、リリスは言う。


「正確には、貴方の道に私達が邪魔なの。でも、貴方はそれで根負けしたの、違うの?」


「…………そりゃ、そうだろうけどさ」


 勝ったのは君だろう、とアンサーガは唇を尖らせる。ふてくされた子供のようで、これじゃあどちらが母親かわからないな。

 というと、今度はリリスに怒られるのだが。


「じゃあ、貴方が諦めたのは、自分の意地が私達の意地に負けたからなの」


「くふふ、そうだねぇ。うん、うん、うん……強かったよ、君たち」


 じゃあ、次。

 リリスは続ける。


「次、貴方はどうして、期待されることを嫌がるの? 力を失ってしまうからなの?」


「…………性分、かなぁ。期待されてないことならやれるっていう、自負も、ちょっとあったかも」


「プライド、なのね」


 ――プライド。

 そうだ、アンサーガはプライドが高い。プライドの塊である傲慢龍と比べるほどでほどではないが、期待されていないことならできるということへのプライドは間違いなく強い。

 それは、強欲龍が強欲であろうすること。フィーが嫉妬を自分のものだと受け入れていること。それに近い。大罪龍――感情の権化に見られる特徴だ。


 アンサーガもまた、大罪龍に近しい存在である、というわけだ。


「それが結果として、皆を傷つけちゃっても、貴方は止まれない、のね」


「そりゃあそうだろうねぇ、止まる理由がないし、仮に止まるとすれば、それは誰かが止めてくれた時だけ。でも……さっきみて解ったろ、僕はそれを受け入れられない」


「――どうしてそんなふうに言うの?」


 どうして。そんな言葉に、アンサーガは肩をすくめた。


「……最初は、違った。大罪龍同士の子。あのプライドレムだって僕に興味があったし、期待されていた。それに答えられない事がわかったら、すぐに興味をなくされて」


 ――――アンサーガの始まりは、期待に満ちたものだった。

 父も、母も、傲慢龍も、――知る由もなかったけれど、マーキナーすら彼女には期待を寄せていて、しかし生まれてきたアンサーガは、龍でもなく、人でもない。不完全で、不確かな存在だった。

 その時点で、傲慢龍たちはアンサーガを見限り、


「父と、母はそうじゃなかったけれど、知っての通りエクスタシアは奔放な人だし、気にかけてはくれても、基本的には放任さ。好きにすればいい、ってねえ」


 エクスタシアは、良くも悪くもいい加減で、アンサーガのことにだって頓着しない。彼女は本人の性欲を除けば、良いものを良い、悪いものを悪いで済ませるタイプだった。

 終着が薄いのだ。


 ――対して、父、スローシウスはそうではなかった。アンサーガの面倒を見ると言い張って、彼女を迎え入れた。


「といっても、父も私に大きく干渉はしてこなかった。怠惰だもの、しょうがないよね」


 だから、アンサーガは孤独だった。

 幾ら自分のためにすべてを投げ出してくれる怠惰龍がいるといっても、それは有事の際。そうでないときに、積極的にアンサーガへ関わることを彼はしない。

 できない、と言っても良い。怠惰龍なのだから、当然だ。


 結果、アンサーガは一人で遺跡にこもって、そして――


「そして、同胞が生まれたんだったな」


 研究所を眺めながら、遠い目をする。今は外に出ているけれど、同胞たちはアンサーガの唯一の隣人だ。自分を受け入れてくれて、そして守ってくれる存在。

 ただ、キチンと意識があるわけではない。アンサーガの言葉に従う忠実な人形、それが同胞。


 それでも、いつしか研究所には同胞が増え始めた。そもそも、同胞とは衣物を作った際の失敗作だ。作り出したくて生み出したわけではない。それでも、彼らがアンサーガの孤独を慰めたことは言うまでもない。


「そんな時だった――百夜がのは」


「見つかった、なの?」


 アンサーガは百夜を生み出したい。母として、子を世に送り出したい。けれど、そもそも百夜はアンサーガの作品ではない。

 である。


「……ん、そう、らしい。器の試作品……未来の母様、そういってた」


「マーキナーが、そこの敗因を作る前に作ったサンプルなんだよ、そもそもの百夜は」


「試作品……なのね」


 なるほど、とうなずく。

 これは、そうだ。そもそも百夜もアンサーガも、僕に近しい存在である。年を取らない概念使い。そのうえで、アンサーガは人外同士の子供だから、年を取らない。

 対して百夜と僕は、年を取らない。


だからね、その前段階として百夜を作り――そして器として適さないから、と破棄された。それが事の経緯だよ」


 ――まぁ、この辺りは追々話そう。今は、神はだということを覚えておけばいいだろう。

 今はアンサーガの話だ。


「そして、百夜に僕は、魅入られた……のかなぁ。自分に近しい存在。ほんとうの意味での同胞。僕はそれが欲しかったんだ」


 そう言って、自嘲するアンサーガは、視線を落としながら、そして続けた。


「……寂しかった、んだろうね。やっぱり」


 と。


 ――それは、ゲームにおいても描写されていたことだ。アンサーガの孤独、期待されないが故の期待。優しさも、憐憫も、蔑みもなく。ただ隣りにいてくれるだけの存在。

 のだ。同胞という、自分の手の中から生まれた存在ではなく。


「同胞は子じゃない。同胞そのものだ。僕との間に差はなくて。そして結局は僕そのものだ。そして、そんな君がこうして僕の前に立った時――」


 やがて、百夜へと目を向けて。



「――僕は、僕としてしか生きていけないんだろうな、と。思ってしまったんだよね」



 端的に、そう言って。

 最期にアンサーガは、目を閉じた。



「だ、か、ら。どうしてそれでって結論になるの!!」



 ――そして、また、リリスが叫んだ。

 今度は、はっきりと、意思を強く前に向け、アンサーガに向き合って、正面から、まっすぐと。その声を、想いを、ぶつけるのだ。


「え、えぇ……」


 困惑するのはアンサーガだ。ここまで、あれだけ語ってきた諦める理由を、全部無視して、それを否定するのだ。

 もう、アンサーガにはリリスが理解できない。


「――貴方が諦めたのは、解ったの。リリス達が勝ったから、百夜の意地が頑張ったから。でも、それは貴方の否定じゃないの」


「……」


「貴方は負けただけ、リリスたちはの」


 ああ、それは……確かにそうかも知れないな。僕はそもそもアンサーガに対して言葉を投げかけてはいないけど、僕たちはあくまで同胞の暴走を止めて、アンサーガと和解したかっただけだ。


「むしろ、貴方はなんで諦めるの? プライドがあるんじゃないの? そもそも、だからリリスたちと敵対したんじゃないの?」


「それが折れたんじゃないのさぁ。もう、僕には何も残ってないってことなんだよ」


「それを――貴方が決めてどうするの!」


 叫ぶ。


「リリスたちが否定してないことを! 貴方が否定しちゃいけないことを! 貴方が否定しちゃうから諦めが生まれるの! 確かにリリスたちは意地をぶつけ合ったけど、貴方を否定したかったわけじゃない!」


「それは……」


「第一貴方も、! 貴方が嫌がったのは、貴方に対する無遠慮な干渉! 違うの!?」


「ちが――」


「違わないの! リリスたち、貴方のことを何も知らなかった! だからひどいことも言って! それで貴方が怒った! そこに何の不思議もないの! 知った今なら分かる。!!」


「――――」


 それは、あまりに強引が過ぎる言葉だ。でも、否定するには強すぎる言葉だ。強すぎるから――拒絶より先に、困惑が来て、


「折れてないなら! 否定されていないなら! 貴方はまだ生きたいの! たとえ貴方が死ななきゃいけない罪を背負ったのだとしても、生きてるなら。死んでないなら――」


 そして、その困惑に、リリスは、



 



!!」



 それは、



 ――ああ、リリスには。



 生きたくても、生きれなかった大切な人がいるのだったな、と。そう思い出すには、十分な光景だった。


「――――」


 ぽかん、と惚けるアンサーガは、けれど、目の前にあるリリスの瞳を、まっすぐ見つめ、やがてその顔に苦笑をうかべる。

 ――今度は、諦めというよりは、納得というべき、リリスを受け入れるような笑みだった。


「――リリス、だっけ?」


「なの」


「君はすごいね。そんな小さいのに、ああでも、君にそれは関係ないか。……ほんと、敵わないよ」


「年の話はえぬじーでおねがいしますの」


「くふふ、なんだいそりゃ」


 なんて、二人は少し話をする。


「一ついいかなあ?」


「何なの?」


「どうしたって、そこまで僕のことに拘るのさ。色々と君に思うところはあるのかもしれないけど、それでもここまで拘るのは、――やっぱり百夜のためなのかい?」


「んーん」


 それに、リリスは首を横に振る。え? と疑問符を浮かべるアンサーガへ、ただ一言。



なの!」



 元気いっぱいに、リリスはぴょん、と跳ねた。


「え?」


 アンサーガが完全に惚ける。

 ――それに、百夜が何やらすごく理解のある頷きをしている。百夜、リリスと二人きりのときに何があったんだい? いや、ここに来る前にも、リリスのは何度かあったけど。


「いやでも、あれだけ論理的に話をしてたじゃないか。だったらもうちょっとこう、何か……」


「なんとなくはなんとなくなの! なのなのなのん!」


「…………さっきまでのあの子をどこへやった!?」


 あうー、とつぶやくリリスに、アンサーガが吠えた。もはや完全に気の抜けたリリスに、先程までの知性はかけらも残っていない。

 悪いなアンサーガ、リリスの知性は長話にしか適用されないのだ。

 少しでも端的な説明を求めると、途端にIQが溶けるぞ。


「いや……いや……」


 首を振るアンサーガに、


 ぽん、と。

 百夜が方に手を載せた。


「リリス、こういうやつ。……私、学んだ」


「……いや、そう言われても…………」


「それに――」


 百夜は、リリスを見てから、僕を見る。

 どうしたんだ?


。ねぇ、母様」


 その瞳は、物言いに反して非常に真剣で、百夜は、確信を持って告げる。



、託してみても、いいと……思わない?」



 そう、言った。


 ああ、それは。

 ――根負け、諦め、観念。これまで、何度もそれは言われてきたけれど、けれどもそのどれもをリリスは否定した。だから、きっと、これは――



「…………そう、かもしれないね」



 アンサーガにとっての、初めての観念。

 ということだったのだろう。


 そんな二人をみて、僕たちは。



「――ああ、やってやるさ」


「みてろなの」



 自身に満ちた笑みを浮かべて、



「――でも、リリスと一緒にしないでほしいな」


「この人と一緒にされるくらいなら、年の話を諦めた方がマシなの」



 直後、僕らの大喧嘩が始まった。

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