Lec.3 間話―とある雨の日

Lec.3-1 とある雨の日

『命力・命術学基礎 第二章 命術』


 命術とは、命力をエネルギーとして発動する術式の事を指します。現在では、攻撃術・補助術・阻害術を始めとした一般に普及した術や、管理術・探査術と言った空間をコントロールする非一般的なものまで幅広く存在します。

これらの知識は一般的であり、この教科書を読んでいる皆さんには当たり前の事でしょう。しかし、命術の最大の特徴は、不純物となる他の命力が含まれないということにあります。命力波の様に外部に自身の命力を放出する際は、少なからずとも複数の命力が混合し、完全に一定の命力傾向にすることが難しい事です。しかし、命術を通すことで不純物となる他の命力が含まれなくなります。


 一般的に命術を知っていても、命術の仕組みは理解されていない方が多いでしょう。命術とは、命力を用いた実行動作手順の事(=プログラム)を指し、更に言えば実行式の事を指します。作成された実行式を、実行可能な形式へ変換(=コンパイル)し、我々がそれらをインストールすることで使用することが出来るのです。

尚、命術は神話の時代から存在していた訳ではないことが近年の研究で明らかになってきました。命力とは違い、命術は人の手で作られた発明品なのです。

この章では、このような人の手で作られた技術をより深く理解を深めましょう。


§


 それはとある雨の日の事だ。シトリ、シトリと曇天の空から降る雨は一面を湿らせる。空気も幾分かの水を含み重さが増す。一呼吸でも十分その重みを感じる。

こちらでの学園生活を始めてから、数回程度は雨の日もあっただろう。しかし、ここ一週間連続で雨が降ったのは初めてだったりする。

僕はその珍しい光景を窓から眺めている。いや、アランドでは珍しいと言うべきだろう。まだ朝方であるにも拘らず、厚い雲が日の光を遮り、暗い灰色の世界を演出する。その暗さが心地よいのか、ユウナ先生はソファで文庫本を片手に優雅な一時を、隣でセーネは肩に寄り掛かり甘えている。

緩やかな日常。それが何よりも大切なものであると僕は理解している。彼女達を背に僕は図書館で借りた本を片手にコーヒーを口に運んだ。


 ゆったりとした時間が過ぎる。マグカップのコーヒーが無くなったので、再度入れようとキッチンに向かう。コーヒーポットから注ぎ、彼女達の向かい側のソファにゆっくり腰かけた。

改めて彼女達の顔を見る。文庫本を膝の上に置き、ウトウトしているユウナ先生とベッタリとくっついているセーネの姿がある。よくよく考えると、僕は彼女達の事を良く知らないな。先生は右手人差し指に青い宝石の付いた指輪をしており、結婚しているのだろうとも思える。が、旦那さんの姿は一度たりとも見たことが無い。ここ二ヶ月、いや、もう三ヶ月か、この家にいる男性は僕一人と言っていいほどだ。まさか、別居したとか……いや、まさか。だが、こんな話題は先生には聞きにくい。しかしながら、一度着いた探求心の火は、そう簡単には消えることは無い。それならば間接的に探りを入れてみようか。

「ねぇ、セーネ。」

「何? お兄ちゃん。」

「セーネのお父さんってどんな人なの?」

彼女はキョトンとした表情を浮かべながらこちらを見る。何でそんなことを聞くんだろうといった感じだろう。

「お父さんのこと? うん、いいけど。」

ユウナ先生の肩に寄り掛かっていたセーネは起き上がり、こちらを向いた。両手で頬杖を突き、足をブラブラしながらこちらを見つめている。そして、彼女は口を開いた。

「お父さんはね、王都の南側にあるウィリスっていう山間の町で薬を作る仕事をしているの。」

彼女は嬉々として語る。

「昔はね、お母さんの病気を治す為に、色々な素材を研究したと言っていたよ。」

「へぇ、そうなんだ。凄い人なんだね。」

ユウナ先生、何かの病気をしていたのかな。本人、そんな素振り見せないけど。

「お父さんと一緒に住まなくて、寂しくない?」

「うーん。」

彼女は天井を仰ぎ唸る。女の子だもんな、父親が居ても居なくてもいいのだろうか。

「お父さん、もう過ぎているから、こっちで一緒に暮らす事は難しいと思うよ。」

ん、……!? 先生、そんな年上の人と結婚していたの?


「セーネちゃん。来たよ。」

 バタン、と玄関の扉が開く。驚愕して、体が緊張しきっていた僕はその音にビクンと反応する。そこには、セーネよりも少し背の高い少女がいた。

「ちょっと待ってね、今準備するから。」

パタパタとセーネは二階に昇り、直ぐ様降りてきた。クリアピンクのレインコートを羽織っている。

「それじゃ、友達と課題をしに行ってくるね。」

「あ、うん。行ってらっしゃい。」

呆然とした表情で僕は彼女を見送った。何と言うか、彼女の発言が想定外すぎて面を喰らった感じがする。

「ん、うーん……」

今までスヤスヤと眠っていた先生がゆっくりと起き上がった。まだ眠そうに目を擦る。

「セーネ、行っちゃったの……?」

「えぇ、友達と行きました。」

「うん……分かった……」

まだ、何かと眠そうだ。反応が鈍く、頭をフラフラとさせている。


§


 ようやく頭を起こすことが出来たようだ。ソファに座り両手で包むようにマグカップを持ち一口。ココアを堪能している。ふぅ、と一息。彼女は口を開いた。

「セーネと何を話していたの? お父さん? のこと聞いていたみたいだけど。」

ガッツリと聞かれていたのか。無茶苦茶恥ずかしい。右手で半分だけ顔を隠し愛想笑いを浮かべる。

そんな姿を見て、彼女も呆れたように笑みを浮かべた。

「私達、普通じゃないからね。確かに気になるのは分かるよ。別に私に聞いてくれても良かったのにな。」

「いや、もしも、別居されていたなら、何て言うか……」

言い訳がましくも言葉を濁したが、完全に言葉が詰まっていた。二、三か月もいないとなると別居、果ては離婚している可能性もある訳だ。軽々しく聞けるわけなんて無い。言葉詰まらせアウアウとしている僕に対して、彼女は目を真ん丸にしてキョトンとしている。

「え、私……結婚していないよ。」

衝撃の一言だった。ちょっと待て、じゃあ、さっきのセーネの言っていたお父さんって誰? そもそも、セーネって誰と誰の子供なの?

「あぁ、うん、そうだよね。普通はそうだよね。ちゃんと説明するから。」

彼女は苦笑いしている。

「それじゃ、私達の事を少し話しましょうか。」


§


 まず、何処から話せばいいだろうか。正直なところ言うと、何処から話しても突拍子もないことになるのは目に見えている。私が神様だって言ったことだって俄かに信用されている訳ではないのは私自身がよく分かっている。それじゃ、一つずつ解決しよう。

「じゃあ、セーネの事からお話しましょうか。」

胸の前でパンと手を合わせる。

「セーネはね、私が創ったの。所謂、神造人間じんぞうにんげんってとこだね。」

自分でこう言っておいてなんだけど、この発言は少し後悔した。言うまでもなく、カレル君の顔が完全に引きつり、思考を放棄しようとしていたからだ。ちょっと冷や汗が流れた。

「えっとね、完全に理解しなくていいから、あの子がどういう存在かだけは知っておいてほしいの。」

そして、私があの子を生み出した経緯を、記憶を頼りに言葉にし始めた。



 セーネが生まれる切っ掛けになったのは、今から三十年程のこと。今は減少の一途を辿っているけど、当時は多くのモンスターが蔓延り、町と町の行き来すら危険な状態だった頃のこと。

結論から言うと、セーネは元々ヒトでは無く、私に憑りついた一つの”黒い破片”が、私の人格をコピーした存在なの。その”黒い破片”って言うものは、モンスター増加の原因であり、モンスターを無理矢理作る代物でもあった。


 あの混沌とした時代に現れた謎の物体。それは、ありとあらゆる生命体に憑りつき、自身が持つ強力な闇の命力を使って、その生命体の持つ魂……即ち、命力の器を破壊してしまう。命力の器が破壊された生物は、常に命力への強い渇望と共に、自身の体をより強靭な姿に変えようとする。

普通ならばその程度……これでも十分危険なものであるけど、この”黒い破片”は質が悪く、憑りついたものの記憶や性格などその生命体が持つ情報をコピーし、同じ生命体のコピーを作り出す機能も有していた。つまり、その生物として疑似的に生活に溶け込み、新たに”黒い破片”を埋め込む。このような性質の為、通常のモンスターよりも急速かつ広い範囲に被害を与えたのである。


 そう、それが私に憑りついたのである。言うならば、私がモンスターになったということ。

もちろん、その”黒い破片”は私の魂を、命力の器を悉く破壊し、私の意識を完全に奪い去った。その時、私をコピーして生まれた人格こそセーネの原型。

”黒い破片”がコピーする人格にはいくつか法則があるみたいで、事に繋がる強い感情を選ぶみたい。私の場合は、無邪気さをコピーしたみたい。子供の様な感情を。まさに、今のセーネの性格と完全に一致する訳。


 その後、色んな人の尽力と私の聖紋リフェルズ・サインの力で何とか元通りになる事は出来たのだけど、”黒い破片”……それは、私の体の中に住まうことになった。あの子は、壊れた私の命力の器の代わりになって漏れ出す命力を遮ってくれたの。あの子なりの考えなのかもね。その後も、ちょくちょくと私と入れ替わったり、お話したりね。私に、妹が出来たみたいでちょっと嬉しかったな。


 更に時間が経ち、私が神様の力を得た時だと思う。命力の器は修復され、”黒い破片”は私の持つ光の命力で浄化され、完全に無害な状態になったの。これを機に、”黒い破片”……あの子は何も反応し無くなってね。生きていることは感じていたのだけど、いえ、そのせいだと思うだけど、あの子の事が気になるようになったの。もしも、本当に私のコピーであるなら、ただの人として生きて行けたらどうなるのか……なんてね。だから、私はあの子の為に体を創ったの。


 そして、さっきも言った通りセーネは私のコピー。つまり、あの子が持っている記憶のおおよそは私の記憶でもあるの。つまりは、あの子が父親と感じているヒトは私の父親。そして、あの子が母親と感じているヒトは私の母親なの。本当、私そのものなのよ、あの子は。



「そ、セーネってこんな感じで生まれたのよ。」

「何だか、色々と苦労されているのですね、お二人とも。」

 彼が二人と言ったこと、何気なく嬉しかった。私だけでなく、セーネ……とある不幸によって生まれたもう一人私のことも人として見てくれているんだなって。

「僕には、今のセーネの姿しか知りません。生まれが普通とは違ってもセーネはセーネです。それは明言しますよ。」

「ありがとう、そう言ってくれるだけでも嬉しいよ。」

思わず笑みがこぼれた。カレル君、彼が我が家に来てくれて良かったなって思えた。


§


「さて、もうお昼ですし、ご飯を作りますね。」

 彼は立ち上がり、キッチンの冷蔵庫に向かった。扉を開くと、彼は頭に手を当て「しまった」と小言を溢した。その後、棚の中を覗き、何か無いかと慌てて探し始めている。

そして、諦めた彼はゆっくりとリビングに戻ってきた。

「すみません。冷蔵庫の中身が空でした。今から買い物に行くので少し待ってください。」

急いで身支度を整えようとしている彼に、一言声を掛ける。

「ねぇ、お昼は外で食べない?」

振り返った彼は、目を点にしてこちらを見ている。

「えぇ、カフェでランチしましょ。」

私はゆっくりと彼に近付き、彼の手を取る。

「女性からのデートのお誘いよ。断るなんて……しないよね?」

満面の笑みを浮かべると、彼は顔を赤らめて視線を逸らした。

「外食……いい、ですね。でも、セーネに悪いような……」

「あれ、セーネから聞いていない? 今日は友達とランチするって。」

「そうなんですか。僕、何も聞いてないですよ。」

「あら。」

あの子が帰ってきたら「カレル君にもご飯いらない時はちゃんと伝えないとダメだよ」って言っておかないと。

そして、何やら観念したようで、彼も口を開く。

「まぁ、セーネの心配がいらないなら、僕たちも外で食べましょうか。」

「えぇ、それじゃ行きましょ。」

掴んだ彼の手をそのまま引いて、私達は外へ飛び出した。

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