31.嫉妬龍は選びたい。

 ――思えば、僕はゲームの頃から愛着のあるキャラのことになると、少し思考がブレるところがあるな、と感じる。僕にとっていちばん大事なのは負けイベントに勝つことで、基本的にはそれ以外のことはどうでもいい。

 ただ、そこに少し愛着というフレーズが混ざると、僕はどうにも冷静ではいられなくなる。ゲームのキャラに対する愛着。現実に存在する彼女たちに対する関心。そういったモノは、時に自身の力になる。師匠を助けるために戦った強欲戦は、本当にそれが強く感じられた。


 逆に、命のやり取りではない色欲戦では、師匠や色欲龍に意識を取られ、集中力がいまいち足りていなかった。今回は、弱り果てた嫉妬龍が、あまりにも見ていられなかったから。


 ああでもしかし、この世界に来る前の僕は、こんなにも女の子に意識を向けてしまうような性格だったかな?

 というか、こういうことを二度もミスするような奴に、心当たりがあるような……? でも現実にそんな知り合いいなかったからな……


 ともあれ、今は嫉妬龍――エンフィーリアのことだ。


「まずは、説明しなさいよ。アンタのいう“衣物”って何。それが私と、何の関係があるのよ」


「――衣物。がこの世界に残した、大罪龍とも、人類とも異なる、超常の力。細かいものであれば、時折人類が見つけ出して、技術に組み込んでいることもある」


 僕たちが、さっきコーヒーを呑むために使った簡易休憩キット、他にも復活液や各種回復アイテム、前の世界では普通ありえないアイテムは、基本的に衣物と呼ばれるものだ。

 とはいえ、それが衣物と呼ばれることはない。そもそも

 この概念が知られるようになるのは今から数百年後、クロスオーバードメインの時代からだ。


 何故そうなるかというと、まぁこの衣物という設定自体が後付だからなのだが。


「その中で、最も重大な衣物。“星衣物”。これは世界に七つ存在しているんだ。あの扉の向こうにあるのも、その一つ」


「……それって」


「そう、この七つの星衣物は、大罪龍に関わるものだ。嫉妬龍、君の場合は君がに削ぎ落とされた力そのもの」


 ――本来、嫉妬龍とそれ以外の大罪龍に、ここまで大きな力の差は存在しない。だが、エンフィーリアが司るものが嫉妬であるがゆえに、より嫉妬をその身に刻み込むため、彼女は今の姿に押し込められた。


 この先に進めば、それを取り戻すことができる。


「――それを、アンタは止めようっていうのよね」


「もちろん。あの力は君が持つべきではないものだ。もしも、それを手にしてしまったときの末路を、君に教えてあげようか?」


「……いらないわよ。アタシの末路なんて、今更誰かから聞くまでもない」


 ズバッと、切り捨てるようにエンフィーリアは言う。それは、――ああ、それは。



。アタシは絶対に、幸せにはなれないんだから」



 ――息を呑んだ。

 それは、僕の言葉に、鋭く返したエンフィーリアの瞳を覗き込んでのものであり、そして考えてもみれば、あまりにも当たり前の事実を、そこで初めて意識したことによるものでもあった。


 嫉妬龍が、自身の辿る道筋を、理解していない訳があるか? 彼女はアレだけ多くのことに気がつけるのに、自分の権能の意味も、それが周囲にどういう影響をもたらすかも。


 何れ、自分の力を求めて、世界がどう動くのかも。


「すいません」


「いらない。――それで、アンタは自分がどうしたいのかじゃなくて、アタシにどうしたいかを聞いてくるわけ」


 ふぅん、とこちらの考えを見透かすように、エンフィーリアは僕を覗き込んでくる。剣呑な、けれどもどこかいたずらっぽい子供のような顔は、少しすると離れていった。


「ええ、僕はすでに答えを出してますから」


「貴方ならそうなんでしょうけど――そこに火を焚べたのはアタシ、ってことか」


 別にここにエンフィーリアがいなくとも、僕はこの先に進むわけだから、僕の意思を彼女に伝える必要はないわけで。加えて、エンフィーリアのおかげで初心も思い出せた。むしろ、ここで退いては僕に発破をかけたエンフィーリアを裏切ることになる。


「エンフィーリアも大概お人好しだよ。あんなに怖がっているのに、無理してここまでやってきて、必要もないのに滝に飛び込んで。もちろん、感謝はしているけども」


「……だって、置いていかれたくなかったんだから、しょうがないじゃない」


「だとしても、さ」


 少しだけ、しょぼくれるようにするエンフィーリアに、僕は苦笑する。


「今のエンフィーリアには、前に進むか、後ろに下がるか。その選択肢がある。選ぶのは君で、君は君の好きにすればいい。ただ前に進む場合に気をつけてほしいのは――」


 ――これは、衣物の存在とは別に、確実にエンフィーリアに伝えておかなければならないことだろう。要するに、彼女が僕とともにこの先へ進む場合、何が起きるかだ。


「たとえ君がどういう意思でそれを選択したとしても、。なぜかって言えば、この先の部屋にあるものは、君の力そのもので、だからだ」


 つまり、僕は衣物を破壊しなくてはならないわけだが、衣物はエンフィーリアそのものなので、エンフィーリアが部屋に入ると、彼女と一体化し始める。

 僕はその場合、エンフィーリアが装着した衣物と対決することになる。


「……それ、アンタが勢い余ってアタシを殺しちゃったりしない?」


「それは大丈夫。一定まで傷を追うと、衣物は君から剥がれて暴走を始めるから。暴走し始めた後もその力を諦めきれなくて縋ろうとしてすり潰されたりとかしなければ死なないよ」


「えらい具体的かつ、アタシがおいつめられたらやりそうなことは、言わなくていいわよ!」


 というか、と身体を抱くように抱えながら、エンフィーリアは続ける。


「衣物が剥がれるとか! そういうスケベなこと言わないでよ!」


「えっ」


 全く思ってもいなかったので、思わず呆けてしまった。


「…………悪かったわね!!」


 顔を真赤にして、エンフィーリアはポーズをとったまま叫ぶ。


「とにかく、解ったわよ。ようするに、選択肢は二つ。――アンタと戦うか、アンタと戦わずに逃げるか」


「逃げるなら――」


「――――戦う。アンタと戦う、行ってやろうじゃないの、この中に」


 即答だった。

 別に、僕を追い払うだけなら、ここで戦闘を行っても良い。そこそここの湖も広い場所だし、ここで勝てば、エンフィーリアはこの先にあるものを見ることなく、この場から離れることができる。

 ようするに、見てみぬふりができる。


 それをしないということは、エンフィーリアは完全に覚悟を決めているというわけだ。


「だったら、そこに関して言うことはなにもない。僕は君に勝利するし、勝利して君を嫉妬という枷から解き放ってみせる。負けられないからね」


「へぇえ、言ってくれるじゃない。アンタのそのムダに自信と自負に満ち溢れた余裕は気に入らないわ。グリードリヒに勝っただとか、エクスタシアに勝っただとか、そんなのどうでもいい」


 指を僕に指して、エンフィーリアは睨みつけてきた。


「――妬ましいのよ、その態度」


 へぇ、と少しだけ口角が釣り上がる。――らしくなってきたじゃないか、“嫉妬龍”。


「言っておくけど、私はアンタに負けたいわけじゃない。むしろ逆、勝ちたいのよ。だってアンタは、アタシにとっては異物以外のなにものでもないから」


「そんなに僕がお嫌いなら、この場で殺しにかかってもいいんですよ」


「違う。アンタが気に入らないわけじゃない。アンタに負けたくないのよ。言ってあげましょうか、私の嫉妬は、アンタが思ってるほど軽くない」


 ――そう言って、僕に向かい合う彼女の姿は、先程、自身の嫉妬を抱えながら、今にも消えてしまいそうだった彼女のそれとは、正反対とすら言えるものだった。

 見れば、その瞳にはあまりにも強い意思の輝きが宿っている。何故か? 理由はとても単純なことだろう。


 僕に油を注いだ彼女は、同時に自分自身にも燃料を投下していたのだ。

 ここに来るために、僕を追いかけるために振り絞った勇気が、逃れられない選択を突きつけられたことで意思の強さに変換されている。

 覚悟を決めたのだ。


 今、目の前にいるのは、か弱さの残る少女エンフィーリアではない。嫉妬の権化にして象徴。嫉妬龍エンフィーリアにほかならない。


「私は弱い。嫉妬しかできないくらい。でも、その嫉妬に価値がないとか誰が言ったのよ。むしろアンタは、私の嫉妬が素晴らしいものだと言ってみせた」


「――そうだね、君は何も悪くない。むしろ、嫉妬はよいものだと思う」


。もしアンタがそう言うなら、ここで証明してみせなさいよ。誰よりも嫉妬を知るこの私に、アンタのいう嫉妬を、今ここで!」


 ああ、それはなんて無茶なお題だろう。僕は嫉妬が悪いことではないと思う。けれども、エンフィーリアはそれをバッサリと切り捨ててみせた。

 彼女の根底に巣食う嫉妬は、あまりにも根深い。いや、根深いなんてものじゃない。。もはや絡み合うどころか、完全に一つになってしまっているそれを、如何に切り離すか。


 方法は、力技以外に存在しない。


「いいだろう、実に結構じゃないか。僕には君に救いを叩きつける覚悟がある。君がどれだけ望まなくても、僕は君の救いになる。君が救われたと思うまで、やってやる!」


「いちいちそんな歯の浮くようなセリフ並べ立てて、ご苦労さまね! でも、あいにくそういうの、これっぽっちも私には響かないんだから!」


 ――なんて無茶な話だろう。

 言葉での説得は不可、僕と敵対することを選んだ彼女は、救いを求めるのではなく、嫉妬がことを証明するために戦うことを選んだ。

 それが彼女がここまで抱えて生きてきたものの大きさを物語っている。


「――いちいち、上から目線で救いたいなんて嘯くんじゃないわよ!」


「そうやって、どこまでも強情な所を見せつけないでくれよ――」


 もしも、そんな彼女に救いの手を差し出したら、どう思う?



「妬ましいったら、ありゃしないのよ!」



 



 ――そして。



 もしも、それがあまりにも理不尽な宿命だとしたら、僕はどうする?



「ちょっと、燃えてきちゃうだろ!」



 



 ああ、僕たちは、


 ――きっと、お互いの関係は、悪いものではないはずだ。むしろ良好とすら言えるくらいで、人嫌いな彼女からしてみれば、本当に珍しいくらい心許せる相手が、僕なはずで。

 うぬぼれかも知れないが、彼女は僕のことを決して嫌ってはいないだろうと、そう思う。


 でも、僕と彼女が互いに対して真剣に向き合った時、



 僕たちは、衝突せずにはいられないのだ。



 ――手をかざす。このあまりにも巨大な扉は、僕が念じれば、思うがままに開いていく。それがこの遺跡にとって当然の機能であり、僕がであることの何よりの証。


「もう、後戻りはできないよ」


 龍化を一旦解いていたエンフィーリアの身体に、再び龍の衣がまとわれる。だが、その姿は、即座に変化を見せた。


「アンタがここまで連れてきたんでしょ、ちゃんと責任、取りなさいよね」


 爪はより凶悪に。

 翼は大きく、高らかに。


「だったら――」


 何より大きな変化は、尾だ。

 それまで彼女には存在しなかった、巨大な尾が、地に伸びて、広がっている。


「――だから」


 そして、彼女の姿が、宙に浮かんだ。



「――覚えておくといい、僕は敗因。君に敗因を教えるものだ!」



「覚悟しなさい。私は嫉妬龍。この世全てに嫉妬する大罪龍よ――!!」



 僕は刃を手にとって、彼女は鉤爪を突きつけて。

 ああ、こうして二人は互いの譲れないものと、押し付けたい思いを胸に、戦いを始める。けれども、無茶な話だ。僕一人で大罪龍と戦う? 相手は嫉妬龍、最弱の大罪龍。だとしても、その身体には、本来であれば剥奪されたままだったはずの強大な力がそのまま全て宿っている。


 その強さは、単純に考えても先日戦った、人間形態の色欲龍を上回るだろう。強欲龍にだって負けてはいないかもしれない。

 せめてもの救いは嫉妬龍の戦闘経験の少なさ。搦手や奇策に弱いだろうことは想像がつく。けれども、それも学習されてしまえばそこまでだ。

 聡明な彼女のことだ、同じ策は二度とは通じないだろう。


 まったくもって理不尽な話。


 それでも、僕が自分で選んだことだ。


 エンフィーリアがそうであるように、僕もまたある意味無謀とも言える戦いに身を投じるわけだ。けれどもそれは、ある意味僕にとってはいつものことで。


 故に言えることは唯一つ。やはり負けイベントはこうでなくっちゃ。


 さあ決戦だ。

 この負けイベントをひっくり返して、嫉妬龍を救い出せ。言葉では届かない、固い固い殻の中に、閉じこもった少女を一人、引きずりあげて見せるんだ。

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