地獄の62丁目 侵入者

 出張(後半は観光)から戻った俺達は旅の疲れをそのままに、一旦解散して眠りについた。翌日は土曜という事も有り、体力回復を優先した次第である。目覚めてみると時間はもう10時を回っていた。


「ま、いいか。土曜日ぐらい」


 布団の中から出たくない一心で二度寝に突入したところで、不意に左半身に温かみと人の手らしきものを感じた。


「よくないぞ。またアルカディア・ボックスにすごいことが起きた。」

「ぬおっ!!」


 心臓に悪い登場の仕方はやめてくれと言っているのにこの有様。いつか本当に死んじゃうぞ。と言いたくなったが、死んだところで好都合と言うのはもう繰り言になるので止めた。


「今日は何が起こった?」

「秘密だ。来てのお楽しみだ。早く支度しろ」


 突然やってきたかと思えば要件をぼかした上で人の大事な休日を奪い取ろうとは。この悪魔め……。でも、デボラのこの目の輝きはただ事ではない。とりあえず、俺が顔を洗って歯を磨いている間にデボラが作ってくれたおにぎりと味噌汁をテンポよく口に押し込む。手作りなのはおにぎりだけで味噌汁はインスタントなので味の方に心配はない。おにぎりの中身は……、冷蔵庫にあった納豆だ。どうやって詰め込んだのか気になるところではあるがこちらも味に問題はない。着替えは……6~7年は着ているこのパーカーでいいか。


「準備完了!」

「よし、では行こう! きっとビックリするぞ!」


 俺の手を取り、アルカディア・ボックスへ転移するデボラ。しかし、その時俺は古びた黒いパーカーにきっちり保護色となるハエが止まっていたのに気付かなかったのである……。


「見ろ! キーチロー! 卵だ!」

「卵ってこれ……ヒクイドリの?」

「そうだ! アグニとベスタの卵だ!!」


 うおおおおっ! ついにアルカディア・ボックスで次世代が生まれたか! 最初はカブ吉だと思っていたけど、まあここは夫婦だもんな。


「おめでとう! アグニ、ベスタ!」

「ありがとう、キーチロー。あのまま地獄に居たら卵すら産まれていたかどうか……」

「まだ、しばらくは温めていかないといけませんからね」


 巣の上で満足そうに卵に覆いかぶさるベスタ。そう、確かにまだ卵が産まれただけだ。殻を破って無事に出てくるまでは油断できない。


「誕生の際はつきっきりで録画しますからね! 絶対に呼んでくださいね! かあーっ! 新しい生命の誕生かー!」


 初孫でもできたおじいちゃんかよ、と言うようなセリフを吐いているのはキャラウェイさん。興奮が頂点に達しているようであのローズすら少し引いているようだ。セージとステビアも嬉しそうにヒクイドリの様子を見ている。


「私達はもう知ってたんだけどねー。デボラ様やベルが帰ってきたらすぐに教えてあげようと思って」


 ん? そういえばベルは……? ヒクイドリの事ならカッ飛んできて号泣してそうだが。ベルを探してキョロキョロしているとローズがニヤニヤしながら指を差す。木の陰から覗いている不審な人物、あれがベルか……? とりあえず駆け寄ってみたが動きがない。完全に放心状態の様だ。


「おーい。こんなところで何してんの?」

「……ハッ! 私としたことが、感動の余り魂が飛んでおりました」

「地獄の住人がが何言ってんの。それよりなんでこんな木陰から覗いてたんだ?」

「実は私、出産とか孵化とか生命の誕生が未知のもの過ぎて怖くて」


 ビックリするぐらい飼育員に適正の無さそうな事を言われた気がするが。まあ、なんでも初めての事はおっかなびっくり経験することだもんな。


「それはともかく……本当に良かった……」


 ベルはやっぱり号泣しだしてしまった。


『みなさーん、アルでーす! アグニさん、ベスタさん元気な赤ちゃん生んでくださいよー!』


 突然、アルの声が響いた。アルの方から話しかけてくるのはお知らせの事が多いので、お祝いムードの中、全員が一斉に押し黙った。


『デボラさーん、この子が無事に生まれたら私、相当なレベルアップする気がします!』

「そうだな! これは間違いなく高経験値だ! レベルアップはそういうシステムなのかどうかは知らんが」

『それとは別にですね。確認なんですがー。最近、ハエって捕えました?』

「何……? そうか、ハエか」


 デボラが俺の背中から飛び立った三匹のハエを素早く叩き落す。


「我としたことが、害虫の侵入を許してしまったか」

「フフフ……。害虫とはまた、酷い扱いでござい魔すね」

「ベラドンナめ! ざまぁみろ! 僕たちのが早く目的を達成しそうだぞ!」


 ハエの姿からいち早く元に戻ったコンフリーは俺の首を腕で絞め、一同から距離を取った。苦しい。信じられない力だ。少し力を込めれば俺の首は簡単にへし折れてしまうだろう。


「さて、いちいち要求するのも馬鹿らしいですが、マンドラゴラとフェンリルのところへ案内してくれ魔すか?」

「キーチローを離せと言っても無駄なんだろうな」

「無駄ですね。次に口を開くのはイエスと発する為だけです。さもなくばこの子のたくさんある骨をどこか一本折ります」


 マズイ。マズイマズイマズい。俺は何の耐久値も無いただの一般人だ。拷問にだって耐えられないぞ。俺は絶望的な気持ちで辺りを見回したが、デボラが凄まじいプレッシャーを放っている。その他のメンバーも臨戦態勢だが、人質である俺を気にしてか、身動きが取れずにいる。


「おお、怖い怖い。震えて手が滑りそうです」

「イエスだ。妙な真似をするなよ」

「物分かりがよくて結構です。でも、イエスの後は不要です」

「ぐっ……、ああああああああっ!」


 鈍い音を立てて俺の手がだらりと垂れさがる。あまりの痛みに目の前が真っ暗になった。


 最後に見えたのは恐ろしい形相でこちらを睨んでいるデボラ。


 最後に聞こえのは妙な関西弁。


「キーチロー、今助けたるからな!」


 そして俺は意識を手放した。次に目を覚ました時、俺の目に飛び込んできたのは片腕の無いコンフリーと全身傷だらけの禁忌キッズ、獰猛に威嚇しているダママ、そして球状の物質に閉じ込められたフェンリルの姿、そしてデボラとコンフリーの間に浮いている見たことも無い生物だった。俺はと言うとデボラに抱きかかえられている様だ。


 き、気絶している間に何が起こったんだ?

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