30.それでも進みたい。

 ――考える、果たして僕の選択は、正しかったのだろうか。

 大罪龍は、その大罪がなければ存在できない。僕がこれからすることは、彼女の存在そのものを否定することだ。彼女の個人を救うため、彼女のそれ以外をなかったことにする。


 強欲龍であれば、絶対にそんなことは許さないだろう。

 似たような事例は、シリーズ内にも存在する。傲慢龍だ。奴は傲慢であり、だからこそ救済を拒む。僕と師匠の前に破れた強欲龍のように、最後まで傲慢を貫いて消えていく。


 だからこそ、嫉妬龍はそれを知るべきではない。知らなければ、失ったことにはならないのだから。


 きっと、それは正解の一つであるはずだ。僕は彼女を救いたい、けれど、人の言葉で彼女を嫉妬から解き放つことは不可能で、彼女に可能性を与えることはできても、彼女はその可能性を選ぶことができない。

 だから、ときの防波堤を作る。彼女は、たとえどんな未来を辿ろうと、最後にはここへたどり着く。


 そうしてはならないのだ。だって、それではあまりにも彼女が救われない。


『――なんで?』


『何でも何も、あっちにここから出られる道があるんだ、一方通行だけど、君なら問題なくそこを出口にできるはずだよ』


『どうしてそんな事が……って言っても、そりゃ知ってるわよね、ここのことだって知ってるんだから』


 話を遮った僕を、訝しむように嫉妬龍は問いかけてきた。

 けれど、僕はそれ以上彼女と会話をすることができなかった。だって、話をすれば僕は彼女を救いたいと言ってしまうから。

 救うという行為そのものが、同時に彼女――嫉妬という罪を否定するものだと、解っていながら。


 それから、嫉妬龍は、



『――――ねぇ、どうして私を助けたの?』



 そう一言だけ僕に言った。僕がそれに答えなかったことで、それ以上何も言うことはなく、嫉妬龍と僕はそこで別れた。



 ◆



 通路を抜けた先は、螺旋階段になっている。長い長い塔のような場所に、むき出しの螺旋階段。なんとも危険な場所で、一歩足を踏み外せば、奈落の底へ真っ逆さまだ。

 ただ、その中央は、怒涛のごとく水が滝となって下へ向かって落ちている。この水はどこから来ているのか。それについてはゲームでもよくわからない。

 一つだけ言えるのは、この螺旋階段の先には、広い広い、湖が広がっているのだと、僕は知っていた。


「……行くか」


 考えていてもしょうがない。この先に衣物と呼ばれる嫉妬龍の――言うなれば“外殻”が眠っている。僕はそれを破壊しなくてはならない。

 だから、ゆっくりと階段の先へ、足を踏み出した。


 ここは長い。ラストバトル前の最後のフロアで、ここで仲間たちと会話するイベントが挟まるからだ。クロスオーバードメインの集大成、長い長い旅の果てにたどり着いた、彼らの戦いは、嫉妬龍との決戦で幕を閉じる。

 ここに来るまで、彼らは多くのものを失ったけれど、多くのことを成し遂げた。嫉妬龍を追い詰めることもそうだし、帝国を打倒することもそうだ。

 帝国に嫉妬龍。襲い来る災難に、疲弊した人類をつなぎとめ、前に進ませる選択もさせた。


 一言だけ言えるのは、彼らは世界に望まれてここへ来た。ただ一人、ただ一体の龍を除いて。世界が彼らの勝利を願ってた。


 では、僕はどうだろう。


 僕の目的は、調査と救済。調査に関しては、ほぼほぼ推測通りのものが結果として得られた。ここはが作り上げた遺跡であり、衣物がその終着点には眠っている。

 それに関しては、まぁ達成と言ってもいい結果だろう。


 ――なら救済は?


 嫉妬龍は、救われるべきだ。彼女は何も悪くない、何かをかけちがえた結果、彼女を許すことのできなくなった人々が、世界の大半を占めてしまっただけ。

 そりゃあゲームを実際にプレイした人にしてみれば、そう思うのは少しむずかしいかも知れないけれど、彼女の救われなさに惹かれるものは、プレイヤーの中にも一定数いる。


 ――僕がそうだ。

 だから僕は、彼女を最大限贔屓目に見るし、彼女が正しい前提でここに挑む。そのために、彼女の根幹を否定してしまったとしても。

 僕がどれだけ恨まれたとしても、


 彼女には色欲龍がいるのだ。きっと、色欲龍が彼女をつなぎとめてくれることだろう。だから――


 これでいいのだ。きっと僕は、何も間違っていない。


 ああけれど、間違っていないからこそ、その正しさは――時に誰かに疎まれ、蔑まれ、そして――――


 ――妬まれるもの、だったのかもしれないな。



「――あ」



 ふと、声が漏れた。



 足元が崩れていることには、その後に気がついた。



 そういえば、と思い出す。ゲームでこの螺旋階段は、少し欠けているところがあったな。割と脆くて、危なくて、一度足場が崩れて、ヒロインが落ちそうになり、それを主人公が助けるシーンもあった。

 きっと、最初から欠けているところは、嫉妬龍が足を踏み外したりしたのだろう。


 今、僕がそうしているように。


 僕はバランスを崩し、螺旋階段の上に落ちることができなかった。真っ逆さまに奈落の底へと落ちていき、そしてやがて滝に呑まれる。

 まずい状況だ、けれど、頭はとても冷静だった。


 ――とっさに概念化はした。これで僕が死ぬわけではない、ちょっとしたジェットコースターで、ある意味楽しい経験かもしれない。

 笑い事ではないけれど、さてどうしたものかな、と。少し考え込んでしまうような状況だった。


 だから、そのまま凄まじい勢いで湖へと叩きつけられ、湖底へと沈んでいった時。



 



 ああ、それは。



 手を伸ばせと、僕に言っている。

 彼女は、そうだ。



 思わず呆けていた僕に、――嫉妬龍が、手を差し出していた。



 ◆



「――はぁ、はぁ……あんた何考えてんのよ!」


「いや……すいません、正直何も考えてませんでした」


「なんでこっちのほうが疲れてるの!? わけわかんない!」


 ――いやまぁ、別に僕が疲れる要素はないわけで、自分から飛び込んで精神を疲弊させ、更には僕の救出まで行った嫉妬龍の方が疲れているのは当然である。


 っていうか。


「……どうしてここに?」


「はぁ!?」


 僕の言葉に、嫉妬龍が怒りに満ちた声を上げて、凄まじい形相でこちらを睨んできた。


「あんた、すごい顔して私を追い出して! 何考えてんだか知らないけど、ろくな事じゃないのは丸わかりよ!」


「……え? そうなんです?」


「腹芸できないでしょあんた! ……もう、バレバレだっての」


 ――言われて、湖面を見る。

 そこには、もはや仏頂面を通り越して、無の域にまで突っ込んだような、しかめっ面があった。半分くらいフードに隠れてるけど、その眼がどんな眼をしているか、見なくても解る。


「ほんっと、すごい顔してますね」


「一旦顔洗ってきなさい、そこに水あるんだから」


 はあいと答えてから、いやお母さんかと少し笑ってしまう。なんというか、嫉妬龍は嫉妬が絡まなければ、本当にどこにでもいる普通の少女だ。

 気立てがよく、人懐っこい。


 共にいて、楽しい少女だ。


「……それで、どうして私を追い出そうとしたわけよ。あんな剣幕でいきなり言われても、なに一つ納得できないんだから」


「――君を傷つけたくなかった」


 観念したように僕が告げる。


「うぇっ」



 ――――途端、凄まじく気持ち悪いものを見る眼で嫉妬龍は僕を見た。



「何もそんな眼をしなくても……」


「するわよ!」


 ぐいっと顔を近づけて、嫉妬龍はお怒りのご様子。けれど、その理由がそんなに不自然な理由だろうか、ごくごく当たり前の、個人が抱く理由の一つだと思うが。


「――たとえどれだけ立派な訳だろうと、アンタがそんなまともな考えを抱くことが、まずおかしい」


「そこまで!?」


「そうよ。――だってあんた、エクスタシアやグリードリヒに似てるんだもの」


 そう言われると、なんとなく解る気がする。


「――あんたって、誰かのためとか、世界のためとか、そういう理由で生きてないでしょ。自分がしたいことをした結果、それが誰かを助けることはあったとしても」


「…………」


「それはエクスタシアたちの生き方と同じよ。あの子は自分がしたいことをした結果、人間の味方をすることになった。グリードリヒはその真逆」


「まぁ……そうかもしれませんけど」


「かもじゃない」


 ――確かに、それはそうかもしれない。大罪龍はその生き方が自身の性質に依存する。グリードリヒとエクスタシアが自分の意思を貫くように。


「アンタのそのセリフは、アンタの考えとは正反対よ。それは――きっとプライドレムたちの考え方だわ」


 彼らは、人類の殲滅を積極的に行っている。それは、傲慢龍であればそれが自分の存在意義であると確信しているから、他の龍たちも同様だ。

 その根底には使命に対する自負のようなものが見え隠れしている。


 ――ああ、たしかにそう言われてみれば、僕の言葉はきれいなお題目だ。僕に似つかわしいかというと、そんなことはないだろう。

 でも、それを口にすることは、如何にも優等生で、


 その在り方に、酔ってしまっても、おかしくない。


「――アンタは、そういう思ってもないことをいうような奴じゃないと思う。自分を見失ってでもいない限り、アンタはアンタの言葉で、意思で、前にすすめるはずなのよ」


 それは――


「だって、――アタシみたいに、そうすることしかできない弱いやつとは、アンタは根本的に違うんだから」


 どこまでも、嫉妬龍らしい考え方だった。


「師匠なら、君は弱くない、ってすごく真面目な顔でいいそうだなぁ」


「……ああ、なんとなく想像できる」


 ほとんど面識はないだろうに、嫉妬龍が想像できるくらい、師匠は嫉妬龍に師匠を押し付けて言ったんだな。あの人、本当に良識の皮をかぶった身勝手だと思う。

 そんなに自分がまともだと思うなら、もっと世界のために戦えばいいのに。


 ――少し辛辣に思考がよりすぎた。荒んでいるな、と思いつつ話を戻す。


「でも、実際そのとおりだ。僕らしくもない、自分を見失うなんて。――ああ、思い出したよ」


 なんで、そんなことを見失ってたんだろう。? バカか、そんなの結果じゃないか。と思った時と同じだ。

 から、僕は助けたいと思ったんじゃないか。

 そもそもの始まりが、嫉妬龍の不遇に、理不尽を感じたからだっただろう。どうしてそれを忘れていたんだ――?

 ああ、僕がしたかったことは最初から、



 だ。



「……はぁ」


 大きく息をはいて、額に手を当てる。少し、疲れていた。こんなアタリマエのことすら気が付かないなんて、我ながら阿呆もいいことだ。

 これじゃあ、ゲーム本編の嫉妬龍を笑えないな。


 そして、冷静になって気がついた。



 ――僕に必死に話しかける、嫉妬龍の身体は震えていた。



『――いや、置いていかれるのは嫌。私を置いていかないで、一人にしないでよ……』



 この遺跡の入口で見た、彼女の様子を思い出す。なんてこった、僕は彼女が一番嫌がることをしてしまった上に、それを我慢してまで彼女にむちゃをさせてしまったのだ。


「ああ、もう……大馬鹿野郎が」


 聞こえないように、小さくつぶやいて、――僕は彼女の手をとった。


「……っ!」


 怯えるように、たじろぐようにその手が、少し逃げる。嫉妬龍の身体も後ろへのけぞって、けれども逃げ場が無いと感じたか、ぎゅっと目を閉じて、唇を噛んだ。


「――すいません。気が付かなくて、自分勝手にもほどがありました」


「な、なによ――」


「これくらいはさせてください。貴方がいくら、こういう耳あたりのいい言葉を重ねることを嫌がったとしても、こうすることで、少しは楽になることも、あると思います」


 ――なんて気障ったらしい言葉だろう。でも、見ていられなかった。置いていかれることを嫌がる少女が、あまりにも小さくて、か弱くて、か細くて。

 こんなにも、ありふれた少女だったから。


 だから僕は手を差し出したんだ。


「貴方の恐怖も、貴方の劣等感も、今は少しだけ、忘れてもいいんです。僕が手を握っていますから、貴方を怖がらせてしまった分、僕が貴方の勇気になります」


「――」


「だから、今はその怯えを、その震えを収めてください。収めるまで、ずっとこうして、いますから」


「――う」


「大丈夫、きっとできますよ。僕じゃ力不足かもしれませんが、もう逃げないと誓います。ずっと向き合うと約束します。だから――」


「うう――ううううう! あああああああああああ!!!」


 ――嫉妬龍が吠えた。

 ぶんぶんぶん、とすさまじい勢いで僕が握る手を振って、引き剥がそうとしてくる。でも離さないぞ、君はまだ震えてる。怖がる少女を、一人にはできるものか。


「――わざとやってんの!? わざとやってんのよね!! バカ! バカバカバカ!! おバカ――!」


「なんだよやぶから棒に!」


 耳元で盛大に叫ぶものだから、少し耳が痛い。


「それが気持ち悪いって言ってんのよ――!」


「――そうなの!?」


 ――いや、コレは本心からの言葉だ。ちょっと早口になりすぎたキライはあるけど、さっきみたいな誰かのための言葉ではない。

 自分がそうしたいから、思いを口にしただけなのに。


 ――そこには違いがあるはずなのに、何故か嫉妬龍はどちらも気持ち悪いという。


 なんとも、理不尽な話だ。


「……ああ、もう。解ってるわよ、解ってるっての! アンタがアタシを救いたいってことの始まりが、アタシになかったとしても、今アンタがアタシを救おうとしてる事に、嘘はないってことくらい!」


 バッと手を振りほどき、嫉妬龍が顔を反らしながら言う。


「色欲龍と同じよ、余計なおせっかいが、何時まで経っても終わらない! 私が受け入れない限り、アンタはずっとそうしてるつもりでしょう!」


「まぁそりゃ、そっちだって強情なんですから、持久戦ですよ」


「――まず、一つ」


 ビシッと、僕を指差して、それを鼻っ面に叩きつけながら、嫉妬龍が言う。


「その気持ち悪い敬語をやめなさい。もっとキチンと使うか、もっと砕けて普通に話しなさいよ。なんでそんな中途半端に敬ってもいない感じで使うの?」


 慇懃無礼という言葉がある。嫉妬龍や師匠に対しては、だいたいそんな感じだ。


「まぁ、解ったよ。それで?」


 一つ、と嫉妬龍は言った。っていうか、指を突きつけているのに、視線はこっちへ向けていないんだな。顔を伏せているから、顔色が伺えない。

 ああ、だから――


「――エンフィーリア」


「……え?」



「エンフィーリアって、呼んで。私、嫉妬龍って呼ばれるの、キライなの」



 それをこちらへ向けて、赤面しながらも涙目で言う彼女は、本当にただただ純粋に、可憐だった。


「……」


 ――思い返してみれば、嫉妬龍は、大罪龍たちのことを名前で読んでいた。根底のあるのは自己嫌悪だろう。嫉妬という感情自体が、彼女はキライなのだ。

 同時に、同じ大罪龍として自身と仲間を比べたくなかった。――比べれば比べるほど、自分が惨めになるだけだから。


「……なにかいいなさいよ!」


「あ、ああうん。解ったよ……エンフィーリア」


「わかればいいのよ」


 それで、と嫉妬龍――エンフィーリアは意識を切り替える。言うべきことを言って、満足したようだ。


「……結局、これはなんなのよ」


 つぶやく彼女の視線は、大きな大きな、龍型の大罪龍すら通ることのできる“門”へと意識を向ける。

 そう、長い長い螺旋階段の終点には、一つの門があった。そしてこの先に、僕が目当てとしている“衣物”が眠っている。


 ああ、だから。

 ここで僕は、改めて彼女に問わなくてはならない。


 僕のためではなく、彼女のために。けれどもそれは、教えないことが不平等だからだ。


「――これは、君の本来の力が眠る玉座の間、ってところかな」


「…………アタシの?」


「そう。けれど、僕の目的は――その力を破壊すること」


「――!!」


 嫉妬龍の顔が、照れたものから、一瞬で真面目なものへと変化する。さぁ、ここからが本番だ。


「その力を破壊すれば、君は嫉妬という枷から解放される。だから、その上で聞きたい」


 ここからは、僕の問題ではない。

 エンフィーリア個人の問題へと変化する。



「エンフィーリア。――君はどうしたい?」



 ――彼女がここへ来てしまった以上、見てみぬふりは許されない。

 存在する選択肢は、進むか、退くか。


 嫉妬を捨ててでも、手に入れられるものに希望を託すか。


 嫉妬を抱えたまま、――全てのボタンをかけちがえ、手遅れになったまま息絶えるか。



 ――さあ、エンフィーリア。



 君は、どちらを選ぶんだ?

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