第5話皐月の賦

 私は、父方の祖父母を知らない。特に祖父は父が十八歳の時に亡くなっている。写真で見る祖父は本当に父そっくりだ。大勢の兄弟姉妹の中で、末っ子の父が、一番祖父に似ていたという。

 「生きていたら、きっとすごく可愛がってくれたと思う。」と、何度も何度も聞かされた祖父。父の書くもののなかには、たくさんの祖父がいる。


 


 昭和三十三年五月十四日の夕刻、それは川崎大師平間寺に於ける重大な意味を持つひとときであった。

 昭和二十年の戦災に失なった諸堂伽藍の復興の雄々しき歩みをはじめた、その一歩こそこの夕刻であったと言える。

 御遷座というのは、もともと天皇の御座書をお移しすることであったし、神仏の尊像をお移しすることでもあった。伊勢神宮などでは、御遷宮ともいい、新宮の造営に際し、神社の神座を本殿から権殿にうつすのを仮殿遷宮、権殿から新宮にうつすのを正遷宮というのであると聞く。

 宵闇の中に、一万余坪の境内がつつまれて、静寂なうちに仮本堂を出座した御興は、赤々と灯される火に映えてきらきらと輝き、屈強な青年僧の肩にたくされた御本尊弘法大師の尊像を安置したこの御興は、遍照講の講員や、多数の信徒の喜びの称号、南無大師遍照金剛の大合唱の中を、新荘なった大本堂へ向かって、敷石の上を一歩一歩強くすすみはじめるのであった。

 あの日から、もう十年の歳月が流れ、隆盛を誇る関東第一霊場、大本山川崎大師平間寺の、法城としての構えは、揺るぎなきものになったのである。

 「さつきの空にさんざんと…」と、となえられた御遷座式を祝う詠歌の節を忘れることは出来ない。

 

 「チチキトク スグカエレ」の電報を受け取ったのは、やはり五月のことであった。私が京都の総本山智積院にある真言宗智山派宗立の智山専修学院の学生として入学したばかりの日のことだった。

 その京都行きを報告するために帰省、ふるさとの寺の両親の膝下で数日を過ごしたのを、昨日のことのように思う。

 その出発の日、小高い寺の玄関から、いつまでも手を振ってくれた僧衣の父の、白髪の、少し背の低い姿が、目に焼きついていて、その時、これが生前の父をみる最後になるかもしれないなどという予感がしたことも否めないのではあるが。

 それが、わずか数十日後に、その電文を手にし、とるものもとりあえず乗った夜汽車。東海道の真っ黒な夜空は、私の心をいっそう不安と悲しみの中に追い込み、おおいかぶさってくる。そして、どうしても、それを払いのけることが出来なかった。

 浦賀の港から小さな客船に身を託し、東京湾をよこぎって房総に向かう船は、時ならぬ強風と荒波に木の葉のようにもてあそばれ、スクリューのからまわりする音と普段の三倍近い時間を要した。航路も狂いがちだったに相違ない。

 そんな船の疲れもとれぬまま、一室に昏睡状態を続ける父をみつめて、その夜中すぎ、父は姉と私とたった二人見守る中で、黄泉の国へと旅立っていった。他の家族は、日夜の看病につかれ、庫裏のそこここに、ほんの少しまどろんだ間の出来事であった。

 父は、私が京都から帰ったのも知らず、それでも私の目の前で、人生の無常の相を示していったのである。

 父が亡くなったという電報を受けた京都の総本山では、翌朝、御本堂に於いて、職員一同と専修学院生全員で父の冥福を祈る回向を修されたと聞き、京都を深く愛していた父の最後にふさわしいものと感ずると同時に、僧としての父の仏縁の尊さを知るのであった。

 あれは昭和三十一年の五月のことであったから、今年は父の十三回忌にあたるのだある。だから、私が、宗門の大学にすすんだことも智山専修学院を無事に卒業したことも知らぬ父なのである。まして、住まいが東京に変わったことは知る由もない…と、それは私が考えたことで、冥界の父は、そんなことどもを全部承知しているかもしれないし、やはり知らぬままなのかもしれぬ。

 父は亡くなる一ヶ月前の陽春、長男に世代をゆずって、母とふたりで、静かな余生をあゆみはじめていた。あとわずかしかない己の生命の燃焼力を悟っていたのであろうか。

 父の死後、遺言には葬儀の段取りをはじめ、何から何まで細かく指示されていて、子供等は全部その指図にしたがって、全ての処理を済ますことが可能であった。

 そんな遺言の中に、私の心をもっとも打ったのは、<父の死後、皆の心よりの墓参を有り難く思う>という一項であった。ただ何気なく父の墓前に掌を合わす時、この言葉を想い出し、はたして、これが<心からの墓参>になっているのだろうか、と不安になるのである。

 父の父、すなわち祖父は武士であったと聞く。その祖父の墓のある士族墓地に掃除をしにゆき、槇の生垣の手入れをし、香華を手向けるのは、父と私の役目だったようだ。

 父の亡くなった五月は、つつじの花が幾十株となく咲いて、燃えるような寺の庭であった。

 

 五月という月は、私にさまざまな想いをのせてやってくる。

 十年前の川崎大師の御遷座式のイメージにだぶって、やはり想起されるのは、薫風の吹き抜ける青空の下、安房隆起珊瑚の台地につらなる、しずかな寺域のたたずまいであって、父への想い出とともに、私の生ある限り忘れ得ぬものなのである。

 川崎大師の大本堂のいらかの上空高く、青い空間は、そんな想いをものみこんでしまったごとく澄む。


 昭和四十三年五月

 

 

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