地獄の97丁目 驚きの天界②

 全速力で皆が集まっている場所へ戻ると、クロードはすでに隊長と合流していた。隊長が向かった先にはフェンリルのヴォルとケルベロスのダママがいたはずだ。その二か所をもう回り終えたのだろうか。


「うむ。大体の事情は分かった。報告ご苦労」


 しまった。もう報告は終わってしまったか。変な事を吹き込まれていたらどうしよう。俺の前ではそのまま話すと言っていたが、あのいけ好かない男をそのまま信用していいものか。


「そっちはどうだった? キーチロー」

「一応、ありのまま? を話したつもりだけど」

「そうか。ニムバス隊長の方は犬好きだった」

「へ?」


 どうやら、先にフェンリルに遭遇した後、簡単な質疑応答を経て、ヴォルを神速モフモフしていた様だ。さらにその後、ダママに至ってはずっとじゃれ合っていたそうだ。


「ただ、無表情でじゃれ合っていたのが不気味だったがな」

「なにそれ怖い」


 クロードから説明を受けたニムバス隊長はしばし考え込むような素振りを見せたが、時計を見て早口でまくし立てた。


「残り12分は質問に使わせてもらう。まず、ここの生物は全て放し飼いになっているが、この点について危険は無いだろうか」

「そもそもアルカディア・ボックス――――ああ、この施設の事ですが、外界との一切を遮断されており、職員以外は通り抜け出来ません。よって危険にさらされるとしても、最低限ここにいるメンバーのみとなっておりますわ」


 まあ、ローズが人間界にダママを連れて行ったことはあるがな。それは黙っとこう。


「なぜ、職員は地獄の生物に襲われないのだろうか」

「誠意をもって接すれば、魔獣、魔物と言えど心を開いてくれます。ここにいる職員はこう見えて全員がスペシャリストですから!」


 ローズは胸を張って答えた。今日は全員、以前支給したつなぎの作業服だが、またしてもローズは胸元ギリギリまでジッパーを開いている。こんなしょうもない色仕掛けが通用するほど天界のスペシャリストは甘くな……


「ゴホンッ! では、つ、次の質問だ」


 効いてる。隊長顔を赤くして目を背けてる。見た目はいい年してそうなのにそんな純情でいいのか? 相手にしてるの魔族だぞ? 普段の仕事ぶりが気になる。片やクロードは逆だ。胸元から一秒たりとも視線を外さない。強い。こいつは強敵だ。俺の勘がそう言っている。それにしても男が女の胸元を見る視線てこんなに露骨なのか。気を付けよう。


「この施設内の生き物は、地獄の同個体と比べて非常に強い魔力を蓄えているようだ。加えて特殊な形態変化も観測された。これについての説明を」


 うう、核心部分だ。


「それについては我から説明しよう」


 デボラがグイっと前に出て説明する。


「この施設の目的は希少生物の保護と繁殖である。故に個体識別の為に名前を付けた」

「ふむ」

「元々、物に名前を付けることで魔性を帯びる事象自体は観測されていたのだが、地獄においては魔物に個別の名前をつける事例はほとんどなかったため知られていなかったが、この法則は魔物にも適用される様だ。即ち、予想外ではあったが、これもこの施設の研究成果と言える」

「つまりは狙ってやったわけではないというのが本筋だな?」


 クロードが嫌味な口調で聞き返す。


「ああ。そういう事になるな。続いて形態変化であるが、これもまた偶然の産物。ドラメレクの一派がここに入り込んだ際、戦闘になったのだがその際、職員の一名が負傷する事態に陥った」

「ちょっと待て、さっきは職員以外出入り不可と聞いたが?」

「それについてはセキュリティの穴を突かれた。以降、穴は補完し強化しておるので問題ないと考える」

「そうか、では続きを」

「……職員が負傷したのだが、その形態変化した個体は特にその職員と結びつきが深い個体で、そのストレスと魔力の蓄積がその個体に影響を及ぼしたと考えておる」

「ふむ、コントロールは可能か?」


 矢継ぎ早に隊長から質問が飛ぶ。


「コントロールというよりは何らかの強い覚醒要因が必要と考えておるので、そもそもそう簡単に起こる事象ではないというのは理解してもらいたい。研究は続けているがな」


 百点とまではいかないがある程度躱せたか……?


「なるほど。その研究成果が天界や人間界、あるいは地獄に牙を剥くことは?」

「あり得ん。そもそも地獄の生態系をあるべき姿に戻し、環境の保全を図るのが目的だからな」

「では、定期的な査察も受け入れてもらえるかな?」

「ああ、了承しよう」


 提案されなければ、スルーするつもりだったがやはり出てしまうか……。査察の受入れはリスクも無いではないからな。


「では、第一次査察はこの程度にしておこう。残り5分、最後にフェンリルを触らせてもらっていいだろうか」

「隊長、悪い癖が」

「何がだ、クロード」


 良かった。隊長は懐柔できそうだ。


「ここは一見和やかな施設ですが、怪しい匂いもプンプンします。追跡の査察は私も同行させていただきます。案内はローズさんで」


 下心丸出しですがな。


「ご指名ありがとうございまーす。ご案内は前金制でございます!」

「うむ、いくらだ」


 いや、払う気かよ。


「ローズ」


 デボラ様のひと睨み。調子に乗るなとのお達しだ。ローズは笑顔のまま引っ込んでいった。片やクロードは隊長に拳骨を喰らっていた。いい気味だ。


「では、デボラ殿。次回査察の日程等は追って連絡させていただく。今日は時間が無いのでこれで!」

「ああ、了解した」


 そう言うと隊長はどこかへ駆けて行ったが、すぐに引き返してきた。


「失礼。デボラ殿、帰り方は?」


 このおじさん、何に向かって走っていったのだろう。方向はフェンリルか?


「心の中で外へと強く念じてもらえば最初に案内した部屋へ戻れる」

「そうか、では!」


 そう言い残すと、ニムバス隊長とクロードは姿を消した。本当に出て行ったようだ。


「ふう、皆の衆、ご苦労であった!」


 正直あまり苦労はしなかったが気苦労はしたな。いついちゃもん付けられるかと。


『キーチローさん、服に何か付いてます。襟のところ。ここに来た時は無かったものです。今、念のため職員の鼓膜のみ震わせていますので声を出さないで下さい』


 アルの一声で襟をまさぐる。何かマイクのようなものが付いている。これって所謂……。


 デボラが両手を合わせると手の間から小さな箱が出てきた。デボラは黙ってマイクを箱の中に収めると、何重にも同じような箱を作り、マトリョーシカのように詰めていった。


「盗聴器だな」


 作業が終わったのか、デボラが口を開く。


「油断も隙も無い」

「全くです。会話は全て油断させるためのものだったのでしょうか」


 ここまでほとんど喋っていなかったキャラウェイさんが眼鏡をクイッと上げる。


「あり得るな。キーチローについておったという事はクロードの仕業か?」

「曇天の意思かも」

「アル、他に異物は残っておるか?」

『この中にはもう無いようです。キーチローさんの部屋も念のためくまなく探すことをおススメします』


 やはり、特殊案件処理課。一筋縄ではいかない……。

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