第2話花子

今日は、花子さんと会う約束をした日だ。お金がないので、ラーメン屋でデート。お金がないのは、つらいことだ。

ところで、花子さんの本当の名前をきいたら「花子です」と彼女は言った。「そうなんだ」と僕。

僕も自己紹介した。

「僕は山田太郎」

「あら、私みたいに古風なお名前」


ラーメンを食べながら話をする。

「花子さんは、いつからメルビルで働いてるの」

「五年くらい前から。ちょうど、太郎さんがいらっしゃるようになった時くらいからね」

「そうなんだ」


僕はきいた。

「彼氏はいるの」

「いないわ」

それをきいてホッとする。

「私ね、変わった性癖があるの」

「なに」

「真夜中に散歩するの」

「危ないよ」

「そうよね。でも、それが好きなの」

「なぜ」

「発見することが多いのよ」

「へえ」

僕は思った。「発見すること」ってなにか。

「ここのラーメンおいしいわ」

正風まさかぜは僕がよく通う店なんだ」

「太郎さんは私のことが好きなんでしょう」

「うん」

「私のどこが好きなの」

「きれいなところと……」

「…………」

「うまく言葉にできないけど、物怖じしないところかな」

「ここのラーメン本当においしいわ」

「ありがとうごぜいやす」と親父が言う。

「太郎さんは、本は好き?」

「うん」

「どんな本?」

「文学」

「そうなの。好きな作家は?」

「メルヴィル」

「『白鯨』?」

「そう」

「読んだことあるわ。でも、私には、いまひとつわからなかった」

「おもしろい作品じゃないからね」

「そうね」

「ごちそうさま」と彼女。

「ごちそうさまでした」と僕。

二人同時に食べ終えた。

「メニューに餃子もあったわね。次は餃子も頼もうかしら」

「次って、二回目のデート、オッケーってこと」

「はい」


今日は、二回目のデートの日。

正風でのデート。

「今日は餃子も頼むわ」

「花子さんは好きな作家とかいる」

「太宰治」

「!……僕は太宰が嫌いだ」

「!……なぜ」

「命を粗末にしている」

「それは違うわ」

「違わない」

「私、帰るわ」

「…………」


後日、彼女から電話があった。彼女は言う。

「命ってなに」

「愛だ」

「愛ってなに」

「真夜中の散歩さ」

「!……」

彼女は電話の向こうで泣いている。

「太郎さん!」

「花子さん!」

「私に愛を教えて!」


彼女が言っていた「発見すること」とはなにか。僕はそのことを考えていた。彼女は、おそらく、発見できないことがあるのではないか。だから、発見することを続けているのではないか。彼女は、一見したところ、彼氏がいて当然なほど、きれいで明るい。そんな女性が独りでいるのは、なにか理由があるのではないかと僕は思う。彼女の鮮明な印象とは裏腹に、決して現されないなにかがある。僕はそう思った。


電話越しに、命は愛だとか愛は真夜中の散歩だとか、かっこいいようなことを言ったけれど、そもそも、私自身、愛がどんなものか知らない。これは、電話を切って、落ち着いてから考えてみるとおかしく思えてくる。私は、再度、自分が口にしたことを考えた。命は愛に結実し、愛は真夜中の散歩、つまりは、発見することに結実する。それは間違いのないことだと思っている。けれど、人間にとってこれほどむずかしい仕事はない。愛することは「すべて」であり、真実の表現であり、革命である。この革命は「個人的なもの」である。だからこそ、individual revolution 個人的革命は、人を人たらしめる条件だ。私は、自身の過去と現在をつなぐ、そして未来を展望する力というものの発露に、愛し合うことが最大の役を担うと考える。この考えは、ある意味で世間一般でも、しばしばきくところである。しかし、皮肉なことに、この流布された言葉の真の意味、その言葉を超えた、行為としての「記号でなく」価値を知る者は少ない。私は、愛し合うことは、人にとって、とりわけ愛を知らない者にとって、唯一の現実と理想の一致点であって、そこにたどり着けたなら、ついには、孤独というものと訣別することができるのだ、そう確信している。勘違いしないでほしい。現実と理想の一致点とはいっても、それは理想的ということとは異なる。理想的な生活をしています、とか、理想的な人生を歩んでいます、とか、そういった類いの理想ではない。再三にわたって主張したいことは、愛し合うことが、俗悪でない、純粋に人の生きることの歓びをえるために、その主体に癒しを与えてくれる。「癒し」という言葉は誤解されている。癒しは気休めではない。癒しの真価は、人に他者を信頼する能力を育んでくれることだ。


私は叫んだ。

「自由!」

「自由!」

「自由!」

「私は自由でいたい!」


「愛!」

「愛!」

「愛よ!」

「私は愛し愛されたい!」


「もっと!」

「もっと!」

「もっと!」

「確かさをもって!」

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