Lec.2-2 心の火傷

 日が暮れしばらく経った頃、今日は定例会議があるから遅くなると聞いていたが、セーネは一緒に食べたいと言ったため僕らは夕食を作るだけ作って待っていた。今日は鮭の塩焼き、ホウレン草のおひたし、そして豆腐とワカメの味噌汁。せっかく買った炊飯器を利用したくてこんなメニューにしてみた。

そして僕らが暫く談笑していたころ、ユウナ先生は帰ってきた。

「ただいまー」

ちょっと力の抜けた、疲れたようなそんな声だ。

僕はセーネに一瞥し、彼女は分かったようにお皿に盛った食事をテーブルに運びだした。


聖紋リフェルズ・サインですか。」

 少々遅くなった夕食で、開口一番聞いてきたことに当惑した。その単語で連想するとすれば、おとぎ話で出てくる聖女リフェルと、その紋章。今現在でもそれを持っている人がいるらしいとのことだ。

「へぇ、そういうのを持っている人がいるんですか。」

「そうね、例えば私とか。」

へ!? と言う声が出ず、僕は目を見開いた途端に、口を付けていた味噌汁が器官に入りムセてしまった。その姿を見たセーネは僕の背後に廻り背中を軽く叩く。大丈夫? と心配そうに声を掛けるも、手を上げ大丈夫だと合図を送ることしか出来ない。僕はこぼれない様、汁椀をテーブルに置いた。

「見てみたい?」

「え、ま、まぁ。」

確かに、おとぎ話でしか伝わっていないようなものだ。極端に言うと存在するかどうかも分からない伝説的なものと言える訳だ。興味が無いと言えばウソになる。なんせ、カッコいい……

「お願いします。」

少々の期待に胸が躍る。一体何が出てくるのかと。

「うん、ちょっと待ってね。」

そう言うと茶碗をテーブルに置き、ユウナ先生は立ち上がった。すると、彼女はおもむろにブラウスのボタンを二つ外してみせた。

「ちょ、ちょっと、先生、何してんですか!?」

手を顔の前に出し僕は視界を遮ろうとした。が、近付いた先生に僕の左手を退かされ。ズイッと体を割り込ませてきた。最早逃げ場など無い。彼女はブラウスの左側を開けて見せ、自身の胸元を指差した。

「え、聖紋リフェルズ・サイン見たいのでしょ? ほら。」

指差したのは左側の鎖骨の少し下辺りだ。そこに、タトゥーの様に白い記号が刻まれている。中心に小さな丸が描かれ、斜めに線が入っている。また、その縁を中心に四五度ごとに短い線が刻まれている。太陽のようにも見える紋章だ。

「これが私の”癒し”と”翼”の聖紋リフェルズ・サインよ。」

「これが……」 

声が出なかった。何といえば良いものか分からなかった。ただ、そこにあった感情は、触れてみたい。ただそれだけだった気がする。思わず、僕の手には力が入っていた。

「はい、おしまい。」

そう言うと、開けていたブラウスを元に戻しボタンを締めた。彼女はちょっと照れくさそうな顔をし、頬が紅潮していた。

「ほら、”癒し”の力はあの時見たでしょ。あの、部活動勧誘の時に。」

あの時、あぁ、全力で演技していたあの演劇部の件か。命術でやたらとリアルな銃撃演技や出血表現をしていたあれか。確か、ユウナ先生はあの時倒れた学生に何らかの治癒術を使っていたのは覚えている。あぁ、あの淡い光を出していたあれか。

「あれは普通の治癒術とは違って、本来、聖紋リフェルズ・サインって言うのは普通の命術とは全く違うの。」

そしてソファに座り彼女は語り続けた。

「でもね、本当は私の弱点でもあるからね、人に見せるっていうのはご法度なの。」

「じゃあ、なんで僕に。」

「なんとなくかな。」

「な、なんとなく?」

彼女は悪戯っぽく笑って見せた。

「うん、信用してもいいかなって言う証拠かな。難しく考えなくてもいいよ。ほんの些細な気持ちだから。」

そんなことを言った彼女はそのまま箸を進めた。

信用か。何だかこそばゆい気分だ。

「ところで”翼”ってどんな力なのですか。」

「それは……また機会があれば話してあげるよ。」

彼女は笑顔を見せながら言って見せた。もったい付けなくてもいいのに。


 食事が終わった後、セーネはいつもの様に皿をシンクへと持ち運び片付け始めた。彼女はこれを自分の仕事であると頑なに主張する為、食事後は皿に触れる事すらできない。そして二人残される。

「カレル君、火、もう大丈夫なの?」

「いえ。まだ」

僕は自分を右手をじっと眺めた。手が微かに震えている。あの時、改めて僕は火にトラウマがある事に気付いた。


§


 それに気づいたのは二週間程前。その週は色々と大変だった記憶がする。

週明け。例の火事の噂が既に学園中に広まっていた。

「なぁ、先週末アパート一軒が火事になったらしいな。」

講義中にそう語りかけて来たのはレイモンだ。アランド史の講義を退屈そうにしている彼は僕に語り掛けてくる。入学早々よくそんな余裕があるものだ。

「あれ、僕の家だったんだ。」

講義に集中していた僕は流すように答えた。


バン


 レイモンは机を叩き立ち上がった。講義中だというのに。

「お前んちが燃えた!? じゃあ、今どこに住んでいるんだよ!?」

「あぁ、ユウナ先生のとこ。」

僕は脊髄反射する様にただ答えた。講義に集中していたためか自分で何を言ったか記憶になかった。が、教室中の空気が一瞬固まった。それだけは何となく理解した。学生は少ないものの、同じ命術科の学生も何人かいる。故にと聞いて反応しない学生はいなかった。

「はあああああああ!?」

「ふざけんなオメー!!」

あの静寂が嘘のように、瞬間で喧騒に包まれた。

二人の学生は掴みかかるように僕の所に駆け寄ってきて、もう数人はこちらを向いてポカンと口を開けている。そして、事情を知らない他の学科の学生はただただ呆然と眺めているだけで、その光景を見た教師はやれやれと頭を抱えたのだった。

この事件の中心である僕はと言うと、周囲の人間に揉まれ、もはや講義どころでは無くなり、その後は黒板すらまともに目に入った記憶が無い。


 喧騒に包まれた講義が終わり異常なまでの疲労が溜まる中、中庭で昼食の弁当を啄んでいる。

「んでよ、さっきの話、本当なのか?」

「本当、本当。」

 僕は弁当を口に頬張りながらそう答えた。まぁ、事実と言えば間違いないのだから。

あの男子学生達からの人気っぷりを見ると分かる通りだが、僕が彼女の家に居候していることが気に食わない奴もいるみたいだ。先程の講義の様子が何よりもの証拠だ。


 だが、翌日、事態は急変した。

この事実を知った男子学生達から勉強会を開こうと提案されたのだ。もちろん場所はユウナ先生の家でだ。ただ、僕自身が判断することは出来ない。その日の夜、ユウナ先生に相談すると「いいんじゃないの。」と二つ返事をもらった。ただし、同じく勉強会をやりたい男子学生の人数が多かったからか「どこか教室借りようか。」なんて彼等の思惑をぶち壊す発言をした。そのためか、勉強会はまだ行われていない。

一方のユウナ先生と言えば、勉強にやる気を持った学生達がいっぱいいることが非常に嬉しかったようで、どのようにして勉強会を進めようか構想を立て始めていた。だが、それもまた実現には至っていない。


 そして、例の日。翌日の「命力・命術額基礎」の講義中だった。

「本日は改めて命力・命術の属性関係を学習しましょう。」

学習内容は初等科でやるような内容ばかりだ。やはり基礎、まぁそんなところだろう。内容は単純ながらも教壇に立つ少女の姿から目が離せなくなる。端から端まで黒板に書いて周っている光景は、さながらダンスを踊っているようにも見える。ヒラリヒラリと舞って回って蒼空そらを思える髪を揺らし、軽快に書き続けて間に黒板中ビッシリと埋まっていた。彼女の特徴的な丸文字でだ。


 黒板の左側に五角形を描き相関図を描いた。頂点に”大地”、時計回りに”火炎”、”水”、”雷”、”風”と合計五つの属性を記載した。外に描いた赤い矢印は反時計回りに描かれている。これは有効属性を示している。そして、内側に五芒星の青い双矢印を描いている。これは命力の相乗効果を示している。

また、右隣りには”光”、”闇”がそれぞれ赤矢印で刺されている図が描かれている。

「有効属性は知っての通り、強く作用する関係です。”水”の命力は”火炎”の命力に対して大きな効果を与えます。水で火を消す感じですね。」

指し棒で、”火炎”と”水”の間に引かれた赤い矢印をなぞった。

「相乗効果はお互いをより強める関係ですね。”大地”に”水”を与えることで、植物がスクスクと育っていく感じです。」

次は”大地”と”水”の間に引かれた青い矢印をなぞった。

「続いて、実践で見てみましょうか。」

彼女は窓側の少々開いたスぺースに向かって右の手の平を天井に向けた。ふぅ、と小さく呼吸をした後

「ロック・フォール」

手を振り下ろすと同時に、集中した命力が凝固し空中で岩を生成した。岩は重力に逆らうことなく垂直に落下、ドンと鈍い音が教室に響いた。

続いて左手を突き出し「ファイア・ボール」。左手の平の少し先で炎が集まり射出。岩に命中しそのまま炎上した。

直ぐ様、右手人差し指を立て発砲するように「アクア・バレット」、水の弾丸が人差し指から射出。沈火しビショビショになった。

そして、左手で球を投げるように「ライトニング」、雷電が濡れた岩を貫く。

更に、右手をすくい上げるように「エア・カッター」、疾風の刃が感電した岩石をバラバラに砕いた。

五連続の命術。これだけで終わるかと思いきや、両手の平を上に向け何かを持つようにお椀状にしてみせた。

「ライト・ボール、ダーク・スフィア」

左手には光の球を、右手には漆黒の球を作り出し、そのまま両手を合わせてみせた。光と闇が交わり、一瞬であるが強烈な閃光を放ち、溶けあうように混ざった闇に掻き消され、手の平が合わさる頃には双方の命術は消滅していた。

「先生凄いな。全て詠唱を破棄して命術を行使しているぞ。」

隣に座っているロッソがボソリと呟いた。神官職である父親は、僕の知らないような命術を行使しているためか、彼の命術の知識は僕よりも深い。そんな彼がひたすら関心の眼差しを向けていた。

勿論、”詠唱破棄”したことは一部の学生たちも気付いていて、「どれくらい修行すれば詠唱破棄できるのですか?」と言う言葉を皮切りに「スゲー!!」や、「もう一回見せて!!」やら教室は大騒ぎになった。その歓声に、先生は照れる様子を見せた。

「本当にどれくらい命術の修行を積んだのだろうな。なぁ、カレル。」

彼はこちらを振り向いた途端に、心配そうな声で「カレル?」と一言呟いた。

その時はまだ、僕自身何が起きていたかは理解していなかった。

「カレル、どうした!? 手が、震えているぞ!!」

「え?」

視線を下ろし、右手に視線を合わせた。指先が震えている。手が、手が震えている。

抑え込もうと左手で掴んだものの、左手も震えており止まらない。

額から汗が流れる。手汗が収まらない。

体中、何かがおかしい。


 ここから先は記憶が曖昧だ。医務室へ行き調べたところ、少々の過呼吸気味、心拍数も高くなっている。ただ、外傷はないため内面的な問題とされた。記憶は曖昧ながらも、僕の瞳にはまだ一つの画が残っていた。

火球、それが飛んだ瞬間だった。揺らめく炎が僕の瞳に焼き付き、あの火事の光景に重なった。赤と橙に揺らめき、触れたものを黒く壊す。崩れていく日常が鮮明に見え、体はこの場から逃げ出さなければと焦る。

そう、あの火事は僕のトラウマになっていた。


§


 あれから大体二週間経った今、料理をする時ですら手が震える。火、コンロから発せられる火の命術がユラリユラリと揺れるだけで恐怖が内側から無尽蔵に湧き出てくる。ここ毎日ずっと、その湧き出てくる恐怖と戦い料理をしていた。

そのことを呟くと申し訳なさそうに「ごめんなさない。」と先生が謝った。小さく縮こまったようにしている先生を見ると僕自身も非常に申し訳ない気持ちになった。僕は、日々の食事を作ることを条件とし居候をさせてもらっている。それなのに……

「こちらこそ申し訳ないです。せっかく住まわせてもらっているのに。」

僕は頭を下げるしか出来なかった。

「も、もういいよ。顔を上げて、ね。」

これでは埒が明かないと感じた彼女はそう言った。


 こんな話をしている中、皿を洗い終えたセーネはこちらに戻ってきた。深刻な顔をしていた僕たちを見て「何、話してるの?」と聞いてくるものの、ユウナ先生は「ちょっとね。」と言葉を濁しただけだった。ふーんとつまらなそうに不貞腐れたセーネは適当にソファへ寝転んだ。

「でも、何とかしないとって思っているんでしょ。」

「勿論です。」

ぎゅっと拳を握り締める。しかし、体ではそう決意しても心が着いて行っていない、そんな感じだ。まだ拳が震えていた。その様子を見た先生はそっと僕の隣へ座った。

「それなら、あなたが一歩前に進めるように、私が寄り添います。」

彼女は震えている僕の拳にそっと手を乗せた。すると、何だか分からないが、少しだけ落ち着いた気がした。握りしめた拳が少しだけ力が抜け、力が入った肩の緊張が抜けた気がした。ちょっと前にもこんなことがあった気がする。あの火事のあった翌日の朝。あの時はセーネが僕にしてくれたっけな。

「二人とも仲良しさんだね。」

こっちを見たセーネが茶化すように言った。横目で見たユウナ先生は照れ臭そうに笑っていた。


「先にあなた達に言っておこうかな。近辺にね、ちょっと危険な賊がいるの。」

「賊、ですか。」

「えぇ、どうやらその賊の中に聖紋リフェルズ・サインを保有している者もいるのよ。厄介なヤツが。」

 会議で報告のあった一連の事柄を先生が話してくれた。周辺の村や町が襲われ焼き払われていること。それが徐々に近づいてきていること。現在、周辺の警備を強化して捜索に当たっていること。まだ、賊の足取りを追えていないこと。

僕はようやく、わざわざトラウマになった火のことを聞き、聖紋リフェルズ・サインの話をしたのか理解した。

「確かに、今の僕にとっては最悪なヤツですね。」

「えぇ、だからこそ、あなた達には自己防衛の手段を覚えてほしいの。」

彼女は手の平から一枚の羽を出し、その中から一冊の本を取り出した。


 これは世間一般的に使われる道具の持ち運び用の命術である記憶域ストレージだ。羽の形は人それぞれであるものの、効果はいたってシンプル。この羽の中には何でも入れ持ち運ぶことが出来る。ただそれだけだ。シンプルながらも一つだけ問題がある。この記憶域ストレージに入れた物を忘れると二度と取り出せなくなるということだ。それさえ問題なければ非常に便利な命術なのだが、如何せんリスクが高すぎるせいで、使う人使わない人が真っ二つに割れている。尚、僕は使わない派だ。


 彼女は日焼けした赤い表紙の本「聖紋の研究」と書かれた本を手に持った。いや、本と言うにはあまりにも薄かった。この本には、聖紋リフェルズ・サインについて研究がなされた頃の本らしく、原本自体はうん千年も前になるらしい。当時ですら、それを持つ者が少なく研究が進むことは無かったみたいだ。この本の薄さを見てよく分かる。現在は更に人数が少ないのかどうかは分からないが、研究を進める事すら不可能、と言うことで新しく書籍化されることなどありえないとのことだ。

彼女はそんな古臭く貴重な本のページを数枚めくってみせた。気になったセーネも起き上がり、本を覗き込む。

「このページの命術、”シール聖紋リフェルズ・サイン”は是非とも覚えて。きっと役に立つから。」

名前の通りそれを封じるための命術だ。ただし、聖紋リフェルズ・サインに直接当てなければ、完全に封じることは出来ない、か。ぶつぶつと僕は呟いていた。

「例え直接当たらなくてもね、痺れるくらいの妨害は出来るの。逃げる時に撃ってみるといいよ。」

「お姉ちゃん、やっぱりスゴイ。何でも知ってる!!」

喜ぶセーネに笑顔で返し、続いて手の平から光る羽を二枚出した。さっきの記憶域ストレージとは違う形だ。菱形状であるが、羽の根元は鈍角で先端に行くほど鋭角になっている。また、根本は淡いピンクをしているが、先に行くほど白くなっている。

「これは何ですか。」

「あと一歩何かが足りない時に、これを思い出してくれればいいわ。きっと後押ししてくれるから。握りしめて、念じるの。」

そう言って彼女は優しく微笑んだ。

僕は、珍しくも記憶域ストレージの命術を使いその光る羽を格納した。それは一体、どんな時に後押ししてくれるのだろうか。

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