第2話

 ツミキは小学六年生の女の子だ。ごくふつうの女の子である。クラスでもあまり目立たない。勉強も中ぐらい。運動も中ぐらい。これといってにがてなものがあるというわけでもなければ、これといってとくいなものがあるわけでもない。またこれといってきらいなものがあるわけでもないが好きなものがあるわけでもない。じゃあ、なんでもいいかというとそういうわけでもなく、日によっていやなものはいやだし、やりたいことはぜったいにやりたくなったりもする。つまり、自分の考えや希望というものがあまりない、ただの気まぐれ屋さんだ。


 その日も学校がおわるといつもどおり仲よしのサユリといっしょに学校を出たのだが、ツミキの家の前でサユリとわかれてからも、なんだかそのまま家に帰るのがおしいような気がして、ちょっとより道してみたくなった。家のうらにこんもりとした丘がある。今まで一度ものぼったことがなかった。空はどんよりとしていて風も強かったけど、気がつくとツミキはそのまま一人で丘の方へ歩き出していた。


 のぼりはじめると丘は、予想いじょうに急だった。坂道はやがて階段に変わり、道はばもますますほそくなる。のぼればのぼるほど空気がつめたくなり、上からふきつける風の音もしだいに大きくなってくるように感じられた。そして丘のてっぺんにたどりついたときには、ツミキの息はすっかりあがっていた。


 おどろいたことに丘のてっぺんには、一面にお墓が広がっていた。

(こんなところにお墓があったんだ……)

 ツミキは、自分のすんでいる家から数百メートルしかはなれていない場所に、こんなにも大きな墓地があることを知って、正直なところあまりいい気はしなかった。都会育ちのツミキにとって、お墓はこれまでの人生でほとんどかかわりがない。だからお墓といえばオバケのすむところと思っていた。あらためて見まわしてみても古い石でうめつくされた墓地は、しんとしずまりかえっていて、やはりぶきみである。もし夜に一人でここに来たら、まちがいなく悲鳴をあげてにげるだろうと思った。


 ーーけれど、お墓の前に立っていると、ふしぎと心がおちつくような気持ちもした。


 ーーそれは、おそらく、うまく言葉でいいあらわすことはできないけど、ここだけが何百年もまえから変わらずにずっと時代のうつりかわりをしずかに見つめてきて、あとからゾロゾロやってきた自分たちにも文句ひとついわずにひっそりたたずんでいるからじゃないだろうかという気がした。


 見わたすとーーまわりにはポツンポツンと家が立っているだけのさみしい場所だ。さえぎるものがなにもないので、風がピューピューふきぬける。冷たい風はまるでツミキの小さな体めがけてふいているようだ。ツミキのほっぺたとひざがしらはいつしか赤くなっていた。


 のぼってきた方向をふりかえると、ふもとの景色はなぜかおだやかに晴れわたっていた。見下ろすとたくさんの家やビルや教会やお寺がひしめきあう長崎の町がパノラマみたいに広がっている。その中にはちっぽけな自分の家もあった。町のむこうには、赤いテレビ塔をニワトリのとさかのようにしててっぺんにのせている青い山がある。そしてほんの少しだけど海も見える。港にかかる大きな橋や造船所の赤い大きなクレーンも見ることができた。


 とてものどかで、気持ちのいいながめだったが、一分と立っていることもできないほど、冷たい風が背中からようしゃなくがふきつけてきた。


 しかたなく道を引きかえそうとしたが、風の音にまじってチャリンというすずのような音が聞こえた。気のせいかと思ったが、耳をすますともういちど聞こえる。なんどもなんども聞こえるので、いつのまにかツミキは音のする方向にむかって歩いていた。その音がするあたりには、たくさんの十字架のお墓が立っていた。きっとクリスチャンのお墓だ。そのうちのひとつの白く色あせたお墓のまわりからすずのような音は聞こえた。けれど見まわしてみてもすずのようなものはどこにもない。


 そのお墓には「小西家の墓」と書かれていた。見るからに古いお墓である。明治時代にたてられたお墓らしい。ふとそのとなりを見るとそこには子供のヒザぐらいの高さの小さなお墓があった。すっかりカドがとれて、ひびわれもあちこちにある。きっととなりのお墓よりもさらに古いものなんだろうとツミキは思った。その石の表面にもなにかが書かれていたが、けずられている上にクネクネした文字だったので、なんと書いているのかまったくわからない。でもどうしてもその石のことが気になった。


 ツミキは右と左からその石のお墓を見てみた。しかし、なにも変わった様子はない。そしてもう一度正面から見つめると石のまえに黒いもの落ちていた。さっき見たときはなにもなかったはずなのにとふしぎに感じながら近づいてよく見ると、それは小さな古ぼけたカギだった。しかもそうとうにさびていてボロボロになっている。


 ぼんやりとそのカギを見ていると、とつぜん風が強くなった。その風の音にまぎれて、だれかが「早く!」という言葉をさけんだような気がした。気がつくとツミキはそのカギを手にとっていた。


 ツミキはそのままカギを制服のスカートのポケットに入れた。すると風のうねりがさらに強くなった。ツミキはこわくなって走り出した。


 いつのまにか日がおちており、あたりはくらくなっている。ツミキは背中につめたい風をうけながら、ほそい階段をまっしぐらにかけおりて、丘をくだった。

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