第3話 SNSは果たして百害あって一利無しなのか 欠陥人間の考察と葛藤
『過ぎたる欲、過ぎたる力は必ず破滅をもたらす』。
古来より散々語り継がれてきた真理。しかしこれほど今の世界、今の時代を表した格言はそう無いだろう。
人類史は欲望と理想と夢を追いかけ続け、今日まで発展し目覚ましい進化を遂げ歴史を築いてきた。
近頃ではコロナウイルスにより極限状態に追い込まれた人間の本能的な、根本的な邪悪さが明確に浮き彫りになったわけではあるが、今日語るのは『SNSは百害あって一利無し』であるか否か。此処から話を始めていこうと思う。
昨今では、不特定多数の一般人がSNS上で有名人や著名人を袋叩きにし自殺まで追い込み何の裁きも受けず罪を償わないでおきながら素知らぬ顔で平和に暮らしている事が社会的問題となっている。極めて許しがたい話だ。
もちろんSNSは便利だ。TwitterもYouTubeもインスタもコミュニケーションツールとして役立つしそれで生計を立てている者もいるし、なんだったら人助けをしている者もいるだろう。
成る程。素晴らしい。此処だけを見ればそれはとても素敵な事なんだろう。
だがSNSを『本当に正しく十分或いは十全に使いこなせている人間』は果たして世界人口全体から見て何割程度か?
恐らくは一割未満程であろう。
であればSNSはやはり百害あって一利無しである。
もっと分かりやすく言うなら
『SNSを悪性に利用することしか出来ない人間こそがまさしく害悪そのもの』
であり今世界中は殆ど其で埋め尽くされていると言っても過言ではない。
人間とは即ちその本性は基本的に『悪』であるがゆえに残念ながらそれ以外の選択肢を持ち合わせないのだ。
どれほど画期的な、革命的な、或いは未来や世界をより良い方向性へと導くべく編み出された技術も力も人間は『欲』と『悪意』の赴くままに使う傾向にある。それをどう足掻いても止められない。それは性である。
易きに流れ、弱きに流れやすく、徒党を組めば威張り散らかし自分達の意にそぐわない者を見つければ同じ人間同士でありながら吊し上げて暇潰しや一時の感情でその個人を死まで平気で追いやる。
道徳心、倫理観、コンプライアンスなど人間の本質を覆い隠す都合の良い戯言、虚言、妄言に過ぎない。大層な言葉を掲げるだけで守ることはまるで出来ない。或いは『端から守るつもりすらない』。
自分達が『悪』であると明確に自覚しておりながら、都合の良い未来を得るため、責任逃れをするために悪であることを糺すつもりすらない。
起きてしまったことはもちろん最悪だが極めつけに酷いのが『その罪を無かったことにしようとした』『犯した罪を認識した上で逃げた』。
これが悪でないのなら何なのか。
山の頂も、海の底も、地球の核も、宇宙(ソラ)の果てさえも。星そのものでさえも。
この世の全てを自分達が知り尽くして、暴き尽くして、全てを食い潰してまで、生き長らえようとする生き汚さ。これこそが人間の本性であり人類の原罪そのものである。
失礼。話が飛躍しすぎたのでここからはもう少し戻し噛み砕いた雑な言い方で語ろうと思う。
結局のところ、社会や文明が発展すればするほど人間の悪辣さと欲望は際限なく破滅的に加速してしまう。であれば結論としてシンプルに厳罰を与えるしかないのである。
罪人に対して法的配慮は必要なく、裁判に費やす時間や無実の国民の血税、税金を費やすのも最早合理的とは言い難く思える。
人を死に至らしめた以上は顔も名前も罪状も曝され死刑に処されるか、或いは死刑よりも重く恐ろしい罰こそが相応しい。本人の人権の永久凍結。或いは半永久的な社会的排除。
今の世界は犯罪者や道を踏み外した者に対してあまりにも優しすぎるし甘過ぎる。
これでは犠牲者も遺族も全く報われず救われない。犯罪者や裁かれるべき者達ばかりが面白おかしく暮らす狂った世界はやはり正しくない。
全ての罪に、悪に対して今こそ鉄槌を下さねばならない。あらゆる不浄は焼き尽くされなければならない。罪人や悪人には世界に居場所を与える必要すらない。
もっと言うなら『やり過ぎなければ正義ではない』。
かつて世界中、様々な国では目を覆いたくなるような凄惨な処刑や拷問は必要な儀式、抑止力を示すいわば『見せしめ』として行われていた。
人を死に至らしめたのであれば血と臓物で償うは道理である。罰金など生ぬるく犠牲者が味わった以上の苦しみを味わわねばならない。
故にこそ、今この時代にこそ、この世界にこそ『処刑制度』は必要なのではないかとすら私は思う。
───余談だが私は昔から人間という生き物が心底嫌いだ。私自身、嫌な言葉をたくさんぶつけられてきたし、傷ついたり打ちのめされたり裏切られたり散々な目にばかり遭わせられた。
だからついこんな内容を書き記していると個人的な感情も入り言葉も汚くなる。上記の内容はあくまでも私が思い描いたただの空想だ。こんな馬鹿げた内容は当然通るわけがないし、恐らくは私自身袋叩きにあうかもしれない。
だが私は間違ってるとも思わない。共感してくれる者も少なからずいるだろう。袋叩きが怖いから右に習えで当たり障りのない内容を書いてもきっと『つまらない』。今の時代は『つまらない』。コンプライアンスなぞくそ食らえである。
だから遠慮せず私の中で滾る本音をこの作品にぶつけた。
そして言い訳がましい、しまらない締めくくりにはなるが私とて『全ての人間』が憎いわけではない。本当に清らかであったり面白かったり素敵な人だってきっと世界中にまだまだ沢山いる。
だから。
どうか、どうか。
正しい人々が、清らかなる人々が。
幸せでありますように。
何よりこの不完全で不安定で。
満ち欠けを繰り返し移ろい続ける月のように。
不実で不埒でこの醜くも面白おかしい世界が。
明日は今日よりもちょっとはマシでありますように。
そう願わずにはいられないのである。
完。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます