歩けば歩く、緑と水と

小道けいな

歩けば歩く、緑と水と

 武蔵野、とは縁がないと思っていた。

 まあ、読む、小説の舞台ではあることがある。


 その中のイメージは緑が多く、閑静な住宅街だ。商業施設があっても、どこかゆったりとしてのんびりとした時間が流れる。


 そして、どこにあるのかということも、適当だ。

 東京の下町。いや、下町と丘の間という感覚。

 適当だ。


 おそらく、都庁があるところの西だと考える。なぜなら、地名があるからだろう。

 武蔵野市ならばイメージはわくかもしれない。吉祥寺がある場所であり、今でいう聖地巡礼や作品の舞台としての訪問をした場所の一つだ。


 それ以上、ピンとこない。縁がないためだろう。

 ただし、旧国名だと「武蔵」は神奈川も一部だ。

 そうなると、より一層、武蔵野ってどこだろうとなる。


 それでも、私は調べなかった。よろしくない性質だ。

 言葉に敏感な人や作品を愛してやまない人は「武蔵野ってどういうころだろう?」と考え、調べるだろう。


 武蔵野がどこか調べると、かなり広かった。


 荒川と多摩川に挟まれた地域。もう少し細かく言うと、入間川と東京湾周辺の山手地区だという。

 関東平野とか東京都となる。

 広かった。

 しかし、武蔵野、と聞いてわくイメージは東京と重なるのか。

 緑があり、水が流れ、閑静な住宅街がある。古い香りがする一方で新しい香りもする。


 武蔵野は東京都を凝縮した場所?


 そんな気持ちになってきた。

 江戸といえば玉川上水だろう。寺社関係は江戸からその前も存在する。幅が広い。


 古い痕跡と新しい痕跡。例えば、東急東横線の多摩川駅が物語る。

 古墳があり、浅間神社がある。


 古墳があるのはここに人がいて社会を作っていたから。浅間神社があるのは富士山が見える場所で、人が暮らしていたからだ。


 等々力渓谷は街中にある、山の中という気分になる。山の中というのも言い過ぎかもしれないけれども、谷川があり、散策ができる涼し気なところ。途中に茶屋があったり……。


 行ったところを考えると美術館に、動物園。

 庭園を歩き、街を歩く。

 神社の祭りで神楽を見て驚いて、屋台で立派なトウモロコシを堪能する。


 自然の中、人工的な場所があり、人や動物、植物がある。

 実に懐が広く、楽しめるものがたくさんある。



 武蔵野市や三鷹市の方には行ったことあるのだろうかと考えた。

 井の頭公園や吉祥寺には行った。

 井の頭公園に行った理由は思い出せない。


 当時、今ほど「聖地巡礼」が「作品の場所を巡る」という意味ではなかったのは事実だ。それでも、作品の舞台となったところに行く、という意識はあった。


 行ってみることで分かる雰囲気というのがある。

 そのころ読んだ本や遊んだゲームには東京を扱っているものが多かった。


 そして、作品の地域という意識を持っていったのは東京都新宿区だ。

 交通費を少しでも浮かせるためや、その世界を味合うために歩きたいと考えていた。


 新宿熱が収まったころ、吉祥寺に興味を持ったのだ。

 吉祥寺はあるゲームではスタート地点であるため、さほど重要なでもない。いや、重要なのか、むしろ。


 ただ、ゲーム開始の場所であり、プレイヤーとして引き込まれていく箇所である。

 現実として、吉祥寺または井之頭は、住みやすい町として耳にしてはいた。


 JRと私鉄が乗り入れているため、都心に出るとしても大変便利ということだったはず。

 吉祥寺には何があるか調べた。商店街と公園だろう、目立つものは。

 インターネットはまだない。いや、あるけれども、今ほど「ググってみる?」ということもなかった。


 かといって、情報がないわけではない。街歩きの雑誌やテレビなどで吉祥寺の話題もあったし、会社の人から話を聞いたことだってある。


 とはいえ、性格として、地図を見て、確認する。

 町を歩くために買っていた地図を見ると、寺社もあることがわかる。とはいえ、神社はともかくとして寺って勝手に入っていいのか迷う。


 それでも、余裕があれば前を歩いてもいいわけだ。公園回って商店街見ていたら、時間なんてあっという間だ。余裕とは時間的なもの体力的なもの。


 結構調べるので力尽きていかないこともある。なんだろうね、地図見ているだけで満足するのは。


 吉祥寺には出かけた。

 井の頭線は初めての路線なため、窓に張り付く。

 電車は縁がないととことん乗らない。あえて「端から端まで行く」とやるのはこれ以降後だ。


 結局、旅と同じで、興味を持っていかないとならない。縁は生まれない。


 さて、井の頭公園駅を過ぎる。

 ここで降りるべきなのかと悩ましい名前。

 井の頭公園には行くのだが、吉祥寺に行くのが目的なのだ。


 駅に到着した。

 ゴチャとした印象。

 工事をしていたはずだ。


 工事をしているとはいえ、横浜駅に及ばないだろう。延々と工事しているという印象があるのだから。

 そのせいか、「工事しているらしい」という感想で終わった。

 きれいになるんだ、へー。


 駅周辺図を見て、井の頭公園に向かう。

 すぐに住宅街であった。

 住宅街なのに、店があった。


 今は隠れ家的店って当たり前のようにあるけれども、当時はまだ、そういうものは私には新しかった。それは私がそう思うだけで、当たり前のように昔からあったのかもしれない。


 ともかく、私は、雑貨屋やカフェに目を輝かせる。輝かせたけど、昼食用に買ったのは、住宅街に入る前のパン屋でパンだ。


 目は輝かせたけれども、一人で寄るには勇気がいるのだ。ただし、今はかなり一人であちこちいく。


 公園内で買った物を食べる。

 木々の中で頬張るパンはおいしい。もちろん、元々おいしいのだから、よりおいしいのだ。


 井の頭公園はボート乗り場もある。


 後で聞いたけれども、カップルが乗ると破局するという噂があるとか?

 ボートに乗るのは結構体力いるし、大変なことなんじゃないかなと思う。そりゃ、破局するカップルもいれば、長続きするカップルもいるし、ね。


 弁天様に手を合わせて、そのあと、文化園に行く。

 つまり、動物園だ。


 動物園は積極的に行ったことがないため、何年ぶりだろうというものだ。

 いや、十数年ぶりなのだろうか?

 ゆったりとした動物園をのんびりと回った。


 一番驚いたのは、「人間」という展示だろう。

 檻の中に、道にあるカーブミラーがある……。


 人間も動物だなと思う。

 そうなんだよ、と手を打つ。


 そうなると、疑問や不思議と思うことが押し寄せる。

 人間が動物と一線を画したことも不思議である。

 人間として、自分がここにいることが不思議である。


 奇跡があり、人間がここまで来たという道があるのだ。

 自然を切り出して住み、様々な道具を作り出す。


 一方で、人間が動植物から奪った物は多い。その奪ったのは、人間をも危機におとしめる可能性は高い。

 考える、考えろ、ということがこの展示だろうか?


 でも、私は次の展示を見て「かわいいー」とか言っている。

 商店街を突っ切ってみたあと、そんなこんなで吉祥寺旅は終わった。


 あれから何年経つのだろう?


 突然変わった世界。


 いや、変わったのか分からない、身の周り。

 ただ、あのとき、周囲の音は消えたのは事実。


 歩くことは許される。

 ふと、歩いてもいいのかなと思った。


 電車に乗らなくても、道なら行ける。歩いて、そこに行ける。

 緑ある住宅街へ。

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