1-8.果ての底

 それからどうなったか、という話、九瀬を含んだ全員が署へと連行された。篭宮は被害者として保護され、胡古ら四人は事情聴取も程々に盛大な厳重注意を受けたのである。当然と言えば当然だ、目の前で人が失踪したのにも関わらず勝手な調査を行い、結果として事件解決に貢献したとは言え、一般市民が危険に身を乗り出したのだ。その場で通報すればよかったものをとか、功績欲しさに首を突っ込むなとか、そういった偏見ある小言を受けつつも、調書を記入したら用は済んだとばかりに家へと帰された。

 翌日の夜にはあの場所にあったものの調査や九瀬融希への聴取もある程度完了したらしく、一連の事件についてのニュースが盛んに報道されていた。それだけでも十分ではあったのだが、どういった風の吹き回しなのか、更に一日明けてから胡古ら五人は再び警察署へと呼び出され、詳細に事件の真相を知らされたのである。恐らくは真相を全て伝えるから余計な事は外部へと漏らすな、という口止め料の意があるのだろう。篭宮は頭を抱えていたが、他の面々には大して関係のない事であった。

 事件の真相をざっくりと説明してしまえば、接触禁止令を敷かれて納得のいかなかったストーカー犯による連続誘拐殺人事件だ。接触禁止を言い渡されたものの納得しなかった九瀬融希は、不利な情報を隠してネット上で様々な人間に相談をしていたらしい。しかしあの時見た通り、彼はかなり思考が捻じ曲がっている。どの答えにも満足せずにその相談もしなくなったある時、気分転換で外出した駅の裏道に女の占い師を見つけたそうだ。

 如何にもと言ったローブを纏い、フードを目深にかぶっていたその人物に、彼は何故か相談を持ち掛けた。顔も呼び名も覚えていないし分からないその女占い師は、驚くほど完璧に九瀬融希が求める最上の答えを渡したのである。茫然としている彼に捨てアドだろう連絡先を渡して彼女は去ったが、この事が彼に火を点けた。

 九瀬融希はすぐに帰宅し、渡された連絡先を使って女占い師にもう一度接触した。彼女はまるで分っていたかのように彼に対応し、少しずつ様々な相談に乗ったそうだ。その全ては彼の行動をエスカレートさせる返答で、九瀬融希は気付いていないが、この人物にいいように踊らされていたようである。あの小屋の中にあり、警察が押収したノートパソコンで彼女とやり取りしていたようだが、そのメールは何故か全て文字化けし、奇妙な事に解読すらも不可能な状態となっていた。名前や呼び名すらも教えてもらっていないそうで、教唆扇動の観点から調査はしているものの、足取りどころか存在の特定すら出来ていないという。

 ともかくその人物と暫く連絡を取り続けてしばらく経った頃、今から三か月ほど前に、九瀬融希は彼女へある事を聞いた。接触禁止令を出されて関わる事の出来なくなった女を、どうすれば自分の手の中に取り戻せるのか、と。それまでの女占い師とのやり取りでより妄想を加速させた彼は、女と自分が引き離されたという結論に達していたらしい。逮捕された今でもそう思っている男は、その時も真剣に、本気でそれを尋ねたそうだった。そしてその女占い師は、その方法を彼に伝授した。

 ———君に呪文を授けよう。方法は簡単だ、人目につかない、誰にも見つからない所で、女にこう問いかける事。一生涯を共にする為、最初の顔になってくれと。承諾を得られたら女の首と胴体を切り離し、その呪文を唱え、一晩ともにいる事。ただしこれは完璧な呪文ではないので女一人だけではもしかしたら安定しないかもしれない。その時は別の人間を連れて繋ぎ合わせる事。

 君がこれを実行する意思を決めた時、呪文について教えよう。その時は連絡してくれ。誰にも見つからず、人目にもつかない場所も提供する為、一度会う必要があるから。忙しいのでね。

 オカルト染みた内容であったが、藁にもすがる思いだったのだろう。そんな文面を受け取った九瀬は内容を精査する事もせず、すぐさま返信をしたそうだ。教えてくれと。それを受けた彼女の返事も早いもので、忙しいと称する彼女の予定に合わせて全ての事が決められた。有無を言わせず、しかし不快にもさせず。そういった文体だった事は覚えているが、詳細にはもう覚えていないと彼は言った。

 約束の日、女占い師に指定された場所で彼女と落ち合い、二人で九亀湖へと向かった。彼女が用意した人目にもつかず誰にも見つからない場所と言うのは胡古らが発見した例の小屋で、女占い師が何やらぶつぶつと唱えると、目の前でそれは透明になったらしい。これでここを事前に知っていて、精神的に強い人間でも来ない限り、この場所は見つかる事はない。そう言った彼女と共に小屋に入り、九瀬はそこで女を自分のものにするための呪文と、犯行をより容易にするための霧の呪文を一つ教わったそうだった。

 後はほぼ男の語った通りである。帰宅途中の女を、霧の呪文とやらを使って誰の目にもつかず誘拐し、小屋へと連行。嫌がる女の言葉を都合よく肯定と受け止めて儀式のようなそれを行い、女を殺害。その後"安定しない"女の為に九亀湖近辺の住人を誘拐、殺害。遺体の首と胴体を切り離し、女に縫い付けるという凶行に至った。その被害人数は最初の女性を含めて五人。失踪者の人数と身元とも合致している。

 篭宮が助かったのは周囲に人がおり、かつ拠点のすぐ側で攫ったために痕跡を辿るのが容易だった事と、朽ノ屋が小屋の存在を知っていた事が大きかった。篭宮自身も一瞬意識を失っていただけで小屋で目覚めてからは多少抵抗する時間があり、更に時間を稼ぐ為に男にあれやこれやと会話を試みていた事がいい方に働いたようである。これまでとは異なる様々な要因が重なって彼は救出され、事態も収束したというわけだった。

 呪文だの透明になっただの、そういった事について警察側はやはりというか信じなかった。しかし九瀬融希本人が高揚と激怒の様子で語った内容と、小屋の中の有様が符合していたという点から、彼を連続誘拐殺人事件の犯人と仮定し、起訴が決定したそうだ。現在は精神鑑定や様々な聴取を執り行っているようである。時折関わってしまった胡古らにも聞き込みがやってくるが、それ以外はもう日常の平穏さを取り戻しつつあった。

 そんな話をしながらふとテレビへと目を向ければ、見計らっていたかのように事件についてのニュースが流れ始める。少し誇大した事件の真相と九瀬融希の余罪についてニュースキャスターが好き勝手に語り、恐ろしいと僅かな蔑みを含みながら残酷な事件だったと結んでいく。それだけだったのだが、語りの方法があまりにも下らなさ過ぎて、胡古はすぐに目線をカップへと戻した。

 くつりとどこかから笑い声が漏れてくる。どこかから、と言ってもここには胡古ともう一人しかおらず、つまり目の前にいる人物以外にはいないのだが。彼女は横目でニュースを眺め、何を考えているのか全く分からない表情でリモコンを操作し、画面を落とした。かたりとテーブルの上にリモコンが戻され、個包装されたクッキーを開けて口に運ぶ。しゃくしゃくと小さな音を立てながら咀嚼されたそれはすぐになくなって、ごくりと喉を鳴らしてから彼女はゆっくりと口を開いた。

「全く、どこもかしこも、暇さえできたらこの話題だ。どうせ七十五日も経たずに忘れるというのにね」

 彼女、二加屋はその底知れない水底のような青い色を瞬かせて、完全に馬鹿にしたようにそう呟いた。組んだ足がゆらりと軽く揺れ、背凭れに全身を預け、隙だらけにしか見えない様を見せつけてくる。それでも彼女が油断も隙もならない人物にしか見えないのは、日頃の言動のせいなのだろうか。少なくとも胡古は彼女がどんな様子だろうが隙を突いて見せたり、煽って見せたりは絶対にしたくはなかった。

 二加屋はふらふらと組んだ足の片方を揺らし、不気味にさえ思える微笑みを浮かべながら胡古を見つめる。視線そのものに対して居心地の悪さを覚える彼女は二加屋のそれも例外ではなく、所在なさげに目線を揺らめかせた。迷子のようなその動きに二加屋はくつくつと喉を鳴らし、悪い悪いと欠片も思っていない声で告げる。じとりとした目をその顔へと向けるも、その愉快そうな表情が変わることはなかった。

「全く、人間ってのはよくわからないな。どうしてこんな面白くもない事に盛り上がって、全部分かったような顔をして、知りもしない相手を蔑むんだか。理解できない」

 それは、と口を開こうとすると彼女が片手でをそれを制した。言われずとも分かるさ、とその手を振りつつ、一人語りを続行していく。

「刺激のない日常に、鮮烈な刺激を欲するのは当然さ。それが事件だろうが災害だろうが、良くも悪くも憂さ晴らしのお話合いにはうってつけだしね。だから少しでも普通じゃない事が起きたら大盛り上がり。好き勝手騒いで広げに広げて、真新しさがなくなったら別を探して飛びついて……。本当、行動に面白みがない。完全な無関係者ってのはいっそ疲れるくらいに暇だね」

 はあ、と大きな溜息が彼女から漏れる。愉快で痛快な事を好む二加屋からすれば当事者でもないのに騒ぐ事も、当事者そのものでない事も、どちらも不満しかないのだろう。しかし事件の当事者なんてものはなろうと思ってなれるものでもなく、運が悪かったと諦めてほしい所である。加害者にも被害者にも胡古はあまりなりたくはないが。

 二加屋はカップの珈琲を飲み干し、ポットから注ぎ直す。恐らくどこでも手に入るだろう茶器でも、彼女が扱うと不思議と高価な品に見えてくるものだから、場に合わせた仕草や雰囲気というものは大事なのだなあと胡古は思う。ぼうっと観察していた事に気付いたのだろう、彼女のいるかい、という問い掛けには首を横に振った。それによって役目を終えたポットはテーブルの端に置き直され、二加屋は再び話し始める。

「それにしても君の話を聞くに、今回のこれは大分退屈な内容だね。まあ事件なんてのは大抵そんな程度の、ありきたりで大した事のない理由で起きるものだけれど。劇的な原因、理由を内包する事件なんて、通常人間が早々思いつかないものさ。作り話でもあるまいし」

 そう言いつつもそこには何処か期待しているような、何か確信めいた予感を抱いているような、そんな裏が感じ取れた。彼女が奇妙にも遠い所を見ているような発言をするのはよくある事で、胡古としてもいちいち気にしていられない為に無視せざるを得ない。突っ込んだところでこちらが核心や確証なんかを、例え間違っていたとしても持っていなければ、相手にさえされないのはよくよく理解しているからだ。無駄に消耗するくらいなら何もせず、静かに話を聞き続けた方が楽だと胡古は思っている。

 そんな胡古を気に留める事なく、彼女の口は回り続ける。退屈だのなんだのと言う割にはその言葉の群れに嘲笑が含まれ、彼女の性格そのものを表しているかのようにも思えた。しかし恐らくそこそこ付き合いの長い胡古からしても、二加屋の性格や思考を完全には掴み切れているわけでもない。故に今の口調も胡古にそう思わせるだけの作り物という可能性があった。

 だがきっと、それでいいのだと胡古は思っている。この世には踏み込んでいいものと、踏み込んではいけないものがあると、胡古は何故か知っていた。

「君はどう思う?何を思った?」

「……それ、は、その」

 眼差しを伏せたまま、胡古はカップに残った珈琲を啜る。二加屋がこういった事に胡古の見解を求めてくるのは、中々ない気がした。彼女は人の見解なぞに興味もなければ、他者の思考なぞ余程の事が無い限り聞く事もない。尋ねる素振りはしてもまともに聞く気はいつもなかったような気がするが、今日はどうやら、非常に珍しい事に、胡古の見解を求めているようだった。

 しかし胡古もこの件に対して思うところは然程ない。僅かばかりしかない考えを、どう言葉に落とし込むか。微動だにせず彼女は頭を回し出した。

 かちかちと時計の秒針の音が響く。普段なら意識する事もないこの音が耳をよく打つのは、この部屋がそれほど静かであるという事であった。胡古も二加屋も喋らず、テレビはとっくに消され、外から聞こえる生活音も大した音量ではない。だからこそゆっくりと言葉を選べ、そうして胡古は口を開いた。

「……面白くない、というか、その……、想像に易い狂人の、想像に易い犯行、というか……、……なんか、馬鹿馬鹿しかった、かな……」

 長く考えていたにも関わらず、吐き出されたのはこの程度の言葉でしかなかった。少々申し訳なさを感じつつも、二加屋の反応を覗き見る。ちらと上げた視界に映る彼女の表情は全く変わっておらず、寧ろどこかにこやかさを感じられて不気味だった。その表情の中、何もかもを見透かせそうな鮮やかで深い青の光が、胡古の頭の中全てを覗き込んでいるかのようである。それがどことなく体温を冷やすようで、胡古は僅かに身を竦ませた。

 再び沈黙で場が満たされる。二加屋が何か喋らないかと待ち続けるも彼女が唇を動かす事はなく、居心地の悪い空気が漂うだけだった。どうやって打開しようかと思考を走らせていると、頭にある事が浮かぶ。居心地の悪さゆえに言葉の吟味すらせず、浮かんだままを口にした。

「あ、と……、その、そう。ただ……、あの、首だけの物体……。あれは、うん。小説に使えそう……かも……とは」

 それを耳にした途端、二加屋は待っていたとばかりににんまりと大きく唇を歪ませた。その笑みがかなり獰猛なもので、胡古は思わず背凭れにぶつかるほどに仰け反る。獲物として狙われる気分と言うのはこういう感覚なのだろうか、と場違いな感想を抱いていれば、彼女がふふ、と笑い声をあげた。それからその顔に張り付けた笑みを真逆のものへと変化させ、悦楽と嘲りの混じった表情で歯を軽く剥き出しにする。

「理性のなさはともかく、知性のなさまで露呈して、犯行動機も犯行方法も大したものじゃあない。折角いい方法を教えてもらったのにそれを生かせていないなんて、勿体なさ過ぎると思わないかい?私なら呆れて大笑いしてしまう自信があるね。それに何より……、失敗したことにすら気付いていない愚かさが、あんまりにも馬鹿過ぎる。君の言う通り……安易すぎる思考がようく窺える」

 そうしてにい、と、歯を唇の裏に隠して二加屋は笑った。貶めるような言い方のわりに表情は愉快でたまらないと言いたげで、やはりと言うか何を考えているのかさっぱりわからない。分かる必要もないと知っているが、彼女がここまで事件や何かについて言及するのは、彼女が受けた依頼や経験以外ではそう滅多にない事であった。珍しい事ではあるが、ない事ではない。少し前までは旅行に出かけた際にしょっちゅう散々な目に遭い、それを楽しげに話していた事もあるからだ。

 眼差しを伏せたまま、空っぽのカップの底を眺める。それで、と小さく続きを促せば、彼女は満足したように喉を鳴らした。窓から見える空は夕暮れの色に染まっていて、遠くのものが黒いシルエットへと変わっている。そのせいか目の前の二加屋も黒い影のように見えて、胡古は目を瞬かせた。

「今回はつまらなかったから、次はもっと面白いものが観れるといいな、と、そう思っただけさ」

 まるで次がすでに決まっているかのような言い方で、胡古は不思議そうに首を傾げた。




『———暑くもなく寒くもなく、生温い風が肌を撫でる春の日だった。友人はいつも通り笑っていて、明日の予定を共に考えて、陽が暮れる前に別れて、それでまた明日、いつも通り大学の教室で笑って挨拶をするはずだった。何をどうしたってそうなるはずでしかなくて、そうそう犯罪になんて巻き込まれまいという奇妙な確信がこれまでの人生経験で芽生えていて、だからこそ何一つ疑いすらしていなかった。それがいとも簡単に崩されるだなんて、考える事すらしていなかった。

 翌日、友人は一度たりとも姿を現さなかった。トークアプリやメールで連絡を入れても、他の友人に問うてみても、友人はその日大学にすら来ていないことが分かっただけで、その声の一つさえも聞く事が無かった。真面目で勤勉な友人らしくなく、今日の講義内容がすべて終わった後に、トークアプリで一言告げて彼女の住まうアパートへと訪れる事にしたのだ。

 別にいつもなら、そこまで気にもしなかっただろう。けれど今日は何故か嫌な予感がして、今彼女の様子を確認しなければ後悔するような気が、虫の知らせのようなそれがざわざわと心を揺すっていたのだ。だからどうしても行かなくてはと焦燥に駆られていて、運がいいのか悪いのかバイトも何もなかったから、友人の元へと行かなくてはならなかったのだ。

 そしてそれは大当たりであった。友人が住むアパート、その一部屋。階段を登って通路を歩き、何度か通った事のあるその部屋番号の前で立ち止まる。インターフォンを鳴らし、扉の内側を窺い、何の気配も反応もない事に不安を抱き、冷たいドアノブを回した。当然鍵がかかっていて、これ以上はどうしようもないと知り、もう少しだけと数分待って立ち去るしかなかった。ちらちらと後ろを振り返り、友人の部屋の扉が開かないかと期待をしても、そんな事は起きるはずもなく。意気消沈しながら夕暮れに染まる街路を歩いたのだった。

 数日。あれから数日という時間が経過した。友人からの返信はなく、大学にも来ず、アパートの部屋を訪れてもポストや扉の投函口にフリーペーパー等が溜まっていく。日に日に胸騒ぎが酷くなっていく中、とうとう彼女の実家の方へと連絡が行ったようだった。それを経由して警察からこちらに聴取が来、幾つかの情報と状況を踏まえて、こういった知らせが回ってきた。


 春の生温く気怠い日常の中、何の変哲もなく何の知らせもなく、一切の異常を勘づかせる事なく。友人は失踪したのだ、と。』

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