第7話 正しき悪役(ヴィラン)の条件 美しき哉、悪徳の栄え

時折思う。


今の時代、昔に比べ何もかもが以前とは比べ物にならぬほどすべてが進化し便利になったし豊かにもなった。着実に文明は発展していると。


金さえ積めばおよそ全てが手に入る。家も。車も。料理も。衣服も。贅沢品も。時には権力や暴力、人心、あるいは人身も。


所詮どれだけ高説を垂れようが気品よく振る舞おうが。人間とは知恵を持つ悪意と欲望の獣である。


誰かを救うのも、『自分は善人だと信じたい』『正しく在りたい』『誰かのために奮い立つ自分は素晴らしい』『自分が嫌な思いをしたくない』そんな醜い本性、本能を覆い隠す為、エゴイズムという自分の歪んだ影から目を背けたいが為に人は道徳や理性といった仮面を被る。


誰に対しても自分は『公正明大、正義である!』と。


実に陳腐で馬鹿げた話である。人間とは誰しもが、生まれ以ての罪人、咎人であるのに。


いつまで人々は掘った穴を埋め返すのか。


衆愚政治。今の世界の有り様はまさに衆愚政治そのものである。


───失敬。余談はここまでにしておこう。


今回は私が理想とするヴィラン、つまりは悪役の条件を提説していきたい。


全ての物事には裏と表がある。黒と白。闇と光。死と生。夜と朝。


英雄(ヒーロー)と悪役(ヴィラン)。


正義と邪悪。


ヴィラン。なんとも素敵な響きだ。さながら光に照らされ黒くも美しく艶めき輝く黒曜石のような魅力さえ感じる。


ヒーローとは誰もが憧れ誰もに愛され誰もに讃えられる。まさしく救世主。英雄であるのだろう。


しかし私は悪役にこそ美徳を感じる。正しさもヒーローも唾棄すべき存在だとすら思う。


正義を唱うことも。正義を掲げることも。正義を貫くことも。実に安く、容易い。


そして、正義とは。正しさとは時として砂の城のように脆い。


だが悪はどうだ。


悪を唱うことも。悪を掲げることも。悪を貫くことも。それは酷く辛くて。周りには敵しかいなくて。誰も認めてもくれない。


歩む道は棘の道で。歩む先には祝福も栄光も勝利も何もない。行き着く果ては間違いなく地獄だろう。


そのあり方はまさしく悪鬼羅刹、修羅が如くである。


結論を語るのであれば悪は正義よりもはるかに重く、冷たく、しかして限りなく美しい。


理想も大義も正しさもなく、何もかもを巻き添えにし黒く禍々しく燃え盛り煌めく黒き太陽のようだ。


そして何より悪が悪に成り果てるまでに至るエピソードはヒーローの誕生と違い、人々の思いに深く深く刻み込まれるものが多い。


分かりやすい例で言うならバットマンのジョーカー、スパイダーマンのグリーン・ゴブリンなど。


彼らは誰から見ても間違いなく掛け値なしの悪党であろう。だが彼らのエピソードやその強烈な個性は少なからず人々を惹き付け魅了する。


そして何より、悪役の大半は『正義のヒーロー』や『自分達は正しい』と思い上がり傲慢と醜悪の限りを尽くしてきた陰惨な背景、時代や世界の闇から誕生してきた者達なのだ。


ともすれば。『悪役(ヴィラン)』を産み出した正義や社会こそが真性の邪悪そのものではないかとすら思う。しかも自覚すらなく、あまつさえ自分達は正しいなどと信じきっている辺りなど正義や世界の方が手に負えない。何より美しくも面白くもない。


悪役(ヴィラン)の行いはおよそ褒められたものではない事が殆どだ。


故に彼らは忌み嫌われ、疎まれ、愛されないかもしれない。だが。


その不器用で無作法で無鉄砲で荒唐無稽で危険な魅力と輝きを兼ね備えた在り方がどうしようもなく愛しく思える。


英雄(ヒーロー)には不可能な手段で、悪役(ヴィラン)が世界を救う。きっとそれは到底正しい手段ではないかもしれない。


最も救いから遠くかけ離れた最悪のプランを実行するかもしれない。


だが正しさだけで全てを語れもしない、救えもしない事ばかりなのが現実だ。


正義で、正しさで。果たして何人救える?そんなものが何になる?


更に言うなら現実にはヒーローは殆ど存在しないが、悪党は腐るほど存在する。


この現実世界において。


正義に殆ど需要はないが。


悪には圧倒的なまでの需要がある。


暴力を。略奪を。裏切りを。騙しを。偽善を。不条理を。みっともなさを。汚らわしさを。嘘を。


愛する人間が世の中にはほぼ無尽蔵に存在する。


だから。


虐めも。犯罪も。差別も。迫害も。戦争も。破壊も。世界からは一生なくならない。


人間が。人類史がそれを望み。それを繰り返す愚かな種族である限り。


『悪』は世界から消え去ることはない。


だからこそ。今の時代には圧倒的な力とカリスマを兼ね備えた真の悪役(ヴィラン)が必要なのだと私は思う。


『悪役がヒーローに勝てない』のは何故か?


それが『お約束』だからだ。物語の最後は必ずヒーローが勝利する。もっと言えば悪役の敗北があらかじめ決められている。


であれば。その定義をひっくり返してしまえばいい。


故に私が理想とするヴィランとは。


善を殺めるために善を演じ。


ヒーローを打倒する為に時にはヒーローにすらなってみせる。


毒を以て毒を制す。埋伏の毒。致死量の悪意を携えた圧倒的な悪。


すなわち悪の華。鮮烈に、悪辣に輝く美。


これこそ私が考える真の悪役(ヴィラン)である。


完。







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