1-5.寄せ餌

 あれから更に幾つかの場所を回ったがどの場所でも何かが起きる事なく、時間がただ過ぎ去るだけの結果となった。あちらこちら歩き回っていたせいか空はもう夕暮れとなっており、進展のない現状と合わさって焦燥に駆り立てられそうである。現に胡古は特に何も感じていないものの、記事の締め切りなどもあるだろう篭宮はどこか気が急いていて、巡回する中時折胡古を置いて行きかけるなどしていた。

 霧の発生個所を一通り回り終えて本日の集合箇所である公園まで戻った彼等が得たのは、それらの場所が人気のない小道や一本道、または狭く見通しの悪い道ばかりである事、建物の配置的に何か起きたとしても、建物の中から窓を覗き込んだとて発覚は難しいだろうというものだった。必然的に霧を見たという人々は霧に巻き込まれない範囲からそれを見ていたというわけで、この霧はとても奇妙な事に、その発生範囲が極めて狭いのではないかという推測が二人の間で立つ。

 休憩と称して公園のベンチに座り、途中で購入した軽食やら飲み物やらを摘まみながら喋っていると、あら、という聞き覚えのある声が少し離れた所から聞こえてきた。二人揃ってその方を向いて見れば、公園の入り口付近に二人の女性が立っている。彼女らは顔を見合わせるとこちらへ歩いて来、その中の一人に篭宮が声を掛けた。

「あれ、奇遇だな、浅目さん……とそっちは?」

 すい、と視線を向けられた方、遊佐は穏やかな愛想笑いを浮かべて軽い会釈をする。釣られて彼も同じ動作をすれば、その笑みを保ったまま話し出した。

「遊佐だ。遊佐鼎。浅目さんとは少し……、行動目的が似ていてね。一緒にいたんだ」

「ふうん……?てことは、人探し?いやあ大変だなあアンタら」

 全くそうは思っていない声音だったのだが、浅目が一瞬眉を吊り上げたのに対して、遊佐はさらりとそれを受け流して肯定するのみだった。あの二加屋と何年も共に暮らしているのだ、そういった対応はさすが手馴れているとしか言いようがない。

 彼女はそのまま一歩詰めてくると、胡古に一度視線を寄越した後、篭宮と向き合った。遊佐の事だ、二加屋からすでに胡古が何をしているのか聞いているだろうし、聞いていなくてもあの日彼女らの部屋に来ていた事から事情は察しているだろう。浅目と共に行動していたという事は浅目の目的もすでに聞いているはずだ。故に今、彼女にとって話を聞く対象となるのは篭宮だけなのだろうと察した。

 黒の指貫グローブを纏った手を片方腰に当て、彼女は篭宮をよくよく観察しながら話を切り出した。値踏みのようなあからさまなそれ———恐らくわざと大袈裟にやっているのだろうが———に、今度は彼が一瞬表情を崩しかけるも、すぐさまいつも通り愛想のいい男性の顔になる。

「それで……、君は?綴さんの知り合いかい?」

「あーア、先輩の後輩さ。篭宮雪ってんだ、ちょいとオカルト系の記者をやっててね。時々先輩と調べものしたりしてんだ」

「嗚呼……、成程。この人が」

 腰に当てていない方の手を顎にやり、遊佐は穏やかな営業用の笑みを消して真顔に近い表情になった。それから少し何かを考えたかと思うと、腰に下げていたボディバッグから手帳を抜き出し、そこから一枚の写真を手に取った。それは二日前胡古に見せたものと同じもので、彼女はその写真を篭宮へと渡して、見覚えはないかと聞き始める。

 篭宮はそれをまじまじと見つめると、少し間を置いてからあー、と唸った。もしかして、と言いながら自身の鞄から大きめのメモ帳を取り出し、ぺらぺらと捲っていく。幾らかそのメモ帳を漁り、これだわ、と小さく呟くと写真を遊佐へ返した。

「知ってる知ってる。知り合いとかじゃねーけど、今の案件担当する時の基本情報貰った時にこいつ……の名前あったから、ちょっと調べたんだわ。深読みしすぎだと思ったからそれから手ェ付けなかったんだけど」

「……つまり、彼について君は少し詳しいと?」

「アー、まあ、そうなるのか?てかアンタ、こいつ探してんならその辺調べたりしなかったん?」

 そう問われれば遊佐は少し難しい顔になって、顎に当てていた手で長めの揉み上げを払う。

「調べは、した。ちょっと前科ありってところくらいまではな。それ以上は流石に、ね」

「あー、はいはい、そういう事」

 二人が会話に没頭している様を眺めていると、浅目が胡古の隣へやって来た。困ったような表情をしながら胡古と彼等を交互に見やり、座っても良いかと尋ねてくる。確かに立ったままは疲れるだろうと彼らの話に耳を傾けながら首肯し、それを受けて浅目は一人分の間を開けてベンチに座った。

「こいつは……名前は知ってるよな?九瀬融希くせゆうき、大学生でー、ちょっとってか、かなり陰気。一年位前に女をストーカーして警察の世話になってる。それからはかなり引きこもりがちになった、らしい」

 そこまで言うと彼は僅かに声を潜め、この場にいる四人にしか聞こえない程度の声量で続きを話す。

「で、だ。俺が何でこいつ知ってんのかって、上から貰ったリストに名前があったからなんだけど。……それがさ、そいつがストーカーしてた女がいの一番にこの連続失踪の被害者になってるワケ。だから俺も少し調べたんだけど……、こいつもいなくなってたのか。リストにゃ載ってなかったけど」

 更に小さく呟いた言葉に反応する事なく、遊佐は色のない声で問いを再び投げかける。写真はすでに手帳へまた挟み込まれ、今は手帳本来の用途を使用していた。

「彼が捜査線上から外された理由は知ってるかい?」

「んー、確か……、怨恨による犯行も考えて捜査したはいいけど、その後も失踪者が出て、そいつらはその二人と全く関係ないんだよな。一応念の為別件扱いしてるらしいけど、ほら、失踪者の共通点が九亀湖近辺の住宅街住み、成人だろ?もう同じでもいいんじゃないかって事で今は殆ど同事件扱いとかなんとか。外されたってよりは一旦保留みたいな?そもそもこいつ、一回ひっ捕まって以降、その女に近寄りもしなかったって話だし、それもあるんじゃね」

 緩く首を振りながら彼は立ち上がり、鞄を持った。大きいと常日頃から思っていたが、女性にして男性並みの身長を誇る遊佐と並んでも十センチ近い差が開いたのを見て、改めて篭宮の身長の高さを実感する。違う比較対象が出てくると、普段以上に大袈裟に感じる現象だった。

「つかさ、時間もあれだしこんな所で喋ってっと時間も気になるしさ。落ち着ける所いこーぜ。ちょっと行ったとこにファミレスあるし」

 ちょい、と指で公園の外を指した彼を見、遊佐は何かを理解したのだろう。それもそうだと頷いた。手帳をボディバッグに仕舞い込み、静かに話を待っていた二人へと向き直る。

「綴さんと浅目さんはどうする?帰るというのなら送っていくし、着いてくるというのならまあ、構わない」

 送っていく、という事から今日の彼女は車でここまで来たようだった。どちらでも構わないのだが、胡古としては乗り掛かった舟、渡りかけた橋だ。もしかすると遊佐の依頼内容に触れてしまう可能性もあるが、そこは彼女本人がきちんと考えた上での提案だろう。胡古は頷く事で同行する意を表明する。

 浅目は少し悩んだようだったが、彼女も人を探す身。しかも二人の会話内容からして連続失踪事件について進展するかもしれないと推測できる。腕時計で時間を確認し、スマフォで恐らく身内に連絡を入れた後、同行する事を三人に伝えた。

 ならば移動しようと四人は公園を出ていく。遊佐と篭宮がどこの駐車場を使用しているか確認すると、運のいいことに同じ所を使用していた。ならばとそのまま一緒に道を歩いて行く。

 無言で歩き続けるには少し長い道中、ぽつぽつと静寂の間を縫って話したのは、先程までの事ではなく彼ら自身の事だった。例えば遊佐は大学生で探偵事務所のバイトをしている事や、浅目がこの市では名の知れてる家の娘で、遊佐と同じ大学の経営学部に通っている事、胡古と篭宮もかつて同じ大学にいた事など。偶然にしろ何にしろ、こうして出会わなければ知る由もなかった事で、浅目は特に楽しそうに笑っていた。共通項のある知人が出来たことが、彼女にとっては嬉しい事なのだろうと胡古はぼんやり考える。

 駐車場に着いてからは胡古は篭宮の、浅目は遊佐の車に乗って目的地へと向かった。車内での会話はなく、時折信号などで遊佐の車が離れすぎていないかを確認しながら走らせる。迷うような道でも、渋滞している道でもない為、二台の車はそれほど掛からずに前日、胡古と篭宮が昼を摂ったファミレスへと辿り着いた。空いている場所に車を停め、再度合流して店内へと入っていく。

 こういう時、篭宮の顔はとても有効であった。男は篭宮一人という、明らかに男女比がおかしい四人でも指摘される事も妙な顔をされる事もなく、スムーズに席まで案内される。顔のいい人間が非常に愛想のいい、ついでに言うと営業用の更に二割り増しくらいの笑顔で全てを押し切ってしまえば、ファミレス程度ならばどうとでもなる事を知った。浅目は微妙な顔をしていたが。

 四人席に通された彼等は順々に座り、篭宮が一人お冷を取りに向かう。お冷の四つくらい一人で持ってこれるんで、という彼の言葉にわざわざ反発する理由もなく、女性三人は大人しく座って待つことになった。待っている間先にメニューでも見ていようかと、遊佐は浅目と胡古にメニューを渡す。適当に季節のメニューでも頼もうと考えていた胡古は決まっているからとそれを拒み、意外だったのかぱちりと目を瞬かせてから遊佐が微笑んだ。

 少しすれば篭宮が身長に見合った大きな手に四つのお冷を持って戻り、それぞれの前に置いて行く。それから着席し、注文を決めていた遊佐からメニューを受け取った。

「んで、さっきの話だけどさ」

 ぺら、とメニューがゆっくり捲られる。胡古の対面では浅目がようやく注文を決めたようでメニューを閉じ、お冷を一口含んでいた。

「アンタ、あんな所で浅目さんと一緒に行動してたって事は、俺が話した事もある程度聞けたんじゃねーの?」

「残念だけど」

 問われた遊佐は言葉通り残念そうに緩く首を振り、篭宮が知っている程の詳細な情報は入手できなかったのだと語る。どうにも親子共々近所付き合いはあまりしていないようで、外見をぱっと見た印象や件のストーカー事件の大まかな事くらいしか聞けなかったらしい。九瀬融希本人に関しては友人もほぼおらず、元々かなりのインドア派であった為に、その性格や傾向などもあまりわからなかったのだとか。

 ふうん、と気にも留めないような返事をし、篭宮もまたお冷を口にする。唇と喉を少し潤したところで、彼はまた遊佐へと問いを投げた。

「で、アンタはそいつを探してて……、いついなくなったとかは聞いてもオッケー?」

「……うん、まあ、大丈夫だな。寧ろ話した方がいいかもしれない」

 でもその前に、と彼女はワイヤレスチャイムを鳴らした。数秒程で店員がやってきて、それぞれに注文を告げていく。篭宮はグラタンを、胡古が季節のおすすめメニューセットを、遊佐はハンバーグのセットを、浅目がパスタのセットを各々告げ、店員はそれを復唱して誤りのない事を確認し、立ち去っていく。君はあまり食べないんだな、という遊佐の台詞に篭宮が一瞬ぐちぐちと体質について不満を言うという事は起きたが、注文を終えた彼等は話をすぐに再開した。

「いつこの男がいなくなったか、だな。正確にはここ一か月程の間、一度家を出たら数日は帰ってこないという妙な外出を何度かした後、つい最近完全に家に戻らなくなった、が正解だ」

 片手で頬杖を突き、目を細めながら、彼女はそう言った。状況が状況な為連続失踪の線もあるが、単なる家出の可能性も高いと考えての依頼だったらしい。だがそれだけではなく、ストーカーの前科持ち故にあまり警察に届けを出したくなかったのだろうと、この場の全員が共通して予想していた。

「で、だ。今から話す情報から、私は元々、この男が連続失踪に関わってるんじゃないかと思いつつも決定的な証拠が出なくて困っていてね。探しながら色々と調べていたところに浅目さんと出会って、そして君達がこれに関して詳しそうだったというわけなんだが」

 彼女はそう言って三人の顔を見回した。その表情には今のうち、という意図が込められているような気がしたが、ここまで来た以上完全に今更である。待ったも拒否もなかった事から彼女は更に続ける。

「その数度の外出の日付が失踪者の出た日ととても近くてね。家に戻ったというのが大体その翌日、そして今、戻ってこなくなった外出をした日が、今現在最後に失踪者が出た日のつい一日前なんだよ」

 その瞬間、この席の空気が完全に凍った。篭宮は驚いたように目を見開いて唇を歪ませ、浅目は口元を両手で押さえる。それぞれの感情を表情に乗せる彼等を眺めていると、浅目の表情に段々と怒りが滲んで塗り替えられていくのが見えた。不思議に思って胡古が彼女へ視線をやると、彼女は一瞬大声を上げかけて止まり、一度咳払いをしてから、それでも少しだけ大きい声量でこう言う。

「つまり、もしかしたら、その九瀬融希という方が、何の為かはわからずとも、誰かを誘拐していると、そういう事ですのね?」

「まあ、私は彼の話を聞いて半分くらい確信しているのだけれど……、そうすると色々とおかしな事があるんだ。何せこの事件、仮に失踪者が誘拐されたとして、誘拐した人物の情報が一切ない。目撃情報も、その存在すらも、だ」

 話をしている間にも注文した料理やセットのパンなどが運び込まれ、その都度話を切りながら進めていく。ちなみに注文内容からも察せられる通り、この中で一番量が少なく、すぐに食事が終わったのは篭宮であった。

「そうなるとやはり失踪事件と九瀬融希の失踪は別にして考えなくてはならなくてね……、そこで、だ。君達二人は失踪事件に関わりはしていても、追っているのは別だろう?」

 綴さんもいる事だしね、と彼女は根拠の理由としてそれを使った。遊佐からして見ればオカルト記者の篭宮だけではなく、ホラー小説を主に書いている胡古が彼と共に行動しているというのは、疑いようもなくそっち方面の事なのだと明確に示しているようなものだ。何せ探偵でありオカルトマニアでもある二加屋の元へ胡古は度々訪れており、それを通して遊佐と知り合ったからである。

 教えてほしいと頼んでくる遊佐を見、耳だけを貸しながら黙々と食事を進める胡古を見、篭宮は何かを一瞬だけ考えて、それから口を開いた。

「俺達はその連続失踪事件と同じ時期に流行り出した、"湖の赤子"って噂を追ってんだわ。噂については?」

 浅目は首を横に振り、遊佐は概要だけならと頷いた。知らない浅目の為にさっくりと内容を篭宮が説明し、話は続けられていく。

「で、失踪事件からこれは生まれたんだろうけど、実際の繋がりはどうなのかってのも調べてたって感じ……っすよね、先輩」

「おぶっ」

 唐突に話を振られ、胡古は危うく口に含んでいたものを溢すところだった。すんませんと軽薄な謝罪が横切り、出かけたものを無理やりに飲み込んで胡古は頷く。ついでにテーブルの下で篭宮の足を踏む事も忘れなかった。あ痛、と彼の悲鳴が小さく響き、じとりと睨まれるも無視する。

 遊佐はというと、顎に手をやって何事かを考えているようだった。すっかり冷めてしまった料理はあと数口ほどにも関わらず、それすら目に入っていないかのように何かを考えこんでいる。時折いやとか、しかしとか、そんな単語が小さく聞こえるから、恐らく今までの情報を整理して繋げようとしているのだろう。

「貴方方は噂とやらについて調べていたそうですが、失踪事件と絶対繋がってる、とは思いませんでしたの?」

 遊佐が黙り込んだ為沈黙が続いた場を、フォークを置いた浅目が終わらせた。丁寧に紙ナプキンで口元を拭い、対面に座る二人をしっかりと見据える。胡古は僅かに俯いて直視を避け、篭宮はうーん、と一つ唸ってからこう返す。

「まあ……、思いはしてもやっぱ本命が違うし。もし記事にしたとして、確実な根拠もなんもなくこれこれこうだからこうだ、なーんて適当書いた日にゃめんどくせえ事必至だろ。だからもっとやべーくらい詰んでからでいいかなみたいな」

「貴女は?」

「……いや別に……、私はその……、小説のネタになる程度の事わかればいいから……、そこまで考えては」

 きっぱりと言い切った篭宮と、しどろもどろに答えた胡古の二人を見つめ、そうでしたのね、と彼女は納得したようだった。先程までの怒りは多少治まったらしく、穏やかとまでは言わずとも、冷静に思考できるほどには戻ってきている。

 そんな会話が終わると、今度は遊佐が思考の海から戻って来ていた。残っていた料理を綺麗に胃の中へ納め、口元と手元を拭い、軽く纏めてテーブル端へと寄せている。三人が話し終えてから少し待ち、改めて口を開いた。

「……噂では霧が出て、人が喰われる。実際の話では霧が出て、人がいなくなっている事がある。そうだね」

 なぜ改まってそんな事を聞くのだろうと、遊佐を除いた三人は顔を見合わせた。代表して篭宮が首肯すれば、遊佐はとても難しそうな顔をして珍しく躊躇いの様子を見せる。彼女とは浅い関係ではあるものの、三人の中では一番接した時間の長い胡古からして見てもこれは非常に、というかほぼ初めて見た表情だった。

 彼女は何故か暫く黙り込み、息を吐く。それは困ったというより面倒そうな音で、彼女にとって何か不都合な事実が見えてしまったかのようだった。テーブルに両肘をついて頭を抱え込み、どう見ても悩んでいる事がよくわかる。嗚呼くそ、という呟きも聞こえ、一体何を悩んでいるのかは知らないが、三人はその様子を静観しているしかなかった。

「……君達は、手を引いた方がいいかもしれない……。これは、駄目だ」

 そして暫く頭を抱え込んでいた彼女がようやく何かを言ったかと思えばこれである。手を引けという事はつまり関わるなという事で、胡古や浅目はともかく、篭宮からすれば納得いかない言葉だろう。現に彼はそれを聞いた途端眉を吊り上げ、険しい表情を作り出している。あのな、と激情を抑え込んだ声音で身を乗り出し、彼は反論しだした。

「俺はこれが仕事なわけ。アンタと同じだし、アンタよりも自由が利かねーの。わかる?勝手に手を引くとか出来ないわけ。手詰まりになったんならともかく、アンタの様子からして詰んだわけじゃあなさそうだ。……わかるか?俺は降りない。アンタが気付いた事実を話すかは好きにすりゃいーが、指図はしないでほしいね」

 そう言ってどかりと少し乱雑に座り直した。表情にあるのは完全に不機嫌で、どうしようもないのに引いた方がいいと言われたのが気に入らなかったのだろう。そう言えば時折妙に短気になる事があったような気がしなくもない。胡古がそこまでの事をした記憶がないので朧気だが。

 対する遊佐はというと、頭を抱えた姿勢のまま、覗き込むようにこちらの方を見ていた。紫の目が奇妙にぎらついているせいで、一瞬背筋が凍るような感覚に陥る。数分ほどの間状況が膠着し、やがて彼女が動いた事で崩れた。

 頭を抱える事をやめて姿勢を正した遊佐は、ゆるりと頭を振って一言謝罪してきた。冷静でなくなっていたと本人は語るが、胡古からして見れば躊躇いや悩みは見えたものの、冷静さを失っていたようには思えなかった。口出しすることではないのでそれを言う事はなかったが。

「それも……、そうだな。ただまずい事に足を突っ込んでいるという覚悟だけはしておいてほしい。……何度も同じような目に遭ってきた、私からの忠告だ」

 非常に真剣なその言葉は、彼女が確かに厄介事に関わり続けてきたのだろうと知らしめてくる重みを持っていた。茶化しでも過剰な心配でもなく、覚悟をしておけと本気で言っている。表情も真剣なもので、謝罪の次に飛び出してきたのがそんな様子だったからか、篭宮は呆気にとられていた。たじろぎながらも軽く頷き、それに続いて胡古と浅目も首肯する。

「……それで、遊佐さんは何に気付きましたの?絶対話せない事なのでして?」

 消極的な口調で浅目がそう聞き、遊佐はううん、と一つ唸った。その様子からして話しにくい事なのだろうとはすぐに分かるのだが、浅目はそれで満足したくはないらしい。じいと遊佐を見つめ、どうしても駄目なんですの?と自身の頬に手を当てる。

 それでも尚唸る彼女は、どれだけ話すべきかを今度は悩んでいるのだろうと見て取れた。かちかちと指でテーブルを叩き、その目は一点を見つめているようで見ていない。その間に篭宮が席を立ったかと思うと、戻ってきたその手の中にあるコップに水が満たされている。どうやらお冷を汲み直してきたようで、彼が戻ってくる頃に遊佐の思考は終わっていた。話せないわけじゃないけれどという前置きと共に、彼女は簡単に話をし始める。

「さっき話したろう、私の探している人物が犯人かもしれないと。恐らくそれは確実なんだ。辻褄が合うと言うべきか。……ただそうなると、一体どこに人を連れ去ったのか……。家でない事は確かだし」

 誘拐された人が連れて行かれた場所がわからないと、彼女は僅かに話を逸らしていた。あからさまではなくほんの少しだけ逸らし、話したくない箇所から意識を離すように。それに他の二人が気付いたのか定かではないが、彼女はそのまま話を続けていく。

「連れ去った所がわからないと警察を呼ぶに呼べないし、そもそも廃屋に人が出入りしていたら噂になっているはずなんだ。聞き込みやネサフの時点でそれくらいならわかるはずだし、それが出ていないとなるとね……」

 なるほどなあと篭宮が相槌を打ち、ちらと周囲を見てからそろそろ出ようと声を掛ける。見れば店内は大分混雑し始めてきていて、長めに居座っている以上もう出ていった方が良さそうであった。外で続きを少し話して解散しようぜ、という彼に従い、四人は店を出ていく。

 支払いを篭宮が済ませようとして浅目がすべて支払い、協力の為の資金ですわと言い放って遊佐と篭宮に若干引かれるという事が起きたものの、彼等は篭宮の車の後ろへ向かう。そこで続きを話そうというわけであった。

「で、そうだな。誘拐ならどこかに連れ去ってるって話だったよな」

「そうですわね、となると、もう少し範囲を広めて情報収集を行った方が良いのかしら……」

 困ったような浅目の様子に、篭宮はいいや、と否定した。遊佐も疑問に思ったようで、ならば君は予想がつくのかと問いかける。彼はにやりと意味深に口角を上げ、笑った。

「あるだろ、ここには。噂と事件が絶対関係してるっていう遊佐さんの考えが正しければさ。ほら、すぐそこに。九亀湖っていう、めちゃくちゃ都合のいい所」

「……ま、さか」

 遊佐の声には驚愕と疑念があり、信じるか信じまいかどっちつかずの感情が感じ取れた。暗い景色の中、一瞬だけ大きく出てしまったその声は一拍置いて小さなものになり、続けて篭宮に問いを投げかける。そうだとしたらどこなのか、なぜ見つからなかったのか、どうやって向かったのか、などなど矢継ぎ早に問いかけ、篭宮の目を回させた。気付いた浅目が彼女の肩を軽く叩き、遊佐ははっとしたように硬直する。その瞬間に篭宮はやっと口を開いて言葉を紡ぐ事に成功した。

「あー、ほら、あそこ、周辺の人が全然近寄らないし、結構な獣道続きなんだわ。どこから入るか、どこから出ていくか、それもちゃんと調べないとわかんねーだろうし、近寄らないから誰も気づかない。……まあ、どうやってあそこまで人を持ってくかって話にはなるかもだけど」

 それに噂の中心地が湖ならば、意外と関係がないと思っていた湖自体に何かあるかもしれないと彼は語った。その言葉に遊佐は納得したように声を漏らし、ならば湖を調査しなくてはならないと呟く。彼女にとってどうやって人を連れて行ったのかは関係ないようで、その部分は一切気にしていないようだった。

 明日の調査に遊佐が加わるのならばと篭宮と彼女が連絡先を交換し、事件の真相を調べるのならばと浅目も調査に同行すると言った。彼等は少し悩んだものの人手はあった方がいいと判断したのか、了承の意を伝える。もしも何か決定的なものを見つけた時、彼女の家の力はうまいこと使えるからだろうと胡古は思った。

 さすがにこれ以上駐車場に留まるのも迷惑であるし、今日の所はこれで解散する流れとなる。明日の合流場所や時刻を伝え、何かあったら連絡を入れるよう念を押して彼女らとは別れた。遊佐が浅目の事を送っていくようで、彼女は遊佐の車に乗車し、会釈をした後遊佐が車を走らせていく。それを見送ってから胡古も帰路につこうとし、足を踏み出そうとしたところで篭宮が声を掛けてきた。

「……あ、先輩、今日も折角だし送っていきますよ。暗いし」

「え、いや……。……いや、うん。ありがとう……」

 いーえ、と彼は笑い、車の鍵を開ける。どうぞ、と胡古を先に車へ乗せてから乗り込むと、ベルトを締めずに辺りを見回し始めた。明らかな警戒をしており、何かあったのだろうかと胡古も釣られて辺りを見回す。が、特に何も見当たらない。

 不思議そうな様子へと変わった篭宮に声を掛けると、彼はシートベルトを締めながらこんな事を言った。

「いや……。なんか一瞬、視線を感じた気がしたんすよねえ。明らかに俺を見てる感じの。だから近くにいんのかなって思ったけど、さすがにもうわかんねーや」

「……ストーカーじゃ、ないと……、いいね……」

 胡古の冗談にもなっていない冗談に、彼はうげえと悲鳴を上げる。それまじでもうこりごりなんで、冗談でもやめてくださいと、割と真面目に叱られた。その様子から過去に被害を受けた事があったらしいと察せられ、顔がいいというのは大変だなと思いながらも謝罪する。そんな彼女にほんとに、ほんっとーにやめてくださいねと再三言い放ち、彼は車を発進させた。

 暗くなった道を順調に走らせて、車は胡古の家の前で停車する。道中は特に会話もなく、礼を言いながら彼女が降りると、篭宮は窓を開けて身を少しだけ乗り出しながら先の事について話し出す。

「勢いのまま決まっちゃったけど、センセには俺から話しとくし、後でグループにセンセの事話しときますね」

 確かにあの勢いのまま話が決まった為に、朽ノ屋の事はきちんと話せていなかった。一度だけ会話した印象から、調査同行人数が増えたところで彼はそこまで気にしなさそうでもある。一言謝んねーとなあ、とぼやく彼はそれすら様になっていた。

 それじゃあまた明日、と定番の挨拶をして篭宮は去っていく。その車の影が見えなくなるまでは見送り、胡古も誰もいない家の中へと戻るのであった。

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