小春子(7)

 部室の扉を開けた瞬間、クラッカーが弾けるような大歓声が小春子を包んだ。先輩と同級生は、迎える同志の誇りとも言わんばかりに小春子の手柄をはやし立てた。

 

「きゃー小春子ぉー!すごいよー!」

 下山ちゃんは、元々大きい目をさらに大きくして小春子に駆け寄った。

「呉羽!お前は同じ部活の同級生として僕の自慢やじゃ!」

 三女子君も、いつもは細く閉じているようなその目を今は大きくして喜んでいる。

「さすが呉羽や!俺の思っていた通りの逸材やった!俺の目に狂いはなかったってことや!」

 小春子がこの商業実技部に入部したきっかけは、この百橋先輩にスカウトされたことだった。先輩はいつもに増して超ハイテンションで自らの『見識眼けんしきがん』を自慢していた。

「見事だったそうやな、呉羽……」

 戸破部長は、いつもはあまり見せない満面の笑みで小春子の大手柄を誉めていた。彼女は百橋先輩とは違って、『センセーショナルな事件解決をすることが人助けの本質ではなく、地道な地域との関わり合いが最も大切』だと日頃から口にしていた。――とはいえ、後輩の見事な事件解決は素直に嬉しそうに見えた。

 ただひとりだけ、この男だけはしていなかった……。

「呉羽……。あんなこと危ないんやぞ。相手が刃物でも持っていたらどうするんや」

「何言うとんがけ青柳は!あんたは私のジャンピング・ニー・アタックを見てないから分からんがやろ!」

「いや、そういうことやなくて……」

 青柳は続けて何か言いたげに、でもその続きは喉の奥に仕舞い込んだようだった。

 その後も小春子の健闘を称える声に沸く部室内では、活弁士の如き小春子から当時の状況が事細かに語られた。もしこの場に親友の蘭ちゃんが居たなら、彼女は自身の目の前で小春子が繰り出した華麗なプロレス技についてマニアックに語ってくれただろうか……少し気になった。

 

 明日が新学期の始業式で、その2日後の入学式を控えた学校内はいつもより少し騒がしく感じた。それらの準備に追われる先生たちや、職員の大人たちがあわただしく校内を動き回っている。そんな中を小春子だけが、自由で気まぐれな旅鳥みたいに飛び回りながら踊るように校舎を飛び出した。

 

 小春子がその足で向かった先は、いつものあの場所『かまぼこ工場のベンチ』だった。ベンチに浅く腰掛けた小春子は、新聞社の取材中にもらったペットボトルの緑茶と詰め合わせ菓子が入った手提げ袋を自分の膝の上に置いた。詰め合わせ菓子のひとつの白海老せんべいは、県内では有名な定番土産のものだった。

「あっ、よしみのお腹がへこんでる。赤ちゃん産まれたんだ……」

 またいつもの習慣が始まった。小春子が白猫のメスの変化に気付いたみたいだった。

「今年はパートナーに巡り合えなかったオスが多いなぁ。そんなこと思うの私だけかな、ねえ、ものまる」

 ボクは興味ないや。よほどその白海老せんべいの方が気になるね。ボクは目を細めた。

「あの子のパートナーは……たぶんいつも一緒に居るジョージだよね」

 小春子のオリジナルな名付けには、それぞれ意味があるのかボクには分からないけど、黒猫のジョージはどこかしっくり感じた。

 

「君は……よくここに来ているね」

 

 目を細めてほのぼのした春の陽気に、うつらうつらと夢気分で無警戒だったボクは、突然の人の出現に反射的な危機回避体勢になった。――小春子が言葉を返す。

「ええ、はい。このへんの猫たちを観察するのが好きながです」

 小春子に話し掛けてきたのは、グレーヘアーに口髭のどこか上品な身なりをしたダンディなおじ様だった。

「猫は……可愛いよね」

 おじ様は口髭を指でなぞりながら、和やかな口調で話をした。漁港に向かう軽トラックが積み荷をガタガタさせながら通り過ぎる。

「この辺も昔はもう少し人で賑わっとったがやけどのう……。今はホタルイカの時季には割と観光客も集まっけど、なんやらその時だけになってしもうたがやのう」

「ずっと滑川なんですか?」

「そやそや、ガキの頃からずっと滑川やじゃ。アコの道の駅んとこの喫茶店知っとっけ?」

「えっ?!あのホーンテッドマンションみたいな喫茶店っすか?!」

「なんやら分からんけど、言い方がいい感じの店じゃないやろ?一応そこの店主やちゃ」

「あっ!!なんかスミマセン……」

「言うたら、古くて味のある洋館風やちゃ」

「そ、そうです!ソレソレ!」

 調子のいい事を言った小春子を見て、おじ様はカッカと笑った。きっともう何十年もこの滑川を見てきた方からすると、今この風景がどんな風に見えるのだろうと――猫のボクからでも気になるくらい、その物寂しげな眼に映る心情はこの人にしか分からないものだと感じた。

 

「でも……その古くて味のある喫茶店も、そろそろ店じまいせんなんがやちゃ……」

 

 そう言った寂しそうな眼が微笑んで、向かい合う小春子の表情が固まった。

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