Lec.2-3 焔駆ける

 俺がこの力を手に入れる切っ掛けになったのは十年前のある事故。その頃は出稼ぎに出ていた父と共にいる何の変哲もない、何処にでもいる普通の子供であった。


 そんな俺の生活は、父の死から一変した。父の仕事は運送業、遠い町へ馬車を使い荷物を届けるのが仕事だ。その中でとてつもない金額を積まれて受けた依頼があった。内容物は秘密、報酬の事前払い二千万セル。一回の仕事で一般的な月の給料の百倍の報酬を出すと。ただし、これを運ぶにあたりボディガードは一切付けないと。怪しい仕事であるものの、目先の報酬に囚われた父は快諾した。

勿論、そんな仕事が無事に済む訳もなく、父と俺を乗せた馬車は崖から転落し、打ち所の悪かった父はそのまま帰らぬ人になった。その時の絶望、今でも忘れない。結局のところ報酬など支払われていないことを知った俺はその物を開封した。それがこの力との出会いになった。


「試験管……それに、この色は血?」


 俺は何を思ってか、その血を一気に飲み干した。本当に何を思っていたのだろうか。ただ不思議と覚えているのは、その血に気がしたのだ。そんなことありえる筈も無いのに。

そして十年経った今、この血の正体が身を持って分かった。単なるおとぎ話かと思ったら、実在しやがった、とな。


§


 あれから一週間、王宮にも何件かの連絡が届いた。あれから南西部から徐々に東へと進んできていることが分かっている。もう少しで王都に到着してしまう。これだだけは流石にまずい。周辺部の村と比べ生活している人間の数が段違いだ。都市部で暴れられたら大問題だ。

ただし、一つの光明がある。それは東部、つまりこの王都へまっすぐと向かってきていること。そして、周辺警備をしている警備隊の人間が何度か接敵しているということだ。人相はおおよそであるが把握し、既に情報は共有している。後は、西門に兵を集結させ王都内に侵入させないようにしなければ。

「部隊からの報告は?」

「いえ、まだございません。」

「そう。ローテーションを組んで、休憩を取りながら対応を続けるように。」

敬礼をした兵士はさっと駆けて行った。もう夜になる。流石に夜になると簡単に侵入を許してしまうことになる。早く、早く賊を。気持ちだけが先走り、焦りだけが先行する。

こういう時こそ冷静になれ……視野を広げろ。

この一週間、週明けから後半へと色々起きていた。徐々に東へ進行していることを確認していたのは理解している。ただし、先週に比べると一日当たりの発生件数が少ない。嫌な予感がする……

「衛兵、衛兵!! 早く王都内の巡回を増やす対応をして。」

「ですが、西門の監視が薄くなります。」

「構わない。既に侵入している可能性があるのよ。」

大抵、この時感じた悪い予感と言うものは当たるもの。ジワリと嫌な汗が頬を伝った。


§


 今日の講義が終わり、心の突っ掛かりがある僕は何となくだが真っ直ぐ家に向かうことは出来なかった。何故だろうか、よく分からない。フラリフラリと歩き続けて着いたのは前の僕の家、例の燃えたアパート跡だった。既に、焼け焦げた木材は片付けられ、真っ黒な跡だけが残っていた。

「何で来たんだろうな、僕。」

ボソリと声に出た。そんなつもりはなかったが空虚になった心は心情を吐露してしまう。

何も無く、ただボーっとしていただけにも関わらず、僕はかなりの時間をそこで過ごしていた。着いた頃にはまだ赤い夕日が見えていたが、それも沈みかけようとしている。あぁ、流石に帰らないとマズいな、買い物して帰らないと。

大きく深呼吸をし帰路に就こうとした時だった。一つの人影がこちらに向かって歩いて来た。身長は非常に高く、僕より二回りは大きいだろう。非常に筋肉質で生傷が絶えない。剣闘士かなと思った。しかし……

「さて、やるか。」

歩きながら、彼はそのような単語を呟いた。ゆっくりと腰を上げた僕は疑問を持ったように彼を見ていたのだろう。すると、彼の腹部から何かが光出し、その大柄な男の体は光から広がるようにしてのだ。ヤツは両手を握り締め大きく咆哮した。炎に包まれた魔人とでも言うべき様相、まさしくバケモノ。天を仰ぎ、そのままこちらを向いた。瞳の奥底が暗く見えない。分かることはただ一つ、僕を獲物として見ていることだけだ。


「ガキ……お前も焼いてやろう。」


 ヤツは手の平に大きな火球を作りだし、大きく腕を回しそのまま振り切り火球を投げつけてきた。火球はただただ真っ直ぐに僕目掛けて飛んでくる。恐怖、ただただ、恐怖。だがこの瞬間、僕の脳裏には二つの恐怖が巡っていた。一つ、火に対しての恐怖。二つ、死に対しての恐怖。考えるまでもなかった。圧倒的に死の恐怖が勝り、今この状況を打開せよと頭と体が動いた。

「水よ……」

咄嗟に出たのは水の命術の詠唱。相手が使っているのは命術ではないことは何となく分かっている。聖紋リフェルズ・サインによる力なんだろうが、この世は全て命力で構成されている。つまり、あの炎も火炎の命力に違いない。それならばこれも有効だろう。

「アクア・バレット!!」

飛んでくる火球に対して、僕は直ぐ様指をさし水の弾丸を撃ち込んだ。予想の通り、火球は掻き消えた。危機的状況であるにも関わらず、以外と冷静に判断出来ているだろう。

だが、ヤツはジリジリと迫ってくる。まずは逃げろ、そして巡回しているだろう兵を探さなければ。

ヤツに背を向け僕は無我夢中で走った。まだ慣れない街を走った。呼吸は荒れるものの、体は動く。一歩、一歩だけでもヤツとの距離を取れ、そしてまた一歩先へ行け。僕は心に強く念じた。


§


 僕が外に出たタイミングがまずかったようだ。そう言えば誰一人として外に出ている人間がいない。どうあがいてもターゲットは僕しかいない。

「ちょこまかしてんじゃねぇぞ!!」

ヤツは無作為に火球を投げつけてくる。一発一発は小さく直撃したところで大したダメージはないだろう。ただ、今の僕は身体的よりも精神的なダメージの方が多いはずだ。もし、直撃でもしたら、錯乱状態にでも陥るだろう。だからこそ当たるわけにはいけない。

「水よ、アクア・バレット・クイック!!」

ヤツは連続して火球を撃つなら、こちらも連続で撃つしかない。この命術ならば、短時間ではあるものの詠唱をせずにアクア・バレットを連射することが出来る。確実に狙いをつけて近い火球を順に狙って撃つ、そして、またヤツに背を向け走り出す。

息が上がる、キツイ。警備隊が姿はどこだ。周囲を見渡せ、人影を探せ。目を見開き、微かな気配も見逃すな。生への執着の故か、はたまたただの偶然なのか、こちらに向かってくる人影が見えた。頭には帽子か兜か。そして、着ているものは……角がある、鎧か。一抹の希望を求めてその陰に近付き顔を見た。よし当たりだ。

「すいません、助けてください、賊が」

「何だって!?」

巡回兵はすぐさま命術を詠唱し空へと放った。

「フラッシュ・ボム」

空中で炸裂した閃光は辺り一面を光で照らした。合図、これは王都内の巡回兵を招集するための合図だ。

「君は早く帰るか、何処か隠れていなさい。」

「分かりました。」

彼は腰に構えた剣を引き抜き構えた。そう、走り、襲い掛かろうとする炎の魔人相手にだ。拳に力が入っている。年齢は同じくらいにも見える彼が立ち向かい、僕は逃げ出そうとしている。情けない。奥歯を強く噛み締め僕は逃げ出した。


§


 閃光が消え、ただ僕は駆け抜けていた。長い長い逃走劇を終え、僕はようやく家に着いた。息を上げながら、玄関の扉を開ける。家からは心配そうに駆けてきたセーネが飛びついた。

「遅いよ、どうしたの? お姉ちゃんも心配しているよ。」

家に上がり、リビングに入った。そこにはソファに腰かけふくれっ面でこちらを睨め着けているユウナ先生の姿があった。

「心配したんだよ。一体何していたの?」

「いや、ちょっと……何となく前のアパートに行きまして。」

詳しい理由は言えなかった。いや、正確には理由なんて無かった。言葉に詰まった僕は目を伏せる事しか出来なかった。

「その方向、閃光が上がった所じゃない。まさか」

「はい、賊に追われました。」

「そう、無事でよかった。」

瞳が怒り、驚愕、心配、安堵と変わっていった。今は預かっている身としてとても心配されたのだと分かった。


「遅くなりました、晩御飯を準備します。」

 そう言うが、手が軽いことに気付く。あぁ、買い物忘れていた、残ったもの何かあったかな。台所の棚にあったパスタを見つけ、冷蔵庫からはタマゴ、後は残った野菜で作ろう。頭の中でレシピを組み立て僕は調理を始めた。ただ、心の中ではモヤモヤがまだ残っていた。


§


 一般人を逃したものの、さてどうするか。

「お前、仲間を呼んだか。」

「だとしたら、どうするんだい。」

引き抜いた剣を手の平で回し遊ぶ。余裕がるように見える行動はヤツの逆鱗に触れる。怒り、それが燃え盛る炎と重なる。

「全員、殺す。」

腰を低く構えた炎の賊はそのまま向かって来た。右、左と大きく振りかぶり拳を撃つが、動作が大きすぎて軽く避けることが出来る。実戦経験は浅そうだ、これなら一人ででもやれるだろう。しかし、念には念を入れ他の兵が集まったくらいに仕留めた方が良さそうだ。

刃の横で弾く様にして相手の攻撃を逸らす。奴の体に触れる度に熱が伝わる。

「どうした、アランドの騎士はその程度か。」

「そう思うか。なら、お前の目は節穴だな。」

流石にカチンときた。伝統と格式あるアランド騎士を侮辱するとは。だが、こんな挑発に乗り相手のペースに乗るのはもっと癪だ。

「おらよっ!!」

ヤツは右拳で大振りのアッパーカットを行った。すると、ヤツの拳に追従し、大きな炎が地面から突き上がるように噴き出した。

マズイ……

「風よ、エア・シュート!!」

後ろに飛ぶと同時に風の命術を地面に放ち大きく後退した。風圧を利用したものの、ヤツの炎の一閃が右の頬を掠り、熱が痛みに変わった。


「まだこんなもんじゃないぜ。」

「へぇ、それは見せてもらいたいな。見せる時間があればだけど。」

「何?」

 ヤツが気付いた時には周囲に警備兵十人が取り囲んでいた。奴は周りを見渡すが、逃げ場などない。チッと舌打ちするような動作をしたものの、時すでに遅し。

「ヤツをここで捕獲する。水の命術、構え!!」

全員が炎の魔人相手に詠唱を始めた。ここには一般の兵だけではなく、命術師も一人いることは確認した。これならヤツの力も無力化した上で捕獲もできる。

「アクア・シュート」

「ウォーター・フォール」

四方から水の命術をぶち当てていくと、炎が掻き消え中にいる人間の姿が見えてきた。そして、腹部には女王の想定した通りの聖紋リフェルズ・サインが光っている。

「ヤツの腹部を狙え!!」

「悪しき紋様よ、聖者の紋様に裁きを与えん……」

声に反応した命術師は直ぐ様詠唱を開始した。そう、聖紋持ちを封じるための命術を。

シール聖紋リフェルズ・サイン

彼女が放った灰色の紋様はヤツの腹部に一直線に飛んで行った。ヤツの聖紋リフェルズ・サインに当たれば、これで封印できる。


 しかし、ヤツの最後の抵抗か消えかかった炎を最大火力で放出してきた。もはや体の原型すら分からない程の強力な炎だ。水の命術を放っていたものの全て押し返されてしまった。なんてパワーだ。

ただ、一直線に飛んで行った灰色の紋章はヤツに命中した。直撃したと思われる瞬間、放出していた炎は一瞬で掻き消え、中にいた人間は腹部に手を当てながら倒れこんだ。近付いて確認したものの反応は無い。ショックで気絶したのか?

「よし、このまま連行するぞ。」

まだ春先だというのにも拘らず、想像以上の汗を流した。コイツの力……聖紋リフェルズ・サイン、大雑把ではあるものの舐める訳にはいかないな。


 その後、西門から侵入しようとした賊、五名の捕獲により、今回の騒動は一先ず落ち着いた。そう、我々の勝利だ。


§


 夕食後、僕は心の奥につっかえたモヤモヤのせいで落ち着くことが出来なかった。ただ座っていても何かが引っ掛かり僕の心の中にうずくまっている。

「心ここに在らずって感じね。」

俯いた僕の隣にユウナ先生は座った。ユウナ先生は僕の手の上にそっと手を乗せこう言った。

「きっとなんだけど、行動してみると何とかなるかもよ。」

彼女は笑って見せた。

そうか、僕自身なのか。恐怖で震え、身動きできなかった僕自身が。それならば……やることは一つ

「すみません、ちょっと学園に用事を思い出して。」

「あ、ちょっと。」

彼女の言葉を聞き終える前に僕は家を急いで出て行った。


「あぁ、行っちゃった。学園の設備ってもう閉まっていると思うのだけどな。」


§


 夕刻の光が完全に消え、闇夜が全てを支配する世界で、僕は急いで学園内の命術訓練所へと向かった。どうしても、先程閃光が上がったアパート跡地が気になった。轟々と燃え盛っていた炎は完全に消えていた。そうか、終わったのか。一先ずの安堵感が胸に溢れた。

急ぎ足で向かったものの時すでに遅し、命術訓練場は完全に施錠されていた。

「クソ、閉まっている。」

「どうしたんだ、こんな時間に。」

振り返ると一人の男性、暗闇の中でも一先ず存在感放つ大柄なライナック先生がそこに立っていた。

「先生、ここを開けてもらえませんか。訓練場を使いたいのですが。」

「いや、いきなり言われてもな。せめて理由くらいは話したっていいだろう。」

呆れたように笑って僕にそう告げた。

「僕は、僕は強くなりたいからです。」

「それはどんな強さだ?」

「自分の弱さ、それに打ち勝つ為の強さです。」

ほう、と彼は言い手元のカギを使い命術訓練場の鍵を開けた。あごひげを二回ほど擦りながら彼は言った。

「一体何があったかは知らないが、そのような考えなら俺は協力しよう。」

「ありがとうございます。」

僕は一礼し、命術訓練場へと入った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る