始
外見だけぼろいアパートに住み始めて、はや一週間が経とうとしていた。
この部屋に住んでわかったことがある。内見のときには気づかなかったが、この部屋は電気をつけても暗い。逆に、風呂や、トイレといったところだけ異様に明るい、といった具合である。和室だけ特に暗い。それに最近、出るんだ。幽霊とかいうやつが。
元々そういうものは信じてないし、怪談とか笑い飛ばす方だったんだけど、やっぱ見てしまったら信じてしまうもので。今までこれっぽちも信じてなかったのに。
それは、夜な夜な俺の部屋に現れては、俺の顔を撫でる。手しか見えないから、女か男かもはっきりとはわからないけど、これは絶対女の霊だ。柔らかく冷たい手は、男の手なんかじゃないと思う。その手は、薬指だけなくて、刃物かなんかですっぱりと切り落としてしまったかのように無くなってて、腕から向こうは黒いもやがかかって見えない。爪はきれいに赤で彩られている。
その女の手は、ゆっくりと俺の顔を撫でて、輪郭を確かめて、それぞれのパーツの位置を確かめて、最後にまた輪郭を撫でて、消えてく。
撫でるだけだから、まあ、害はない。なのでとりあえずは放置しておく。お祓いだ、除霊だ、ってなってくると高いわうさんくさいわのオンパレードだろ。そんなものに金はかけたくない。
そのうちいなくなるだろ。たぶん。
「塩でも盛っておくか?」
四隅を囲うように塩を盛っておくのを想像する。見た目がなんかいやなのでやめておく。そんなことよりこの部屋が暗いのをなんとかしたいな。
日中は健康的にカーテンを開けておくのはどうだろうか、と思って、カーテンを開いた。暑い日差しと共に眩しすぎるほどの光が部屋に入ってくる。一気に部屋が明るくなった。それと同時に暑さも得ることとなってしまった、失敗だ。でも、暗いよりはずっといい。
しばらく、日中はカーテンを開けておいて、夜に出る女の幽霊は放置することにした。
□
最初のうちだけだった。放置できていたのは。スルーするのだって限度があることを今回のことで初めて知った。
毎晩、毎晩、決まった時間に体が固まって、薬指だけなくて爪を赤で彩っている女の手が、俺の顔を撫でる。柔らかい女の手が、俺の顔を撫でている間はなにもできやしない。振り払うことも、掴むことも、そもそも身動きひとつだってとれやしないのだ。それが毎晩となるともう耐えられない。
限界だと感じた次の晩には、女の手は俺の顔を撫でなかった。
今度は、腹を撫でてくるようになった。まるで、俺の腹に子どもでもいるみたいに、優しく愛おしそうに撫でる。意味がわからなかった。気持ち悪い。
「無理無理無理」
自分の意思で動かせるようになったと同時に、膝を抱えながらつぶやく。
「どうして俺がこんな目に」
思い当たる節は一つだってない。誰かに恨まれるようなことなんて一切してないのだから。
除霊でもしたらこの現象から逃れられるのかもしれない。そう思って、スマホで検索。出るわ、出るわ、うさんくさくて吐き気がするようなページがたくさん。しかも値段がすさまじい。到底ポンと出せるような金額じゃない強気なお値段がずらりと並んでいる。パチンコで勝った金だってここまでの金額はちょっと無理だ、足りない。かといって、異様に安いのは安いので、なんだか不安を覚えるし。
「除霊なんていらないか?」
ぽつりとつぶやいた言葉は、思ったよりも震えている。強がりでしかない言葉を飲み込むことは、今の俺にはできそうにない。毎日、毎日、こんなんじゃ気が狂っちまう。
検索欄をスクロールしていくと、住職というワードが出てきた。マップによるとここから二駅ほど離れたところにある寺のようだった。
霊能者を名乗るやつよりかはマシなような気がする。夜が明けたら、ここに行こう。
ああ、そういや、だんだん、触る箇所が下に下がっているような気がする。あれはもしかしたら、移動、してるのか? 足までいったら俺はどうなるんだ? 死んでしまうのか?
いやだ、いやだ。これ以上、考えないようにして、目をつむった。
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