29.エンフィーリアはかわいい。
「――ぶっちゃけ、嫉妬が悪いことじゃないとか、そういうお題目はそんなに興味ない」
「はぁ……」
「前に、そういうことをコンコンと言われたこともある。嫉妬するというとこは、上を見ているということ、だからそれは素晴らしいことで、君は間違ってないとか、そんな」
「誰に……」
「紫電のルエってやつ」
「師匠――――!?」
――あのお人好しの師匠のことだ、たしかにそういうことを言っていても可笑しくない。いやでも、僕だって嫉妬がどうこうってのは、色々思う所はあるわけで。
いや、この場合は僕が言いたいことではなく、嫉妬龍が聞きたいこと、が大事か。
「アンタの師匠してるんだっけ? ほんとに師弟そろって変なやつよね。まぁでも、他の連中にもそこまで正面から言われたことはないけど、似たようなことは言われるわ」
「……そうですか」
「でね、まいどまいど思うわけよ、んなこと解ってるの、知るかボケって。で、アンタの場合アタシにいいたいってより、自分がそう思ってるって感じが強いから、まぁ別に気にしない」
――そんなことは、嫉妬龍が一番解っていると。
彼女は嫉妬の化身なのだから、嫉妬することの意味も、価値も、よく解っている、と。だからつまり要するに、
「それで直せりゃ、苦労しないわけよ」
彼女は、嫉妬の良さを理解できない。当たり前過ぎて――だからあんな顔をしたわけだ。
「……だね」
「――だからそっちはいいのよ、今更って感じだし。けど」
じっと、嫉妬龍は僕の方を見た。
「かわいいって言われたのは、初めてだったわ」
「……そう? 十分君は可憐な容姿をしていると思うけど」
「だとしても大罪龍にそれを言うやつはいないわよ。だからアンタがおかしいのは、そこ」
そうかなぁ、と首をかしげる。
多分、現代人なら大体そう思うし、オタクならなおさらだ。でもって、こういう世界に転生したら一度は言ってみたいセリフトップテンに入らない? 異形の存在を、素直にかわいいって言うって。
で、言われたことのない異形は、それに照れて主人公に惚れるわけだ。
言われたことはない、ってところは合っているけれど、でも実際言ってみると、凄まじく首をかしげられた。そんなに? ってレベルで。
いや、それはきっと彼女が大罪龍だからだ。
こういうセリフで救われるのは、それまで自分がひどい目にあってきたからで、嫉妬龍も色々と不憫ではあるけど、基本的に彼女の立場は上位者だ。
だから、そこまで響かないのだ。言われずとも、思われていると感じたことはあるだろうから。
でも、
「――ねぇ、本当にアタシって、可愛いと思う?」
おそるおそるといった様子で、嫉妬龍は問いかけてきた。
その、少し怯えたような、怖がるような聞き方は、ああ、まったく。
「……僕はそう思いますよ」
とても可愛らしい。
――矛盾している。彼女は自分がかわいいと思われることを、理解できていない。あの時、何いってんだこいつ、といった感じの顔をしたことは、嘘ではないはずだ。
でも、今は自分の可愛らしさを気にしている。
矛盾している。
「そう、そっか……ふぅん」
「……なんですか? なんでそんな、急に嬉しそうにするんですか?」
「あんた、乙女心がわからないって、言われない?」
「多分、解るかわからないかで言えば、全くわからないほうだと思いますが、貴方の変化は敏い人でもわかりませんよ!」
照れくさそうに言う彼女は、本当に少女らしいとは思うけれど、そう思う彼女の心境が僕にはこれっぽっちも理解できない。
それっぽい素振りすら、感じ取れなかったわけだから。
「……まぁ、別にアンタに言われて、嬉しいってわけじゃないわ。アンタのことが特別とか、そういうことは思ってないし、きっと今後も思わない」
「断言するなぁ」
「でも、勘違いしてほしいわけじゃないけど、誰に言われても嬉しいわけじゃないわ。アンタだから、じゃないけど、アンタにも言われると、嬉しい」
「……どんな心境の変化ですか?」
僕が、そこで核心を突く。
矛盾しているということは、どこかで彼女の心境に変化があったということだ。そして、その原因は――というか根源は僕ではないらしい。
と、すると……?
推論であるが、それは――
「……思い出したのよ」
「やっぱり」
――当たりだ。
彼女は、忘れていただけだ。
そして、そう言われれば、僕もなんとなくあたりが付いた。
彼女が思い出したこと、それは――
「――エクスタシアに、昔同じように言われて、可愛がられたな、って」
◆
エクスタシアと、エンフィーリア。
二人は大罪龍の中でも、特別関係が良好だ。大罪龍は人類を超越した7つの個体からなる。それぞれは独立し、個々に活動している。仲間意識は基本薄い。
傲慢龍は暴食と憤怒を従えているが、それは三体の龍の目的が一致し、その上で傲慢がもっとも強い個体だったからだ。
特別、三体の関係が良いわけではない。もちろん、単独で動く強欲と比べれば、この三体は連携が取れる分、悪いわけでもないのだが。
強欲と怠惰は、他の大罪龍と特別交流を持つことはなかった。それぞれ、強欲は自身の取り分が減ることをキライ。怠惰はそもそも関係を持つことが億劫であったため。
――お互いが、交流を持とうとして、関係を構築したのは嫉妬と色欲の二体だけなのだ。
とはいえ、その始まりは色欲からの一方的なものだった。同じ女性体ということで、交流を持とうと考えた色欲龍が、嫉妬龍を構い始めたことが、そもそもの根底。
嫉妬龍は最初、色欲のことを疎んでいたが、長い時間をかけるうちに、両者の関係は一言で言えば腐れ縁とでも呼ぶべきものになっていた。
彼女たちの交流は、色欲龍が自身の性欲に負けて人類の側に付くまで続き、そして二人の関係はその後も、薄くではあるが繋がったままだった。
クロスオーバー・ドメインの直前。嫉妬龍が失踪するまでは。
正確には、失踪ではない。
嫉妬龍は、一言で言えば人類に囚われたのだ。――最弱である彼女は、師匠にすら負ける彼女は、大量の概念使いに囲まれれば、逃げることは敵わないのだ。
結果として、嫉妬龍と色欲龍の交流は失われるわけだが、嫉妬龍の消滅後、色欲龍はそれを激しく後悔することとなる。
これを鎮めるのが、二作目のクリア後後日談の内容だ。
もし、色欲龍が嫉妬龍の失踪にはやく気がついていれば、嫉妬龍を救うことができたかもしれない。そんな後悔から暴走した色欲龍は、最終的に二作目主人公たちの手によっておとなしくなり、最後にケジメとして、嫉妬龍の仇である主人公たちと対決する。
それが、二作目後日談である。
――なんというか、嫉妬龍と色欲龍の交流が目に浮かぶようだ。
嫌がる嫉妬龍と、それでも構わず絡んでくる色欲龍。嫉妬龍には、自分に女性としての意識なんてものは、最初はなかっただろう。
ある意味それは、彼女が持ち得ていない人間性で、そして色欲龍が目覚めさせかけた、良心であるのかもしれない。
でも、それは実りきらなかったんだ。
「――あんたって、エクスタシアと似てる所があると思うわ」
「そうかな」
「自分勝手で、我が強い。で、きっと譲れないところは絶対に譲らないでしょう」
「あはは、図星」
交流が希薄になれば、彼女の中からそういった人間味は失われてしまった。そもそもから言って、色欲龍も今の時点では、そういった人間性はあまり持ち合わせていない。
むしろ、持ち合わせていないからこそ、嫉妬龍の死を見逃して――死を目の当たりにしたからこそ、芽生えるのだ。
シリーズにおいて、嫉妬龍の死の意義はそこがとても大きい。色欲龍が人間味を得ていなければドメインシリーズに大団円はありえないのだ。
二作目後日談は、そういった転換点にあるわけで。
――でも、そのために嫉妬龍が死ななくてはならないのは、少し理不尽すぎやしないかな。
「正直、ここに来てからアタシ、アンタに振り回されっぱなしだわ。勝手に人の巣の下を掘り起こされて、アタシ自身が殺されかけて、でも、アンタがそれを助けてくれて」
「……」
「おかしな話よね、でも、それで結局、こうして生き残ってる。――ムリヤリエクスタシアがアタシに可愛らしい格好を着せたがって、それを着せられて……でも少しうれしくなっちゃった自分を思い出した」
コーヒーカップを置いて、嫉妬龍は立ち上がった。
くるくると、その体が舞う。なんだか中身が覗けてしまいそうなくらいミニスカートがふわりと回転して、みずみずしい太ももがちらりと見える。
――狙ってやっているのだろう、いたずらっぽく嫉妬龍は舌を出して笑った。
「えっち」
「……ほんと、似合ってますよ」
僕は努めてコーヒーを呑む。なんだか、意識を向けられている自分自身が甘ったるくて参ってしまいそうな感じだ。まったく、人間性が完成されきっていないとはいうけれど、嫉妬龍の少女性は、もうすでに完成されているのではないだろうか。
「でも、ありがと。エクスタシアが選んでくれたの。そう言ってくれると、すごい嬉しい」
くすくすと、いたずらっぽく笑って、また彼女は腰掛ける。残ったコーヒーに口をつける。
「ねぇ、嫉妬龍」
「……」
「少し、考え直してみませんか?」
僕は、ふとそう問いかけていた。
ガラにもない、というか。こんなことわざわざ気にするようなタイプでもないだろうに。だって、コレは僕の信念とは何一つ関わりのないことだから。
本当に、ただのおせっかいだからだ。
「――もう少しだけ、世界に優しく生きることはできませんか?」
「なにそれ」
「師匠も言ったでしょう? 嫉妬は悪いことじゃない。だから――」
「――ごめん、それは絶対にムリ」
即答だった。
嫉妬龍は、迷うことすらしなかった。――最初から、そんな権利はないと言わんばかりに。
「私は嫉妬なの。どれだけ貴方がアタシを肯定してくれたって。大切なことを思い出させてくれたって、それは与えられたもの、アタシのものじゃないの」
「……与えられたって、それは貴方でしょう」
「そうね、普通ならそうだわ。でも、アタシはだめ」
そう言って、カップを手に膝を抱える少女は、どこか悲しげに、けれども譲れない己の在り方を口にする。
「アタシは、嫉妬龍だから――エンフィーリアである前に、嫉妬の大罪なのよ」
ああ、それは。
“その強欲を、捨てること無く抱えていけ――――!”
――僕の強欲を、最後に笑って肯定した、
捨てられるものではないのだ。
嫉妬も、強欲も、それがあいつらの、大罪龍の存在証明であるがゆえに。
「ほんと、大罪って変な話よね。そうであることは、私達にとっては当たり前のことなのよ。善とか悪とか、そういう次元じゃない」
――大罪龍とは、ある意味で大罪がなければ存在できない連中だ。それは持っているだとか手に入れただとか、そういうものとは、何もかもが異なる。
最初からそういうふうにできているのが大罪龍なのだ。
「とんでもない話よ、なんでそうなってるのよ。理不尽じゃない、不自然じゃない」
「嫉妬龍、それは――」
「解ってる。アタシが口にしていいことじゃない。でも、だから――アタシは嫉妬を捨ててはいけないの」
たとえ、たとえそれが――その先にあるものが破滅だとしても。
「アタシは、これがなくっちゃ生まれてくることすらできなかったんだから」
こいつらは、
「――っ」
解っていたことだ。シリーズの中で散々描写されたことじゃないか。嫉妬龍が、嫉妬故に壊れて死に。強欲龍が、強欲であるがゆえに最強にたどり着き、怠惰龍が怠惰であっても果たすべき役目を果たした。
そして、そんな大きな流れの末に、果てしない奇跡と、積み上げてきた結果があって、シリーズの最後、色欲龍が救われるのだ。
ああ、それは本当に、素晴らしい結末で、僕はそれが大好きだ。
――なんだか、僕は。
そんなドメインシリーズの根底を、この世界に直接踏み入れて、追いかけているかのようだ。
きっと、このまま何もなければ、嫉妬龍はこの先、人類に壊されて、救われないまま消えていく。そうしなければ、彼女の嫉妬に終着がないから。
ああ、それは本当に――――
「……嫉妬龍」
僕は、コーヒーを飲み干して、それを片付けながら、呼びかける。嫉妬龍も同じく飲み干して、そして僕にカップをわたした。
「先に進むのね、ちょっとま――」
「――ここでお別れだ。あっちに進めば、君はここから出られる」
僕は、それを敢えて遮って、
出口である右側の通路を、指差した。
――嫉妬龍、君は救われるべきだ。
でも、そのために、これから僕がするべきことは君と一緒には行えない。僕がこれからするのは、君のアイデンティティの否定。
嫉妬龍が、世界の流れの果てに翻弄され、たどり着いた場所で手に入れた君の力。君をラスボスへと押し上げるまでに至ったそれを――僕はこれから破壊する。
それらは世界を円滑に、あるモノの思うがままに運行するために作られた布石。名を衣物。
これがなければ君は、それでも最後の最後で立ち止まれたはずだから。
君が手に入れたものが、君を、押し留めてくれるはずだから――――
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