戦友の約束
前花しずく
約束
「以前からイアのことが好きだ」
「知ってた」
俺の決死の覚悟を知ってか知らずか、イアは涼しい顔でそう言った。それどころか口笛を吹きながら剣の手入れをしている。
「男が好きな女にとる態度なんか、すぐに分かるわよ」
「そういうものか」
「そういうものよ」
「かわいくないヤツだな」
「そのかわいくないヤツに告白をしたのはどこのどなたで?」
イアは甲冑を鳴らして改めて俺の方を向く。確かに、告白をすればこう返されるであることは分かりきっていたことだ。それを分かっていながら告白をしたのは俺だ。
俺は好きになるということがよく分からない。イアに関しても女として好きなのかどうかは自分でも分かっていない。だが、この世の誰よりもイアを守りたいという気持ちが強いのだけは確かである。
「それで、答えはどうなんだ」
「それを聞いて志気が下がったりしないでしょうね」
「ないとは言い切れない。だがこのまま戦地に赴けば確実に最初の一歩目で討たれる」
男のけじめみたいなものだ。イアは俺の顔を見てフッと目を細めた。何か面白いことでもあっただろうか。
「あんたも強情だからねえ。仕方ないから教えてあげるわ」
俺自身はそこまで意地を張っているつもりはないのだが、周りから見るとそうらしい。おかげでいかにもな「二つ名」を付けられることにもなってしまった。喜んでいいのだか否定した方がいいのだか俺には分からないが、それだけ意識されているのであれば悪くはないだろう。
「返事だけど、ノーよ。あなたに恋愛感情は一切ないわ、昔から。幼馴染でただの親友。今は戦友。それだけ」
「あっさり言うものだな」
「あら、もっとためてほしかったのかしら? でも、悪いけどそういう甘い注文は娼婦にしてくれないかしら」
こうして一言余計に付け加えてくるのがイアの常だ。逆にいつも通りで助かった。俺の告白で逆にイアがペースを崩したらどうしようかと思っていたが、杞憂だったようだ。
「俺は娼館には行かない主義でね」
「あら、じゃあ生涯童貞を貫くつもりなのね。応援するわ」
「娼館通いするにしても、貞操を守るにしても、明日の戦に勝てなければ選択もできないだろう」
「もう、今そういう話じゃなかったでしょう」
心なしかイアが残念そうにしている。なんだ、そんなに娼館の話がしたかったのか。だとするならば娼館に通い詰めている兵士どもとでも話せばいい。
「告白の返事を聞いたのだからこれ以上無駄話する必要もないだろう」
「そういうところが頑固だってのよ。いつものことだからいいけど」
口を尖らせてこられても、娼館に関しての知識はないのだから仕方あるまい。それに、いよいよ戦に集中せねばならない時分にきている。
「まあとにかく、私のことを考える暇があったら何をすべきか考えなさい。私はあなたの命令に従うだけだから」
イアは急に真面目な顔になってそれだけ言うと、拳を胸に当てて俺に向かってひざまずいた。この切り替えの早さもいつも通りだな。
何をすべきか、か。
俺は世のため国のため、この命を賭して戦ってきた。そうして今の地位を手に入れるまでに至った。しかし、それらはあくまで副産物でしかない。俺はある一つの約束だけを胸にここまで努力をし、戦ってきたんだ。
「イア、お前は覚えているか」
「えーと、何を?」
「いや、なんでもない」
わざわざこれを告げたところで何かが変わるわけでもない。むしろ変な勘繰りを入れられれば作戦が破綻しかねない。男たるもの、時には悪に徹すべき時があるのだ。
「改めて明日の作戦を説明する」
筆で書かれた簡易な地図を卓の上に広げ、短刀で固定する。明日戦場となるカリファの平原の地図だ。
「敵を率いるは自身の身体能力と押しの強さで名を轟かせる『北方の暴れ牛』、カイジンだ」
「流石に噂は聞いたことがあるわ」
「強敵だが今の我々と兵力の差はさほどない。序盤の猛攻さえ耐え凌げば勝機は充分あるはずだ。スンヒ山を中心に東西に分かれ北上する。どちらかにトロウン軍が偏っていれば手が空いている方が後ろに回り込んで挟み撃ちにする」
「つまり敵がいれば倒して、いなければ山を一回りして合流すればいいのね」
「そういうことだ」
単純な作戦だが、自陣よりも数が多い相手と戦うならば挟み撃ちにするのが唯一の勝ち筋だ。
「そしてイア、お前には西軍の指揮を頼む」
「頼まれた。『左腕』の底力、見せてあげる」
イアはひざまずきながらも自身に満ちた顔をして俺の方を見上げた。彼女はやはり強い女性だ。しかし、強いからこそ誰かが守らねばならぬ。
「武運を祈るぞ。『鋼王の左腕』イア=コーリデンス」
「あんたこそ、生きて私と合流しなさいよ。『鋼鉄の騎士王』ジク=タイマン」
二つ名で呼び合うのは戦の前の恒例行事になっていた。明日さえ凌げば我が軍は勝ち進めるであろう。今までのどの戦よりも力を込めて拳を握り、イアと拳を突き合せた。
待ちに待った早朝、スンヒ山のふもとには五千の兵が集まっていた。残りの一万五千の兵は山の向こう側、ジクと一緒に進んでいる。本当ならついていきたかったけど、別れろとのめいれいなのだから仕方ない。
「皆の者! この戦いはトロウンとの決着がつくと言っても過言ではない大事な戦いだ! 準備はよいか!」
私が馬上からそう叫ぶと、兵たちは大声を上げて拳を高く振り上げた。いつも以上に士気が高い。これならばトロウンを壊滅に追い込むのも時間の問題じゃないかな。
「イア様、隊列も整いました」
我が軍の策士の片割れ、トーが報告に来た。いよいよ開戦の刻というわけだ。
「目指すは反対側の将軍のもと! 総員、突撃!」
「ウオオオォォッッ!」
私が馬を走らせると、軍は面白いようにぴたりとついてきた。私は女と言えども馬術には長けている方だ。それについてきているということはとんでもない速度で進軍しているということになる。
「頼もしいじゃないかお前たち!」
私もこうなれば遠慮は必要ない。軍を引き離すくらいの気持ちで馬をひたすら走らせた。剣で人を切り殺すのは嫌だけど、こうして平野を駆ける疾走感はたまらなく好きだ。
「イア様、あれを!」
その時、隣を走っていたトーが前方を指さした。見ると先に行った偵察隊二人が戻ってくるところらしい。
「総員とまれっ! お前たち、様子はどうであった」
二人は私の前で馬を止めると、飛び降りてひざまずいた。でもなんだか様子がおかしい。
「それが、妙なのです」
「妙だと?」
「はい。これから先、山の北側までくまなく探したのでございますが、軍隊どころか伏兵の一人もおりませんで」
「なんだと?」
確かにそれは妙な話だ。敵軍が攻めてくるルートが複数あるのならば、いずれのルートも塞いでおくのが普通だ。少なくとも全く兵がいないなどということはありえない。まさかこの期に及んで逃げたなんてことあるのかな。あるいはばくち打ちで片方に集中させたのか。その場合でも流石に拠点をがら空きにするのはリスクが高すぎるだろうから、東に行っている敵軍は全体の半分くらいだと思うし。そんなことをしてヤツらに何のメリットがあるんだろう。
「イア様」
悩んでいると、トーが急かすようにちょっと馬を前に出して振り返った。
「とりあえずは将軍のもとへお向かいになられてはどうです。向こうに敵がいるならば当然のこと、そうでなくとも合流しておいて損はないと思われますが」
普段は従順で意見も少ないトーがいやに強い口調で言った。その進言は確かに至極真っ当。ここでうだうだ悩んでいても仕方ないからね。
「目標を本隊との合流とする! しかしまだ交戦の可能性は充分にある! 油断はするんじゃないぞ!」
敵がいないと士気を保つのが難しくはあるけど、これが相手の作戦だとしたならばその時こそ大変なことになる。掛け声をし、変に休みを与えないようすぐざま進軍を再開した。
しかし、ここで私はあることに気が付いた。
「トー」
「なんでございましょう」
走りながらトーに話しかける。風で音が掻き消えるが戦の中ではよくあることだ。
「ここは一見ただの平野だが、少々走りづらくないか」
再度走り始めた辺りからどうにも馬の脚の回転が遅い。走れないわけではないが、一定以上のスピードを出そうとするとバランスが崩れてしまう。
「ここは沼地なのではないか?」
「言われてみれば、そうかもしれません」
トーは何とも曖昧な返事をした。こいつも馬術は常人以上にできるものだと思っていたが、ここにきて急に頼りがないな。
その事実に気付いた時、思わず背筋が凍り付いた。
沼地化していたのは平原の北側だ。もしもトロウンのヤツらがこのことに気付いていたとしたら? お互いに身動きがとりにくく混戦が見込まれる沼地にわざわざ軍を派遣したりはしないだろう。つまりトロウンは逃げたのでも手を抜いたのでもない。元々西側などルートとして考慮されていなかったんだ。
「将軍のもとへ急ぐぞ! 全力でついてこい!」
走りにくいぬかるみをがむしゃらに突き進む。分かった以上もう四の五の言ってはいられない。
最初から軍勢は全て東に向かっていたんだ。全兵力を注いでいる敵軍に対しジクの軍勢はうちの軍の半分ちょっと。普通に戦っていて勝てるはずがない。私たちが加勢して挟み撃ちにする以外、勝つ方法がないんだ。
「間に合ってくれっ、頼むっっ!」
山の一番北を折り返しやっと固い地盤に戻ったところで、奥から男たちの叫び声が聞こえてきた。紋章の旗を振り上げて改めてみんなを鼓舞する。
「狙うは敵が大将! カイジンの首ィッ!」
勢いそのまま、交戦中の敵の背後に軍勢が突っ込んだ。突然のことで明らかに敵兵は対応できていない。
「邪魔だ邪魔だ! 鋼王の左手様が通るぞぉっ」
慌てふためく敵兵を太刀で薙ぎ払いながら、なおも戦場の中心へ切り込んでいく。敵将の首さえ取れば戦は終わる。カイジンは性格上前線に出ずっぱりのはずだ。混戦にして四方から攻めれば勝率も上がるはず。
ふと後ろを見れば、下っ端の兵士どもも敵兵に揉まれながら懸命についてきていた。この人数で対峙すればいくら力量のある人物であろうと抗うのは難しいはずだ。
そしてとうとう、私と共に走ってきた軍勢は敵兵を完全に飲み込んで目論見通り乱戦となった。あとはどこかにいる敵将を討つだけ。
その時だった。
「聞けぇぇぇぇっっ!」
山の方から誰かが声を張り上げた。敵味方双方、その声の方を向いて手を止める。そう、これはそういう合図。この瞬間勝敗が決まる。敗者は勝者につくことになる。問題は「どちらが勝者か」だ。
少し高いところにいる兵士は切り落とした直後であろうどちらかの首を高々と掲げて、再度のどを壊すような声で絶叫した。
「トロウンが将軍、カイジンの首討ち落としたりぃぃぃぃっっ!」
それを聞いた瞬間、地面が震えるのではないかという勢いで歓声が沸いた。敵兵はみな膝をついて頭を垂れた。私たちは、統一軍が勝ったんだ……!
「勝った、勝ったぞ! ジク、ジクはどこだ!」
張り詰めていた空気から解き放たれ、ジクと喜びを分かち合いたくなった。なんたって昨日、すぐにでも抱き着きたかったところを我慢したんだから。戦に勝った後くらい思いっきり甘えたい。そしてできることなら
「イア様!」
急に声を掛けられて振り向けば、一人の兵士が私のもとに駆け寄ってくるではないか。
「どうした、ジクは見つかったか」
「と、とりあえずこちらに!」
なんだかいやに慌ただしい。そんなに祝杯を上げるのが楽しみなのかな。とりあえずそいつについて踊り狂っている兵士の合間を縫っていく。そこにはトーとその弟のニー、そしてその前にジクが横たわっていた。
横たわっていた?
「おい、どうしたんだこれは」
駆け寄るとジクのそばで膝をついていたニーが振り向きもせずにこう言った。
「前線で戦っておりましたところ、腹に矢が刺さりまして、すぐに前線から引き離し治療をと思ったのですが、出血が激しくどうしようもない状況で」
歓喜の声が反響する中でニーの抑揚のない声がひどく頭の中に響いた。
どうしようもない? そんなはずはない。ジクは大陸を統一する者なのだぞ。こんなところで死ぬはずがない。
「な、何をぼさっとしているんだ。早く助けるのだ! 早く治療をするのだ! 命令だ! 治療をしろ! ジクを救えぬというのならお前の首をここで叩き切って」
「イア様」
ここで初めてニーが振り返った。既に顎から甲冑までびしょぬれになるほど涙を流し、目の周りは真っ赤に晴れていた。怒りとも悲しみとも分からない、悲痛な表情だった。
「私も、私も助けたかったのです。けれども、けれども私の手が及ばないばかりに」
ニーのその悲痛な声を聞いて、やっと理解できた。ジクはもう死んだんだと。横たわるジクに目をやると、顔から手まで完全に血の気が引いて青白くなっていて、眼球は白くなって固まっていた。
「ジ、ク……」
足を引きずりながらジクのもとに歩み寄り、崩れるようにジクの横に座り込んだ。震える手を伸ばし、冷たくなった額をそっと撫でた。
いつかはこうなるかもしれない、そういう予感はあった。だからこそ私は必死に努力をし、ジクを支えられるだけの力を培ってきたのだ。ジクの邪魔にならないように祖力をしてきた。
ジクに好かれていることも随分前から分かっていたけど、気付かないふりをした。受け入れてしまえばジクはそれまで以上に私を庇おうとしてしまう。そうすれば余計に自分の身を危険な目に晒そうとするかもしれない、そう思ったから。昨日ジクが直接伝えてきた時、すぐにでも胸に飛び込みたい気持ちを抑えるのにどれだけ苦労したと思ってるんだ。
「私を守るって、お前はそう言っただろう! 死んでしまっては、お前が死んでしまっては意味がないじゃないか!」
ゆすってもゆすっても、もうジクの身体は動かなかった。拭っても拭っても目から涙が溢れ、ジクの亡骸へとこぼれ落ちた。
「ジク様はイア様をお守りになったのです」
隣にいたニーは一言、そう呟いた。
私を、守った?
「おいニー、それは言わない命令だ」
「でもトー、俺はもう言わずにいられない! イア様にだけはこのことをお伝えしておきたいのです」
ニーはぐちゃぐちゃの顔を大雑把に拭って、改まって私の方へひざまずいてから話を続けた。
「今回の戦、敵軍が東側からのみ攻め込んでくるのはジク様も分かっておられました」
「分かっていた、だと? では二手に分かれる必要など最初からっ」
「いいえ、二手に分かれる必要はあったのです。敵の軍勢は三万、我が軍勢は二万。真っ向から相手をしたのでは押し切られる可能性がありました。ですから、もとより挟み討ちの奇襲作戦に打って出るしかなかったのでございます」
奇襲作戦しか勝ち目がないのは分かる。それは分かるが!
「しかしなぜ私にあのような嘘を。挟み撃ちにすると言えば良かったではないか!」
「そう言ってしまえばイア様は必ずジク様に意地でもついていきますでしょう」
それは、ニーの言う通りだった。言われていない時点でもジクと離れるのが辛かったのに、大量の敵兵を抑え、持ちこたえるという危険な役回りを任せるなんて、私には多分できなかったと思う。
「今回の作戦はジク様が一人で敵軍を抑え込むことが必要不可欠だったのでございます。イア様を危険に巻き込まずに勝つためには、これしか方法がなかったのであります」
つまりは、つまりは私は最後までジクに守られていたのか。守られることのないように、むしろ守ってやれる存在になろうと努力してきたことも、全て無駄だったというのか。
「私は、私は」
「イア様」
自己嫌悪の波にのまれそうになっていたその時、少し離れたところに立っていたトーがゆっくりと近付いてきて、落ち着いた静かな声で話し始めた。
「私は今から独り言を申しますゆえ、どうぞお気になさらず。ジク様は昨夜、イア様と別れた後にこう呟いておりました。
『イアはもう立派な剣士、いや将軍だ。俺が守る必要ももうないだろう。だからこそ俺の亡き後、俺の意志を継いでもらいたいと思う。あいつならきっと悲願を果たすことができる。俺はイアのことを信じている。だからニー、トー、お前たちは引き続きイアを支えてやってくれ』と」
意志を継ぐ。その言葉で一度止まった涙がもう一度溢れてきた。
ジクは私を認めてくれていたのか。夢を私に託してくれたのか。ジクは私に宿って、共に生きてくれるのか。
はあ。まったく、お前は昔からそうだ。黙って狩りに行くし勝手に軍隊作っちゃうし頼んでもいないのに守ってくれるし。そんな大事なこと、どうして直接言ってくれないんだよ!
……まあ私も大概か。
「死ぬほど好きだったんだよ、バカヤロウ」
最期の別れの挨拶を告げて、涙を振り払って立ち上がる。託されたからにはここでメソメソ泣いているわけにいかない。必ず達成するんだ。ジクのたった一つの夢を叶えるんだ。
ジクの旗を持ち、ジクの馬にまたがり、山の中腹まで駆け上がる。ここからなら全軍からしっかりと確認できるはずだ。私は鎧が窮屈になるくらい腹に空気をため込み、そして心の中のもやもやもろとも吹き飛ぶくらい一気に勢いよく吐き出した。
「我こそが統一軍の将軍、イア=コーリデンスである! これからいよいよトロウン本隊に攻め入ることになる! やる気のない者は置いていけ! やる気のあるものは旗を背負い、弓を持ち、剣を掲げ、我の後ろに続け! 我々の悲願を、希望を、夢を、達成せしめようぞ!」
※ ※ ※
大陸の山の奥の奥、大河の始まりがあるようなところに、数軒が身を寄せて生活している小さな村があった。この村は都市部から離れているために各国の争いも風のうわさで知る程度であった。
しかし、いつまでも無関係でいられるなどということは当然なく。
「やだ! お父さんを連れてかないで!」
「なんだこの小娘。邪魔だ、どけ」
度重なる戦で兵士の数が減ってきた国の、強制徴兵の手がこの村にも迫っていた。少女の父親もまた、国から派遣された兵士によって連れてかれようとしていた。
「お前らみたいな蛮族を兵士にしてやると言っているんだ。これ以上ない幸せだろう」
「嫌だ! お父さんを返して!」
少女は兵士に飛びついて抵抗しようとするが、簡単に蹴飛ばされて尻餅をつく。少女は非力であった。
「こいつ、子供のくせに盾突きやがって。子供だからって舐めてると容赦はしねえぞ」
兵士は剣を抜き、怯える少女の前で振り回して見せる。そしておもむろに近付くと髪の毛を鷲掴みにし、そのできものだらけの顔をぐっと近付けた。
「次にふざけた真似をしたら殺すからな」
少女は痛みと恐怖で震え、目をぎゅっと瞑る。もう抵抗する勇気は絞り出せなかった。
「おい」
その時、急に声変わり前の少年の声がした。直後、少女の身は地面に落ちる。兵士が手を離したのではない。兵士の手が落ちたのだ。
「ぐあぁぁ」
兵士はうずくまって悶絶する。それを見ていた他の兵士たちは一斉に剣を抜き、腕を切り落とした薄汚い少年に向けた。
「兵士だかなんだか知らねえが、イアに手を出すやつは許さねえ」
少年が持っていたのは剣でもなんでもなく、草をかき分けるための短刀であった。しかし少年が発するその風格、迫力に兵士たちは冷や汗をかいて一歩後退った。
そこにできた隙を見逃さず、少年は兵士の懐に入り込み腹を殴った。二人目の兵士の剣を弾き飛ばし、横から振り下ろされた剣を交わして右腕を切り付けた。わずか数秒だったが、五人の兵士を戦意喪失させるのにはそれだけで充分だった。
「い、一旦引くぞ!」
兵士たちは負傷した仲間を背負って川沿いの道を逃げ帰っていく。少年は追い打ちをするような真似はせず、すぐさま少女のもとに駆け寄った。
「大丈夫か、イア」
「う、うん。ありがとう、ジク」
ボサボサになってしまった髪の毛を直しながら、イアは強がって笑った。しかし、ジクはそれを見て安心することはなかった。兵士が帰っていった川沿いの小道をじっと眺めて神妙な顔をする。
「イア、ここを離れるぞ」
「え?」
「いずれまたヤツらがくる。ここに住み続けるのは難しい」
雑巾で血の付いた短刀を拭い、一呼吸おく。その間もイアはちゃんとジクの方を見て話しの続きを待っていた。
「俺たちが思っている以上にこの世は腐り果てていたんだ。俺はその闇には飲まれたくない。あわよくば俺が世界を変えなきゃいけない。そのために一度距離を取るんだ。だからお前も俺についてこい」
「でも」
「心配するな」
ジクは両手でイアのほっぺたを挟み、力強い目をして言った。
「イアは絶対に俺が守る」
これより数年後、イアは『鋼鉄の女王』として大陸全土に名を轟かせることとなるのだが、それはまだ随分あとの話である。
戦友の約束 前花しずく @shizuku_maehana
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