4(菜緒)


「結婚してほしい」


 指輪ケースをワイングラスの前に置いた。ケースは開いていて、指輪についた小さなダイヤモンドが星のように煌めいた。


 向かい側に座る菜緒は目と口を大きく開いている。やがて口の方だけを両手で覆った。それを見て、十五年前と同じ光景であることを剛典は思い出した。ただ一つ違うのは、場所が菜緒の家であることだった。


「私なんかで……いいんですか?」


 ようやく彼女の口から放たれた言葉だった。プロポーズの返事を聞くのは二度目である。初めてのプロポーズの相手は前妻だ。あの時朱音は「遅い」と泣きながら笑っていた。


「君でなければならない」


 あの世で朱音が聞いたら吹き出しそうな台詞だった。剛典は産まれて初めてこんなくさい台詞を吐いたのでは、と思った。


「つけてみても?」


「もちろん」


 菜緒は慎重ともいえる手つきで指輪を取り、自分の左手薬指に填めた。その手を眺めながら、彼女は一言「綺麗」とだけ呟いた。君の瞳の方が綺麗だよーーなんて台詞はさすがに胸の中だけに留めておいた。


「天くんと夢ちゃんは、もうこのことを?」


 やはり聞いてくるか、と肩を落とした。剛典としては答えたくない質問だった。とはいえ、ここで嘘をついても仕方なかった。


「実は」伏し目になる。「まだ明かせてないんだ」


「天くんですか?」


 どうやら菜緒は気づいてるみたいだった。剛典は頷いた。


「君を嫌ってるわけじゃない。ただやっぱり朱……前の奥さんのことを気にしてるみたいだ。でも、それは時間が解決してくれる。きっと徐々にあいつも心を開くはずだ」


 菜緒がプロポーズを断ることを彼は心配した。彼としてはどうしても菜緒と結婚して幸せな家庭を築きたかった。子供たちのためであり自分のためである。彼は最後のひと押しというように「俺たちには君が必要なんだ」と熱くいった。


 すると何がおかしかったのか、菜緒がふふと笑い出した。


「安心してください剛典さん。私、元々プロポーズされたら何であろうと受けるつもりでした。むしろ遅いな、って思ってたくらいなんですよ」


「ま、まじか」


 どうやらプロポーズの時期を選ぶのが下手くそだと彼は気付かされた。


「ただやっぱり天くんのことが気になって聞いただけです。でも剛典さんが言うように、きっと時間が解決してくれますよね。そう信じて、私も決心したんです。もちろん、二人にとって良いお母さんになるために頑張るつもりです。いや……」


「どうした?」


 突然、菜緒が視線を落とした。


「剛典さん。二人、ではなく、三人に訂正することを許してくれますか?」


 一瞬何を言ってるかわからなかったが、すぐに理解した。


「まさか、子供が?」


 菜緒が申し訳なさそうに俯く。


「ごめんなさい。ずっといつか言わないととは思ってたんですけど、なかなか切り出せるタイミングがなくて」


「そうか」剛典は腕を組んだ。「じゃあ名前、考えないとな」


 笑顔でそういうと、菜緒の表情がぱっと明るくなった。


 その後は、彼女のベッドに移動した。幾度となく夜を過ごしたそのベッドに。

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