狎鷗亭(1)

 お日様が雲に隠されると、さっきまでポカポカしていた陽気も途端にヒンヤリする。小春子の手提げ袋が微風にカサカサ揺れた。

「喫茶店、やめちゃうんですか?!」小春子は驚きが声に出た。

「そやのう……もうだいぶ長いことやったし、お客さんも最近は安くて手軽なコーヒーショップの方が使いやすいんやろなぁ」

「でも、海が見える喫茶店……素敵な場所ながですよね?」

「そりゃ~いい眺めやわい。でも今の時代それだけのために足を運ぶってのは厳しいのかもなあ……今度来てみられ」

 そう言って、おじ様は微笑みながら去って行った。靴のかかとがコツコツといい音をさせていた。どことなく寂しそうな後ろ姿は、見送る小春子の眼差しからも反射して感じられた気がした。

 

 帰り道、小春子が鼻歌まじりに何か口ずさむ。

「し~お~かぜ~に~」

 彼女が歩きながら歌う時は、きまって気を紛らわせる時だ。

「し~ば~なく~」

 さっきから、もうずっとこの歌みたいだけど……。

「か~も~め~」

 歌そのものは小春子のオリジナルっぽかった。

 

「あっ、お父さん帰って来とったんや。早いね」

「おう?やっぱり小春子の足音やったわい」

「あ~、やってるやってる~。もうそんな時季なんけ?」

 その日は呉羽家の長い中廊下で、お父さんの趣味が繰り広げられていた。

「お父さん今日ね……」

 ――小春子が今日たまたま出会った喫茶店のご主人の話をお父さんにしている。もちろんあそこは地元の人間なら誰しもが知っている喫茶店なんだ。

「あそこはなあ~、若いモンのデートスポットやったちゃのう……。でもワシらの世代くらいまでやったんかなぁ」

「それ、何と結んどるん?」

「中ハリスとハナカンな。ここらもホタルイカの時季は観光客も増えっけどなぁ」

「浜の方もそうやけど、宿場回廊の町並みやらも、めっちゃ味のあるノスタルジックな感じ、知られとらんがかなぁ。それ何と結んどるん?」

「逆針とハリスな。瀬羽せわ町は変わってきとるっちゅう噂やじゃ」

「あ~、知っとる~。めっちゃオシャレなカフェやら人気ながみたいよ」

 美香姉ちゃんが話に加わった。

「そんなん、どうもならんしなぁ……。そこ何やったっけ?」

「掛け針の4本イカリや」

「俺に言い考えがあるぞ」

 そう言った十太郎兄ちゃんが手に持っているのは、お父さんの小型引き舟みたいだ。

「何けよ?」

「今やこの世の若者の行動の動機の多くは承認欲求。つまりSNS映えからのだ」

「だから何けよ」

「滑川にはそのネタになりそうな場所が、割と眠っとるやろ?ちなみに富山県はインスタ利用者率全国一位ながやぞ!」

「それは……なーん知らんだわ。あーあ、昔ながらの地元の老舗が店を閉めるなんて、なんか……寂しいなぁ」

 小春子が小さく呟いた。

「よっしゃ~、できた~」

 お父さんは、趣味のアユ釣りの仕掛けを手作りしていた。

「お父さんもうアユ釣りけ?」

 お母さんが台所から中廊下にひょいと顔を出して言った。

「解禁は6月やったかな」

 

「まだまだやんっ!」

 

 みんなが声をハモらせてツッコんだ。

 ――ボクはいつもお父さんがその作業をしている時、もう体がウズウズしてたまらなくなる。思い出すのは、初めてお父さんの魚釣りの仕掛け作りを目撃した時だった。

「おわっとっとっとー!!こりゃこりゃ!!ものまるっとっとっとー!!」

 細かく動く糸や金具、カラフルな目印の結び目がチョロチョロ動く度に飛びついてしまう条件反射。猫である自分の氏素姓うじすじょうをこんなにも恨んだことはなかった。

「だぁー!ものまるー!わちゃわちゃにしとんねかー!」

 小春子に見つかった。ボクはお父さんの作った仕掛けを目茶苦茶めちゃくちゃにしてしまっていた。

 ――その他にも色々ある。

 

「おかーさーん!ものまるが机や棚の上の物そこらじゅう落として歩いとんがやけど!」

「こら!ものまる!何しとんがいね!」

「小春子ぉ!ものまるが高い所からワシの腹の上に着地してくるがやぞ!」

「ものまる!ダメやねか!」

「何故ものまるは僕のパソコンのキーボードを踏みたがるんや……」

「もーのーまーるー」

「お母さんの洋服ね……全部ものまるの毛がすごい付いとって……」

「みんなの洋服……全部付いとるね……」

「小春子……ものまる私の物とにかく何でも欲しがるがやめさせてよ」

「何でお姉ちゃんの物だけ?!」

「ものまるは……ドライヤーと掃除機が嫌いなんよね……」

「そうやね……」

「あとワシの読んでる雑誌や新聞の上に必ず乗ってくるがよのう」

「読ませてやってよ」

 

 ボクは……とにかく……。

 みんなと遊ぶのが大好きな、かまってほしい猫なのだ。

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