Lec.1-2 学生の日常

「皆さん落ち着いて、あとしっかり着席してください。講義要綱の説明ができません。」

 身長が低いユウナ先生は教壇に立つと胸から上しか見えなくなってしまう。前のめりになると大きな胸が教壇の上に乗ってしまう。きっとつま先立ちをしてもそう変わらないのだろう。彼女は手をパンパンと叩き、立ち上がっている男子学生達をなだめ座るよう促している。それを見ている女子生徒達は失笑している。男って単純だなって。

その間、僕はまだ落ち着きを取り戻そうと呼吸を整えていた。


 ひと騒ぎが落ち着いたころ、ようやく講義要綱の説明が始まった。

この講義は、命力・命術の基礎的なところから勉強をしていくみたいだ。講義名の通り”命力・命術学基礎”、一から理解することが重要だと説明をしていた。学科名が命術科と言うのに”命力”の勉強するものなのだなと改めて考えさせられた。

話した内容は大まかに次の通りだ。一、命力、云わばこの世の中心物質を再度勉強する。二、今後勉強していく命術について安全かつ間違いなく扱うにはどうすればよいか。三、命術を制作する方法を教えます(ただし入門編)。四、改めてどんなことを勉強したいのか考えてみよう。

とのことだ。

「さ、今日はここまでです。」

彼女は手元の教科書をパタンと閉じた。本来は、それぞれの内容について深堀していく予定だったのだがかなり駆け足な終わり方になってしまった。それも朝方、あんなトラブルがあったせいか三十分程のロスが発生したためだ。

「本当に悪いのだけど、ひとつ課題を出します。本当は今の時間中にやってしまいたかったのだけど。」

そう言うと彼女は、右手を前に差し出し上から下へと指で空を切った。

「open」

すると彼女の目の前に透明な青い板が浮かび出てきた。

「これだと小さすぎるね。ちょっと待ってね。」

青い板に向かい手の平を差し出し、そのまま背面へ手を動かした。その後、青い板の対角線上をつまむように引っ張るとその板は背後にあった黒板二枚分のサイズになった。

「皆さんには、改めて自分自身を見てもらいたいのです。」

口で説明しながら、胸より下の位置に更に板を出し、叩く動作をしている。

「status」

彼女がこの単語を入力すると同時に、青い板には様々な数値、文章が浮き出てきた。そこには生年月日、性別、種族、身長、体重、その他諸々……様々な情報が浮かび上がっていた。

「これは通称”ステータス板”と言われるもの。私たち自身の状態を確認したり、これを使って直接命術を作成することもできるのです。」

ゆっくりと教壇の前へと歩き出した。

「今回、皆さんのコトを知るために、自身のステータスの内、属性について調べて提出してほしいのです。この内容については教科書を見て調べてください。」

彼女は両手を胸の前で合わせ、笑顔を見せた。

「あ、そうそう。それだけだと物足りないので自己紹介とか書いてくれると嬉しいです。」

そう言うと講義終了のベルが鳴り、講義が終了したのだ。


 講義終了後、すぐさま女子学生たちがユウナ先生を囲んでいた。周囲から見ると女子学生たちの方が大人に見えるくらいで、大学生の中に高校生、いや中学生が混じっているようにも見える。また、先生の方がコロコロと表情を変えるのでより幼く見える。

そんな中、僕は彼女のことが気になって仕方なかった。一体いくつなんだろう、だとか。

展開されたままのステータス板をマジマジと読んでいた。女性のプライバシーを覗くことにちょっと気は引けたものの、今は興味が圧倒的に勝っていた。


Name:ユウナ=シャルティエト

Birth:4580年

Age:**歳

Height:152cm

Weight:49kg

From:アランド.ウィリス

Race:神(元ヒューマ)

……


 ん? 何かおかしなものが書かれているぞ。年齢表記がおかしい。今は天期4629年だから、四十九歳ってこと? あとはなんだ、種族。

ステータス板を読んでいた僕にユウナ先生は気付き、こちらに歩み寄ってきた。

「えっと、何か分からないことでもあった?」

「あ、いえ……ただ。」

「ただ?」

彼女は首を傾げた。その一挙手一投足があざとい。そして、僕は口ごもる。

そして意を決し言ってみた。

「先生って一体何者なんですか?」

一瞬だが、彼女は鳩が豆鉄砲を食ったようにポカンと口を開けた。

「え?あぁ、ステータス板読んでいたのね。毎年必ず聞かれるのよねー。」

フフッと笑っている。毎年?つまり僕みたいな不埒者が毎年現れているということか。

「えぇそう、私はそこに書いてある通り神様なのです。見習いだけどね。」

彼女はドヤ顔で言った。しかし、僕ら教室に残っていた学生全員は「何を言っているのだこの先生……」という感想しかなかった。次は僕らが豆鉄砲を食らった。

「マジです?」

「マジです。」

彼女曰く、ステータス板はその個体その個体の正確な情報を写すことになるため、これはどうあがいても事実なのだそう。

「確かにこんなこと言っても信じる人いないよね。」

えへへと照れるかのようなしぐさを見せながら、慌てて自分が展開したステータス板を閉じた。

「それはそうと、皆は次のコマは講義あるの?」

「無いですー。ユウナちゃん先生、さっきの課題教えてくださーい。」

もうちゃん付けしている。女子ってすごい。

「それなら、私の部屋でお茶でもしながら課題をしましょう。」

そう言うと、女子学生達と共に、教室を出て行った。歩いている最中、彼女達は「ユウナちゃん先生可愛い。」だとか「ナデナデしたい。」とか「本当、人形みたい。あぁー着せ替えしたい。」などと言っていた。男子学生とは別方向で彼女たちも暴走している。

気が付くと、教室内には僕一人。誰もいなくなっていた。時間も時間だ、学食でも行こうか。


§


 ユウナの研究室。中には木製のワークデスクと小さなテーブル、ソファに簡易的なキッチンがある。棚には書籍類が置かれていない代わりに、紅茶葉、ティーカップにティーポット、缶入りのお菓子など、簡単なお茶会がいつでも開けるような部屋になっている。

「このクッキー、食べられるかしら。」

ユウナは缶に入ったクッキー一枚を取り出して、両端をつまみ指に力を入れた。案の定パキッと爽快に割れることはなく、しっとりと千切れるように割れた。つまり、他のクッキーたちも全滅か、と少々残念そうな顔をした。続いて、冷蔵庫に向かった。雷の命術で動く冷蔵庫が徐々に広がりを見せる中、ここで使用されているのは”氷蔵箱”と言われるタイプのものだ。上部に氷をしまっておくスペースがあり、氷の冷気を用いて肉や魚、野菜などを冷やす仕組みのものだ。

「先生の冷蔵庫、古いですね。」

「これはこれで趣があるのよ。」

「でも、氷解けると大変じゃないですか?」

「大丈夫、解けない氷を入れているから。」

解けない氷ってそれはそれでとんでもないもののような気がする。さっきもそうだったけど、先生の言うことは何か突拍子もない気がする。

「よし、ちゃんと固まっていた。」

「何作っていたんですか?」

「はい、プリンです。」

笑顔で答えると、円形のトレイの上に八つの小ぶりなプリンを乗っけて彼女はやってきた。ソファに座る女子学生たちにスプーンと一緒に配り、召し上がれと言った。スプーンですくうと適度な弾力があり少し揺らすとプルプルと揺れる。口に入れると程よい甘さと、濃い卵の香りが口いっぱいに広がった。

「おいしい。」

「これ先生が作ったんですか?」

「今度作り方教えてください。」

もはや彼女達は課題そっちのけでお茶会を楽しんでおり、課題のことなんか完全にすっ飛んでいるようだった。

コン、コン、コン。

「はい、どちら様?」

ノック音に気付いたユウナは、ティーカップをテーブルの上に置き扉を開いた。

「失礼します。」

「何かわからないことでもあった?」

どうやら、命術科の学生のようだ。声からしても、女子学生なのだろう。

「はい、この命術について詳しく知りたいのです。」

すると、その女子学生は一冊の本を取り出した。紫色でシンプルな表紙、「……術基礎理論」との記載。古い本なのか、字が掠れている。そんな本をユウナはパラパラとめくり内容を確認している。

「因みに、目的は何かな?」

声色が変わった。少々、不安気にも聞こえる。

「あくまで研究が目的です。」

更に数ページめくり、とあるページで指を止めた。

「と言うことは、多少なりともこの術の危険性は承知していることなのかな。念押ししておくけど、もし一人で術を発動するのならば、この解除用の命術も覚えておいてね。」

「えぇ、承知の上です。」

「それなら。ここに書いてある通り……」

扉で色々と喋っている。かすかに聞こえる単語は内容が難しすぎて理解ができない。基礎理論がなんとやら、発動条件は……、時間と命力の関係性。なるほど、さっぱり分からん。

「分かりました。」

「それならよかった。ただ、気を付けてね。」

失礼します、と言うと女子学生は去っていった。

「先生、いったい誰が来たんですか?」

「三年生の先輩よ。」


§


 私の両親は、私が幼い頃、他界した。私の記憶が正しければ小学校に入ったころモンスターに襲われ両親が……。

その惨状はあまりにも悲惨だったと聞いている。私はその現場にいなかったから、あくまで口伝いで聞いただけだが。そして、何よりも年数が経つ毎に両親の顔が薄れていく。それが怖い。

そして、いつの間にか死霊術ネクロマンスにまで手を出していた。それは死後の世界との交信を行う禁忌術。しかし、最後の最後で決心がつかず知識だけが溜まっていた。それが功を奏してか今現在、命術科に在籍していることになる。

そして、私になりに色々考えぬいた結果、時……

夕日が差し込む中、今一度あの本を取り出した。もっと理解を深めないと。


§

 日が暮れ始めた頃、本日最終コマの講義も終了し、学生たちはそれぞれ帰る準備を進めていた。

僕自身が求めていた、高度な勉強をバンバン進めていくことは無く、どの講義も基礎からゆっくりと進めるため、気持ちとしては待てと言われて待ち続けている犬のようにもどかしい。早く、早くとよだれを垂らしているような感じだ。出来ることならば、今すぐにでも簡単な命術を作成するなど、実践的な勉強をやりたいと思っている。

ただ、まだ始まったばかりだ。何れ求めていることもできるだろう。それよりも目先の課題である、一人暮らしに慣れるように努力をしよう。ただ、その前にやっておくこともある。

「課題、やってしまおうか。」

本日、唯一出た課題。”命力・命術学基礎”の自分のステータスを確認すること。家に帰って取り組むのもいいかもしれないが、きっと晩御飯を作って、食べて、汗を流して、そのまま寝てしまうような気がする。せめてそれだけは避けたい。

それならば、図書館に向かおう。そう決めると荷物をまとめ歩き出した。


 夕方の図書館には、講義が終わり課題に勤しむ学生や、本を読むために現れる学生、静かゆえに居眠りするためだけに居座る学生など様々だ。あまり、人気が多いところだと集中できないと思い、少しでも人の少ない上層階の自習席を探し回った。螺旋階段の五階に上がった先にある夕日が差し込む席、そこで一人の女性が読書していた。赤い髪の見覚えのある女性。

「アネットさん。」

「あら、カレル君。本を読みに来たの?」

「いえ、課題です。ここなら静かにできるかなって。」

空いていた向かいの席に僕は腰かけた。

「まだ一週間も経っていないのに課題が出たの?」

「はい、ちょっとトラブルがありまして。」

ペンとレポート用紙を一枚取り出し、指を上から下に切り「open」と一言つぶやいた。

教科書に書いてあった通り、自分の目の前に”ステータス板”が出現し、手元には文字が刻まれた板が浮き出てきた。こうなるのか、と感心しながら慣れない手つきで「status」と入力すると、朝方の教室で見たような情報が浮かびあがった。


Name:カレル=ブルーバック

Birth:4611年

Age:18歳

Height:170cm

Weight:62kg

From:カルバリオ.レンブラント

Race:ヒューマ

Attribute:大地・火炎・水・雷・風・光・闇

……


 これを写しておけばいいのだな。後は簡単なプロフィールでも書いておこうか。正直なところ何も思いつかない。改めて自分自身を紹介するとなると中々こそばゆい。

「アネットさんは、自己紹介はどのように書いたりします?」

かなり苦しげな質問だった。ほかに何か聞くことは無いのかって自分でも思う。

「あぁ、それが課題になったの。んー……」

彼女は視線を左上に向けた。そして言葉を選んでいる。やはり質問の質が悪いか。再度反省する。

「私なら、なんで命術科に入ったのかを書くかな。こういうことをやりたいとか。」

「それなら書けそうです。」

簡単にだが頭の中で文章をまとめ、思いの丈をレポート用紙に書き綴った。おおよそページの半分くらいまで書いたか。この程度で十分だろう。

「そういえば、アネットさんも課題の為に来たのですか?」

「えぇ、これね。何というか”自由課題”かな。」

「三年生になると個人で課題をやるのですね。」

「いやいや、やっているのは極僅かだよ。」

彼女は照れ隠しをするように軽く微笑んだ。ただ何だろうか、僕にはその笑顔の裏に陰を潜ませえているような、何かを感じた。詳しいものは分からない。ただ、軽々しく聞いていいものではない感じはする。

課題も終わったことだし、僕はレポート用紙を教科書に挟みリュックサックへと片付け、席を立った。

「それでは帰ります。」

「ええ、気を付けてね。」

赤い夕陽を背にして、手を振る彼女の影だけが目に映った。


§


 翌々日。お昼頃。

学食を利用しようと思ったが、思った以上に人が多く、周りを見渡しても空いている席が見つからなかった。知っている人がいるならまだしも、知人と言えるような人間は数えるくらいしかいない。そんな中で知り合いを探すほうが無謀だ。

「購買で弁当でも買おうか。」

「あぁ、そっちの方が早そうだ。」

レイモンも頷く。

「なら、どこで食おう。」

そう答えるのはビースト、犬系の獣人族に当たるロッソと言う青年。講義の際、偶然隣の席になり話が合った為、そのまま友人になった。彼の父親はアランドにおける神官職に就いているようで、彼はそれを引き継ぐため命術の勉強をしている。堅物ではあるものの、適度にユーモアがある性格だ。

「一旦、中庭に行ってみようか。」

「天気も悪くないし、いいだろう。」

話は決まった。僕たちは急いで購買へ向かった。きっと、学食のこの風景を見たならば、次に向かう先は間違いなく購買だ。そうするとなると、次の問題はただ一つ。売り切れだ。

この学園は広い。外に出るのも苦労するのだが、中に入るのも勿論苦労する。そして、時間を見ると次の講義まで約三十分。中々に厳しい時間だ。行って帰ってくることは出来ても、食事する余裕はない。

必死に走り、購買に着くと多くの学生がいた。しかしながら、弁当はまだ残っている。心の中で小さくガッツポーズをし、すぐさま弁当を手に入れた。


 そして、中庭。入学式をすることもできるこの広い中庭には、ゆっくり休む場所もそれなりにある。ベンチや、緑生い茂った芝生。一本の大きな木を中心とした花壇。学園にとっての憩いの場である。

「どこか座れる場所はないかー。」

「別に芝生でもいいだろう。」

「いやいや、あんまり汚したくねーし。」

やはりというか、ヒューマこと猿人類種とビーストこと獣人種の価値観は違う。僕たちは汚したくないという考えがあるし、ロッソは、払えば左程問題ないと言う。

二人が軽い口論をしている中、僕は周囲を見渡し座れる場所を探した。すると、四人掛けのベンチで一人しか座っていないところを見つけた。二人に伝えると。

「でかした、カレル。」

とレイモンは僕の肩を叩き。

「私は芝生でも構わないのだが。」

とロッソは呟いた。

そして、ベンチに近づくと。

「ユウナ先生……寝てる。」

お昼の陽気に完全に負けた彼女の姿があった。顔は上向き、深く腰掛けていないせいで少しずり落ちているが、足が上手いことに支えになっている。この体勢、後で首と腰を痛めるやつだ。

「起こした方がいいかな?」

「次のコマの開始前あたりにでも起こした方がいいかもな。」

「次の担任だもんね。」

そう言うと、僕とレイモンはベンチに腰掛け、ロッソは芝生に座り込んだ。

「お前、ベンチじゃなくていいのか?」

「こっちの方が気楽だからな。」

弁当についている箸を取り出し、僕たちは弁当を頬張った。三百セル程度でそれなりに腹も満たせるなら万々歳だ。


 講義開始十分前。そろそろ、教室に向かわないと。

しかし、行く前にもう一つやるべき仕事がある。

「そろそろ起こそうか。」

先ほどから約十分、彼女は一切姿勢を変えることなく安らかなお昼寝を満喫していた。寝息が静かすぎて、死んでいるのではないかと心配になるくらいだ。

「普通に起こすのは面白くないだろう。」

「いや、普通でいいだろう。」

笑うレイモンに、僕とロッソは呆れながら反論した。もう時間もない訳だから。

まず、僕は軽く肩を叩いた。

「ユウナ先生。そろそろ講義時間ですよー。」

起きない。と言うか反応がない。

「ユウナ先生ー。」

うんともすんとも言わない。次は頬をつついてみる。柔らかく、プニプニとした触感が癖になりそう。しかし、うーんと言うものの起きる気配はない。

「おーい、カレル早くしないと俺が起こすぜ。」

レイモンは両手をわしゃわしゃと動かしている。指一本一本が生きている様な滑らかな動きだ。しいて言うならばムカデ、ヤスデ、ゲジゲジみたいな多足類の足の動きそのものだ。その動きで彼の目的が分かった。確かに一発で起きるだろうが、それはいけない。

「ロッソ、すまないけどレイモンを頼む。」

「あぁ、分かった。」

ため息を吐き、レイモンを羽交い絞めにした。筋力の強いビーストにそんなことされえたらヒューマなんて動くこともできない。

さて、どうやったら起きるだろう。何も考えずに鼻頭を人差し指でむぎゅっと押した。

「ふんにゅ。」

強く入ったせいか、痛みで額のしわを寄せるようにしかめている。そして、寝ぼけ眼を開くようにして起きた。最悪の寝覚めの中、まだ寝足りないのか少々不機嫌そうだ。

「先生、もう講義開始五分前ですよ。」

「あれ、もうそんな時間?」

目をこすりながら僕の腕時計を覗く。瞼を擦りながらゆっくりと伸びた。立ちはしたものの、足元が覚束ない。

「それじゃ、私先に行くから、皆も早く教室に来てねー。」

まだ寝足りないようだ。そのため、歩く速度も遅くフラフラとしている。こんな状態で講義出来るのか、徐々に不安になってきた。


 そう、思っていたのだが、それは僕の杞憂だったようだ。

「はい、それでは講義を始めますねー。」

何というか、凄くスッキリしたような顔をしている。さっきまでの寝ぼけ顔でフラフラした様子など一切ない。たった五分、それだけの時間でここまで簡単に切り替わるのか。まるで別人みたいだ。

「それでは本日は……教科書通りには進めず、先にこれをやります。」

彼女が指定したのは"阻害術<アンチスペル>"の項目だ。ページとしては中盤から後半にかけて。ここら辺の章のテーマは”防衛術”。

「私が最初に教えたいことは、自分の身を守ることです。」

彼女が語りだしたのは、教科書に書かれたことでは無く、あくまで彼女自身で言葉を紡いでいった。

「今は昔と違ってモンスターの数は減りましたが、まだ危険性が無くなったと言う訳ではないのです。そんな中、私達教師は、常に皆さんの傍にいて、助け、守ることは出来ないでしょう。」

そして言葉は続く。

「ですから、自身の力で自身を守れるように、私は皆さんに知識を授けたいと考えています。」

そう言うと彼女は教科書を開き講義を進め始めた。

阻害術”アンチスペル”はあくまでも、それに属する物の総称。この術の目的は共通しており、対象の術を無害化することである。その手法は色々とある。

一.対象の命術に大気中の命力を過剰吸収させ、命術に異常を発生させ機能停止させる。命力量超過、オーバーフロー式。

二.対象の命術の命力を大気中に霧散させる。命力波減衰、デクリメント式。

三.対象命術と同等量の命力を放出し、消滅させる。対消滅、パニッシュ式。

講義では基本的なこの三種類について話が進められた。

こうも種類があるということは、それぞれに得手・不得手があると言っていることと同じだ。

オーバーフロー式は、簡単な下位術であるほど効果を発揮する。全ての命術は使用者の安全を考慮し、例外を除き定量の命力を込めることしかできない。また、発動後の命術も、一定の命力量を超過した場合強制的に消滅するようになっている。しかし、この術は強制的に大気中の命力を吸収させて、命力量を増加させることが目的だ。

デクリメント式も同様に簡単な下位術程効果があるが、オーバーフロー式よりも広い範囲の命術に有効だ。命術を維持するには命力が必要だ。そして例外を除き、命力を新たに外部から吸収することは出来ない。その命力を大気中に霧散させ、命術自体の維持ができないようにすることが目的だ。

最後はパニッシュ式。同じ量の命力をぶつけることで命術自体を対消滅を狙うものだ。これは、全ての術に対して有効ではあるものの、上位の術である程この阻害術を扱う側の術者にも負担が発生するものだ。

これらの口頭説明と同時に、黒板への板書が行われていた。特徴的な丸文字で書かれた説明文と、簡単なのだが、表情豊かに描かれた図が特徴的だ。また、彼女自体の背が低いので、黒板の上部はほとんど手が付けられていない。

また、前回の講義との大きな違いがある。それは、前席がほぼ男子学生で埋まっていることだ。まぁ、前回のあの反応を見ているから分かるけど、凄まじく下心が漏れているとしか言いようがない。他の講義、数学、歴史、命術の講義諸々では出席すらしていない人らも、積極的に講義を受けている光景は非常に滑稽だ。

そして、実際の消滅状況などを実演した頃、講義終了のベルが鳴った。案外、みっちりと濃い講義内容だった。

「それでは、本日はこの辺で終了します。お疲れ様でした。」

パタンと教科書を閉じた後、彼女はそのまま退室した。一度外に出たものの扉から顔を出した。

「誰でもいいのですけど、黒板を消しておいてください。」

彼女の声に反応した前席の三人が直ぐ様黒板消しを取り、黒板に描かれていた図形たちを消していった。本当に好かれていのだな。そう感じながら、僕はノートをリュックサックに片付けた。

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