ヘイキチ エンカウント③

 喫茶店に入ると、昔ながらの趣がある、きれいな内装が目に入った。天井が高く、薄い木の梁がかかっている開放的な空間で、窓の前や棚など所々に絵やアンティークが飾ってあった。

 その落ち着いた雰囲気を見て、すぐ好みな店だと感じた。「品逞仕ビンテージ」という店名も良い感じだ。前から気になっていた店だが、もっと早く来てみればよかった。


 若い女性の店員に案内され、神原さんと二人で窓際の席に座った。どうやら俺たち以外に客はいないようだ。


「なんでも頼んでいいから」

 神原さんはそう言うと店員の運んできたメニューを開いて目を通し始めた。

 俺もメニューを見るが、すぐに注文を決めて閉じてしまった。一番安いブレンドコーヒー。最初から一番安いものにしようと決めていたのだ。

 自分の提案ではあるが、さすがに何も悪くない神原さんにおごらせることに気が引けていた。


 神原さんの方を見るとまだ悩んでいるらしく、眉間にシワを寄せて、ページを行ったり来たりしている。

 それからしばらくして決まったらしい顔をすると、メニューをぱったり閉じた。

「そっちは決まったのか?」

 俺が頷くのを見ると、神原さんは店員を呼んだ。


「カフェオレとホットサンドください」

 飯も食べるんだと意外に思っていると、お前の順番だぞとあごで軽く指してきた。

「じゃあ、ブレンドコーヒーで」

 俺の言葉を聞くと、神原さんはこちらを睨んできた。

「おまえ、一番安いの選んだだろ」

「そ、そんなことないけど」

 図星をつかれてドキリとした。

「いや、絶対そうだ。それじゃ意味ないだろ。黙ってもらう代わりなんだから、しっかりおごられた自覚持ってもらわないと。もっと頼めよ」

 何を言っても怒られると思い、素直に指示に従うことにした。適当にメニューを開くと、すぐ目にとまったものに決めた。

「じゃあ、チーズケーキで」

 神原さんは俺の注文を聞くと、納得した様子でソファに深く腰かけた。


 店員は注文を繰り返したあと、後ろを向いてカウンターへ戻り始めた。神原さんは何かを思い出した様子でその背中を呼び止める。

「すいません。ここってタバコ吸えます?」

「ごめんなさい、禁煙なんですよ」

 それを聞いて露骨に不満顔をすると、店員にどうもと言った。


「ここ茶店じゃねえのかよ」

「まあ、世の中の流れだからね。仕方ないね」

 俺の言葉を聞くと、神原さんは渋い顔をして窓の方を向いた。


 二人の間に沈黙が流れる。

 もともと、タバコの秘密を守る都合で店に来ただけなので、二人の間にはこれといって話題は無かった。


 神原さんは物憂げに窓の外を見つめていた。沈みかけた陽に照らさたその横顔は相変わらず美しい。

 その様子を見ていると、急に変な気分になった。昼間は全く別世界の人間だと思っていた ひととこうやって向かい合って座っている。落ち着いて状況を思い直すと、とても不思議な感じがした。

 それと同時にふと疑問が浮かんできた。


「ちょっと聞いてもいいかな?」

「なに?」

 神原さんは窓から目を話さず答えた。

「神原さんはなんで俺が同じ大学だって知ってるの? 俺たち面識ないよね」

 窓から目を離して、こちらを向いてきた。

「おまえ、今日の英論出てただろ」

「ああ」

「今日、うるさいやつがいたせいで、先生キレただろ。それでどんな奴が騒いでたんだろって見たら、そこにおまえがいたわけ。だから覚えてたんだよ」

 なるほど理解した。英論というのは英語論文基礎の略で、昼間受けた田野丸の講義のことだ。

 どうやら、帽子と茶髪のアホ二人組のせいで俺がこんな状況になっているらしい。


「俺は騒いでないぞ」

「どうだっていいよそんなの。それより、おまえこそ何で私の名前知ってんだよ」

 しまったと思い、ドキッとした。昼間噂していたせいで自然と名前を呼んでいた。学部も違うし、面識がない俺が名前を知ってるのは確かに不自然だ。

 本人の前であなたの恋愛事情や、裏事情について噂していたんですよ、なんて口が裂けても言えない。それこそ、どんな目に合わされるか分かったもんじゃない。

 何とか適当な言い訳をしようと、頭をフル稼働させる。

「えーと……こ、講義の時、名前呼ばれてたから。それで覚えちゃって」

「ふーん、そうか」

 俺が必死に考えついた言い訳に興味なさそうに答えると、また窓の外を眺め始めた。その様子にほっと胸をなでおろす。

 それからコーヒーと食事がそれぞれ運ばれてくると、二人で黙ってそれを食べ始めた。


 食事をしている間、二人の間に言葉が交わされることはなかった。聞こえてくるのは店内を流れるクラシックと、カチャカチャと鳴る食器の音だけ。

 正直、気まずい。正面を向くにむけないので、ずっと目の前の皿や横に置いてある彫刻に目を向けていた。所在がないせいで、ケーキを口に運ぶペースが早くなり、見るみるうちに小さくなっていく。

 チラッとだけ神原さんの方を見ると、目を伏せ何かを考える様子で、ホットサンドにかじりついていた。


 ようやく二人の間に会話が起こったのは、ケーキの最後の一欠片にフォークを刺したときだった。

「あのさ、ちょっと変なこと聞いていい?」

「お、おう」

 いきなり声をかけられて、少し声がうわずった。神原さんの方を見ると、さっきまでの様子と打って変わって、急にしおらしくなっている。

 それから一瞬だけ間があって、神原さんが再び口を開いた。

「私みたいなのってどう思う?」

「へ?」

 予想外の質問に一瞬固まってしまう。

 どう思う? どう思うって、どういうことだ。俺が神原さんをどう思っているかってことか? なんでそんなこと突然聞いてくるんだ。

 なんと言っていいか分からず固まっていると、我慢できない様子で再び聞いてきた。

「だから、タバコを吸ってることとか、こういう話し方とか、そういうの女としてどう思うかって聞いてんだよ」

 少し怒ったような口調に戻ったが、それでも変わらずしおらしい様子で聞いてきた。


 急な質問に考えがまとまらない。

 目の前にはキレイな顔で、モデルのような体型をしている女性がいる。しかし、その女性は時おり恐ろしい形相になり、ぞんざいな言葉遣いをし、タバコのにおいを漂わせている。

 相反しているように思える事実を頭に並べて、なんと言っていいものか混乱してきた。


「どうなんだよ」

 神原さんは俺が答えに困る様子を見て催促してきた。

「あ、えっと……いいんじゃないかな」

「はあ?」

 回答がいかにも不服な様子の反応だ。詳細まで言わないと、どうにも許してもらえそうにない。

「タバコを吸うのは、嫌いな人はいるだろうけど、個人的には気にならないかな」

 神原さんはコーヒーをすすりながら俺の言葉を聞いている。

「言葉遣いは個性だから、それもいいと思うよ。率直で、距離が近い感じがするし。好きな人は好きだと思うよ。もちろん、嫌がる人がいるかもだけど」


 端的に言うと俺は気にならないけど、気になる人は気になるかもねという、誰でも言えるような内容の回答だった。

「ふーん」

 神原さんは俺の回答を聞くと、少し考えるように目をおとした。

 それから、再び視線をこちらに向けると言葉を続けた。

「ある人が、そういう女を嫌いかどうか見分けるのはどうすればいいと思う?」

「そんなの、直接本人に聞いてみるしかないんじゃないの」

「まあ、そりゃ、そうだけどさ……」

 神原さんはしおらしく小さくつぶやいた。

 ようやく話の趣旨が見えてきた。この人もしかして……


「気になる人がいるの?」

「はあ!」

 俺の言葉を聞くと、神原さんは大きく目を開け、焦った様子で声をあげた。

「な、なんでそうなるんだよ」

「いや、話の内容からそうとしか思えなくて」

 神原さんの顔は見るみる赤くなり、同時に険しい表情になる。

「……そうだよ。だったら何か悪いか」

「いや、悪くはないよ」

 神原さんは赤くなったまま、視線を横にそらした。意外に初心な反応を見て、少し愉快な気持ちになる。


「じゃあ、その人は神原さんがタバコ吸ってたり、そういう口汚――」

 こちらをキッと睨みつけてくる。

「あー……大胆な言葉遣いをすることを知らないの?」

 神原さんは鼻から小さなため息をつくと口を開いた。

「そうだよ。全部おまえの言うとおり。私には好きな人がいるのに、その人にはタバコ臭くて、口汚い本当の私を見せたことがないんだよ」

 こちらを睨みつけて嫌味らしく言った。

「すいませんでした」

 神原さんは俺の謝罪を聞くと、ふんと言って下を向いてしまった。

「もう、どうしようもないんだよ。何年も清楚キャラできたから、いまさらこんな姿見せられねえし。こんなの知ったら、絶対幻滅されるし……」

 神原さんはうつむいたまま、少し気落ちした様子で話した。


「もう、どうしたらいいか分からないんだ……なあ、おまえならどうする?」

 少し弱った目付きでこちらを見てくる。

 正直、恋愛の経験が乏しい俺はこの手の相談に対する知恵を持ち合わせていない。ましてや、こんな特殊なケースで役立てる気はしなかった。

「うーん、どうだろう……俺よりも女友達に聞いたほうが良い意見聞けるんじゃないかな」

 神原さんはため息混じりに答える。

「それができたら苦労しねえよ。友達はみんな本当の私を知らないんだから。こんな話したのおまえが初めてだよ」

「なるほど」


 神原さんは思いつめる様子でコーヒーカップに目を落とした。さっきまでの怒涛の勢いはどこにも見当たらなかった。


「アホらしいよな、自分でキャラ作っといて、そのせいで苦しんでるんだから」

 神原さんは顔をあげると、疲れた感じで笑いながら、自嘲気味に言った。


 さっきまでの気丈な様子は鳴りを潜め、ただただ寂しそうな表情を浮かべている。その様子を見て、少し心が締め付けられた。

 この人は本当に悩んでいるんだ。そう思うと、さっきの問いかけに答えてあげられなかったことを少し後悔した。同時に、なんとか少しでも助けになれないかと、そう思った


「その好きな人って、どんな人なの?」

 神原さんは急な質問に意外そうな顔をする。

「え? なんだろう……いつも人を気遣っていて損してるような人? 優しい人かな」

「そういう人なら、少しづつ本当の姿を見せてみたらどう? きっといきなり嫌ったり、バカにしたりするような人じゃないんでしょ」

「そりゃあ、まあ、そんなことはしないだろうけど……でも、幻滅されるかもしれないだろ」

 その声は弱々しかった。


 神原さんは相変わらず気落ちした様子で、パンくずの残った皿を見つめていた。

 そんな様子を見て、あまりしたくなかった話をすることにした。

「実はさ、俺も似たような経験があるんだ。神原さんほど複雑じゃないけど」

「え?」

 神原さんは少し驚いた顔をした。

「高校の頃にさ、告白したことがあるんだ。ずっと仲が良かった人にさ。卒業が近づいたからダメもとで」

 神原さんは話が始まるとこちらをじっと見つめてきた。

「だけどさ、告白しようかは最後のさいごまですごい悩んだんだ。だって、もし振られたら、もう以前の関係に戻れないじゃん。それが、すごい怖かったからさ。でも、もうこの機を逃したらチャンスは無いと思って、それでしたんだ」

「それで、どうなったんだ」

 一拍置くと、神原さんは先が気になる様子で聞いてきた。それに対して、少し笑って答えた。

「全然ダメだった。実際怖れていた通りになったよ。その後はやっぱりギクシャクして、それが辛かったな。すごい落ち込んだよ」

 話をしながら、少しだけ胸が苦しくなった。時間が経って少しは傷が癒えてきたとはいえ、やはり思い出すのは辛かった。

 俺の言葉を聞いて、神原さんは少し悲しそうな顔になった。


「でもさ、告白して正解だったとは思ってるんだ。もし、あのまま告白していなかったら、今はもっと辛いだろうから。どこにも行き先がない想いを心の中で抱え続けるのは、きっと耐えられないと思う。あんな結果にはなったけど、きちんと行き着く先を与えてあげられて良かったと思ってるんだ」

 神原さんはコーヒーカップに目を落とすと、弱々しく口を開いた。

「私はどうだろう。どっちがマシなんだろうな。本当の自分を抑え続けるのと、出して拒絶されるのって」

「もちろん、神原さんが俺と同じように考えるかは分からないけど。でも、抱えたまま何も変わらず後悔するよりかは、一歩ずつでも踏み出した方が、後々は良かったと思えるんじゃないかな」

 俺の話が終わると、神原さんはコーヒーカップに目を落としたまま、しばらく何かを考えていた。


 それから少しして、ふいに顔をあげた。その顔は心なしか明るくなっていた。

「そうかもな。うん、そうかもしれないな」

 神原さんは自分で確かめるように声を出した。

「うん、そうだな。確かにこのまま何もせずに後悔するのは嫌だわ。つまらないもんな、そんなの」

 そう言ってこちらを見てきた神原さんに、頷いて答えた。

「うん、何か少しだけスッキリしたわ。良いこと言うじゃん、おまえ」

 神原さんはようやく顔いっぱいに笑顔を浮かべると、アハハと少し笑った。その様子に俺の顔も少し緩んだ。


 それから、神原さんは腕時計に目をおとすと、焦ったように顔をあげた。

「うわ、やべえ。バイトに遅れる」

 焦った様子で財布を取り出すと、1000円札を2枚取り出して机の上に置いた。

「これで払っといて。私もう行くわ」

「ちょっと、これ多いぞ」

 急いで席を立とうとする神原さんを呼び止める。

「いいよ、取っといて。変な相談に乗ってもらったし、そのお礼」

 そう言うと、勢いよく出口の方へかけていった。だが、扉の前で一瞬立ち止まると、こちらへ戻ってきた。


「連絡先教えといて。秘密守れなかった時に殺せるように」

 さらっとおっかないことを言いながら、手に持ったケータイをこちらへ突き出してきた。

「それに……」

 それから、何かを言いかけるとすぐにそれを止めてしまった。

「それに?」

「なんでもない。とにかく教えろよ」


 連絡先を交換すると、神原さんは難しい顔をしてケータイの画面を見つめた。

「とりまる へいきち?」

烏丸からすまね。烏丸 平吉」

「へえー、珍しい名字」

 神原さんはどうでもよさそうに答えると、ケータイを鞄に収めた。

 こちらの画面には神原 深月みづきと表示されている。

「私は深月。よろしくねヘイキチくん」

 そう言ってニッと笑うと、神原さんは早歩きで店の外へと出ていった。

 からかわれていると感じつつも、下の名前で呼ばれて少しドキッとした。しばらく、そんな経験をしていなかったので変な感じがした。


 窓から覗いて、駅の方へと消えていく神原さんの後ろ姿を目で追った。その様子を見ながら昼間の航の言葉を不意に思い出した。


『しかし、見た目は極上だが、実はひとクセ抱えてるんじゃないかと思うね』


 航、おまえの言うとおりだったぞ。いや、ちょっと違うか。ひとクセどころか、2つも3つも抱えている、そんな女だったぞ。

 そんなことを考えながら、既に冷めてしまったコーヒーに口をつけた。緊張が引いてくると、まるで嵐にでもあったかのように、どっと疲れが出てきた。

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