狎鷗亭(7)

 小春子は思いの丈を打ち明けた。

 

 東坂下さんのこと。

 自分のこと。

 家族のこと。

 商業実技部のこと。

 この漁港のこと。

 この滑川のこと。

 素敵で大好きな喫茶店のこと。

 自分を助けてくれる男子のこと。

 そして、猫たちのこと。

 

 すべて小春子自身が心に感じている素直な気持ちだったのだろう。

 一方で突如として現れた自分の後輩、そして矢庭やにわにその子から自分に向けてぶつけられた心の叫びと切なる願い。

 道の辺みちのべに連なる車からのヘッドライトでほのかに照らされたこの灯台の先で、かがんだまま小春子の話を聞いていた彼女は、ゆっくりとカメラを持って立ち上がり、微笑んでみせた。

 

「いいよ。愛する私の故郷だ。力になろう、うん」

 

「あっ!ありがとうございますっ!」

「ただ……」

「はい!」

 

「君に……その覚悟はあるかい。うん?」

 

 その言葉に小春子が止まった。自分の願いへの代償のように、逆に突き付けられた言葉は『覚悟』という言葉だった。

「あります。必ず貫いてみせます」

 真っ直ぐに前を見据えた小春子の眼には、まだ見えぬこの先のこの地の姿を写すような輝きがあった。

「わかったよ。君には不思議な力があるみたいだ、うん」

「本当に嬉しいです!本当にありがとうございます!」

 小春子は満面の笑みで感謝していた。こんなに嬉しそうな小春子を見るのは久し振りだった。

「私の写真と猫漁港の紹介が、どのくらいお役に立てるかは分からないけど、喜んでもらえて嬉しいな。うん」

 そう言いながら東坂下さんは、ボクの前にしゃがんでボクを見て言った。

「君の主人は魔法が使えるみたいだな。うん」

 めちゃくちゃ驚いた。ボクに話し掛ける人なんていないからだ。そして彼女は凝固するボクを見てニンマリ顔を見せた。

 

 

 

 

 ――私の写真と猫漁港の紹介が、どのくらいお役に立てるかは分からないけど。

 そう謙遜していた東坂下さんのインスタグラムには数万人のフォロワーさんがいて、ほぼそのすべてが猫好きなんだと小春子は言う。

 そこから発信された『猫漁港』の話題は、驚異的な拡散を繰り返しながら、同時に東坂下さんのブログに掲載された同様の紹介記事が、あらゆる猫専門雑誌などに取り上げられるまでに膨らんだ。

「すごいよ、やばいよ、『猫らいふ』や『ねこ心』とか他にもいっぱい出とるよー」

 ついにはテレビのドキュメンタリー番組で『東坂下円の世界』という特集が組まれ、世界の猫と日本の猫に、滑川漁港の猫たちもチラリ出演した。

 東坂下さんのブログの最後には『海の見えるアンティーク喫茶店』として狎鷗亭が紹介されていた。インスタグラムの写真は、ことのほかプロが撮った店内風景がそれらしく写し出されていた。

 

 

 

 

「あのすみません、このお店はどちらになりますか?」

「あっ、はい!ここから海の方へまっすぐ進んだ洋館風の建物です!」

 あれからというもの、猫漁港を訪れる猫好き観光客は、溢れんばかりの人海をつくっていた。ほのぼのとした漁港の猫たちがファンの心を癒し、訪れた人たちは思い思いの写真を撮ったり、人懐っこい猫たちと触れ合っていると、地元のニュースが伝えていた。

 もちろん狎鷗亭もそれに伴って、観光客がまるでかのように足を運んでくれた。

「海の方へまっすぐですか?」

「私たちもこれからここへ行きますので、ご案内しまーす」

 小春子と青柳は狎鷗亭に手伝いに行く回数が増えた。

「マスター!お客様でーす!」

「おー!サンキュー!」

 マスターは『ここまでされちゃ……』と閉店を取り止めてくれたそうだ。ボクはもうそんなレベルの忙しさじゃないような気がしてるけど。

 

「いつもありがとうね。そろそろバイト代ちゃんと出さんとならんわ」

「やめてください!好きでやってるんで!」

「僕もです!」

 青柳がっていうのは対象が違うような気がするけど……。

 店を出た二人が駆け出す先は、いつものクレープ屋さん『サンマリー』だった。

「こうも特別なクレープを毎回食べとったら、狎鷗亭の手伝いやめられんわー。あー美味しかったー」

「うりゃ!」

「ぎゃっ!冷たっ!なーんしとんがんけ青柳ぃ!」

 青柳は、店先の向かえで遊んでいた子どもたちが使っていた水鉄砲を借りて小春子へ攻撃を仕掛けた。

「カッカッカ、僕と付き合ってくれん天罰やちゃ」

「なんで私がアンタと付き合わんからって、天罰下されんにゃならんがけよ!」

 小春子はこのまま黙っちゃいなかった。

「ごめんねーコレお姉ちゃんに少し貸してもらえっけー」

「ズルいやろ!それ!反則やろ!」

「どりゃあー!」

 小春子がスネ夫君みたいな坊やから借りた水鉄砲は、青柳の小型ピストルとは違い、バズーカ砲のような巨大水鉄砲だった。

「デカくても当たらんにゃ意味なし!うりゃ!僕と付き合ってくれ!」

「絶対嫌やちゃよ!どりゃー!」

 二人はさっきまで水遊びしていた子どもたちよりも、はるかにズブ濡れになって夢中で水鉄砲を打ち合う。笑い転げるような二人を、子どもたちは呆然と眺めているだけだった。

 季節はかなり蒸し暑さが増してきて、毛にまとわり付くような湿気を、ボクは身震いして払った。店先にはそろそろ梅雨の知らせを待つ紫陽花の蕾が開きかけていた。

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