20.説得は難しい。

「それにしても――」


 ふと、師匠がリリスの方を見る。なにか気になることでもあっただろうか、リリスも不思議そうに首を傾げていた。


「いやね、我が弟子はこの状況ならそういうだろうけど、君がそんなことを言い出すのは、意外だったなぁって」


 ああ、そういえば。

 そもそもこの状況で最初に、逃げるのは嫌だと言ったのはリリスで、僕は先を越されてしまった形になる。彼女が言わなくても僕がシェルに言い出していただろうけれど、もっと言えば、彼女が最初に村人たちと打ち解けたことで、この後の説得がかなり楽になる面もある。


 正直、この後の撤退戦は、ゲームで負けイベントでなかったこともあって、本来なら妥協しても良いポイントだったからな。

 それをやる気にさせてくれたリリスには、感謝しかない。


「ん――」


 リリスはウィンプルからもれる髪をかいて、少しだけ視線をそらす。話すことをためらうと言うより、どこから話したものか、といった様子。

 彼女は感覚派だ。説明ということ事態が苦手で、拙い。


「リリスね、遠くから来たの」


「……遠く?」


 首をかしげる。やはり、いまいちピンとこなかった。


「遠くから、ずっとずっと旅するの、色んな人があつまって、落ち着く場所を探すの」


 ――なんだか、聞いたことがあるような。ゲームでも、そういった人達が初代には登場した。そうだ、確か――


異邦人エスケーパーか」


 そう、エスケーパー。逃亡者、何から逃げるかといえば単純。魔物だ。

 魔物が現れて、そろそろ百年が経とうとしている。そんな中、人々は主に二種類の方法で魔物の被害から逃れて生存してきた。

 一つは、概念使いに集落を守ってもらうこと。これが一番確実な方法で、実際多くの街は概念使いに守られることで存続している。この村だってそうだ。今回のような大規模な襲撃がなければ、シュルとミルカは村の防衛を担当していただろう。


 もう一つが、異邦人。彼らは使生きていこうとする集団だ。理由は単純で、彼らは概念使いと相容れないから、守られることすら拒んでいるのだ。たとえばそれは、生理的に概念使いを受け入れられないからであったり、概念使いに害されたことがあったりするためだ。

 町から町を渡り歩き、概念使いの庇護を受けること無く、魔物の目を掻い潜って生きる。故に異邦にして逃亡の民。それがエスケーパーである。


 ――実を言うと、初代の時点でこういった人々はほぼ壊滅している。正直な所、この世界で使だ。特に傲慢龍が健在な、大罪龍が人類の敵である今は。

 だから外伝の時期には話にも出てこない存在である。外伝の少し前に、大きな異邦人コミュニティが壊滅して、異邦人は現状ほぼ存在しない、ということがNPCの会話から聞ける程度。


 初代での異邦人は、概念使いに頼ること無く、行商などで食いつなごうという人だ。彼らはクレバーで、基本は概念使いを頼らないが、生き残るためならばその信念も曲げる柔軟さがある。

 外伝より前のエスケーパーは、頼りたくないがために、乞食のような生活をする人々を指していた、らしい。


「師匠は、直接知ってるんです?」


「んー、まぁな。概念使い憎しで襲撃されたことがある」


 なんて無謀な、と思うが、まぁそういう連中だったということだ。


「ごめんなさいなの」


「リリスは悪くないさ、そもそも異邦人は数年前に壊滅したと聞く。君はまだ物心もついているか怪しい頃だ」


 ――とはいえ、なんとなく解ってきた。リリスは異邦人だが、同時に概念使いだ。


「リリスね、お母さんが色欲龍様みたいだったの。だから、私が色欲龍様みたいになっちゃったの」


「……なるほど」


 つまり、娼婦。概念使いに頼らず生きる乞食たちが食い扶持を稼ぐには、そういった職業以外には選択肢がなかったのだろう。そして、その相手の中には概念使いが混じっていて、そしてできた子供であるリリスが概念使いだった。

 ――リリスと、その母親の立場は苦しかっただろうな。


「私が生まれたら、お母さんみんなにぶたれたの、なんでこうなっちゃったのって皆怒ってたの」


「君がそれを覚えてるころまで? そりゃひどいな……」


 ――完全に、リリスの母親はストレスをぶつける先とされてしまったのだろう。それこそ、リリスに物心がつくまで。よく、それまでの間我慢したものだ。


「それでね、リリスが大きくなったら、お母さん置いてかれちゃったの。魔物がいっぱいいるところで、リリスがいれば助かるだろって、言われたの覚えてるの」


「…………」


 師匠が、完全に黙ってしまった。

 ――師匠は故郷を見捨ててしまったことがある。

 リリスは、故郷に見捨てられたことがある。


 因果な符号だと、部外者でしかない僕は思う他なかった。


「――リリス、がんばったの」


「……え、勝ったの!?」


「あたたたたーってしたの!」


 そこだけ、リリスはふんす、と胸を張って言った。……どうやら、置いていかれたリリスとその母親はその場を切り抜けたらしい。概念使いであるリリスがいれば不可能ではないかもしれないが。

 実際にやりきるのは才能だな、と思う。


 驚く師匠を他所に、リリスは続けた。


「でもね、お母さん病気だったの」


「……なるほど」


「リリスの概念でもだめで、お母さんも諦めてたの」


 ――長くないことは、母自身がよく解っていたのだろう。人から逃げるように生きてきた異邦人に医者にかかるような金はないだろうし、リリスの概念でダメなものを普通の医者が治せるかは微妙なところだ。

 だから、彼女の母は諦めて、


「――諦めた分、生きれるだけ生きることにしたんだって」


 残された時間を、使うことにした。


「リリス、お母さんに生き方教わったの。お母さんと生きるの、とっても楽しかったの!」


「うん、うん」


「お母さん、笑うととってもきれいなの! リリスの自慢なの! リリスも笑うと、お母さんに似てるって言われるよ!」


 にぱっと、リリスは楽しそうに笑った。

 ――きっと、母との時間はとても輝いていたのだろう。リリスは、可愛らしい笑顔で、その目には憂いなど一つも感じられない。


「いいお母さんだね」


「うん!」


 僕が肯定すれば、リリスの笑顔は更に深まった。

 ああ、理解できる。


 。異邦人という存在そのものが死神のようなもので、幸福は逃げるのではなく、生きることでしか得られない。

 だったら、ヤケになって捨て鉢なこの村の人々は、リリスには不幸に思えてならなかっただろう。


 、リリスは母との時間を手に入れたのだ。絶望的な状況を切り抜けたから、それは僕もとても共感できる。

 そして、その上でリリスはすごいと、心の底から思う。


「じゃあ、リリス」


 僕は腰をかがめてリリスと目線を合わせる。僕は負けイベントに勝ちたい。理不尽をひっくり返したい。だからこそ、言えることは唯一つ。



「――今度も、勝とうな」



 その言葉に、


「――うん!」


 リリスは、力強くうなずいた。

 それにしても、このリリスの過去は僕も知らなかった。ゲームで語られなかった過去。師匠の快楽都市での武勇伝のような、そういうものは、他にも色々あるだろう。

 ここはゲームであり現実でもあるから。


 それから二人で師匠の方を見る。


「と、いうわけです。頑張りましょう、師匠」


「…………」


 先程から、師匠は沈黙していた。リリスの過去に思うところがあるのか、ないわけはないだろう。その上で、師匠は落ち着いた心持ちでこちらを見ていた。

 ――きっと、ここまでゴーシュの想定内に違いない。あの男はそういう奴だ。


「……はぁ、君は本当に、まったく」


「どうしたんですか?」


 ため息をつく師匠は、しかし思った以上に落ち着いていた。どうしてだろう、こちらを見て不満そうにしているし、流石に部外者である僕に、関係があるとも思えないのだけど。


「いや、昔のことを思い出していたんだ」


 そのうえで、なにか前向きになる要因があったのだろうか。よくわからないが、まぁそれでいいなら、構わないと頷く。


「とにかく。私にも異論はない。けど、問題は説得だな。アテはあるのか? まさかリリスだけってわけじゃないだろ?」


 リリスはこの村の人々と仲良くなった。それは確かに説得の材料になるだろう。だが、リリスの行動は想定外だ。そもそもリリスの存在自体が想定外で、僕はそれがなくともこの村を防衛することを選んでいたはずで。


 つまり、何かあるはずだと、師匠は言う。


「まぁ、任せてくださいよ」


 僕は、ドンと胸を張って言った。



 ◆



「――――皆さん、聞いて欲しい!」


 時刻は夕刻。もう間もなく日が落ちる、黄昏時。空の向こうに、オレンジ色に染まりきった日暮れの太陽が見えた。僕たちがここにきてから、もう数時間が経過しようとしている。リリスの過去を聞いてからもちょっと時間が立つ。敢えてこの時間になるのを待っていたのだ。

 夕焼けがきれいだと、目をみはる。けど、今は見惚れてはいられない。

 僕は、宿の前に集まって酒盛りをする村人たちに呼びかける。視線が、一斉にこちらへ向いた。


 さぁ、もう後戻りはできないぞ。


「僕は概念使い、概念は敗因、紫電のルエの弟子をしています!」


 反応は――訝しむようなものだ。

 今更、どうしたというのだろう、といった感じ、この状況に偶然通りがかってくれた概念使い。幸運をありがたがりこそすれ、それ以上の関係ではないだろう。

 と言った感じ。


 もう少し刺々しい状況を想定していたから、これはリリスのおかげだろう。


「紫電のルエ。大陸最強の概念使いを皆さんは御存知だろうか。当然知っているはずです。なにせここはラインに近い宿場町、概念使いの情報は入ってくるでしょうしね」


 その言葉に、多くの大人が頷く。

 というより、師匠はこの村で宿をとったこともあるはずだ。ラインには顔をだしたことがあるだろうし、であればここを通らなければラインにはたどり着けない。


「そう、大陸最強の概念使いがこの場にいるのです」


 僕はそう前置きをしてから、本題に入る。



のでは?」



 ――その言葉に、反応は様々だった。

 総じて、困惑が勝っているようだ。そして、多くの視線は村のまとめ役である老婆の方を向いている。そのうえで、老婆は沈黙していた。

 予め話を通してあるからだ。


 中にはシェルとミルカを見るものもいた。とはいえ、そちらも沈黙したまま反応はない。この辺りは当然ながら根回し済みである。

 この三人を説得するのに時間がかかったのも、ここまで演説開始が遅れた理由の一つ。


「僕と師匠はお約束します。皆様を傷一つつけることなく守ってみせる、と。僕も師匠ほどではないですが、そこそこできると自負しています」


 村を無傷で防衛する。

 。死者もけが人も出さず、宿も食堂も、村の家屋も傷つけること無く、村を守り切る。それができなければ、彼らを逃したほうがいいに決まっている。


 だから、断言した。


 ――そこまで難易度を上げてこその、負けイベントでもある。ひっくり返すに十分な難易度であるし、なによりそこまでしなければ、僕は満足できない。

 強欲龍戦の二の舞は、絶対にゴメンなのだ。


「僕らを信用できないでしょうか。それは致し方ないことだと思います。これから襲い来る魔物は、五人の概念使いではとてもさばき切れないだろう、と」


 この村を襲ってくる魔物の数は膨大だ。百や二百では効かない数が襲ってくる。撤退ならば、やりようはいくらでもあるだろう。全滅させる必要がないなら、一度に戦えばいい敵の数は限られる。

 だが、防衛では、あまりにも戦うには無謀な数になる。


「――であれば、ご安心ください」


 だとしても、



 ――――その一言が与える言葉は、強烈だ。


 ざわつきは更に大きくなる。大罪龍は人類の敵。あらゆる災厄の原因であり、今自分たちを襲う魔物の親玉。それを討伐する。この時代では信じられない偉業だ。

 後に、シェルとミルカ、そして僕たちが暴食を討伐するまで、人類はあまりにも大罪龍に対して無力だったのだから。


 故に僕の発言は、嘘として語るにはあまりにも無謀がすぎる。


 とはいえ、言葉ではそれを信じるには足らないだろう。


「……来たぞ」


 空を見ていた師匠が、こちらに呼びかける。

 ――魔物が数匹、山を旋回していた。あれは偵察だ、ゲームでも現れ、戦闘することになる相手。ゲームでは彼らとの戦闘で事態を重く受け止めた村の人々が、この村を放棄する決断をすることになる相手。


 僕がこの時間まで待っていたのは、彼らが来ることが解っていたからだ。目的は単純、


「リリス」


「はいなの、“P・P”。“B・B”!」


「こちらもお手伝いします。“T・Tタイダル・トランス”」


 ミルカも同時にこちらにバフを駆ける。どちらも攻撃力バフだ。そのうえで僕は剣を掲げて、魔物に狙いを定める。


「“B・Bブレイク・バレット”!」


 宣言とともに、放たれた弾丸は、こちらに向かってくる魔物へと突き刺さり、


 ――一撃で風穴を開けた。


 バフによるところが大きいとは言え、レベル差があればこんなものだ。

 今回戦うことになるボス以外は、このようにサクッと処理できるだろう。


「――これで、少しは信じていただけるだろうか」


 こともなげに僕は言う。

 とまぁ、これが僕の説得材料である。強さを見せるというのは、シンプルかつわかりやすいものさしであり、説得力だ。


 とは言え――やってみて解る。

 これだけでは、少し材料として弱かったな、と。


 村人の反応は、概ね好意的だ。こちらの言葉を信じてみるか、といった雰囲気。ただ、いまいち決断するには弱い、といった所。

 撤退を選ぼうと、防衛を選ぼうと、どちらにせよ危険には変わりない。

 撤退のほうが、よかったと考えるものは多少なりともいるだろう。


 その上で、あとは老婆に反応を委ねるのがベターなわけだが、もしリリスがいなければ、老婆は僕らの力を頼った上で、撤退を選んでいただろう。

 その方が安全だから。


 そもそも――


「……ねぇ! 聞いてほしいの!」


 そこで、リリスが前に出る。特に相談はしていないけれど、まぁ彼女ならここで前に出るだろうな、というのはなんとなく解っていた。

 短いながらも、付き合いで。


「私、逃げたくないの! 逃げたら、そのあとずっと逃げなきゃいけないの!」


 人々は、リリスの言葉を聞く。

 僕の演説よりも、よっぽど集中して聞いているように思えた。そりゃあそうだろう、村の人々と打ち解けたのは、リリスなのだから。


 ……ある意味、僕が彼らを守りたいのは、リリスのためかもしれないな。


「逃げ続けるって、楽しくないの! 逃げないほうが楽しいの! だから、逃げないでほしいの! 皆も逃げないでほしいの! リリスは逃げないから!」


 叫ぶ姿は、どこまでも必死なもので。

 彼女にしか、許されない叫びだった。



「――リリス、がんばるから! みんな、リリスを信じて!」



 ああ、まったく。


「聞いたかい、お前達。こんな小さな子に守られるって言われたんだ。喜んで覚悟を決めな」


 老婆が、そこで力強く宣言した。それに、村人たちも頷く。

 異論はない。もはやそんなモノは必要ない。


 防衛戦上等。

 全部守って、全部笑顔にして、全部幸せにしてやろう。


 それが、僕がリリスとした約束なのだから。僕がここにいる、意味なのだから。

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