第4話訣別
メルビルに行くと彼女の姿がない。どうしてだろうと思う。コーヒーを注文して、いつもと同じように飲むのだけれど、なにか落ち着かない。それで、店を出てから直に電話して彼女に、今日は店にいなかったねと言うと、彼女は、お店は辞めたという。どうしてと問うと、彼女は、喫茶の仕事は、真夜中の散歩の隠喩だったの、という。そうか、彼女は真夜中の散歩を終えたのだったね。で、これからどうするのときくと、旅行しようかと思ってる、という。海外にでも行くのかときけば、まだそこまで決めてない、という。彼女がメルビルを辞めたのと同じように、私も、メルビルに行かなくなった。
懐かしいメルビル
私は最近モノを書かなくなった。書く気がしない。なんでか。私にとって、モノを書くことは、自身の痛みに対する処方箋であり、薬であった。書くことは、治療だった。書くこと、書き続けること、強迫的というくらいにまで書くということ。それはすべて、痛みに対する、私なりの処置だったのだ。だが、今は書くことが面倒だ。
モノを書くことが懐かしい
次回の診察の時に私は、ここにはもう来ません、と伝えようと思っている。ありがとうございました、と大きな声でお礼を言う前に。もう私は、薬はいらなくなった。治癒したのだから。きっと渡辺先生は驚くだろう。先生、さようなら。
渡辺先生が懐かしくなるだろう
四十にして、私は孤独から解放された。愛を知ることで。信頼することで。自分の過去を正確に知ることで。私はついに、痛みと訣別した。
痛みも懐かしむべきものか
痛みと取り替えられたのは、花子の存在。
彼女が「そうなの」ときけば、私はこう返事する。
「うん」
終わり
男の半生 ジュン @mizukubo
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