地獄の63丁目 地獄生物の覚醒

「キーチロー、今助けたるからな!」


 身動きがとれない我らの不意を衝いて現れた謎の生物は妙な言語を使っていた。そして、聞き覚えのある声。この声はまさか……。


「行くで!」


 現れた生物はオオスズメ蜂のような姿に一本の角、凄まじい早さで羽をはばたかせ、空中をホバリングしていた。


「あ、あんな虫は見たことがない……!」


 キャラウェイ殿すら見たことが無い虫……? そんなものがなぜ今ここにいるのだ。その虫は加速すると、目にも止まらぬ速さでコンフリーに傷を増やしていく。


「な、なんですか! この虫ケラは!」

「今や! ヴォル!!」

「ヴォルだと!?」


 コンフリーの背後から突然現れたヴォルはコンフリーの腕を食いちぎり、キーチローを救出した。


「グルルルル……」

「ヴォル、お前……」

「デボラ様。今こそ我ら恩に報いる時。折しも彼奴きゃつらは我らの同胞を奪いし輩共、目に物を見せてやります!」

「待て! ヴォル!」


 我が制止するのも聞かず、ヴォルはリヒトとシュテルケを狙い始めた。明らかに以前より、強さが増している。


「たかがフェンリルがっ! なんでっ!」


 なんでこんなに強いんだと言いたいんだろう。我が聞きたい。地獄に住んでいた頃のヴォルではない。初めて会った時にあっさり禁忌キッズに捕らわれていたあのヴォルではない。


「くっ……このままでは……やられます! コンフリー!」


 その時、奴等にとって今は最も聞きたくないであろう低い唸り声が増えた。


 ……三つ。


「デボラ様っ!」

「私達も!」

「来たぜ来たぜ来たぜえええ!」

「ダママッ!?」


 天に向かって遠吠えを一つ高らかに上げたダママがターゲットにしたのはシュテルケ。あっという間に爪と牙で引き裂き、噛みちぎる。が、最初の一撃以降、結界にすんでのところで阻まれているようだ。


 ……何が一体どうなっておる!? これがボックスの中で名前を付けられて育ったというだけで説明が付くのか!? きゃ、キャラウェイ殿は!?


「あ、ダメだ。恍惚の表情のまま固まっておる」

「デボラ様っ!今のうちにキーチローさんに結界を張ります!」


 わ、我としたことが集中力を欠いておった。ベルの言うとおりだ。まずはみんなを守らなくては。


「ローズ! 結界魔法は使えるか!?」

「はっ、なんとか!」

「ベルをサポートしてやってくれ! 我はダママとヴォルと……恐らくカブタンであろう奴を守る!」

「畏まりました!」

「セージとステビアは……我の後方へ!」

「はいっ!!」


 しかしなんと言う早さ、力強さ。


「くっ、舐めるな! 犬っころ共が!」


 コンフリーが残った右手を天に掲げると大きな透明の球体が現れた。あれは……! マズい!


「ヴォル! 逃げよ!」


 しかし、我の言葉はほんの僅か、届かなかった。あっという間にヴォルが捕らえられてしまったのである。


「このままでは、流石に帰れ魔せんのでね。凶都で買い忘れたお土産、ここで戴いて参り魔しょう!」


  ☆☆☆


「今……何が……どうなって……」

「気付いたか! キーチロー! 説明は後だ!」


 あれは……コンフリー? なんで片手が……。それにヴォルが! ダママ!? あの色はカブタン!?


「キーチロー! お目覚めか!? 世話のかかるやっちゃでほんま!」

「今まで世話したのは俺だろうが! あ痛っ!」


 そうか、俺の骨折れてんだ。叫ぶだけで左腕に響く。


「ここは、撤退の一手でござい魔すね。坊っちゃん!」

「クソおおおおっ!!」

「早く……逃げなくては……っ!」


 コンフリーと禁忌キッズは瞬く間に姿を消した。


 ヴォルを道連れに。


「クソっ! 我としたことがっ! 想定外の強さだった!」

「仕方ない、前魔王の右腕だったんでしょ?」

「違う! ヴォルとダママと……それにカブタンだ! このまま勝ってしまうのではないかと思うほどに!」


 デボラは苛立ちを隠さず叫んだ。俺は折れてないほうの腕でデボラを抱き締めた。


「みんな俺を助けてくれた。本当に感謝してる」

「我は……何も出来なかった……」

「デボラ様……」


 ベルは俺の上がらない方の手を庇うように、デボラを支えた。


「デボラ様、ヴォルを奪還しましょう。彼はもう私たちにとって大切な仲間です」

「ああ……ああ、そうだなベル。大切な仲間だ」


 必ず……、アイツらの野望を阻止するためにも、必ず取り戻す。



  ☆☆☆


「シュテルケ! シュテルケ! 返事をしろ! コンフリー! ケルベロスの毒が!!」

「坊ちゃん! しっかり! 今マンドラゴラのストックを使い魔すので!」


 コンフリー、リヒトがシュテルケの身を必死で案じている現場に、眠りを妨げられたかのようにのっそりとベラドンナがやってきた。その表情は怒りと呆れを内包した不機嫌なものだった。


「おっとっとぉ、ソレはドラメレク様に召し上がっていただく大切なマンドラゴラだねぇ」

「今は緊急事態です! 坊ちゃんの身が!」

「私にとって大事なのはその子じゃなくてドラメレク様なの。そこを忘れないでほしいもんだねぇ」

「くっ……! お前っ!」


 ベラドンナの爪が鋭くリヒトの頬を切り裂く。どうやら爪は一瞬にしてリヒトの横を通過し、後ろの壁を貫いたようだ。


「ベラドンナ……! 貴様っ!!!」

「勘違いしないで欲しいねぇ。私はそこのゴキブリを始末しただけさぁ」

「どこにゴキブリなど!」

「おやぁ? 勘違いだったかねぇ? それとも跡形もなく吹っ飛んだ?」


 もはや、言葉を絞り出す気さえ消え失せ、コンフリーとリヒトの顔には青筋が浮かぶ。そんな一触即発の事態を感じ取ってか、ベラドンナは長いスカートの中から大量のマンドラゴラを取り出した。一つ、また一つとゴトゴト音を立てて謎の空間から落ちてくるマンドラゴラはゆうに十個を数えた。


「今日、私はこれだけの成果がある。お前たちはまさか骨折り損、いや、腕切り損なんてことはないだろうねぇ?」

「コレを見なさいっ!」


 コンフリーは手をかざすとヴォルの収納された透明な球体をどこからともなく取り出した。


「ほぉ! フェンリル! じゃあ、取引成立だ。マンドラゴラ一個、好きに使いな」

「くっ……!」

「リヒト様。今はシュテルケ様を!」

「わかった!」


 リヒトは足元に転がったマンドラゴラを煎じて、シュテルケの口に含ませた。すると見る見るうちに紫色だったシュテルケの顔に赤みが差し、スゥスゥと寝息を立て始めた。どうやら間に合ったようだ。


「良かった……」

「坊ちゃん……」


 一方、ベラドンナは恍惚の表情でフェンリルを見つめながら舌なめずりをしていた。


「お前は鍵が揃うまでは手出ししないよぉ? 安心して欲しいねぇ。でも……ああ……ちょっとだけ傷付けてもいいかねぇ? ちゃんと痛みを感じるように切ってあげるから……ああ……でも我慢我慢。ちょいと、『堕悪』の馬鹿どもでもいじめてくるかねぇ。フフフフフフフフヒヒヒヒヒアハハハハハ」


 ベラドンナが堕悪のアジトに向かうまで、気味の悪い高笑いが消えることは無かった。

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