32.ぶつけ合いたい

「あ、はははは……すごい、すごいわね。これがアタシ、信じられない。これがアタシなんだ!」


 空に浮かび上がった嫉妬龍が、その鉤爪を振るいながら叫ぶ。楽しげに、愉しげに、それまでの彼女からは考えられないほど、その笑みは多幸感に満ち、まさしく力に酔っていた。

 ――振るわれる鉤爪は、空高く僕を見下ろしていてなお、こちらに届く。直接ではない、“風の刃”が僕へ襲いかかるのだ。


「いい忘れていたけれど、その力は君の人格すら歪めかねない、気をしっかり持つんだよ!」


「もう、先に言ってよ! ――こんなの、知らないアタシがバカみたいじゃない! アハハハハ!」


 モノの見事に呑まれているなぁ、と思いつつ、まぁそれも今のうちだ。やがて彼女がこの力に慣れてくれば、それも落ち着いてくるだろう。

 といっても、結構な時間がかかるし、クロスオーバーではその落ち着くまでの間にやったことで、彼女は止まれなくなるわけだが。


「っていうか、避けるんじゃないわよ! アタシが蹂躙するための戦いじゃないの、これ!」


「お互いの信念をぶつけるためのものだろ!?」


 弧を描くように、僕はエンフィーリアの鉤爪を避けていく。というより、走っている僕を追いかけるように放つものだから、攻撃が僕にそもそも掠りもしないのだ。

 ――即座に、それに気がついて彼女は攻撃を修正させる。

 僕の走る先を狙うように。


 その一瞬が、明確な隙だ。


「“D・D”!」


 僕は即座に正面からエンフィーリアに斬りかかる。横を鉤爪の風が通り抜けていって、僕はそのまま、


「“S・S”!」


 まずはSSを叩き込む。速度低下、きっちり入ったそれ。エンフィーリアが驚いたように目を見開いて、僕は彼女を蹴りつけながらDDで距離を取る。


「きゃっ……何すんのよ!」


 怒るエンフィーリアの反撃をSSで透かしつつ、更にBBで返す。防御力が低下した所に、更にDDで接近。エンフィーリアの上を取る。


「何って、戦闘だよ!」


 そして――


「“G・G”!」


 一気に上位技までコンボを跳ね上げる。更に速度が低下したエンフィーリアの爪を避けながら、もう一発。

 空中をDDで跳ね回り、コンボ数を稼ぎつつ、更には彼女のHPも削っていく。


「生意気! 生意気! 生意気!」


 言葉の端々に敵意をにじませながら、エンフィーリアは鉤爪を振るう。その一撃一撃に、風の刃は発生しない。強欲龍ならばこっちを吹き飛ばす衝撃が生まれていただろうが、彼の単純な腕力による一撃とは違い、エンフィーリアの刃は能力によるものだ。

 おかげで、攻撃範囲が見た目通りなのは非常に助かる。


「――そうよ、だったら薙ぎ払ってやればいいのよ!」


 そこで、エンフィーリアが少しだけ意識を切り替えたようだ。闘志がありありと浮かぶ獰猛な笑みで、僕を睨むと、その両腕を大きく振りかぶる。


 ――彼女のスキルのモーションだ。


「“後悔ノ重複ダブルクロス・バックドア”!!」


 先程、遺跡を抜けるときにも使った基本的な攻撃技。その大きさは、先程の数倍にも及び、僕を押しつぶそうかというほどだ。

 これを食らっても概念崩壊はしないが、そのインパクトはあまりにも大きい。


 けれどもね、エンフィーリア。その攻撃の判定がある時間は、なんだよ。


「――“G・G”!」


 両者の攻撃が交錯する。己の敵意を得物に乗せて、しかしそれは激突することなくすり抜ける。――エンフィーリアの攻撃が僕の上から下へ駆け抜けた直後、僕の剣が彼女へと突き刺さり、


 ――これでコンボの準備が整った。


「喰らえよ、エンフィーリア!」


「何よそれ――!」



「――“L・Lルーザーズ・リアトリス”!」



 最上位技。僕の必殺が、エンフィーリアの身体を切り裂いた!


「――っ」


 息が漏れる。思わぬ大ダメージに、エンフィーリアは目を白黒させながら、その場を飛び退く。追撃はしない、ここから追撃を始めるとSTが持たないのだ。最短でコンボをつないだとはいえ、STはほとんど吹き飛んでいる。

 お互いに、距離を取ると、僕はそこでようやく地面に降り立った。なんとなく、この曲芸も板についてきたな。今後、飛行可能な大罪龍と対決する場合には、必須になるスキルだ。もっと馴染んでおかないと。



「――ああ、もう! なによアンタ! こっちのほうがスペックは上なのに、一人でアタシに食いついてこないでよ! 妬ましい! ほんっと妬ましい!」


「ははは、そうやって妬んでる姿も、君らしくはあるね」


「っ……! バカに、するなぁ!!」


 挑発しつつ、僕はもう一度接近を試みる。

 ――ここまでは僕が一方的に彼女を翻弄する形で進んでいる。しかし、それはあくまで彼女が自身のスペックに酔っているからで、また彼女が戦闘に慣れていないからだ。

 僕と彼女の差は、基礎的な部分では埋めがたいものがある。


 だから、


「――! “後悔ノ重複”! “後悔ノ重複”! “後悔ノ重複”!!」


 このように、激しい技を連打されると、一気に僕は苦しくなる。物理的に。

 ――彼女の攻撃技が、遠い距離から放たれ、僕へ向かって飛んでくる。これも先程と同じ風の刃だ。なお、後悔ノ重複で風の刃を発生させる能力は本来の嫉妬龍にも備わっている。

 それを通常攻撃で載せてくるのが、今の彼女の形態というわけだ。


 大きさにして強欲龍を丸呑みにする刃が、僕に連続して飛んでくる。回避するにも、横にかなりの距離の移動を強いられるため、先程からジグザグに飛び回っているが、エンフィーリアはそれを数で補ってくる。

 このままでは、何れ飲み込まれる。


「う、おおお!」


 僕はその中で、刃に剣を掠らせながら飛び回っている。これはSTを補充するためなわけだが、こうして遠距離で責め立てられていると、STGのグレイズだな、と言う感じになる。

 STGはあまりプレイしないのだけど、まぁ現実になったSTGはプレイ感が全く違うけどね!


「解ってきたわ。こうしてると、アンタが近づけないから、いつの間にかアンタが死んでるってわけね!」


「学習が早くて嬉しいよ」


「……何様のつもりよ!」


 まぁ、お客様……かなぁ。部外者という意味で。

 DDを駆使して間に潜り込んでいく。凄まじい物量で攻め立てているとはいえ、彼女の攻撃はまだまだ最適化がされていない。避ける余地はいくらでもあって、僕はそれを突いていくわけだ。

 しかし、それにもたもたしていれば――


「避けられるなら……!」


 上空で、エンフィーリアが足を振り上げた。


「“塊根ノ展開アンダーグラウンド・スタンプ”!」


 そこから、強大な衝撃波が放たれる!


「ッ! “D・D”!」


 地を覆うように広がるそれを、僕は飛び上がって回避する。上空に出ると、身動きが取れなくなるのが問題だ。


「そこ! “怨嗟ノ弾丸スリリング・ストライク”!!」


 狙いすましたようにエンフィーリアが両の鉤爪を重ね合わせ、そこから風の弾丸を放つ。これはとにかく速度が早い。動体視力で見切るのはまず不可能だ。とはいえ、早いということはそれだけ当たる時間も短いということ。


「“S・S”」


 攻撃を透かす。そこにすかさず、


「“後悔ノ重複”!」


 範囲攻撃が飛んでくる。隙を生じぬってやつだ。空中で真っ向から飛んでくるそれは、一瞬でも判断をミスれば攻撃が掠める代物、僕は即座にDDで距離を取る。


「っつ、おおおお!」


 斜め下に滑るように着地。なんとか攻撃を振り切ると、そのまま駆け出す。当然、攻撃はさらに飛んでくる。範囲の広い攻撃に、とにかく速度が速い攻撃。避けるには上空で飛び回らなければいけない攻撃。

 弾幕の種類が一気に数を増した。


 機動は二次元から三次元へと移り変わる。


「ほんっと、曲芸よね!」


「ありがとよ!」


 攻撃を透かし、躱し、時に受け、前に進んでいく。もはや速度低下以外のデバフは全て無視することにした。この辺り、色欲龍のときと同じだな。


「――とった!」


「チッ――!」


 ともあれ、長く時間をかけながらも、STはどうにか最大まで溜めきった状態で接近した。エンフィーリアの弾丸を避けながら、一気に飛び上がる。


「“S・S”!」


 まずはもとに戻った速度をまた、低下させる。


「ああもう、どこまでも鬱陶しいしつこいわね!」


「そういう戦いだ、これは! 僕は君が諦めるまで、折れるわけにはいかないんだよ!」


 爪と刃が激突する。エンフィーリアがそれを利用して後方に大きく飛び退き、僕がそれを追いかけた。迫りくる弾幕を、DDとSSで強引に回避しながら突き進む。

 その度にエンフィーリアは大きく下がり、僕が踏み込む。SSで速度を下げているのだが、うまい具合にこちらの攻撃を利用して、吹き飛ぶものだからその度に追いかけなくてはならない。


 ここでコンボを途切れさせることは論外だ。多少無茶をしてでも、上位技を叩き込まなければならない。しかし、とっくに最上位技に繋げられるだけのコンボを稼いでも、エンフィーリアにそれをぶつける隙がない。

 向こうの技術もこの戦いの中で凄まじい速度の成長をみせている――!


「っだあああ、どうしてこんだけスペックに差があっても勝てないのよ! あんたとアタシのなにが違うってのよ!」


「そこをわかられると、勝ち目がなくなるんだけどな! “D・D”!」


 エンフィーリアの攻撃はさらに激しさを増している。その間を駆け抜けることも難しいのに、あちらに逃げ回られては追いつくことすら叶わない。

 加えて、こちらはDDで接近するわけだが、DDからDDを連打できず、他の技を噛ませないといけない以上、どうしてもどこかで足が止まる。ここから踏み込む手段はなんだ?

 手を、打つ必要があった。


「おおおっ!」


 僕はDDでムリヤリ近くまで接近する。かなり厳しい位置だが――


「“C・C”!」


「きゃっ!」


 目的は、目くらましだ!

 そして、更に踏み込むと――


「“S・S”! “B・B”! “S・S”!」


 SBSでムリに突っ込んだ分の攻撃をやり過ごす。基本的にダンジョンアタックには向かない戦法なので、手札として切ることのできなかった暴食戦も合わせるとかなり久々に思えてくる。

 とはいえ、集中しきった極限状態であれば、問題なく成功することはこれまでの経験から解っている。


「――なにをっ!」


 同時に、辺りへ無闇矢鱈とエンフィーリアが刃を飛ばす。

 僕が視界を奪ったことで、彼女はこちらの位置を見失っている。そのうえで、。だから彼女は僕が目の前にいる可能性を否定する。

 狙いはそこだ。


 そして、想定は当たっていた。


 僕は勢いよく手を高く掲げると、


「“D・D”!」


 その後一気に加速した。


 STは限界だ、もうこれ以上余計な遠回りはしていられない。そしてこの踏み込みで、最上位技を叩き込めなければこれまでの攻防が全て無意味になる。

 エンフィーリアに経験値を与えるだけの結果に終わる。


 だから、


「ここで踏み込まないわけには行かないんだよ!!」


 爆発を抜ける。届けと祈りをコメて、逃げるなと意思を向けて。


 その先に、嫉妬龍はいた。


 ――口を開き、そこにエネルギーを溜めながら。


「いい読みだ! けどな!」


 エンフィーリアの読みは正しい。けれど判断が遅い、もしも本気でそれをぶっ放すつもりなら、最初から爆風に叩きつけておくべきなのだ。

 爆風から出てきたものを狙い撃つなど、日和見もいいところ。ここでの選択はガン逃げか全賭けのどちらかだ。


 だから――


「――ッ!! “嫉妬ノ根源フォーリングダウン・カノン”!!」


 僕が囮にはなった小石――DDで足場にするそれだ――に釣られて、最大火力を無駄撃ちすることになるんだよ!


「――“L・Lルーザーズ・リアトリス”!!」


 二発目――


「あ、ああああっ!!」


 直撃した。


 ――ここまで放ったダメージを考えれば、エンフィーリアにぶつける必要のある最上位技は後一回。ここまでは順調といえば順調だが、一回目と二回目の難易度の差を考えれば、三回目のそれはあまりに理不尽な難易度になるだろう。

 少なくとも、普通に戦闘するだけでは敵わない。SBSなどの奇策を用いた何かしらの手段が必要になる。

 そもそも、最上位技を当てる必要がある回数が後一回というだけで、おそらくそれ以外にも何度か削りを入れる必要があるだろう。


 ――最上位技は強力だ。師匠の概念起源のような大技に匹敵するだけの火力を有する。ただ、それを当てるためには、こういった攻防を何度もくぐり抜け、更に概念起源の倍は最低でもぶつけなくてはならない。

 普通、大罪龍との戦闘でそれは不可能だ。そもそも大罪龍と何の準備もなしに戦闘に突入できる場面は極端に少ない。

 強欲龍の不死身のような何かしらに、どこかで阻まれるのが普通。


 唯一といっていい例外が、おそらくこの嫉妬龍戦なわけだが、それでも――



「――――つ、か、まえ、た!!」



 それでも、嫉妬龍はそんな例外すら、踏み越えてくる。


「っぐ、あ!」


 。明らかに彼女は通常では考えられない速度で戦闘能力を向上させている。スペック的な意味ではない、技術的な意味で。

 最初の最上位技は完全にこちらが一方的に当てることができた。しかし、二回目はかなりの無茶の末、ギリギリの紙一重での直撃だった。しかも、


 その直撃の反省をその場で反撃の材料に変えて、


「――“S・S”!」


 掴まれたそれを、僕は無敵時間によるすり抜けで抜け出し。けれど、そうなった場合、僕は下に落ちるしかない。


「逃がすかぁ!! “塊根ノ展開”!」


 ――下方への範囲攻撃。逃げ場を亡くしたそれは、完全に僕へのチェックである。


「っく!」


 すかさず僕はBBからのSS、つまりSBSに移行しようとするが、だめだ。ここから逃れるためにはそれを二回繰り返した上で、更にDDで距離を取る必要がある。


 僕にもうそんなSTは残されていない。


 落ちていく身体、それを追うように広がる衝撃。一秒の後、無敵時間が終了する。直後――



 ――僕の身体は、ずたずたに切り裂かれた。



「う、オオオオオオオッ!」


 痛みはない、概念化しているのだから当然だ。けれど、これはまずい。


「“後悔ノ重複”!」


 


 SBS……? ダメだ、後使える概念技の数では、回避しきれない。後悔ノ重複は。SSではきっちり約0.2秒、攻撃を食らう!

 そして、これを喰らえば次はない。速度低下に、概念技もほとんど使えない状況。


 これは、そうだ。チェックじゃない。



「喰らいなさい!! “嫉妬ノ根源”ッッ!!」



 ――――チェックメイトだ。


 直後、僕の視界は明滅し、



 ――僕は、概念崩壊した。



 ◆



 痛みが、体中を襲う。倦怠感が異様なほど頭にのしかかる。辛い、苦しい、死んでしまいたい。いっそこのまま消えられたら、それはもう幸せだろう。

 身体は、ピクリとも動かなかった。到底、動かせるとも思えなかった。


「――はあ、は、ぁ」


 遠く、エンフィーリアの吐息が聞こえてくる。

 あちらもかなり疲弊した様子で、コツ、と何かが地面に響く音が聞こえた。位置が少し遠い、嫉妬ノ根源に吹き飛ばされたおかげで、結果として距離が取れたようだ。


「つか、れた。――でも、こんなもんよ。どうよ、アタシを見下してくれちゃって。今じゃアタシがアンタを見下す番よ」


 ――口は動かない。

 概念崩壊の直後は、のたうち回りたくなるほどの痛みが、その痛み故に身動きすら許さない状態で襲ってくる。

 もはや拷問だ、これを受けては、並の人間では動き回るには数時間の休養が必要だろう。


 この状態で逃げ去っていった百夜の恐ろしさを実感しながらも、なんとか顔を上げるべく、意識を集中させる。


「あはは、すごい、すごいわ。コレさえあれば、私があいつらに怯える必要も、人類を恐れる必要もない。色欲龍みたいに、人間を侍らせてやろうかしら。ああでもやっぱりやだ、アタシ人間キライだし」


 その声音は、どこか愉しげで、そしてそれ以上に空虚だった。


「かといって、滅ぼすってのもちょっと違うわ。アタシはあの妬ましいくらい生き汚い連中がキライなだけで、アタシに関わらなきゃどうでもいいわけだし」


 はぁ、と一つため息。もう、自分を咎める者は誰もいないのだ。嫉妬龍は、その力に溺れる方法すら、迷える段階にあった。


「もう、これじゃあアタシが怠惰みたいだわ。アタシは嫉妬よ。嫉妬、誰かを妬み、嫉み、そして嘲られる……ああ、私はこれからどうしようかしら」


 そんな彼女の顔を見る。

 その顔は――


「ああ――」



 ――今にも泣き出しそうな顔で、笑っていた。



「今日はなんて、素敵な日なのかしら」


 嫉妬龍は、嫉妬に生きることを望んでいたか?

 彼女の嫉妬は、彼女そのもので、引きはがせるようなものではない、決して。だからこそ、僕の救済に対する彼女の嫉妬は、あまりにも尊くて当然の信念だ。


 けれどもそれは、押し付けられたことに対して、それを逃げないという宣言に過ぎない。

 今の彼女は、その信念に、力が伴っている。これまで、そんな事はあるはずないと諦めてしまったものが、単なる偶然による幸運で転がり込んできた。

 その状況に混乱しているだけだ。


 だから、そこに勝機がある。



「な、ぁ――」



 ふと、エンフィーリアは動きを止めた。


「何よ」


 僕の方を見る。倒れ伏し、身動き一つ取れない状態で、それでもなんとか顔を上げる僕に、嫉妬龍は不躾な視線を送る。

 ――それは、


「どうして、僕を、殺さないんだ?」


「……っ」


 つまり、そういうことでいいんだよな。


「必要……ないわ。アタシはアンタに、アタシの信念をわからせたかっただけ。アンタの死になんか、興味ない」


「――けどな」


 ああ、君に僕を殺す意思はないんだろうな。これまで戦っていて、一度も殺意を僕にぶつけたことはなかったわけだし。

 アレだけ色々言ってくれて、今も僕をどうこうするつもりはないわけで。


 でもな。


 僕の顔は、動いた。

 どれだけ苦しかろうと、手は動く。本来なら、そんな暇はないだろうが、今の彼女に、僕を殺してでも止める意思はない。なら――



「僕は、ぞ」



 端的に言って、僕はまた立ち上がった。

 懐から、を取り出す。本来、これは自分になんて使えない。使う暇が戦場で存在しない。しかし、戦闘が終わった後ならば、誰の邪魔もないならば。


「は――」


 ――僕は、もう一度動き出す。


 力いっぱい、瓶をへし折って、僕はそれを身体に叩きつける。


「何、よ――それ」


「待たせて悪いな、エンフィーリア」


「何よそれ! ふざけないでよ! そんなズル、認められるわけないでしょ。そんなことして、アンタが持つはずない! やめなさいよ! そんなことしてまで、アタシを止める意味がどこにあるのよ!」


「ある――僕がそうしたいのと」


 剣を構え、突きつける。



「今、二つになった」



 笑みとともに、泣き出しそうなエンフィーリアへ。



 僕はその時、きっと初めて心の底から、負けイベントに対する理不尽とは何一つ関係ない。同情という上から目線でも何でもない。ただただ純粋な、



 ――という、感情を抱いた。

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