青柳(5)

『小春子は自分らしくね』

 小春子は、蘭ちゃんが自分に言った言葉を、鏡の前で自分に向かって言っている。

 鏡の中の自分に『自分らしくね』と言われた彼女は、低めのツインテールに一度は結んだ髪をほどいた。

 

 ふるさと龍宮まつりは例年通り、滑川最大の夏祭り花火イベントとして随分前から新聞やテレビで報じられていた。商業実技部と調理実習部が合同で出店する模擬店も準備万端整い、あとはお客さんが大勢押し寄せるだけだと皆が息巻いていた。

 

 イベント当日は、うだるような暑さの中でも、人酔いしそうな混雑の中でも、高校生たちは元気だった。ボクはとてもじゃないけど、歩くだけで肉球が焼けてしまいそうだった。

「よっしゃー!!海洋深層水の粉雪かき氷屋さんのオープンや!!」

「いらっしゃませー」

「どうぞー」

「シロップは、新山果樹園の幸水梨こうすいなしに、深井農園のふじりんごと、按田あんだぶどう園のとれたてぶどう果汁でーす」

「氷は、微細氷が粉雪みたいなサラサラで不思議な舌触り!」

「これは……なかなか」

「たしかに」

「文乃ちゃん……いいね」

「いい」

「商実部の売り子さん、いい」

「文乃、向いてるな」

「さすが戸破さんです」

 皆それぞれが一生懸命に役割を果たしていた。

 青柳も沓掛さんも、そして小春子も……。

 そして彼らは、目標とした売上額も用意したカップ数も軽々と達成したのだという。

「皆さん、本当にお疲れ様でした。機材や原価コストが高めだったにも関わらず、目標を大幅に上回る利益計上の結果が出る予測です。これは皆さんの努力あってのことでした。この後は大いに各自お祭りを楽しんでください。以上!」

 これにて御役御免おやくごめんとなった部員たちは、各々自由に動き出した。そしてアイツが意外な行動に出る。

「なあ、呉羽、少し喋ってもいいけ?」

 青柳だった。当然のごとく小春子は目も合わせず答える。

「私、これから用事あるから」

 そう言いながら歩き出す小春子の行く手を青柳が阻む。

「用事って何け?少し話させて欲しいんやけど」

「いや、いいから。ないから、話すこと」

 小春子が徐々に足早あしばやになる。

「あるある、僕があるがやって!」

 青柳が小走りで追う。

「なーーいっ!!」

 ついに小春子は駆け出した。

「えっ?!なんで?!」

 青柳も慌てて追い駆ける。

 このとき何故か突然にもボクは、このやりとりがとても無駄なもののように思えてきてしまっていた。何故なのか、それはもう不思議とどうしようもなく……。とにかく駆け回るふたりは、ひとまず遠くから見守ることにした。ちょうど先輩や他の部員たちも座ってくつろいでるところだしね。

「百橋さん、アレなんすかね?」

「あ?三女子なんだって?」

「呉羽と青柳が鬼ごっこしとるがですよ」

「マジか、なら代表して神子沢おまえ止めてこられよ」

「嫌ですよー」

「神子沢くんファイト!」

「下山さーん、まじカンベンっすわー」

「どうしたんだ?」

「あっ戸破さん、鬼ごっこです。小春子と青柳くんが」

「それ、どっちが鬼?」

「青柳くんです」

「それはきっと永遠に終わらないぞ」

「青柳せんぱーい!頑張ってくださーい!」

「文乃……」

 

 沈み切った夕陽が残していった残火のこりびが、空の足もとにあい紅藍くれあいで試し染めしたみたいに、色暈いろぼけた藍染あいぜんのグラデーションを横いっぱいに広げていた。そして暮れた空に染み入ったそれは、みるみる濃くなっていき、夏の夜の星空へと変えていく。

 そんな空の下でもボクは、ひとたびおこしてしまった愛染あいぜんの心に少なからずとらわれてしまっている小春子が、やはり心配だった。

 そろそろ様子を見に行ってみようと、ボクは猫背を起こした。この辺の小春子のニオイならすぐに嗅ぎ付けられる。

 

 騒がしい雑踏の中で、そこだけが異空間のように違う雰囲気を感じたものだから、ニオイを嗅ぎ付けるまでもなくボクは小春子と青柳たちを見付けられた。そう彼と彼女……何故かそこには沓掛麗奈さんまでが一緒にいたのだ。

 小春子からすれば、後方からは自分を追う青柳、前方からはその恋敵(?)の彼女の出現に、もう前にも後ろにも一歩も動けない状態……。

 でも挙動不審で状況が飲み込めてなくて混乱しているっぽいのは、小春子だけのように見えた。

 

「えっ?!」

「あん?」

「青柳?!」

「はぁ?」

 

 とにかく途中参加のボクにはまったく意味不明なこの状況……。でもこの後の会話ですべてを理解することになる。

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