小春子(6)

 一緒にいた蘭ちゃんには、その家族と小春子だけしか知らない秘密があった。

 

「やっぱ有田ひめか……やわ。秋山準の継承者ってことは、ジャンボ鶴田の系譜ってことやし……」

「蘭ちゃん何ソレ?」

 

 蘭ちゃんは、いわゆる『プ女子』。プロレスが大好きな女子なのであった。彼女は小春子の前でだけ、自分のマニアックさをさらけ出せるみたいだった。もちろんポスターやグッズだらけの彼女の部屋には、家族以外は小春子のみ入室が許されていて、プロレス雑誌やDVDなんかも見放題だという。

 

「ジャンピング・ニー・アタックやちゃ」

「プロレス技け?」

「技の美しさと攻撃力が備わった芸術的な伝統技なん。有田ひめかっていう女子選手は真の継承者やと私は思う」

「めっちゃカッコイイやん!私もやってみたい!」

「小春子が女子プロやったら人気アイドルやね」

『飛び膝蹴り』――そのプロレス技のDVDを観るふたりが楽し気にそんな話をしていたことが、今きっと蘭ちゃんの脳裏にも浮かんでいるような、恍惚こうこつとした表情で彼女は駆け寄って来た。

「小春子……すごいよ」

 

「こらー!ひったくり男!おばあちゃんのバッグ返えされま!」

 

 小春子の怒号に金髪のひったくり犯は両手で顔を覆ったまま立てないでいた。地面に放られたバッグを拾った小春子は、盗まれた持ち主のおばあさんに手渡した。

「はい、おばあちゃん」

「お嬢さん、ありがとうね。すごいわね、どこも痛くないがけ?本当に気の毒な、ありがとうね」

 おばあさんは、小春子の手を握って何度も何度もお礼を言っていた。事の次第を聞いた商店街の店のご主人が110番して下さり、すぐに警官が駆け付けた。犯人は戦意喪失どころか、逃げる気力もないといった鼻血まみれの姿だった。

 

 辺りは一時騒然としたが、女子高生がひったくり犯を撃退したと聞いて、小春子の周囲は取り囲む人でごった返した。蘭ちゃんはその長い手足で小春子をかばうようにして一緒にその場を離れた。

「イテテテ……」

「小春子、大丈夫?」

「うん、膝にハードルぶつけた感じやわ」

「よく分からんけど……すごい綺麗なジャンピング・ニー・アタックやったわ」

「犯人の鼻、折れとったがかな?」

「ジャガー横田は試合で鼻骨骨折しても、数日後の試合に出たから大丈夫やちゃ」

「蘭ちゃん……あの犯人はただのオッサンだったよ」

 

 駅付近の踏切が甲高かんだかい音を立てながら遮断機を下した。立ち止まったふたりは、さっきの出来事と今この沈黙がやけに可笑しくなって吹き出して笑った。

「小春子、ひったくり見えたん?」

「私たぶん視力アホほどいいんやちゃ。ドロボーっていうおばあちゃんの大きい声も聞こえたし……それに」

「ん?なんて?」

「あの技やりたかったんよね」

「小春子……ソレ他の人に言わんといてね」

 

 その夜、滑川署の警官が心配して呉羽家を訪ねて来た。そのお手柄に大喜びするお父さん。ただお母さんだけは驚いていたけど、兄姉けいしはまるで納得していたみたいだった。

 家族以外で一番驚いていたのは、高校では生徒指導の沼田先生だった。

「呉羽……。お手柄やったな」

「あざまーすっ」

「でも、やり過ぎじゃね?」

「何言うとられんがですか!このか弱い女子高生が、ひったくりの現場に居合わせて、どうやって対応するのが正解ながですか?!」

「か弱くて飛び膝蹴りできる女子高生はおらんやろがい」

「おばあちゃんのバッグには、お孫さんからのお手紙や一緒の写真と敬老の日にもらった手作りのキーホルダーやら、大切なものがいっぱいあったがです」

「そやな……」

「なんすか?」

「お前、全然まだ跳べるんじゃね?」

 ――沼田先生は生徒指導でもあり、体育教諭で陸上選手だった人物だ。

「全然、跳べてません」

「どのくらい跳んでた?」

「商店から商店までは跳んでたんで、たぶん6mくらい?」

「おいマジか、それほとんど高校女子記録やん」

「いや今回、踏み切りファールないんで」

「そういう問題ながか……」

 

 後日、高校の校長室で滑川警察署長から感謝状の授与が執り行われた。富山県内の新聞社が2社も取材に来ていた。

 表彰と取材を終えた小春子は、ある意味ワクワクしながらその足で商業実技部へ向かった。その理由わけは、部室で待つ同志たちの反応ではっきりした。

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