青柳(2)
広い多目的室は、集められた商業実技部と調理実習部の部員たちの明るい声で賑やかだった。
ただあの空間だけは、さすがのボクでも気にせずにはいられなかったが、ボクはまだ主人の顔を見られずにいた。
「元気そうやねか、京ちゃん」
「麗奈も、ちゃんと高校きとんねか」
「なに言うとんがけよー」
「あはははっ」
「なんか京ちゃん、明るくなった?」
「そうか?」
もうやめとこう。ボクはそんな風に思った。盗み見ることを?いや違うだろう……これ以上アレを見ると、どんどんボクの主人の方を見られなくなりそうだったから。
ボクは
小春子はその二人を微笑んで見守っていた。予想通りなのか意外なのか、もうボクは何が何だか分からなくなってしまった。
「きょう、ちゃん……」
小春子が小さくそう言ったような気がした。たぶんボクだけにしか聞こえなかった声。あの青柳とかなり親しげに話すあの女子は、彼を『きょうちゃん』と呼んでいたんだ。
多目的室のスライドドアが、すぅーっと静かに開閉した。何故か小春子は誰にも気付かれることなく下校するつもりみたいだった。
これでもボクの主人だ、長い付き合いの間ほぼ四六時中一緒にいるんだ。今この主人の様子が普通でないことくらい分からないはずがない。
「だいせーどーの、てんじょーかーら」
ヤバい……ひとり歌だ。
「こーらいもんのー、しゅーげきしゅーが」
動揺してるサインだ……。
「とーてーもーこのわたしにだーけ」
そこまでだった?!
「とんでーもーない、ばつをくだーす」
詞の内容がヤバすぎる……。
小春子は、このまま自宅までこの猛烈に闇を感じる自作の歌を延々と歌い続けた……。
一転、帰った自宅には来客があった。
「あー!蘭ちゃーん!」
「おかえり、小春子」
呉羽家には親友の蘭ちゃんが遊びに来ていた。思いがけない親友の訪れに、彼女の感情のバウンドが自らを親友に飛び付かせたらしい。脱ぎ飛ばしたプーマのスニーカーが玄関に転がった。
「小春子……どうしたんけ?」
「会いたかったよ、蘭ちゃん」
蘭ちゃんは抱き付く小春子のスキンシップに、恥ずかしそうに顔を赤らめた。
呉羽家の奥まった場所に位置する床間のある一室に、小春子は蘭ちゃんを誘い入れた。遊びに来ても普段は入らない部屋に、蘭ちゃんは落ち着かない顔をしている。
「ねえ、蘭ちゃん」
「なに?!」
「好きな人いる?」
「なにけよ、いきなり……」
「いるよね?」
「えーっとぉー、
「だぁーっ!
「
「普通科には男子多いねかよ」
「お、おらんちゃよ……みんなガリガリでやーわ」
「蘭ちゃんのガリガリの定義が厳しそうでコワいわ」
「そかな……」
スイングするエアコンの冷風が蘭ちゃんのポニーテールの先をゆらゆら揺らすので、気になってボクは手を出しそうになる。
「ならさぁ……」
「ん?」
「普通科に調実部の女子おんねかぁ」
「え?誰け?」
「えっとぉ、小豆色の髪を低めのツインテールにしたアニメ声の女子」
「あーわかったわ、
「そうそう、麗奈ちゃんやわ」
「どんな人?」
「あんま知らんけど。男子にモテる子やわ」
「彼氏おるんけ?」
「そこまで分からんちゃよ」
「そっかぁ」
「どしたん?沓掛さんが」
「別に……」
「なにけ?」
「いや、別に……」
「アンタは沢尻か」
「…………」
めーーっちゃくちゃ気にしてるよ!!ボクはここまで小春子が揺さぶられてるとは思ってなかった。
そして蘭ちゃんは、今日は遅くなるとマズいからと言って、これで帰ることになった。何を思ったか小春子は、玄関までの見送りのあいだ蘭ちゃんにどーでもいー話をし続ける。
「小春子、ちょっと」
蘭ちゃんはおもむろに、ここへ来たときは抱き付かれた側だった自分からのお返しみたいに、今度は蘭ちゃんが小春子を抱き締めた。それはそっと優しくお母さんが子どもをあやすみたいに、背の高い彼女が少し小さい小春子の頭を撫でながらだった。
「蘭ちゃん?」
「小春子は自分らしくね」
その言葉に、蘭ちゃんのどんな想いが込められていたのか、ボクには知る由もないけれど、きっとこの人もボクと同様に小春子の微妙な心の動きに敏感なんだと思った。
これで小春子が落ち着いてくれればと思った。でも現実は、ボクが思うほどそう上手くいくものではなかったんだ。
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