第2話 美しいバラには棘があるというが、そんなことより同僚のドジをなんとかしたい
シスカが連れてこられたのは、代々スチュワート家が仕えている、エヴァ―ルイス家だった。
大きなお屋敷に、手入れの行き届いた庭。きらびやかなお屋敷の雰囲気に圧倒されながら、気持ちをよいしょと切り替え、シスカは一生懸命ジゼル・エヴァ―ルイスお嬢様に仕えたのだった。
ってなるかよ、なるわけないだろ。シスカは、歯を食いしばってネクタイを締め、廊下の拭き掃除をしていた。
シスカは、夢に向かって真っすぐな瞳をしていたが、今は闇の深そうなトカゲのような目をしている。
「あら、使えない執事じゃない。まだいたの?」
翡翠色のロングヘアを揺らし、腕を組んでシスカを見下ろすのはシスカの主人にしてこのエヴァ―ルイス家のご令嬢の、ジゼル・エヴァ―ルイスだった。
赤いつり目で2人のことを見つめながら、いつものように高圧的な態度である。
黒いドレスに、青いバラの施された黒いベールをいつもつけているジゼルお嬢様は、18歳にして、目が覚めるような美貌の持ち主だが、非常に毒舌だった。
大きな屋敷に、何故か使用人は2人だけ。その理由を、シスカは一日と経たないうちに理解した。
この屋敷は、庭の手入れ、掃除、洗濯、食事、家事全般をすべてシスカともう一人のメイドで行っているというハードワーク。それにキツイ性格のお嬢様のいじめ。
使用人を追い出そうとしてやっているとしか思えないことばかりする令嬢に、シスカはイライラが募っていた。
「真面目に仕えていますが」
「うええ・・・ごめんなさいであります・・・ごめんなさいであります・・・」
「わたしはシスカ、貴方にさっきダージリンの紅茶を持ってくるようにいってはずでしょう?」
「マチルダさんのひっくり返したバケツの水を拭いているんです」
シスカは、片手に紅茶の入ったティーポットとティーカップ、砂糖とミルクの乗ったお盆を持ちながら、もう片方の手で床を拭いていた。
「マチルダ、本当にあなたって使えないメイドね。このド淫乱デカパイ女、その胸は飾りなの?」
「やめてください、この胸が飾りなわけないじゃないですか」
シスカがかばうが、マチルダは笑顔でいつももう答えるのだ。
「シスカ殿、いいんであります、いいんでありますよ。私がドジなのが悪いんでありますから」
「確かにマチルダさんはドジですけれど、ドいん・・・その汚い言葉はやめてください。可哀想ですよ」
「口答えしないでくれる?この粗チン執事」
「ちょっと!!!!!!どっからそんな言葉覚えてくるんですか」
このお嬢様、何故か口が悲しくなるくらい汚い。
「いいんであります。後は私が拭くでありますから・・・あっ!!」
「え!?」
マチルダは、自分で置いたバケツに躓き、シスカの方へと盛大に転んだ。
がっしゃーんという音と共に、シスカは倒れてきたマチルダの巨乳に押しつぶされた。
「ご、ごめんなさいであります・・・シスカ殿、ごめんなさいであります・・・」
「死ぬ・・・死ぬ・・・」
そんな様子を見た2人の主人、ジゼルは大きなため息をついた。
「本当にあなたたちのいいところって、見ていて飽きないところくらいだわ」
***
「ごめんなさいであります・・・」
マチルダは、洗い物をしているシスカの隣でしおしおと謝っていた。
「いいんですよ、マチルダさん。あっ、手伝わないでくださいね、絶対に。あと包丁とか刃物類とかも触らないでくださいね、危ないですから」
マチルダは、茶髪に三つ編み、丸いフレームの眼鏡をかけている21歳。シスカの1つ年上の、地味だが可愛らしいメイドだった。
「あっ、洗い物は無理でありますが、片づけはできるでありますよ」
「気持ちだけで大丈夫ですよ、ありがとうございます。あ、テーブルとか拭いてもらっていいですか?」
「了解であります!」
「マチルダさん、暑くないんですか?その恰好」
初夏だというのに、緑色の絶対に素肌の見えない、長袖に長いロングワンピースのメイド服を着たマチルダは、黒い手袋をした手で安全のため何も置いていないテーブルを拭いていた。
「平気でありますよ、少し胸が苦しいくらいであります」
「どうして、お嬢様に酷いことを言われているのに言い返さないんですか?」
「・・・お嬢様は、本当に優しくていいお方なのであります。私の為にキツイことを言ってくれているのでありますよ、私はドジだし、使えないし、駄目人間でありますから」
「それ、洗脳されていますよ!あれはいじめです!」
何度シスカがそういっても、ここを2人で逃げようといっても、マチルダは首をたてに振らなかった。それどころか、あの令嬢のいいところを誉めるのだ。
マチルダは、確かにどうしようもなくドジだった。
自分はここをやるから洗濯ものを干してほしいと頼み、しばらくして戻ってみると地面に洗濯物がぶちまけられているわ、庭の花に水をやってほしいと頼めば、プランターがいくつか割れていて花と土が散乱しているわ、お風呂掃除を頼めばびしょぬれで戻ってくるわ、洗い物なんて恐ろしいこと頼めたものではなかった。
「今までどうやって生きてきたんですか?」
初めて会った日に、シスカが思わずマチルダに発した言葉だった。
「周りに恵まれていたのでありますよ」
マチルダは、笑顔でそう答えた。
ドジだが、マチルダは優しくて笑顔を絶やさず、遅刻せず、仕事をしようと頑張っている。
そんなマチルダに辛く当たるジゼルに、シスカは彼女を放っておけなくなってしまっていたのだった。
「どうしてお嬢様はああなんでしょうか」
「悪かったわね」
扉の前で、ジゼルが腕を組んで立っていた。
「ひっ・・・お嬢様」
「お嬢様・・・」
「シスカ、貴方も嫌ならやめたら?というか、さっさとやめてくれた方がわたしは助かるわね。紅茶が静かに飲めるわ」
「やめたら困るのはジゼルお嬢様なんじゃないですか?」
シスカがそういうが、ジゼルは全く困った様子などなく鼻を鳴らした。
「困らないわ、どうせあなたもやめることになるもの」
そして、くるりと2人に背を向けて自分の部屋に戻ってしまった。
兄さんが逃げ出すわけだ。シスカは、辞めれるものならやめていると思いながら、寂しそうに俯くマチルダを見つめた。
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