地獄の96丁目 驚きの天界①

 翌朝、会社は有休を取った。自分の体の事を思うと不用意に参加しない方がいいのかとも考えたが、隠し立てしたところで、どうせ隠しきれることでもないし、そもそも復活に関しては天界も了承済みで行ったことだ。地獄の事業に参加している部分については多少弱いか。ともかく、敵対の意思は無いことを示していくのが大事なポイントだな。


 時刻は8時58分。予定では9時から査察スタートとなっていたが、早めに集合して出迎える準備を整えた。天界と言えどもアルカディア・ボックスに直接入ることは出来ないので、一旦は俺の部屋に来てもらうことになった。ココでの出迎えは俺とデボラ。他の職員は中で整列済み。魔物たちは基本、自由行動だが、ダママはチラリと見た感じ、同じところをカクカクの動きで行ったり来たりしていた。無理もないが不自然だ。


 そして、9時。長針と秒針が重なると同時に、曇天の隊長とその部下らしき人が現れた。


「今日の査察を担当する天界庶務部、特殊案件処理課、“曇天”のニムバスだ」

「……同じく、“曇天”のクロードです。宜しくお願いします」

「地獄の魔王、デボラ=ディアボロスである。宜しく頼む」

「時間がもったいない。今日の査察は30分。きっかり30分だ。では行こう」


 やってきたのは男性二人組。先に名乗った人が隊長だろう。査察官というからかっちりしたスーツでのお堅い役人でも来るのかと思いきや、大変に動きやすそうな白の装束で内側には黒い帷子のようなものを着込んでいる。総じていえば色こそ白いものの忍者。より悪く印象付けるなら暗殺者アサシンとでも言おうか。先ほどの紹介にあった“処理”がだと納得できる雰囲気。


 ニムバスと名乗った隊長は頭を剃っているのか、お坊さんのようなツルツル頭。精悍な顔つきに太い眉、口の周りにはキッチリ手入れされた髭。無駄のない筋肉で、立ち居振る舞いからも相当な手練れだと推察できる。見た目には40代前半に見えるが、天界の加齢事情はよく分からないので適当な事は言わない。


 クロードと名乗った方は、長髪を後ろで結わえていた。こちらも隙の無い動きだが、どうにもいやらしい。スケベそうな、という意味ではなく人を値踏みするような目つきにずっと片側だけ上がった口角。何やら心に一物ありそうで、第一印象は“嫌い”だ。人間でいえば30代に見える。


「では、この箱に向かって『中へ』と念じてください」


 俺が案内すると、二人は箱庭へと吸い込まれていった。初めて人が箱庭に入るところを見たかもしれない。こんな風に飛んでいくんだ。


「我等も行こう、キーチロー」

「ああ」


 俺達が中に入ると二人はすでに職員と言葉を交わしていた。曇天の二人はローズのセンサーには今のところ反応が無いようだ。さすがに弁えている……か?


「さて、残り25分しかないので、急がせてもらう。まずは中の広さを教えてくれ」

「5万バアルですわ。人間界の基準で北海道程の面積に相当します」


 細かい説明はベルとローズが担当。


「5万か……。さすがに25分では回り切れんな」

「隊長、問題は生き物です。何やら強力な気配が2、3匹」

「ああ。ベルさん、でしたかな? 生き物、勝手に見させてもらうが宜しいか?」

「ええ、どうぞ。中の生き物は全て安全です」

「じゃあ、クロード、お前はあっちを頼む。俺はこっちの2匹を」

「御意」


 返事をすると同時にクロードは音もなく駆け出していた。一応、俺はこのいけ好かない方を追う。こっちは確かカブタンの住処だ。


「ん? おや、私結構本気で走ったのですが。あなた何者です?」


 マズイ。同行するつもりで付いていったが、早くも存在を訝しまれている。


「しょ、職員の一人です。この中を日夜走り回っておりまして。足腰には自信が」

「あの地獄の……いや、ここでそれはややこしいか。凶悪な鍛錬と同等の脚力を得るとは。どういう施設なのでしょう」


 クロードはため息にも似た浅い息を吐いた。


「何の変哲もない繁殖施設ですよ。ハハハ」

「ほう、何の変哲もない施設の一般職員が特殊訓練を受けた天界の職員と。なにやら侮辱めいて聞こえますがまあ、いいでしょう」


 相変わらず、人の事をじろじろと見てくる。それも決して愉快とは言えない目つきで。困った人だ。


「さて、問題の生物一匹目ですかな?」


 クロードはカブタンを見つけると手をあごに添え、マジマジと観察している。


「ふーん、蜂の様だがキラービーとは別系統。地獄の生物なのに襲ってくる様子無し。この生物は何という種類ですか?」

「ヘルワームです」

「ん? もう一度お願いします」

「ヘルワームですね」

「私の知るヘルワームとは形状から何から全く違うのですが、本当にヘルワームで合ってますか?」


 正直、全く別種の生き物ですと答えて終わりにしたいところだが、そうは問屋が卸さないんだろうな。


「特殊環境に適応するために形状が変質したようで」

「少々……ね」


 マズイ。元々好意的ではなさそうな方がますます疑惑の目を向けている。隊長の方は大丈夫だろうか。ココは一旦本当のことを織り交ぜてみよう。


「クロードさんはつい先日まで魔王を名乗っていたドラメレクという男をご存じで?」

「ええ、まあ。うちの職員が捕らえました」

「あの男の配下とと遭遇した時に強いストレスを受けたようで、対抗策を得るべく、このような形に変態した模様です」

「確かに攻撃的なデザインですね。元の芋虫のような姿は跡形もない」


 クロードはまたしてもあごに手を添え、何やら考え事をしている。


「……わかりました。とりあえず見たまま聞いたままを隊長に報告させてもらいます。判断は現時点で保留です」


 よかった。今のところまともに応対してもらえている。変な言いがかりでもつけてくるかと思ったが意外な反応だ。


「では、戻りましょう」


 クロードはまたしても音もなく来た道を戻りだした。どうしよう。簡単についていくとプライドを刺激するだろうか。


「キーチロー。一応喋らんかったけど大丈夫そうか?」

「ああ、多分。俺達の方でちゃんと説明するからカブタンは心配しないで」

「ほな、俺らはあっちでエサ食べてるわ。なんかあったら連絡してや」

「おっけー。んじゃ」


 カブタンに手を振ると、俺はクロードを追いかけた。

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