小春子(5)

 走り込みの女子部員たちが、短いダッシュでグラウンドに砂煙を舞い上げている。遠くからでも彼女たちの息を切らす声がここまで聞こえていた。

 

「もう、やれないよ……ちゃんと飛べないし」

 

「そうなんか……」

 

「ねっ、そうだよね、ものまるっ」

 

 そうだね。ボクは小春子を見た。

 

「ならね、青柳」

 

「なら」

 

 少し寂し気な小春子を、黙って見送る青柳がこちらに小さく手を振っていた。

 校門を出た小春子は、時折ぴょんぴょんと小さく跳ねながら、また時折タタンタタンとスキップするようにステップを遊ばせて見せた。

 学校へ行く前に会った蘭ちゃんが、総体の弓道場で練習を終えた帰りにいつも寄る場所になんて、自分はこれといって用はないハズの小春子だが、必ず蘭ちゃんがいるかどうか確かめに行く習性をボクは知っている。

『滑川市民交流プラザ』

 駅前の中心地にひときわ目立ってひびえつ、市のコミュニティ施設。蘭ちゃんはいつもここの屋上にある展望台から、見下ろせば富山湾と振り返れば北アルプスは立山連峰といった贅沢な風景を楽しんでいる。

 

「なにけ~、蘭ちゃん早いねか~。もう見終わったんけ~」

「やっぱり小春子や……なんで分かんがけ?」

「展望台やろ?蘭ちゃんの行動が単純ながやちゃ」

 市民交流プラザの出入り口から現れた蘭ちゃんに、ここぞとばかりのドヤ顔を見せた小春子は、そのまま駅に向かう蘭ちゃんとアーケード商店街の軒下を通って駅まで付き合うことにしたみたいだった……。

 ふたりが歩く、市民交流プラザの隣のショッピングセンターYELLエールから、そのすぐ横の公園通りという名の商店街の軒下はどっちに行くにも通り抜けるために都合の良い通路だった。

 

 通路の向こうからこちらへ吹き抜ける音を含んだ風が、小春子と蘭ちゃんの髪をバサりと舞い上げた。

 騒がしい駐車場の音に混じって、軒下通路の向こう端から、助けを呼ぶ大きな声が聞こえた。

 その声に耳を立てたボクには、ハッキリとその声が聞き取れた。

 

 ふいに小春子がその場で、ぴょーんと真上に一度ジャンプした次の瞬間――。

 

 競技場のスタート位置からの踏み込みのように、小春子の利き足がバツンッと地面のブロックに踏み込んだ。

 

 上半身が地面に付くほどの低い体勢から小春子がスタートダッシュしたことで、ボクには理解わかった。これは小春子の本気の走りだってことを。

 

 小春子のダッシュに合わせて一緒に飛び出したボクは、彼女の真横を並走する。スピードなら今の小春子に負けない自信がボクにはあった。

 

 ボクはずっと前に世界陸上を小春子と一緒にテレビで見たことを思い出していた。

「ものまる、あのね、本当に綺麗なフォームで無駄なく速く走る選手は、真横から見ると頭の位置が上下しなくって、すべての動力が前へだけ出ているんだよ」

 まさに今の小春子がその状態だった。

 

 変わらない頭の位置、伸びやかに前へ遠く出る足先、空気が切れるように振り抜かれる肘が彼女を最高速に導いた。

 

 ボクは『今だ』と思った。

 

「ものまる、幅跳びのジャンプはね、助走はいかに短く最高速までたどり着けるかなんよね、そんでジャンプはに跳ぶんじゃなくて、に思いっきり飛ぶんだよ」

 

 その時、最高速からの彼女の跳躍は、弾ける花火のように爆発的に真上に飛んだ。その瞬間の姿があまりにもダイナミックで美しく、ゆっくりと見えた気がした。

 ジャンプの勢いとともに地面から離れた靴先から、キラキラと砂が光りながら落ち、まるで彼女は羽衣はごろもまとった天女てんにょが、そのまま美しい放物線上を鮮やかに宙に舞うみたいに飛んでいた。

 

 つい今しがた、助けを呼ぶ声が聞こえた方向からは、対して真っすぐに同じ通路を小春子の前方からこちらへ駆けて来るが、宙に舞う天女に驚きながらも見蕩みとれているようだった。

 

 そして宙に舞う天女のは、その男のにクリーンヒットし、いとも容易たやすくその鷲鼻わしばなを打ち砕いたようだった。

 

 その金髪の男はの現行犯だった。

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