狎鷗亭(6)

 そういえば、今思い返すとあの写真家の女性は、小春子が自己紹介せずとも『さすが滑川高校だ』と、どこの高校の生徒なのか分かっていた。つまり制服を見ただけで学校を判別する知識を持つ人物だったということなんだ……。

 

「あの人が、この商業実技部の部長だったんですか?!」

「そや、こんな珍しい名前……間違いない。東坂下さこぎさんや……どこで会ったんや?!富山に帰って来とんがか?」

「漁港のトコです。猫見てたら話し掛けられて……」

「猫!!そや、あの人、アンタと同じ狂った猫好きやった……」

「狂ったって……。なんか不思議な雰囲気の人でしたよ」

「不思議な……確かに……」

「えっと、ことばみたいな話し方……何だっけ」

「かなり『うん』を多用して話さなかったか?」

「そうそう!!それです!!」

「間違いない」

「どんな人ながです?」

「私の尊敬する人や。あらゆる場面で、とても有意的な変革のイニシアチブを取った。例えば、生徒会が校長から一定の権限を認められ、立法・執行の組織権限を持って、校則を一部変えさせたりした」

「すごい……」

「私もあの人にまた会いたい……」

 戸破部長は写真集のページを少しずつめくりながら、憧れた人への想いを馳せているようだった。

 まだしっかりと写真集の内容を見ていなかった小春子も、一緒にそれを眺める。

 その写真集はそのタイトルの通り、外国の猫たちが数多く収められていた。

「カナダ・チェコ・ブラジル・チリ・イギリス・スペイン……」戸破部長が順にページ毎の国名を口に出す。そして――

 

「あの人なら……。呉羽の気持ちを理解してくれるかも知れない……」

 

 そう言って彼女がめくる手を止めたページに現れた猫たちは、日本の猫だった。

 おもむろに立ち上がった小春子の椅子がそのまま後ろに倒れる。

 

「戸破さん、私行きます!!写真集、預かってください!!」

 

 そう言って部室を飛び出した小春子は、普段は走らないようにしてる廊下を全力疾走した。彼女とともに走り出したボクも、階段を飛び降りるようにかわす。

 

「でぃやああああああ!!」

 

 叫びながら校門を駆け抜けた小春子が向かう先がどこなのか、ボクには何となく分かる。きっとあの、猫好きの写真家にもう一度会うつもりなのだと思った。

 ボクもあの時のことを思い出す。『もう少しだけしか富山には滞在できないけど、その瞬間を撮りたいな』そう言っていた。

 辺りはもう彼は誰時かわたれどきもとっぷりと深く染み入り、もうほとんど闇がついそこまで詰めてきていた。

 

「おらん!!おらんわ!!ものまる、どうしよう!!」

 

 あの時あの人と出会った、かまぼこ工場のベンチには誰の人影もなかった。でもボクにはどうすることもできない。

 

「だっらがああああああ!!」

 

 小春子は走った。初めてボクと出会った時のように、何かを追いかけるように走り続けた。もうどこもかしこも真っ暗闇なのに、あちらこちらの観光客が訪れそうな場所を回りまくった。

 

 車のヘッドライトが通り過ぎる度に、彼女を照らしてはまた闇に隠した。

「こんな夜に……。会えるわけないよね。もう富山にはいないのかも……」珍しく小春子が弱音を口にしている。

 カーン、カーン、カーンと火災予防を知らせる消防車の鐘の音が、幹線道路を通り過ぎて行った。赤色の光が周囲にこぼれる。

「あ……そうだった……」

 公園の遊具の上からジャンプした小春子は、橙色の明かりをともす街灯の中、観光向けの通りを北へ歩いた。

「夏の滑川のネブタ流しってどこでやるんだっけ……」

 お父さんのマブタチさんが前に言ってた場所……どこだっけ。

『夏によぉ、ネブタ流すとっこあんねか、アッコにばくきしとったがいね』

「そやった……中川原海岸だ」

 徐々に小春子の歩幅が広くなってく。そしてはやる心が彼女を自然と駆け足にさせたらしい。

「今日って……新月だよね。もしかして大潮ってやつ?」

 ついにその駆け足は全力疾走へとレベルアップした。

「いて!いてほしい!絶対いてください!」彼女が叫ぶ願い。

 近付くみぎわからは、穏やかそうな潮騒が聞こえる。海岸線には車のテールランプが連なっていた。見物に訪れる人々が懐中電灯などを持って浜に下りて行く。

「あっ!!」

 堤防の先で一度だけフラッシュが光った。そこは小春子のお気に入りの白い灯台の場所。そこへ近付く小春子は足を止めて呟く。

 

「やっと会えた」

 

 その人は灯台の下でカメラを構えていた。周囲は幻想的な青い光が海面を染め、暗闇の中の真っ黒いはずの波打ち際を、どうしようもなく真っ青な『ホタルイカ』の大群が青い波しぶきのように光っていた。

 

「ん?どなたかな?」

「滑川高校、商業実技部2年、呉羽小春子です!!」

 彼女の声はどちらかというと演劇部の役者のようだった。

「……そうか。猫のJK、君は私のちょくの後輩だったのか……うん。でも何だか、君にはもう一度会うんじゃないかと思っていたよ、うん」

「あ、あの!!東坂下さんにお願いがあります!!」

「ん?どんなことかな……うん?」

 

_b_「ここを猫漁港として紹介してもらえないでしょうか!!」_b_

 

 小春子と戸破部長が目にした、この人の写真集に収められた日本の猫は、猫好きたちがだけにわざわざ観光に訪れる地、『男木島おぎじま』という香川県の小さな島だった。

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