第13話

 ツミキは、こんどは道にまようことはなかった。家に帰るなり、押入れの中からブリキの箱をとりだした。そして机のひきだしからカギを出して、箱のカギをあけた。正直いえばまだためらいがないというとウソになるが、やはりルチア姫を助けなければならないと思った。


 そこで本の表紙をあけ、文字が書かれているさいごのページをひらいた。ツミキはカギを両手でにぎりしめ、祈るようなポーズでその手をおでこにあてた。


 すると、文字が本の中からうかびあがり、一列になっておどりながらグルグルとまわりはじめる。そしてゴーという音とともにつむじ風のようなもうれつな風が本の中からまきあがった。その風は、やがてツミキの部屋の中にある、ありとあらゆるものといっしょにツミキの体ものみこんだ。息ができなくてツミキは気をうしないそうだったが、ふと上を見ると、さっきおじいさんからもらった赤い羽がうずの中でコマのようにまっている。ツミキは苦しまぎれにその羽をつかんだ。そしてそのままツミキはまた本の世界の中にひきずりこまれていった。

 

 ツミキはあまりの冷たさにとびあがった。足もとを見ると、ツミキは、すそのみじかいそまつなズボンをはき、はだしで雪の上に立っている。上半身には、うすよごれたもめんのシャツ一枚と動物の毛皮でつくったベストをまとっているが、ほとんど何も着ていないのと同じだ。そしてまわりの景色を見て、おもわず全身で身ぶるいした。


 そこは見わたすかぎり雪と氷におおわれた雪山だった。


 そこで聞きおぼえのあるケモノのなき声を耳にした。ツミキはその声のする方向にむかって木々をかきわけた。すぐにツミキは、なにひとつ目の前をさえぎるものがない場所に出た。しかし足もとには、深い谷がひろがっていた。深さもはばも数百メートルはあるだろう。そしてそのむこうには氷の山がそびえたっており、その山の切りたったガケのくぼみの上にルチア姫がいた。


 ルチア姫は氷のかべにくくりつけられた太いくさりで両うでをはがいじめされたまま、両ひざをついてぐったりうなだれている。ミゲルがかした黒いマントをまとっているが、はだしだった。


 そしてガケの上の山頂には、ファーブニルがゆうゆうとすわっている。まるで灯台のサーチライトのようなするどい眼光であたりをてらし、ときおり大きくいななきながらじっとあたりの様子をうかがっていた。


 ツミキは、とほうにくれた。これではファーブニルをたおして、ルチア姫をたすけだすことはできそうもない。


 ファーブニルをミゲルのサイクロン・ブレスでふきとばすということも考えられたが、これだけの距離があると、さすがに風はまともにとどかないだろうし、もしとどいたとしても、まちがってルチア姫もいっしょにふきとばしてしまうかもしれない。そもそも思いどおりにファーブニルをふきとばしたとしても、この千じんの谷をこえ、垂直に切り立ったあのガケの上のくぼみにたどりつかないかぎり姫を助けだすことはできないのだ。ツミキは絶望的な気持ちになった。


 その時、頭の上からクシャミがきこえた。


 ツミキが顔をあげると、背後の太い木のこずえにひとりの男が背中をむけてすわっていた。


 男は木の上にすわったまま、はるか遠くをながめている。そしてボソボソとつぶやいた。


 ツミキはその灰色のローブに身をつつんだ後ろすがたに見おぼえがあった。


(森の中で会った、あの男ににている)


ツミキが声をかけようとしたとき、男は背中をむけたまま言った。

「なぜ、助けにいかぬ?」

 ツミキは男の背中を見上げながら、心の中で

(むりにきまっているじゃないか)

とつぶやいた。

 すると男は、

「なぜ、むりときめつける?」

 と、まるでツミキの心の中を読みとったかのようにひくい声で言った。そして、

「頭をつかうのだ」

 と自分の頭をさした。

 ツミキは頭にかぶったベレー帽をぬいだ。そこには本にすいこまれるとき、むがむちゅうで手にした赤い羽がさしてあった。そしてその羽をぬき、まじまじと見つめた。

(これをどうしろというのだろう?)

ツミキは男を見上げた。すると、木の上の男の首だけがミミズクのように百八十度すばやくまわった。


 おどろいたことにその顔はさっき現実世界の公園で会ったおじいさんにそっくりだった。でもその顔は、おじいさんのようにしわくちゃではなく、声もおじいさんのようにかすれてもいない。


「息をふきかけよ」

 男は力強くそう言うと木の上からとびおりて、はだしでツミキの目の前に立った。手にはあのコブラのつえをもっている。


 ツミキはとまどいながらじっと羽を見つめた。

 すると男は、数百メートルはなれた場所にいるルチア姫にも聞こそうなほどの大声でこう言った。

「さあ、ミゲルよ、行くのだ!」

 そのとたんに、ツミキの体のすみずみに、今までに感じたことのない強い力がみなぎってきた。それは、ぜったいにひるまず、ぜったいにあきらめない、強い気持ちのエネルギー――つまりほんものの勇気だった。


 ツミキは男の言葉にしたがって、手にした赤い羽に向かって細い息をふきかけた。すると、羽はみるみる大きくひろがり、二枚にわかれた。そしてそのままふわっとうかびあがり、ツミキの体をやわらかくおおった。気がつくと、ミゲルは背中から羽を広げたすがたで、体ごと宙にういている。

「ありがとよ。ロレンソ」

 ツミキはミゲルの声で木の上の男に向かってそう言った。その瞬間からツミキは完全にミゲルになっていた。


 そして、しずかに地面におりたつと、ミゲルはまようことなく雪の上を一気にはしりはじめた。行く手は千じんの谷。ミゲルはスピードをゆるめることなく、ガケに向かってすべるようにかけぬける。そしてそのままスッと暗い谷の下におちていった。


 が、ミゲルの体はふわりとうかびあがった。そのすがたはまるで空をまうタカのようである。そして背中の羽をめいっぱいに広げ羽ばたくとグーンとスピードがました。そのままミゲルは風をきりさきながらルチア姫のところにまっすぐにとんでいく。


 そして、あっというまにルチア姫のとこにたどりついたミゲルは、空中にういたまま「ルチア!」と小声でよびかけた。


 ルチア姫は顔をあげたが、山の上で見はっているファーブニルにも気づかれた。すぐにファーブニルはミゲルに向かって火をはいた。すんでのところで火をかわしたが、ファーブニルは翼を広げて追っかけてくる。ミゲルは上空にまい上がり、全速力でにげた。しかしファーブニルはどんどん近づいてくる。ファーブニルはミゲルの背中になんども火をふいた。


 ミゲルは羽をコントロールしながら、その炎をたくみにかわした。そしてにげながら大きく息をすいこんだ。その間にファーブニルが一気に間合いをつめる。そこでミゲルは宙がえりをしてファーブニルの背後にまわった。おどろいたファーブニルがどうもうなキバをむき出しにした瞬間、ミゲルは一気にサイクロン・ブレスを口からふきだす。それはとてつもなくもうれつなふぶきとなった。ファーブニルはサイクロン・ブレスをまともにうけて、赤いおなかを見せながらこな雪といっしょに雲のかなたへとんでいった。


 それを見とどけたミゲルはゆっくりとルチア姫の前におり立った。ファーブニルがふきとんで、モートの呪いがとけたせいか、ルチア姫の両手をしばりつけていたクサリもいつのまにか消えている。ミゲルはルチア姫をだきおこした。

「きっと助けに来てくれると信じていました」

 ルチア姫は、ちいさな声でそう言った。ミゲルはなにも言うことなく、ひえきったルチア姫の体をだきしめた。一刻もはやくあたたかいところへ連れていかなければならない。ーーミゲルはそのまま一直線に横なぐりのふぶきもあつい雲もつきぬけて、太陽がさんさんとふりそそぐ青い空までとんでいった。

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